理不尽な再開。
ここのところ、決まって同じような夢をみる。
夢をみる理由というのはまだはっきりとわかっていないようだが、一説には現実に起こったことの整理だというものがある。
記憶の整理というのだろうか、その際に断片的な記憶が結びついて、夢ができるというのだ。
なるほど。
確かに最近見る夢と、現実に起こったことと結びつくところが多々みうけられる。
これを必死に整理しようとしているというのなら、なんとなく納得もゆくものだ。
そんな夢について考えるとき、僕は昔、友人が聞かせてくれた夢の話を思い出す。
*
彼は若い頃、最愛の人を亡くした。
「若い」といっても、それを理解できないほど子供ではなかったし、だからといって簡単に受け入れられるほど大人でもなかった。
そんな、人生において、人を愛することにおいて一番不安定な時期のことである。
彼はただただ、その理不尽な別れに涙し、夢ではないかと思い、やはり現実であるということを見せ付けられて、そしてまた涙した。
それでも時間は当たり前のように流れ、彼も歳を重ね、人生の中でいくつかの別れも経験し、若い頃の記憶も随分と遠いものになっていた。
「もし、金輪際会えない別れをした人と会うことが出来るとしたら、会ってみたいと思うかい?」
彼は僕に訊ねた。
それはもちろん会ってみたい。
小さい頃に突然の別れを迎えた人が僕にだっているからだ。
これだけ成長したところも見てもらいたいし、話したいことだって一杯ある。
もちろん、聞けなかったことだって聞いてみたい。
なにより、昔みたいに小さくはないけど、すっかりおじさんになってしまったけど、それでも昔みたいにぎゅっと手を握ってもらいたい。
それができるのなら……
僕はそう考えた。
しかし、僕がそれを口にする前に友人は言った。
「多分……思ってるほど喜べないと思うよ」
答えを見透かされたようで驚いた。
そして、その理由が僕にはわからなかった。
「何故?」
僕がそれを口にする前に、彼はまた話し始めた。
そのころ彼も夢を見た。
それはとてもリアルな夢だった。
夢とも現実とも区別がつかないような夢だ。
彼は食卓から少し離れたところに立っていた。
食卓には柔らかい日差しが差し込んでいた。
そしてそこには、いつもの顔と、いつもの顔最愛の人が座っていて、いつものように楽しそうに笑っていたのだ。
昔、彼が当たり前のように見ていたいつもの風景がそこにはあった。
ただ一つだけが決定的に違っていた。
それは彼が、最愛の人が「すでにここにはいない」ということを知っているということだった。
夢だと気づいたのではない。
ただ、「その人はすでにここにはいない」ということだけがわかっていたのだという。
そんな中に、彼の覚えているあの幸せで温かい空気が流れていたのだ。
彼はその景色をみて、ただただ泣いた。
そんな彼を見て、「どうしたの?」と最愛の人は心配をしてくれたけど、彼は何も言えなかった。
ただ立ち尽くして泣いていた。
消えてしまった人に会えたうれしさより、消えてしまったという現実を突きつけれらる辛さの方が、彼にはずっと大きかったのだ。
長い年月の中で別れを忘れたわけではなかった、受け入れたわけではなかった。
それは、見えないところにそっとしまっておいただけだったのだ。
やがてそれは白い光に包まれ、彼は目を覚ました。
気がつけばそこには一筋の涙が流れていて、彼はしばらくそれを拭うことができなかった。
「多分そのときだな、オレがそれ(別れ)を現実のものとして受け入れたのは。」
彼はそういって笑っていた。
正確にはわからないが、彼はその別れを受け入れるまでに20年近い月日を要したのだ。
夢が現実を受け入れさせたのか、現実を受け入れたことが夢として現れたのか。
それはわからない。
ひょっとすると、--神や仏を信じる性質ではないが--彼を慮った最愛の人が会いにきてくれたのかもしれない。
非現実的ではあるけれど、そうであって欲しいと僕は思った。
「それは非科学的だよ」と彼は笑って否定したけれど、理不尽な別れがあるのならば、理不尽な再会があっていいに決まってると、そのとき僕は思ったのだ。
*
いずれにせよ、素敵な話だなと思って僕が心に留めていた話である。