第九話 きっかけ
その夜、ゴーシュは眠れなかった。
今までとは違い安心出来るはずの環境であるのにまだ警戒してしまう自分がいた。
ここ数ヶ月、力のない兄を人質にドロワに口にするも憚られるような行為が行われてきていた。
ドロワに俺の事は気にするなと幾度となく告げても聞かず、不甲斐ない兄を守る為にやりたくもない事を虐げられそれを見せられて何度発狂してしまいそうになった事か。
兄として、唯一の家族として守っていかなくてはならない存在に庇われて、守られて。
ドロワ1人だけであれば何度でもすぐにあの場から逃げ出せたはずであったのに兄がいるせいでそれも出来ず、何度自身の不甲斐なさに絶望しただろうか。
だが今こうして2人とも五体満足心も壊れずに生きている。
しかしそれは結局ドロワのお陰で……。
昨日の夜も妹はうなされ苦しんでいたのに起こしてやることしか出来ない。エルフであるのに、魔力も持たずましてや妹のような力もないあまりにも非力な兄。
最近は眠り始めてすぐに眉を寄せ少し苦しそうにしていたが今日はうなされる気配もなく静かに眠っている。
まだ右手で握っていたドロワの左手をそっと離す。
だが表情は変わらず穏やかなままだ。
ゴーシュは出来るだけ音を立てないよう起き上がりベッドから抜け出す。その様子をレナは気付き目覚めていたが今は放っておく方が良さそうだとすぐに睡魔に身を委ねた。
外に出るとひんやりした空気が肌を刺した。
後1歩踏み出せば落ちてしまう場所まで歩き、そこに足をぶらりと投げ出すような形で座った。
月を見上げながら吐く息が白く変わる。
「何やってんだろうなぁ俺は……」
情けない声が漏れ出る。
だが本当にそれだけなのだ、今の心境は。
今も兄として側に居てやらなければならない時であるのに妹の側から離れて、レナと2人きりにさせて。
「ドロワは温もりに飢えている、だから俺がしっかりして騙されないように代わりに警戒しなきゃいけないのに。
なのに何絆されかけてんだ、ちょろすぎだろ俺も」
里でも腫れ物扱い、お腹いっぱい食べれられればかなり幸せな方。ましてや温かい食事などほとんどなかった。
そんな中、サロモンはなにかと2人を気にかけていた。
他のエルフに見つからないようにこっそりとご飯や古着を分け与え、飢えてしまないよう、凍えてしまわないよういつも見守って。
ゴーシュにとって里でのいい思い出はそれくらいであった。
だがそれがあったからこそ2人は落ちる所まで落ちる事なく、気にかけてくれる人がいる素晴らしい日々を大切に生きてこられた。
しかしある時そんな日々は壊れ、絶望しどうにかなってしまいそうなときに今まで以上の戸惑うほどの良い待遇。
温かい食事に綺麗な服、お湯で体を洗い隙間風のない部屋のベッドで眠る……。これは夢ではないのか、寝て起きたらまたあの絶望の日々が来るのではないのか、寝てしまうのが怖くもあった。
レナは何を考えている人間なのかは分からない。
だが今まで見てきた中で誰よりも強く、サロモンの次に優しくそして料理がとても美味しかった。
ダークエルフの血を引いているのに利用しようともしない、差別をしない。
ゴーシュとドロワはダークエルフの最大の特徴である青黒い肌こそ引き継いではいなかったが、白銀の頭髪はダークエルフのものだ。
白髪とはまた違うその髪は月の光を浴びて輝き、どことなく神々しくも見えた。
ずっと昔、ゴーシュはこの髪が大嫌いであった。
肌はただのエルフと同じだというのに忌々しい髪を引き継ぎ、差別される毎日。
太陽のように輝く、黄金の髪に憧れていた。
伸びてくる髪が嫌で仕方なく何度も何度も剃りあげようとした。
ただ1人それを止める者がいた。
妹だけが綺麗だとその髪が好きなのだと髪を切ろうとする度必死に止められては出来ず……いっそ呪いとでも言ってしまえそうなほどにその髪が好きだと伝え続けられてようやくこの髪でもいいかもしれないと思えるようになった。
肩甲骨にかかるほど伸びた白銀の髪がさらりと風に吹かれ揺れる。ドロワと同じ髪の色。
唯一の家族である妹との数少ない共通点。
大切な家族の共通点をもう嫌いにはなりたくはない。
「これから幸せになっていかねぇと」
ドロワと2人、今までの暗い過去を塗り替えてしまうほど楽しい日々を送る事が今のゴーシュの夢だ。
寒くて空腹で辛くて惨めだった、そんな日々はもういらない。
背中をごろりと横たえる。
木の板の冷たさが服を通して伝わった。
ひんやりとした感触がなぜだか今は心地よかった。
そのままゴーシュはぼうっと時間が経つのも忘れ雲が流れていく様を眺めていると、
「お兄ちゃん……?」
「ドロワっ————うわっ!?」
ハッと我に返り起きてきた妹の様子に異変はないかどうか不安で飛び上がるように起き上がったゴーシュはバランスを崩した。
倒れる身体、妹の見開いていく目と伸ばされる腕。
スローモーションのような世界でゴーシュも手を伸ばすが届かない、これからくるであろう衝撃を想像し思わずギュッと目を瞑ると一瞬遅れてやってくる衝撃。
だがそれはゴーシュの想像していたものではなく温もりに包まれていた。
「冷たっ……体冷やし過ぎ、風邪ひくよ」
上から呆れた声が降ってきて、目を開ければレナの顔が近い。
落下したゴーシュをレナが空中で抱き止めたのだ。
だがびっくりしたゴーシュはそこまで頭が回らず固まっていた。
しかし右腕にレナの慎ましくも柔らかな膨らみに触れている事に気がつくや否やパクパクと声にならない悲鳴を上げ顔を赤くしていき腕の中から出ようと暴れ出した。
「えっじっとしてよ、パニックとかめんどくさいな……」
レナはさらにガッチリと抱き抱え木の上にいるドロワの元まで飛び上がる。ゴーシュはロクな身動きも取れず再び固まり、そしてそのままドロワの足元に落とされた。
腰を打ち付けた痛みで漸く四肢が自由になった事を知る。
慌てて起き上がりドロワの後ろに隠れた。
「お兄ちゃん無事で良かった、あと驚かせてごめんね」
安堵の表情を浮かべながらドロワが労る。
「レナさんもありがとうございます。私が驚かせてしまったからお兄ちゃん慌ててしまって。
ほらっお兄ちゃんも、びっくりしたのは分かるけどお礼言わなきゃ」
「あ、ああありがとうございます。おっお陰で助かりました」
挙動不振なゴーシュの様子にレナとドロワは首を傾げるが、まだ落下した衝撃でパニック状態にあるだけだろうと判断して3人部屋に戻った。
「何となくね寂しい気持ちになって起きたらお兄ちゃんいなくてびっくりしたよ。
レナさんもすぐにおきてお兄ちゃんが外に出てるって言うから見に行ったらあれだもん、寝起きの心臓に悪いよ」
「悪かったな……。次からは黙って外出たりしないから」
そうしてよねとドロワは笑う。
「2人とも、まだ朝には早いから寝るよ。
続きはまた起きてから幾らでも時間はあるのだからその時にすればいい。おやすみ」
「あっ待って、横になる順番変えたい!
私とお兄ちゃんがレナさんを挟むような並びって駄目なのかな?
レナさんにくっつくとね、何故だかとっても安心するの。お兄ちゃんも私のせいでずっとろくに眠れてないからだから少しでもお兄ちゃんが眠れるようになるのかもしれない。
だから……」
段々と尻萎みになる言葉。
もう寝たかったレナは眠れるならどちらでもいいとばかりに2つ返事で了承するが、それに慌てるのはゴーシュで。
異様に拒否する様子にドロワは一瞬悲しそうな表情を浮かべるがそんなに嫌がるならと結局先ほどまで寝ていた順番になる。
(兄の方はまだ警戒心つよいな…はやく手がかからないようにはなってほしいけどいつ頃になるのやら)
3人は仲良く川の字で日が昇るまでようやくぐっすりと眠りにつくことができた。