学園編-1
「旅立つ若者に神の加護があらんことを」
うつむき、瞳を閉じたグローディアの頭に軽く手が触れるのを感じた。
グローディアは質の良い声で紡がれるつまらない祝福の言葉を聞きながらあくびを噛み殺していたが、その時間ももう終わるようだ。
目を開き、見上げたそこには教会のステンドグラスをバックに微笑む壮年の美しい神父がいる。
刻まれた目尻のシワがどこか色気を感じさせるのが不思議だ。
グローディアは二、三度瞬きをすると、さもなんでも無いように立ち上がり、
曇天のような色のシンプルなドレスの裾をを整えると、それをつまみ上げて膝を折った。
「ありがとうございました神父様、素敵な門出になりそうです」
グローディアがにこりともせずにそう告げると、神父は誰もが惚けて振り返ってしまいそうなとろける笑顔を浮かべて自身の左胸に手を当てた。
「愛らしい君の未来が多難なものにならないことを心から祈っているよ、グローディア様」
「ハァ…、あなた騎士ではあるまいし、心の蔵に誓わず神に誓うのがよろしいのではなくて?神父」
チクリと尖った言葉にも神父は気分を害した様子もなく、あぁ、それもそうだねと人の良さそうな笑みを浮かべた。
グローディアは、そんな様子の神父の前でフゥと短く息をつくと、クルリと神父に背を向けた。
うねり寄る夜闇のような髪が揺れ、ステンドグラスの光を受けて艶めく。
「そろそろ迎えの馬車が屋敷に来る頃ですので、ごきげんよう神父」
「相変わらず淡白な子だね、教会の門まで送らせてくれ」
相変わらず、はこちらの台詞だと心でグローディアは大きなため息をついた。
このように誰彼構わず歯が浮きそうな台詞と甘い態度を取るから勘違いする女がわんさと沸くことにこの神父は気づいていないのだろう。
いや気づいているからこそこの男はこんな郊外の権力のない領主が治める村で神にその身を捧げているのだろうか。
何にしても、グローディアは『モルガンであった頃からこの男が苦手だった』
先導する神父が、教会の扉を開ける。
薄暗かった教会の中に強い光が差し込み、神父の栗色の絹のような髪の毛を透かして見せた。
そんな繊細な容姿と相反して、ノブに掛かった左手には神父らしくない剣ダコが目立つ。
「おっと、これはランスロット卿…失礼、神父様、娘の洗礼は終わったのですかな」
扉の向こうからした聞き馴染んだかさついた声に、グローディアは控えめに神父の後ろから顔を出した。
「あら、お父様」
「やぁグローディア、私の愛しい蝶々、お祈りは済んだかな?」
教会の扉を開けてすぐそこにいた、日の光りにそぐわぬ青いほど白い肌の男が、シルクハットを脱ぎ胸に当てて一礼する。
神父も軽く手を上げて応じると、扉を開けたまま一歩脇へよける。
グローディアが早足に細身の男へ近づくと、男は筋ばった大きな手をグローディアの肩へ置き、優しく撫でた。
「ヴェイン卿、卿がそうも溺愛する愛娘が今日から学都へ3年も行くとなると、寂しくなるだろうな」
そういって笑う神父に、ヴェインと呼ばれた陰鬱な雰囲気の紳士は元々の困ったような眉をさらにひそめて「いやはや、」と感嘆した。
「貴方が王都に残してきた女たちもきっと同じように寂しい思いをしていたのかと思うと不憫でなりませんよ」
親子揃ってのトゲのある物言いに、神父も「さすがに親子なだけある」と笑った。
「お父様、もう迎えが来たのかしら」
グローディアが首をかしげてそう問うと、ヴェインはそうだった、と言いながら優しくグローディアの頬を撫でた。
「パーシヴァルの所の馬車が屋敷に到着したんだ、荷物はメイド達が運び込んでくれているから、そろそろだと呼びに来たんだよ」
「パーシヴァル卿が来ているのかい?そういえば彼のところの次男坊も今年から学都へ入学だろう、やはり騎士科かね?」
その話題に先に食いついたのは神父だった。
グローディアは自分の体が少しだけ強ばるのを感じた。
ヴェインはもう一度優しくグローディアの肩を撫でると、シワっぽい顔で少しだけ微笑んだ。
「えぇ、流石騎士団副団長のパーシヴァル卿の息子ですよ、騎士科入学試験を首席で突破して入学の誓いの宣誓を生徒代表でするらしい、今年同じく学舎に入学される第一王子のアレキサンダー殿下と一緒に」
「…なるほど、時が経つのは早いものだね」
神父の目尻のシワが深くなる、グローディアはアレキサンダーの名前を聞くと表情を曇らせた。
アレキサンダーは現王であるアーサー・ペンドラゴンと、王妃マリアの第一王子である。
モルガンが死んだその年に産まれたと、グローディアが物心ついてから聞いたときには憤死するかと思うほど腹が立った。
何より顔がアーサーそっくりなのである。
太陽のように輝く金色の髪に、夏空と同じくらい澄んだスカイブルーの瞳、
自分を打ち首に追い込んだ人民に愛される王そっくりの姿を、王城で行われたグローディアの叔父、ガレスの騎士入団式典で見かけときには幼いながらにも気を失いそうになった。
この世界が乙女ゲームの世界の続きだとしたら、アレキサンダーは間違いなく攻略対象だろう。
そしていつか自分に害をなすかもしれない存在になるのだ、とグローディアはその瞬間確信した。