幼馴染はただ今、電波の届く乙女ゲー世界にいます。
外出自粛中の暇つぶしのお共になればと、二年くらい前に書いてお蔵入りした短編を引っ張り出してきました。気軽に楽しんで頂けたら幸いです。
それは夏休み初日の、茹だるような暑さの昼下がり。
私・叶夢子は、高校一年生の青春真っ盛りな夏を、クーラーのガンガン効いた自室に引きこもって、ひたすら乙女ゲーム攻略に勤しんでいた。
異世界救っちゃう系乙女ゲーム『聖なる貴方様』のフルコンプを達成し、「いいわぁ、夏休み。思う存分ゲーム出来るわ。シュナイド様は本日も麗しかった……」と独り言を呟きつつ。次はどれをプレイしようかと、積ゲーを漁っていた時に、私のスマホがシュナイド様ボイスで着信を告げた。
「なんだ、涼矢からじゃん」
相手は幼馴染の政道涼矢だった。幼少期から家族ぐるみで付き合いのある奴なので、なんの気負いもなく電話に出る。
「なに? 私は今、重要な行動選択に悩んでいて忙しいから、用件は手短に……」
「俺は今……の、世界にいるっぽい」
「ん? 聞こえなかった、もう一回」
「――――俺は今、乙女ゲームの世界にいるっぽい」
は?
「夏休みが始まる前、お前が俺のバッグに無理やり突っ込んだゲームあるだろ」
「ああ、もしかして『夏色の君と恋』?」
そういえば、ないと思ったら貸してたんだっけ。
というか、電話越しの雰囲気で涼矢本人だとはわかるが、なんか声が違う。頑張って低く話そうとしてる女の子の声みたいだ。
「お前の押し売りがあんまり煩いから、一応試しにやってみたんだよ。そしたらプレイ中に画面がバグってさ。お前に『これ不良品だろ!』って電話かけようとしたとこで…………なぜか気づいたら、俺はスマホを持ったままヒロインの姿になって、ゲーム内の校門前にいた」
「……」
思わず口を開けたまま、私は黙り込んでしまった。
『夏色の君と恋』とは、知名度は低いが丁寧な作りで評価は高い、学園系乙女ゲームである。
舞台は一夏の全寮制高校。バスケ部マネージャーの平凡ヒロインが、夏休みの間にイケメン部員たちとの仲を縮めていく、ザ・王道な青春ものだ。
海やら合宿やら花火やら、夏らしいイベントが目白押し。真面目な部活描写は少なく、夏に定番の恋愛展開が主なので、お前らバスケしろよという真っ当なツッコミはNGである。
キャッチコピーは、『忘れられない青い夏を君に』。
攻略キャラの名前が夏っぽいのも特徴で、どこまでもナツナツしい。
実は私が乙女ゲーにハマったのはわりと最近で、現実で酷い大失恋をして荒みまくっていた時に、友人が「気晴らしに」と、『夏恋』を勧めてくれたのがキッカケだった。
ハマってからいくつかの乙女ゲーをフルコンプ済みの私だが、最初にプレイした『夏恋』はやはり特別だ。
攻略キャラは全員愛しい。
特に一番人気の関西弁キャラ、花火先輩は私の嫁だ。ストーリーはどのルートも、笑えて泣けて萌えられる。やり込み過ぎて、台詞の脳内再生くらいは余裕と言っていい。
何度、画面を越えて花火先輩や海太くん、祭屋さんに会いに行きたいと思ったことか……。
――そんな私を差し置いて、涼矢がゲーム内にトリップだと?
「ふざけんな、なんだそれ羨ましい。今すぐ私と替われ!」
「まず言うことがそれか!?」
あ、今の声、完全に女子の甲高い声だった。
ヒロインの涼矢ちゃん(奇しくも涼矢と漢字が同じだ)のボイスは、こんな感じなのか。可愛い。中身は涼矢だけど。
「普通は信じられないとか疑うだろ……ありえるか? 俺、ヒロインになってるんだぜ……?」
「でも本当なんでしょ? 大丈夫。駆け出しとはいえ、私も一端の乙女ゲーマー。このくらいの状況把握は朝飯前よ」
「頼もしいな、乙女ゲーマー!」
それより、許せないのは涼矢が『夏恋』の世界にいることだ。何度私がプレイしてもそんなイベントは起きなかったのに。ビギナーズラックか畜生。
私はやさぐれた気分で、タンクトップ姿でベッドに転がった。茶色に染めた長い髪を、不愉快な気分で掻き上げる。
「あーいいな、夏休みに乙女ゲームの世界に行けるなんて。ちょっとした旅行じゃん。しかもヒロインとか、羨ましすぎ」
「何言っての!? 俺は正真正銘の男だからな!? 部屋で乗り気じゃないゲームしていたら、セーラー服着た女子になってたんだぞ? もうイジメだろこれ!」
「ヒロインの初期設定だもんね、水色のセミロングの髪に、古風な感じのセーラー服は」
「男だけど泣きてぇ……。幸い俺のスマホは手元にあるが、ネットは一切繋がんねぇし。ただなんでかお前との電話だけは、ダメ元でかけたら繋がったんだよ。後生だから助けてくれ」
はぁ、なるほど。
つまり私はサポートキャラ的な役割を、電話越しに求められているということか。
しかし、高校生になって身長が伸び、爽やかイケメンに成長した涼矢を、常々「乙女ゲーの攻略キャラかよ」などと思っていたが、まさか攻略する側になるとは。神様も残酷な采配をなされる。
「そもそもさ、戻りたいの? 本当に? 素敵なイケメンが揃う輝かしい世界より、この腐った醜い世界に帰還したいの? 本気で?」
「病んだ発言はやめろ! とにかくなんとか俺がそっちに帰れるようにしてくれよ!」
「まぁ定石でいけば、なにかしらのハッピーエンドに辿り着いたら、ゲームクリアで戻れると思うけど……。それだとヒロインin涼矢が、夏休みの終わりと同時に、攻略キャラの誰かと恋人にならないとダメよ。ちなみにその場合、どのルートでもキスシーンくらい余裕であります」
「なんてこった!」
「あ、でも」
私は壁に貼った夏恋のポスターを横目で眺め、そういえばこのゲームには、こんなエンドもあったことを思い出す。
「全員と一定値の好感度を維持して、誰ともくっつかない『大団円エンド』もあるかな。これならヒロインは、軽いセクハラ受ける程度で済むよ」
「それでお願いします! それに俺をなんとか導いてくれ! そっちなら、攻略本でもなんでもあるだろ!?」
「攻略本? 必要ないわね。私自身が攻略本よ」
「発言が上級者向け過ぎる!」
――そんなこんなで、電話の向こうでヒロインとして頑張る幼馴染(男)のため、サポートキャラとしての私の夏休みは幕を開けた。
●●●
まず私は、涼矢の家の方に連絡した。彼は乙女ゲームの世界に入り込んでいるので、行方不明状態の可能性もあると思ったからだ。
案の定、涼矢のお母さんに尋ねれば、「それが涼矢ったら、ゲームつけっ放しでどこかへ出かけたみたいなのよねえ」と返されたので、彼は私の家にしばらく泊まることにしておいた。
涼矢は私の弟とも仲がいいし、これであっさり納得してくれた。他もこんな感じで、根回しをしておけば問題ないだろう。
現実世界のケアも行う超優秀なサポートキャラじゃね?
とか思っていたら、ふと涼矢ママが声を潜めて「あの、夢子ちゃん。『乙女げぇむ』って、カッコいい男の子と恋愛を楽しむやつよね? 涼矢がやってたゲームがそれだったんだけど。……なにかあの子、悩みがあるとか、具体的には、お、男の子に興味があるとか、そんな話は聞いてない?」と問うてきた。
私は「ありのままの涼矢くんを受け入れてください」と言っておいた。
別にわざと誤解を煽ったとか、そんなことはない。モテ男になった涼矢のせいで、女子に疎まれ面倒な思いをしていた腹いせとか、そんなまさか。
これで案外、戻ってきた後の方が涼矢にとっては大変かもだが、私に罪はないはずだ。
さ、クリア目指して頑張ろう。
●●●
ミッションそのいち。
『夜の学校で、気になる彼と急接近?』
「夢子! ヘルプ、ヘルプだ! 至急アドバイス求む!」
「えー、勉強中なんですけど」
「嘘つけ! ゲームのBGMっぽいの聞こえるぞ!」
「耳がいいのね、涼ちゃん」
「涼ちゃんって呼ぶな!」
ヒロインの涼ちゃんでしょ、今は。
私は仕方なくゲーム機を置いて、よく聞こえるようにスマホの音量を上げた。
「ていうか、予定通りなら今日この時間は、攻略対象者たちと肝試しイベントのはずでしょ。なに電話してきてんの」
チラッと私は窓に視線を走らせた。
外は真っ暗で、今日は星がよく見える。
ゲーム内とこちらの時間の流れはまったく同じらしいので、こっちが夜ならあっちも夜だ。
私が夕食後に自室でポテチ(のりしお)を咥え、ヤンデレ系殺伐乙女ゲーム『Love Killer』をプレイ中の今頃。涼矢は夜の学校に忍び込み、「私、暗いの怖くて……」「大丈夫、暗闇からも俺が守るから」的な会話を、イケメンたちとしているはずなのだが。
「いや、最初はちゃんとお前の指示通り、攻略キャラの五人から花火先輩と海太くんを選んで、三人で校内を回ってたんだよ。適度に怖がるフリもして、好感度? ってのも良い感じに上げてたと思うんだが……」
「うんうん」
「『夜の学校探検』ってのに、段々テンション上がってきてな。つい俺だけどんどん進んじまって――――今、はぐれて一人です」
「バカなの?」
なにヒロインが少年心出してんだ!
「さっさと合流して……」
『なんや、こんなとこにおったんか、涼』
え、ちょっと待って。
この声優さんが慣れていないせいで、若干ぎこちない関西弁は。「逆にそれがイイ」と好評の、魅惑の低音ボイスは。
「げ、花火先輩……っ」
「花火先輩!?」
私は寝転がっていた体勢から飛び起きた。
涼矢も電話の向こうで狼狽しているが、私の動揺はその上を行く。愛して止まない一推しキャラ・花火先輩がこのスマホの先にいるのに、落ち着けという方が無理だ。
貴方のグッズは全部買いました大好きです。
「ちょ、替わって、電話替わってよ涼矢! 私と花火先輩をお喋りさせて! 『友達です★』とか適当なこと言って紹介してよ!」
「はぁ!? あ、いや、何でもないんです先輩……っ」
「替われー! 今すぐ替われー!」
「――――うっせぇぞ、オタ姉! 宿題できねぇだろうが!」
大声で通話していたら、部屋のドアが勢いよく開かれ、弟が怒鳴り込んできた。
うちの中学二年生の弟は、生意気だが妙に女子受けが良く、超可愛い彼女がいる超可愛くない弟である。ついでに対私限定の反抗期だ。
なお、オタ姉とは『オタクな姉貴』の略らしい。本当に可愛くない。
「うるさいのはアンタよ! お姉ちゃんは大事な状況なの! ガキは部屋で宿題でもしてな!」
「その宿題を妨害したのはそっちだろ!」
そこから姉弟喧嘩に発展したら、いつの間にか通話は切れていた。
弟、マジで許さん。
ミッションそのに。
『ドキドキ! 彼と水着で思い出作り』
「なぁ、なんか知らん間に、攻略キャラ全員と海に行くことになったんだが」
「来たか、ビッグイベント! 重要なターニングポイントだから、肝試しの時みたいな失敗はしないでよ。でもその前に、水着選びがあるでしょ? もう選んだ?」
「いや、明日買いに行かされる。……本当に俺が着るのか。女子の水着を、俺が」
あらあら。
セミ共がよりうるさくなる今日この頃。いい加減ヒロイン生活にも慣れたかと思っていたが、それはまた別で、男のプライドがあるみたいだ。
涼矢の声は、電話越しでもわかるくらい悲壮感に満ちていた。
「ていうか、あいつら遊び過ぎじゃね? バスケしろよ真面目に!」
「仕方ないでしょ、『夏恋』は部活メインのゲームじゃないんだから」
まぁ涼矢は、退部したとはいえ元バスケ部だから、気になるのかもしれないけど。
むしろ慣れるどころか、ストレス溜まってる?
先日も「壁ドンされた……元の俺より、身長の低い海太くんに。なんかスゲーショックだ……」と打ちひしがれていたな。壁ドンって、身長制限あるのかね。
私は部屋でクッションにもたれ、ポテチ(サワークリームオニオン)をつまみながら、「ファイト!」と心無い声援を送っておいた。
「……で、水着選びってのも、今後の展開において重要なのか」
「超重要よ! ビキニだと蝉丸先輩、パレオだと海太くん、スクール水着だと祭屋さんって感じで、ルートによってベストチョイスがあるの!」
「突っ込むべきは祭屋さんの趣味だろ。眼鏡の優しい同級生が、スクール水着が趣味なのやけにリアルで嫌だな。ちなみに大団円エンドを目指す時は、どれを選べばいいんだ?」
「………………スク水、かな」
「もう元の世界に帰りたい!」と叫んだ涼矢に、今度こそ私は心からエールを送っておいた。
ドンマイ!
ミッションそのさん。
『浴衣に夏祭りは恋の香り』
「帯が胃を圧迫してくる……こんなハードな服着てはしゃいでたんだな、女子ってスゲェ」
スマホからは、カラコロと小粋な下駄の音と共に、潰れたヒキガエルみたいな声が聞こえてくる。涼矢は今から攻略キャラたちが待つ、花火会場に行く途中のようだ。
「う、ヤバイ吐きそう。もう浴衣じゃなくてよくね? 脱いで私服でいいだろ」
「ダメに決まってるでしょ、浴衣は好感度アップに必須。ヒロインが夏祭りに私服とかありえないから!」
「いやそれでもヒロインが吐くよりマシだろ」
「男心を掴むためには、吐き気くらい耐えなさい」
「……そういうお前はなにしてんだよ。確か今日は、そっちも花火大会があったはずだろ」
涼矢の言う通り、ゲーム内のイベントスケジュールと偶々被り、リアルのこっちも本日は花火大会だ。
でも私の方は相変わらず、聖域に引き籠り、ポテチ(コンソメ)を咥えて『聖なる貴方様』のファンディスクをプレイ中。
弟は彼女と祭りに向かったが。なんかムカついたので、おやつのプリンはアイツの分も食べておいた。
「海の時も思ったんだが、お前さ。夏休み前に小遣い使い切って、新しい水着も浴衣も買っていただろ。着なくていいのかよ?」
痛いところを突いてくる。
つい嫌な記憶が振り返して、私はポテチを強く噛み砕いた。
「いいのよ、もう見せる相手もいないし。じゃあね、涼ちゃん。浴衣で色気出して押し倒されてきな」
「全年齢のソフトだろこれ!? あ、おいっ……」
強制終了。
幼馴染みってやつは、時にお互いを知りすぎていて厄介だ。
電話を切ったら、遠くで鳴る花火の音がやけに煩わしく耳についたので、私はイヤホンをして、シュナイド様の美声に集中することにした。
●●●
――あっという間に、夏休みも残すところ一週間になった。
ゲーム内の進行状況は概ね良好で、涼矢は着実に大団円エンドに向かっている。
私の方は友人の誘いも断り、変わらず家に引き籠ってゲーム三昧だ。今年まともに出かけたのって、大人気乙女ゲームのイベントくらいじゃないかな。あれは二重の意味で熱かった。
「ふぅ」
ブルーライトカットの眼鏡を外して、私は床にゲーム機を置き一息ついた。
ぶっ通しの長時間プレイでさすがに眼球が限界だ。私は瞳の休憩もかねて、部屋の片づけでもしようかと立ち上がる。まずは机周りの整理からと、積み重ねた教科書を持ち上げたら、ヒラリと足元に一枚の紙が落ちてきた。
拾って見れば、それは数ヶ月前に書いた覚えのあるメモだった。
力強い字で、
『夏休みまでにマイナス五キロ!
大好物のポテチは禁止!
先輩の隣に豚が並べると思うな!』
と、自分を叱咤する言葉が綴られている。
確かダイエット計画を立てていたときのだと思う。
「……捨て忘れか」
ぐしゃりと握りつぶし、メモをゴミ箱に放り入れたところで、机の端で充電中だったスマホが鳴った。また涼矢かと、緩慢な動作で手を伸ばす。
思うんだが、涼ちゃんの通話代は大丈夫なんだろうか。私からはほぼかけないから、電話料金は大体あっち持ちだ。現実に戻ったら、全部チャラになる仕組みだといいね。
しかし、電話の相手は珍しく涼矢ではなかった。
「おひさー、暇だから電話してみた。今日も楽しく乙女ゲーライフ送ってる?」
快活な声の彼女は、何を隠そう『夏恋』を勧めてくれた友人様だ。私よりワンランク上の廃ゲーマーで、乙女ゲームの師匠でもある。
「久しぶり。ついさっき師匠おススメの『Love Killer』のケンヤルートを制覇したとこなんだけどさ。マジであのゲーム、バッドエンド多すぎて心折れ掛けた」
「バッドエンドを楽しんでこそ、一人前の乙女ゲーマーってもんよ」
椅子を引いて腰掛け、「私は普通にハッピーエンドが好きだわ」と苦笑する。
師匠は基本どんなのもプレイはするが、好みは鬱な感じのやつだ。ヤンデレ包囲網な『Love Killer』とか、昼ドラ並みの愛憎劇系乙女ゲーム『毒を喰らわば』とか。
『みんなのトラウマゲーム』とか称される、心の闇が垣間見えるのが彼女のタイプなのだ。
「まさか適当に貸した『夏恋』から、夢子がこんなハマるとはねー。そんな有名でもないし、あれ私的には地味ゲーだと思うけど」
「『夏恋』は名作だから! 地味でも名作だから!」
「地味なのは認めんのね」
そこはもうね。知る人ぞ知るって感じだし。
それでも、私にとってあれは最高傑作なのだ。
というか普通、最初は自分の一推しを貸すもんじゃないの? と思うのだが、以前それを言ったら「馬鹿か。自分の大事なソフトを初心者に貸すわけないだろ」と真顔で蔑まれた。あのときの師匠はマジだった。
「まぁ『夏恋』もいいけどさ。たまには涼矢君にも構ってあげなよ、夏休みなんだし」
「なんでそこで涼矢?」
今あいつヒロインになってますけど。
「え、だって夢子の彼氏でしょ」
「はぁ!?」
思わず喉の奥から素っ頓狂な声が出た。隣の弟の部屋から「うっせー!」と文句が飛んできたが、これはスルーで。
「どうしてそうなるの、あいつはただの幼馴染だから!」
「それ、幼馴染との恋愛物で定番のセリフだよね」
「だいたい師匠も知っているでしょ? 私は数カ月前に失恋したばっかよ?」
「だからその後よー。傷ついたあんたのために、涼矢くん色々頑張ってたじゃん。果てはバスケ部を退部する事態にもなってさ。てっきりそんな彼に絆されて、付き合い始めたのだとばっかり。いつも一緒に居るし」
「うちらが一緒にいるのは昔からだから……」
でも言われてみれば、失恋してからやたらと、涼矢と行動を共にしてた気も……?
首を捻りながら私は、それより聞き逃せない発言があったと、探るように彼女に疑問をぶつける。
「……ねぇ、あいつが退部した理由が私のためって、どういうこと?」
「え、理由知らなかったの!?」と驚く彼女の話を聞いて、私はすぐさま涼矢の方に電話した。
それは珍しいどころか、ヒロインになった彼に対して、実は初めての私からの電話だった。
●●●
ここでちょっとだけ、胸糞悪い過去回想を入れよう。
私には中学時代からずっと、好きだった一個上の先輩がいた。
委員会で出会ったのだが、人当たりがよくいつも周囲に頼られていて。それでも愚痴など溢さず、「仕方ねぇな」と笑って引き受けてくれる、そんな人だった。
彼がやれやれと笑うときに、へにゃりと下がる眉が、私はとても好きだったのだ。
告白しようと試みたが勇気が出ず、何度も涼矢に相談して鬱陶しがられ、結局なにも出来ずに先輩は卒業してしまった。
それでも諦められず後を追うように今の高校に入学し(当たり前のように涼矢も一緒だった)、先輩とは無事に再会出来た。彼は素朴な雰囲気だったのがガラリと変わり、些かチャラくなっていたが、私のことは覚えていてくれた。
見た目が変わっても先輩は先輩だ。今度こそ積極的にいこうと、私は頑張っていっぱいアプローチした。
そして五月のある日。
先輩から「付き合わね?」と告白を受けた。
その時はもう有頂天。脳内では天使がラッパを吹くどころか、タンバリンにマラカスの大合奏。今ならワンチャン空も飛べる、そのくらいの喜びだった。
返事はもちろん、光の速さで『イエス』だ。真っ先に涼矢に報告し、無理やり祝勝会? も開かせた。
付き合い出してから私は、今時男子になった彼につり合うよう、より自分磨きに精を出した。来たるべき夏休みに備え、まずはダイエットだと。
自分でも夢見がちだと自覚はあるが、『初めての恋人と過ごす夏休み』というのに、かなりの期待を抱いていたのだ。早い段階から、先輩と海ー! 先輩と夏祭りー! とか想像して、微々たる小遣いを空にし、彼の好みに合う水着も浴衣も入手した。
とにかく浮かれていたのである。
しかし、現実はそう簡単にハッピーエンドにはいけなかった。
付き合ってまだ三週間くらいの頃だ。
私は放課後の教室で話し込む、彼と友人の会話を偶々聞いた。
聞いてしまった。
『な、言っただろ? あの子、絶対お前のこと好きだって』
『おう、マジだった。試しに告白したら、すげぇ勢いで了承されたよ』
『それで本当に付き合うことになってどうすんだよ。お前、他校にも彼女いるだろ』
『あー……まあ、適当に合わせて、夏休みが終わったくらいに後腐れないようふるよ。長く二股すんのもな』
『ふるってどっちを?』
『夢子の方に決まってんだろ』
だってあっちは、遊びみたいなもんだし?
そう笑う先輩が、私には本気で誰なのかわからなくて。
気付いたら私は、教室のドアを勢いよく開けて、手にした鞄を先輩に思いっきり投げ付けていた。そして「こっちからフッてやるわ、ボケ!」と叫び、脱兎の如く逃げた。
私の知っている先輩は少なくとも、あんな嫌な笑い方をする人じゃなかった。
悪い方に高校デビューしてしまったのだ。いっそあとカバンで5、6発殴って、来世デビューまでさせてやればよかった。
涙を溜めたまま玄関を目指して走り、途中で部活のユニフォーム姿の涼矢とすれ違ってぎょっとされたが、立ち止まりはしなかった。
でも靴を強引に履き変えたところで、バッグに財布も定期も入れっぱなことを思い出して。
少し冷えた頭で取りに戻れば、先輩たちはおらず、教室には私のバッグだけが窓から差し込む夕陽の中でポツンと転がっていた。
それが酷く虚しくて惨めで。
私は一人きりの教室で、蹲ってもう一度だけ泣いた。
●●●
「なんだよ、お前から電話なんて珍しいな。今は俺、海太くんと補習中なんだが……」
「あんたさ――私のために先輩殴って、退部食らったって本当?」
「……あー」
電話の向こう側で、涼矢が「バレたか」と呟いたのが聞こえた。
やっぱり……本当だったんだ。
胸のあたりがぎゅうっと軋む。
「なんでそんな余計なことしたわけ? 別に頼んでないじゃん、そんなこと! あれだけバスケ頑張っていたのに、バカなことして……!」
「……仕方ないだろう」
「なにが仕方ないのよ!」
感情が昂って、つい声を荒らげてしまう。
また弟にキレられそうだが知らない。
確かにあれは辛いトラウマ級な出来事だったけど、私は私でちゃんと折り合いくらいつけていた。主に乙女ゲームをプレイすることで。
最初は甘い台詞に「はずかしっ」ってなって悶えたり、「こんな男いるかよバーカ!」と蔑んだりして情緒不安定だったが、ゲームを一周する頃にはアラ不思議。
初回エンド後は画面の前で「花火せんぱぃぃぃ」と叫びながら泣いていた。なにもわからず最初にクリアしたのが、花火先輩とのルートだったのである。彼の悲しい過去に、そしてそれを涼ちゃんに打ち明けて部室の隅で結ばれた二人がキスするシーンに、もう大号泣だった。
だからもう、それでスッキリして救われたから、涼矢が私のために仕返しなんてしてくれなくてもよかったのだ。
しかも自分の好きなことを犠牲にしてまで。
「……だって、……だから仕方ないだろう」
「はあ!? 蝉の声がうっさくて聞こえないわ! 腹から声出して反論しろ!」
「……っ! だからっ! 好きな女が泣かされて、黙っていられなかったんだから仕方ないだろう!」
はい?
「好きな女? なに言ってんの、涼ちゃん」
「涼ちゃんじゃねえ! なんだよお前、マジで俺の積年の片思いに気付いてなかったのか!?」
え? 涼矢って私のことが好きだったの? マ?
私は驚き過ぎてスマホを手から落としかけた。
だってそんな素振りちっともなかったじゃん。
「子供の頃からバカなお前一筋なんだよ、こっちは! なのにお前は勝手にろくでもない男と付き合い始めるわ、挙句にこっぴどくフラれてヲタクになって引きこもるわ! そりゃ殴るだろう、相手の男の顔の5、6発くらい! バスケはもういいよ、それより俺はお前が大事だ! なのによお、俺にチャンスがやっと来たかと思ったらいきなりゲームのヒロインになるし!? こんなセーラー服着た状況で成り行きで告白させられるし!? やってられねえよ、もう! 死ねばいいかな? 俺死ねばいいかな!?」
「お、落ち着いて、涼矢! ごめん、私が悪かったから落ち着いて!」
いったん、お互いクールダウン。
わかったことは手前、涼矢はガチで私に惚れているらしい。自分で言うのもなんだが趣味が悪いよね。
ずっと今まで、涼矢は私にとって気を許せる一番の親友というか、もはや家族のような存在だった。
男女でのお付き合いとか、正直考えたこともなかったのだ。
……だけど、私のために大好きな部活を退部させられる覚悟までして、先輩を殴ってくれた青春野郎に、ちょっとトキめいたのもまた事実。
涼矢となら、トラウマを乗り越えてずっと一緒にいられるかも、なんて思ってみたり。
だけど、ここですぐ「はい付き合いましょう」とまでは、私の気持ちがまだ追い付かない。
なので……。
「あのさ、涼矢。無事にゲームをクリアしてこっちの世界に戻ったら、元の涼矢の姿で、電話越しじゃなくて直接告白しに来てよ。そうしたら私が、飛びっきりのヒロインスマイルで頷いて抱き付いてあげるから」
「…………言ったな?」
涼矢は捲し立てるように「その約束忘れんなよ! さっさと友情エンドでクリアしてやるよ、こんなクソゲー!」と吠えて通話を切った。
クソゲーじゃなくて名作だって言ってんのに。
「バカだよね、涼矢って」
ベッドに転がって小さく笑う。
本当に、バカの中のバカだ。
だけどそんなバカな涼矢相手だから、きっとこの先も喧嘩しながらも上手くやれる気がして、私は先輩にフラれてから初めて現実世界に希望が持てた。
来年の夏は、乙女ゲームのヒロインとしてログインしなくても、水着も浴衣も着られるかもしれない。
ーーさて。
それから驚異の速さで涼矢は乙女ゲームを無事、友情エンドでクリアして、現実世界へと帰還した。
気付いたら元の男の姿で、家の前に立っていたらしい。
結局どういった現象だったのかはわからないが、ファンタジーに理由をつけることがナンセンスである。
ちゃんと帰って来られたんだから結果オーライということで。
ちなみにその出来事以来、私の持っていた『夏恋』のディスクはうんともすんとも言わなくなり、完全に壊れてしまった。新しいものを買う気にもなれず、もうプレイ不可になったのだ。
花火先輩に会えなくなったのは悲しすぎるけど……。
『夏恋』の話をすると、私の彼氏様が不機嫌になるので、潔く諦めることにした。
幼馴染みの彼氏はただ今、電波も声も直接届く、私と同じ世界にいるから。