マトリたち 第2話(終)
「おい、どうなってるんや。パーティーの参加者、若い娘ばっかりやないか」
「・・・・・・・・・。」
利堂のボヤきに何も返せない間宮。
日付はそのまま、夜。
時計の針は20:00を指そうとしていた。
間宮班の3人は都内のとある一等地に来ていた。
路上駐車されているトラック。
店から出てくる人や、待ち合わせた人を待っているタクシーや乗用車に混じって、止まっているシルバーのワゴンの中で、じっと息を潜めている。
彼らの視線には、女優Eがパーティーを開いているという雑居ビルがある。
売人、星川のたれ込みで、今日ここでパーティーのついでに、薬物の取引と使用が行われていると聞いた。
「・・・どうしましょうか。潜入できないですね」
眉をひそめる間宮。
中に入らなければ、証拠を押さえることもできない。
しかし、来ているお客さんはみな若い娘っ子ばかり。
そんなところに30過ぎのおっさんがひょっこり現れれば・・・。
「爽ちゃん、いつでも行ける準備はしとけよ」
「スーツっすけど、大丈夫ですかね・・・?」
「見てくれなら何とかなるかも・・・大学のダチに紹介してもらった、って体裁で行きゃ大丈夫や」
明らかに不安だという表情を写す花田と、それを取り払うように笑顔で繕う利堂。
間宮は顎を揉みながらため息をついた。
気もリフレッシュできたというのに、まさかここにきて思わぬ難関を乗り越えなければならないとは。
こんな女の子ばかりのパーティーに、わざわざ男友達なんて呼ぶだろうか。
花田を行かせたいのはヤマヤマだが、やはり設定に無理がある。
バレてしまえばそこでおしまい。
入れなければ意味がない。
3人は行く機会を伺いながら、雑居ビルのぽっかり開いた入り口を見ている。
何か・・・もっとマシな手をうてるような、何か好転することが起きないか。
そんなことを祈るようにしながら、入り口を見つめていた。
すると・・・まばらになった人の流れから、ふらりと若い娘が1人出てきた。
大学生であろうこの娘の出現を、3人は逃さなかった。
ここで3人は作戦を変更した。
・・・やりたくは無かったが、この娘なら間違いなくあの『パーティーの参加者』だ。
仕掛けるしか突破方法は無い。
先輩2人に花田は目配せをすると、何かの電子機具を握りしめながらワゴンから出ていくと、路上へと降り立った。
ふらふらと出てきた彼女の顔は少し紅い。
張り込んでいた事が悟られないように、ビルからは少し離れたところから軽快に歩みよる。
へたり込みそうになったところを、花田はすかさず肩に手をやり介抱した。
「大丈夫ですか?」
ほんのりとアルコールの匂いのする彼女に、花田は声をかける。
パッと見なら、ただの酔いつぶれた女性を介抱しているだけの様に見えるが、実態は違った。
「キミ、大学生?あのパーティーでヤク買ったよね」
「・・・えっ?」
一瞬酔いから醒めたように花田を見る彼女。
そのまま肩を抱えながら雑居ビルから離れると、2軒隣のビルの前で小声で訪ねた。
「ごめんね、これ身分証。あそこでヤクの売買が行われている事は知っているよね?」
マトリである身分を明かし更に問いつめる。
「えっ・・・いや、わたし違います・・・。あの、ビルの5階に・・・」
こちらを見据えて話してはいるが、明らかに言葉の歯切れが悪い。
「今日はあのビル、どこも営業していないはずだよ。3、4階のバーとテナントが貸し切られているだけ。・・・それとも誰も居ない会計事務所に、何か用でもあったの?」
「・・・・・・。」
言葉に詰まった彼女。
ゴマカシも万策尽きた。
「持ち物を見せてもらうけど、いいですか?」
素直に差し出されたポーチの中を調べる。
中に付いた小さなポッケの中から、パケに入って錠剤が出てきた。
LSD。そう、合成麻薬だ。
財布の中も調べると、某大学の学生証が出てきた。
この年齢なら3年目といったところだろう。
「・・・就活とかしてんのに、どうするの。せっかく大学も3年頑張ってきたのに」
「ごめんなさい・・・」
とうとう彼女は面を上げることも出来なくなり、すすり泣き始めた。
もう終わりだ、何もかも。
そんな心境といったところだろう。
この娘なら大丈夫かもしれない。
そう確信したのだろうか、花田は本題をきりだした。
「・・・もし捜査に協力してくれるなら、これを初犯という事で考慮するけど・・・どうする?」
「・・・・・・?」
涙で崩れた顔をあげて、花田の目を見つめる。
「大学にも、保護者にも今回の事は秘密というカタチで処理するよ。もし協力してくれたら」
「え、そ、それって・・・」
「もちろん、前科はつくよ。罪を犯した事はさすがに見逃せないから」
彼女はまだ話しの全容が分かっていないようだが、ここを逃す手ない。
畳み掛けるように花田は更に続けた。
「・・・でも、もしこちらの捜査に協力してくれるのなら、執行猶予というカタチで処分を済ませる事が出来るよ、って話し。保護観察官が付いてくるかもしれないけれど、大学にもキミのご両親さんにも、穏便に済ませられるから」
「・・・・・・。」
「・・・ほら、ハンカチあげるから、涙を拭いて考えてみて」
花田からハンカチを受け取ると目元を覆い、そして俯向きながら固まった。
花田は穏やかな口調でここまで彼女と向き合っているが、内心は焦っていた。
この間に女優Eが出てきたら・・・。
もしパーティーの客に見られたら・・・。
びくびくしながら、穏やかに返事を待ち続ける。
「分かりました。・・・わたし、どうすればいいですか?」
彼女の口から聞こえた言葉に、花田の思考が一瞬止まる。
しかし、すぐに脳に情報が追いつき彼女の協力が得られたことに少し安堵した。
ああ、良かった!
ホッとした花田は、手の中の小さな電子機器を手渡した。
スマホの充電口に差し込む、バッテリーのような形状だ。
「・・・これは何ですか?」
「これはね、盗聴器と隠しカメラなんだ。・・・欲しいのは、女優のEさんの動画なんだ」
「・・・・・・!」
マトリの身分にクスリについての会話、そして盗聴器。
彼女はすぐに理解した。
黙って花田から機器を受け取ると、スマホに装着した。
「・・・いい?これはロックが外れている間は動作し続けるタイプなんだ。スリープモードじゃ機能しないからね。起動している状態で、ギリギリまで近づいてしっかり頼むよ」
彼女は肯いた。
「撮り終わったら、合図を送ってね。ダメなら空をフラッシュを焚いて撮影、もしも撮れたのなら、道路の側でカバンを落としてね」
「・・・分かった」
「・・・よろしくお願いするよ」
酔いもすっかり醒めたであろう彼女は、花田が見送るなか再び雑居ビルの中に入っていった。
不安そうに、顔をしかめながら消えていく彼女を見つめる。
やる事はやったんだ。
あとは、無事撮れる事を祈って待つしか無い・・・。
花田はワゴンの中に戻り、後部座席に座り込みため息をついた。
間宮たちの静かなる闘いが、静かに幕を切った。
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ワゴンの中は外の賑わいに反して静まりかえっていた。
・・・だが、彼らの緊張はピークを迎えていた。
バレたら一巻の終わり、こちらのクビは確実にトブだろう。
花田は冷静に、内部調査の依頼をしていたが、関係者でもない赤の他人の一般人にあのような事を依頼する事は、大変重大な行いだ。
職権濫用と判断されても何の文句も言えない行為だ。
それでも、彼らは彼女に全てを託すしか方法は無かった。
それだけ切羽詰まり、後が無い事を理解していたからだ。
呼吸音だけが聞こえる車内に、間宮のポケットからバイヴレーションが響く。
内容を確認すると星川から新しいラインが来ていた。
「なんや内容は?」
「星川のやつ、あの雑居ビルの中に居るらしいです。他の売人も来ている上に、例の女優Eをお得意様にしている売人も来ている・・・と」
実際何人居るかは分からないが、ここまで入っていった人数を加味すると、50人以上は集まっているだろう。
それだけ居るなら、その分稼げるチャンスにも巡り合える。
売人たちがそう考えていてもおかしくはない。
「星川も何か動きがあれば、逐一報告すると言ってくれてます」
「それなら、星川にもカメラ持って探って貰ったら?」
「・・・ちょっと交渉してみます」
利堂の至極真っ当な意見を受け、間宮は入力盤をフリクションさせる。
星川なら関係者、内部調査をさせても協力者というカタチでなんとか誤魔化す事はできる。
入力が終わってから5分が経過する。
・・・遅い、返信が。
既読すらつかない事に焦りを覚える間宮。
まさか、内容を見られたのでは。
星川は既に罪が確定している犯罪者なのだが、この時ばかりは星川の無事を祈った。
祈りが届いたのだろうか、星川から返事がきた。
・・・が、それはこちらの理想となる内容では無かった。
間宮は口を歪ませため息をついた。
「・・・アカンのか」
「バレた訳では無いらしいですけれど、なんでも上の組織の者が参加者のフリをして、彷徨いているらしいです」
「自由には動けないか・・・そらそうやな、監視の目が光っていてもしゃーないよな」
開かれているパーティーは女優Eが主催して行っている。
テナントの貸し切りはもちろん、会場の準備や飲食品の調達費用・・・何から何まで彼女の息がかかっている。
招かれているお客様も(それぞれ思惑があるかもしれないが)、みな彼女の知り合いのはずだ。
「・・・1枚だけ写真を送ってくれました。この男が女優Eをお得意にしている売人です」
スマホに写った画像に、利堂は驚いた。
「何てこった・・・コイツァ瓜野や」
「リーさん知っているんですか?」
花田もスマホを覗き込みながら尋ねる。
「神戸や八王子方面にヤクの一大市場を抱えていた、T組の専属だった売人だよ。独自の海外コネを複数持っていた上・・・逃げ足は抜群、警戒心は他の売人の比じゃない」
「・・・すごく詳しいんですね」
大きくため息をつき、利堂は忌々しそうに語る。
「当たり前やろ、以前オレがこいつのシマの取り締まりに関わっていたんやから」
「・・・リーさん、何かやらかしたんですか?」
「おいおい。深刻そうな顔で話しているから、誰か死んだとか思てるみたいやけど、そんなんや無いで。2回も逃げられただけや」
少し口元を緩ませながら、利堂は告げる。
一見気にしていなさそうに話しているのだが、間宮は利堂の悔しさが痛いほど分かっていた。
・・・2回『も』。
これがどれだけマトリとして悔しい事か。
今、実際に壊滅に動いている当事者の立場だからこそ、間宮は理解していた。
「2回目に瓜野が逃げたきっかけ、爽ちゃん分かるか?・・・あいつオレらの車とすれ違っただけで察したんや。ホンマたまらんわ・・・あん時はなぁ・・・」
だが、そんな大物が素顔を晒してまで取引をするという事は、それだけ彼らにとっても大切な、新たな顧客拡大のチャンスなのだという事なのだろう。
ヤクを買っている彼女が主催して、若い娘が多く集まる。
こんな会場で気分が高まらないはずがない。
ヤクの売買にはうってつけの会場だ。
当然星川の属するシマだって、これほど大きな売買と顧客増大の機会を逃すはずはないだろう。
それだけ力を入れているという事なんだろう、と間宮も利堂も納得していた。
「ホンマに、爽ちゃん行かせなくて良かったわ」
利堂の言葉にうんうんと頷き、花田を見る。
あの女子大生が来てくれなければ、星川のラインがもっと遅ければ・・・今ごろ花田を参加者に仕立てて会場に送り込んでいただろう。
黙って見つめる2人に、花田は思わず唾を呑んだ。
彼らの想像は決して過言なモノではない。
・・・最悪殺されていたかもしれないと思うと、本当に彼女が出てきてくれて良かったと胸を撫で下ろした。
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あれから、かなり時が経った。
時刻は既に23:00を過ぎていたが、中に入った彼女は未だに出てこない。
同じ場所に止め続けていても怪しまれるので、何度かワゴンを走らせては途中で夜食を買ったり、トイレを済ませたりした。
だが、あの雑居ビルを出入りする者はいなかった。
路上を見渡しても彼女らしき人物は居ない。
「まさか、アイツらにバレて捕まって・・・」
ポツリと花田がつぶやきそうになり、慌てて口をつぐむ。
2人とも何も言わなかったが、その腹づもりは出来ていた。
これでクビが飛ぶ。明日には路頭にさようなら。
そうなっても、この案件だけはケリをつけないと。
そんな覚悟を持って花田に声をかける。
「爽ちゃん、心配せんでええ。もし何かあったらオレと間宮が責任取るから。爽ちゃんは、あの娘が帰って来た時に備えて、ドシーッ!と構えてて」
失言に肩をすぼめる花田を、利堂は励ました。
お前の判断は決して間違っていない。
そう言い聞かせるように。
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時はさらに進み、もうすぐ日付が変わろうとしていた。
寝ずに待ち続けている彼らにも、疲労と眠気が押し寄せようとしてくるその時。
ようやく雑居ビルで動きがあった。
わらわらと娘たちが出てきて、ある者は徒歩で移動し、またある者はスマホを操作し誰かと通話していた。
やがてやって来るタクシー。
ここで3人は、パーティーが終わり二次会へと移動している事に気づいた。
彼らはここまで目を逸らしてはいない。
しかし、女優Eの姿と電子機器を持たせた女子大生の姿は確認出来なかった。
女優Eが出てこない理由なら分かる。
裏口を通って個人で次の場所へと向かったのだろう、有名人だから。
だが彼女が出てこないのはいささかおかしい。
やはり、バレたのでは・・・。
不安と緊張が車内の空気に満ちていくなか、星川からまたラインがきた。
彼らも次の現場へと移動しており、何人かは十分稼いだので個人個人で帰っていったらしい。
瓜野はまだ女優Eと少し用事があるのでついて行くようで、星川も不審がられないように同伴するようだ。
「おう、いっぺん星川に聞いてみてくれ。女子大生ぐらいの娘が、組織の者に連れて行かれたかどうか」
盤面をスライドし、送信する間宮。
すぐには返事は返ってこない。
やっぱり、バレて捕まったのでは・・・。
また嫌な考えに傾こうとしたその時だった。
全ての不安を払い除けるように、あの女子大生がひょっこり路上に現れた。
星川からも返事がきた。
自分はあいにく、そんな子は目撃していないと。
また少し酒に酔っているのだろうか。
ふらふらと街路樹の方に向かうと樹にもたれかかり、そしてカバンを置いた。
こちらの車に、置いたところがしっかり見えるように。
「やった!!取れましたよ!」
疲れを吹き飛ばすような、喜びがぎっしり詰まった声を出して、花田はすかさずドアを開けると彼女の下に駆け寄る。
介抱するように肩を抱えながら、彼女から電子機器を受け取る。
どうやら酔いつぶれてしまったらしく、彼女はこれで帰るらしい。
花田は車に乗せて送ろうか、と尋ねたがまだ見られているかもしれないし・・・周りの目もあるので、とそこは遠慮された。
「分かった。・・・今回は穏便に済ませるからね、約束する」
「・・・うん」
「その代わり、キミも二度とクスリに手を出しちゃいけないからね。・・・約束してね」
冷えた天然水ボトルを渡しながら、少し充血した彼女の目を見つめながら話す花田。
彼女も言葉を詰まらせながら、首を縦に振ってくれた。
もう二度と手は出さない。
今日あった事を忘れないようにしながら、毎日を生きていくと。
「分かった。・・・苦しくてどうしようもないと思っても、思い切って大切な人とちゃんと話し合えば、大丈夫だから。・・・残りの大学生活、頑張ってね」
「・・・おにいさん、ごめんなさい・・・」
彼女は深々と頭を下げると、少し目を潤ませながら謝り、約束した。
1人去っていく彼女を見つめる3人は、その姿が見えなくなるまでそこを離れなかった。
彼女がもう、道を逸れない事を祈るように。
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雑居ビルでの一幕があってから5日後の、夜。
女優Eの住む高級マンション。
その地下駐車場に、桜田警部補の車両が止まっていた。
無線機を持ちながら、連絡を待つ警部補と間宮。
あの女子大生が渡してくれた盗撮機器の中には、しっかりと受け渡しの証拠が収まっていた。
それだけではない。
錠剤のような麻薬を飲み楽しそうに踊る姿まで、バッチリと撮れていた。
音声付きのこの映像、この映像が半々であった捜索差押許可の決め手となった。
人の賑わいも収まり始める中、車中も駐車場も静まりかえっていた。
桜田も間宮も無線の発報を静かに待ち続けていた。
時刻は21:00になろうという時、遂にその時がやってきた。
こちら正面、配置完了。
Eが部屋に帰ってきた事を確認。
女優Eの帰宅を知らせる発報。
間宮は鼓動の高鳴りを感じた。
「本部了解。裏口配置良いか」
裏口配置完了、どうぞ。
利堂の低い声が返ってきた。
「了解。正面、速やかにガサに移れ。以上」
無線を置き、ふうとため息をつく警部補。
あとはブツが見つかる事を待つばかりとなった。
「桜田さん、やっとですね」
「ああ・・・だが、見つから無ければここまでの準備も台無しだ。・・・見つかってくれ、頼む・・・!」
車内に再び緊迫した空気が漂う。
どうか押収の連絡がきてくれと、2人は祈りながら待ち続けた。
本部の無線を受け、高級マンションの正面口へ10人ほどの捜査員が向かう。
その中には、マトリの花田も混ざっていた。
マンション管理人立ち合いの下、オートロックを解除すると半分はエレベーターで、もう半分は階段で上がって行った。
夜間に似つかわしくない、男たちの足音とスーツの擦れが廊下に響く。
エレベーターで上がっていった者たちは、廊下に列を作り部屋の前で待っていた。
列の最後尾が、女優Eの保有するもう1つの部屋を塞ぐように。
息を整え各々に目で合図を送る。
正面から入っていった班のリーダー、大貫巡査部長は呼び鈴を鳴らした。
「はい・・・」
明らかにこちらを不審がる、年老いた女性の声。
正面玄関のインターホンは鳴っていないからだろうか、それともこんな夜遅くだからだろうか。
「夜分遅くにすみません、警視庁の者です。お宅のお嬢さんにお話しがあって、本日伺わせていただきました」
「えっ、警察の方・・・いや、どういう事ですか・・・?」
顔は見えないが、困惑の表情を浮かべている事が察せられる。
それよりも、彼らは女優Eが証拠品の隠滅を、この待ち時間の間にする事を恐れていた。
「すいません、急いでいるんです。入れてください」
大貫は声のトーンを下げて話す。
向こうからの返事は無く呼び鈴はきれてしまった。
初対面の人間が夜分遅くに来ている。
怖がって当然だ。
関係ないであろう方を巻き込んで、怖がらせてしまいすまないと思いながら、もう一度インターホンを押す。
が、指をボタンに触れそうになった瞬間、扉の向こうからカギを外した音がした。
重い戸を開け、女性が姿を現す。
髪を茶色く染まり、肌もはっていて見た目も若々しい。
彼女が女優Eの母親、インターホンの話し相手なのだろう。
彼女は不安と困惑に包まれたような表情を浮かべて、捜査員たちを出迎えた。
ガサ状がはっきりと見えるように、大貫は彼女の目の前に晒す。
「ごめんなさい、これが差押許可状。娘さん、中にいらっしゃいますよね?」
「ええ?え、ええ・・・」
ガサ状片手に大貫が合図を送る。
既にスリッパに履き替えていた捜査員たちが、一斉になだれ込んでいく。
列を成して入ってくる捜査員たちに母親は何も言えず、訳も分からず、ただそのさまを見送るばかり。
やがて捜査員の1人が、自分の部屋で音楽を聴きながら台本を読む女優Eの姿を発見した。
Eにもガサ状を見せる大貫。
彼女も耳からの情報が無かったのか、キョトンとした表情でガサ状を見ていたが、部屋を捜索する捜査員の姿と文の内容に理解したのだろうか、肩を落とし弱々しく息を吐いた。
「大貫さん、ありました!」
まだ使っていない化粧品の入ったケースの中に、小袋に入った錠剤が見つかった。
1つの袋には錠剤が3、4粒ほど。
それが1袋だけではない。
ケースからは3つも袋が出てきた。
衣裳棚を探っていた花田も何かに気づいた。
並べられたカバンの中を開け、大貫に呼びかける。
「すいません、大貫さんちょっといいですか」
他の捜査員に彼女が逃げないように見てもらい、花田の下に寄っていく。
「…これ」
「ご丁寧にも、1つのカバンに小分けしやがって…」
カバンの小さなポッケの中から、また錠剤の入った小袋が見つかった。
ここまで見つかった袋の数はざっと12。
毎日使っても1ヶ月では使い切れない量だ。
おおよそ1人で使うには多過ぎるほどの・・・取り締まる側としても、思わずゾッとするヤクの数だ。
「これ、全部ヤクでしょ」
花田の問いに対してすべてMDMAだと、Eは白状した。
終わった。
あっさりと本命の本丸は落城した。
「・・・署まで来てくれますね?」
大貫に肩を支えられながら、彼女は部屋を後にする。
大貫の側に居た捜査官が、彼女に手錠をかけようとしようとする、が大貫は手で遮り止めさせた。
なぜ、と言いたげな捜査官に対して大貫は母親の方に視線を向ける。
手で口元を覆い、未だに困惑の表情を浮かべる老いた母親。
彼女がいったい何をしたのか、なぜ連れていかれるのか分からない様子であった。
「ワッパは車ン中に入ってからだ・・・じゃあ、行きましょうか」
何があったの?どこへ行くの?と問いかける母親。
Eは何も言わず、ただ下をむいていた。
彼女の姿は捜査員たちの列に呑み込まれていく。
老いた母は茫然と立ち尽くしていた。
何も言えず、何も出来ず・・・。
捜査員は去り、バタンと重い音をたて扉は閉まった。
※ガサ状 = 差押許可状のこと
ワッパ = 手錠のこと
女優E、確保。
地下駐車場の桜田と間宮のもとにも直ぐにその一報が入った。
終わった・・・ようやく。
肩の荷が下り、2人の頬が少し緩む。
「ああ、良かった・・・」
そんな言葉が自然と漏れた。
だが、まだこの案件は終わりじゃない。
まだ彼女の背後にいた大規模な麻薬市場を、ここを手がかりに徹底的に壊滅させないと。
そう気を引き締めて、裏口で待機していた利堂たちの別働班に桜田警部補が発報する。
「別働は正面とすぐに合流し、直ちに逮捕令状の請求に動いてくれ。証拠品は差し押さえた」
了解と返事が返り、無線はまた静かになった。
発報を終え、無線の発信スイッチから指を離し、桜田はまた深く息をつく。
「やりましたね、桜田さん」
間宮は顔を引き締めながら、桜田に手を差し伸べる。
壊滅への大きな一歩、ここから組織壊滅へと大きく動いていくんだ。
まだ終わりじゃない。
そう言うように、桜田も片手を差し出しお互いガッチリと握手をした。
ここまでを労うように。
これからを鼓舞し合うように・・・。
オレたちの捜査は一歩ずついい方向へと向かっている。
お互いの満足そうな笑みを見ながら、そう確信したのだった。
-完-
・本作で2話構成の短編は完結です。
ご閲覧ありがとうございました。