第十四話 突入と乱入
とうとう迷宮に突入する日は明日に迫ってきた。
今日も早起きしてオデットと剣術の訓練をしている。おそらくこれで最後の鍛錬になるだろう。
「はぁっ!」
「ふむ」
俺の突きをオデットはゆるりとかわしながら、彼女は木刀で俺の突きを払った。胴ががら空きになり、咄嗟に飛んで下がる。
「良い動きになったの。鍛えた甲斐もあったというもの」
いつものようにくふ、と笑いながら彼女は木刀を構えなおす。
もう二ヶ月ほどこうして実戦形式の訓練をしているが、彼女にはまだ一太刀も浴びせられていなかった。俺も授業で剣道を少しやったことはあり、剣道部員を相手にした時も圧倒的な強さに手も足も出なかったものだが、彼女の強さはそれよりも遥かに上だ。
「一回ぐらい当てたかったな。強すぎる」
「なあに、儂も刀スキルのせいで他の剣術が出来なかったからの。これぐらいしか鍛えるものがなかっただけよ。お主もなかなか筋は良い」
「マジですか?」
「ま、儂に追いつくには3000年早いがの」
「そんなに生きられねえよ」
100年早いとかはよく聞くが、3000年早いは初めて聞いた。実際に3000年以上やってきたのだろうが。
「さて、少し早いが朝飯にするか。明日は万全の状態で行かねばならぬからの」
「……オデットさん」
木刀をくるくると振り回しながら家のある方向へと歩き出すオデットに向けて俺は声をかけた。
「……今までありがとうございました」
「くふ、なんじゃ、お主にしては素直じゃの」
「俺はいつだって素直ですよ」
「そういうところが素直じゃないと言っておる。まあ、これが最後じゃないかもしれんぞ? 駄目そうなら戻ってくれば良い。もっとしごいてやるからの」
それもそうだ。別に迷宮は入ったら出られないものではない。
「さ、戻るとしよう」
「はい。……あれ、ニナ? どうした?」
ニナは今日は朝から俺たちの訓練を見についてきていた。しかし、数日前から心ここに在らずという感じで今も俺たちの訓練が終わったことに気づいていない様子だった。
「……え? あ、うん」
俺が近くまで行って肩を叩くとようやく我に返る。やはり何か考え事に浸っていたようだ。
「どうかしたのか? 最近変だけど」
「……うん、ちょっとね、気になることがあって」
「あー、やっぱ150年暮らして来た村だもんな。寂しいとか?」
しかし、ニナは首を振って否定した。
「ううん、違う……寂しいような気もするけど戻って来れないわけじゃないし。迷宮には関係ないことだから大丈夫」
「そうか? まあ、なんかあったら言えよ。相談くらいは乗ってやるよ」
軽い調子で返すとニナは頬を膨らませた。
「私の方がお姉ちゃんなんだからね? 最近忘れてるでしょ」
「最近も何も俺はお前をお姉ちゃんだと思ったことはない。ペ……妹だ」
「今ペットって言おうとしなかった!?」
「妹だよ妹。そんなに大きな耳がついてるのに難聴かい?」
「違うよ! まあそれならいいけど……」
結局丸め込まれて妹ということにされているニナ。なんかおかしいな? と首を傾げているが、彼女がこんな感じな限り俺がニナを年上だと思うことは多分ないだろう。見た目は十歳児だし。お姉ちゃんだと言うのならもっと威厳を見せて欲しい。
「さ、行こうぜ」
「うん」
**
「ふむ、これで必要なものは全部かな」
俺たちは朝食をとったあと、迷宮の中に持ち込む荷物をまとめていた。
迷宮では何が起こるか分からない。なので出来る限り荷物は少なく、それでいてあらゆる状況に対応できなければならない。それでも、人数が多ければ荷車を引きながら潜らなければならないこともあるそうだ。
今回はどこまで潜れば良いのかも分からない大迷宮。本来なら2人だけで潜るとしても荷車がいるところだ。
「儂の気配感知でそこまで深さはないと分かっておるがの。一番下まで5階層程度のもんじゃろう。最下層を突破したら外に出られるはずじゃな」
「その件なんだけど、一番下に行ったら外に出られるってどういうことなんですか? 一番下は一番地下じゃないのか」
割と今更なところもある話であった。これまで迷宮を突破さえしたら外に出られると聞いていたが、実際にそれがどういう原理なのかは教えてもらっていない。
「ま、もっともな疑問じゃな。じゃが出られるものは出られるとしか言えんの……最後まで行けば分かる。そういうことじゃ」
「?」
意味有りげな表情のオデットに対し、俺とニナは顔を見合わせた。
「まあいっか。それで、荷物の量が凄まじいんだけどどうすんの、これ」
僕らの目の前には大量の食料やらテントやら寝袋やらランタンやら謎のポーションやらが転がっている。
これでも本来に比べれば少ない方で、ニナの布生成スキルのおかげで下着や服は持ち込みが必要ない。それにしたってこんな荷物を抱えて持ち込むのは至難の技だろう。
「そこで登場するのがこちらのアイテムじゃ!」
まるで通販番組のようなノリで何か小袋のようなものを取り出すオデット。
「なんとこちらの魔法の収納袋があればこのぐらいの荷物であれば余裕で収納できるのじゃ!」
「でもお高いんでしょう?」
「なんと今回に限り無料じゃ!」
「すげぇえええええ」
歓喜に沸く俺。やっぱり異世界と言ったらアイテム入れ放題のマジックボックスやら魔法の袋は必須アイテムなのだ。この圧倒的な容量で俺は異世界チート商人になるのである。
「ま、持ち主の魔力量によって内容量は変化するから魔力がゴミカスのお主は使えんがの。ほれニナ」
「はい、知ってた。どうせそんなこったろうと思ったよ」
やはりこの異世界は俺に厳しいのであった。魔法の袋はニナによって管理されることに決定。俺はニナがいないと飯も食えない存在。要はヒモである。
「ユキトは私が守ってあげるからね! 私お姉ちゃんだから!」
「頼もしい……お姉様……」
「おねえさま!?」
ニナは荷物をぽいぽいと袋に入れているが、ずいぶんとご機嫌である。内心、コイツたかられるタイプだなと思ったが言わないでおいた。怒って飯抜きにされると困るし。
「ちなみにその袋は儂がニナのために特性にこしらえたものなのでな。ニナとユキト以外は中のものには手を付けられん。安心して使うが良い。ただしユキト、お主が持つと中のものが一斉に飛び出すから注意じゃ」
「こっわ、絶対持たねえわ」
俺はあの袋だけは管理をニナに任せておこうと決めた。
しかし、俺以外にも魔力が少ない人はいると思うのだが、そういう人が持ったらやっぱり許容量が減って中身が飛び出してしまうのでは?
「それは大丈夫じゃ、ニナとユキト以外は中のものに手がつけられんと言ったじゃろ。他の物が持った場合は口のところのひもが緩まなくなっておるんじゃ」
「中身が飛び出さないのは分かったけどそれ、中身はどうなるわけ……?」
「圧縮される」
「とられないだけで中身はぶっ壊れるじゃん……」
微妙に不便そうな収納袋だったが、とにかくニナが持っていれば問題ないだろう。
ニナの方も全部の荷物を収納し終えたようだし、とりあえずこれで準備は終了だろうか? これだけあれば迷宮に1ヶ月は潜っていられそうである。
「待て、一番大事なものを忘れておるぞ!」
くふふ! と楽しそうにオデットが笑い、自分の腰についていた収納袋から布のようなものを取り出して広げた。白を基調にしたデザインのフード付きの外套だろうか。
「これはニナにじゃな! 儂が作り上げた渾身の力作! 魔力の変換効率を引き上げて魔法の魔力消費を減らしてくれるのじゃ! ついでに魔力を込めると防御力も高まるぞ」
「すごい……オデット様、ありがとうございます」
ニナがお礼を言って受け取る。なんだかよく分からないけど凄い品らしい。早速外套を着てみるニナ。フードについた穴から狐耳が飛び出して何とも愛らしい。
「素晴らしい。分かっていますなあオデット殿」
つい山田みたいな口調になってしまった。そういえば山田は元気だろうか。
「なんじゃ突然お主は……あ、進化するにつれてサイズも自動調整されるから心配は無用じゃぞ。いつまでもお使いいただける一品という奴じゃ」
「なんでさっきから通販ノリなんだ」
「つうはん?」
「なんでもないです」
「そうか? じゃあ次はユキトじゃな。お主にはこれじゃ!」
次に彼女が取り出したのは白い短刀だった。柄も刀身も透き通るように白い。刀身は短刀にしては長く、刀にしては短い。脇差というのだったか。
「木刀で魔物を相手にするわけにもいかんからのう。とりあえず前に分解した木刀に組み込まれておった魔力を移したものじゃ。おかげでかなりピーキーな性能になったがお主なら扱えるはずじゃ!」
「ピーキー!? 刀にピーキーとかあるの!?」
「いや、まあいろいろ機能を付けすぎたというかなんというか……面白いかなって」
「面白いで武器を作るな……」
「オデット様……」
ニナは既に諦め顔である。というか、ニナにはちゃんとしたものをあげてるのに何故俺には変なものばっかり回ってくるのか。
「とりあえず持ってみるのじゃ」
ほれ、と短刀を渡され、とりあえず握ってみる。手にはいい感じにフィットし、何よりも重さがとてもちょうどいい。
「へぇ、いいなあ、この感じ。面白いなんて言うからどんなものかと思ったけど……ニナも持ってみる?」
「うん、……うわなにこれ! モヤモヤする……」
ニナも興味深そうに見ていたので貸してみると、彼女は少し持っただけで俺に突き返してきた。ものすごく嫌そうな顔をしている。
「まあ、じゃろうなあ」
「どういうことなんだ? 俺は別になにも……」
「簡単に言うと、周囲から澱みを吸収して魔力に変換して持ち主に変換するシステムがあるのじゃ。澱み製の魔力じゃからニナには不快感をもって帰ってくるわけじゃの。いわば魔剣というわけじゃ」
「ほーん。あぁ、俺は残滓だから澱みの悪影響を受けないってことか」
「まあ残滓だからと言うわけでもないのじゃが……まあそういうわけじゃ。試しに魔力を込めてみよ」
と、言われても俺はエーテルから魔力を生成できない。できないのだが、今はこの短刀から魔力が流れ込んできていた。魔力生成装置みたいになっているのか。とりあえずなんとなく意識して、短刀にその魔力を戻す。
「「「うわぁ……」」」
すると、あれだけ綺麗だった白い刀身がどす黒く染まった。もう真っ黒である。黒は黒でも綺麗な黒ではなくおどろおどろしいこの世の闇みたいな色である。
「凝縮した澱みってこんな感じになるんじゃなあ……」
「というかユキトの魔力ってこんななの……」
「いや俺じゃないから、短刀が作った魔力だから!」
「いや、お主の身体を一回通しておるからこれはお主の中の魔力じゃ」
「えぇ……」
一同、どん引き。
ことごとくなんというか、酷い。
「ま、まあアレじゃ。お主も今は物体鑑定が使えるじゃろ。操作説明はそれで見ることが出来るぞ」
「なんだそりゃ最近のゲームかよ」
説明書が入っていないゲームパッケージって悲しくなるよなあと思い出す。「げえむ?」とニナとオデットが首を傾げているが、とりあえずスルーして鑑定する。
『名称:狐式白刀
分類:刀
澱みを周囲、使用者から吸収し魔力に変換し、還元する。
魔力を込めることで起動。追加で魔力を込めることでスキル発動。
【壱ノ型:情緒纏綿】刀身に澱みを纏わせる。』
「なんだこれ」
無駄にかっこいい。気がする。
「ま、あとで使ってみれば分かるじゃろ。とりあえず今晩は門出の祝いじゃ! ふっふっふ、お主達を驚かせようと思って村人総出で祭りの準備をしておるのじゃ! サプライズじゃ!」
「サプライズなのに今言っちゃうんだ……」
「あっ、やっぱ今の無しじゃ! ……む」
相変わらずアホなオデットだったが、話の途中で急に天井を見た。いや、天井ではないか。さらにその上。
数秒後、森全体に届くかのような凄まじい轟音が響く。
「なんだ……?」
「どうやら祭りはお主らが帰ってきたあとじゃな」
「え?」
俺とニナが困惑する中、オデットは険しい表情をして轟音の方向を睨んでいた。
「まさか、また魔物が?」
「いいや、違う。とりあえず出発を早めるぞ。今すぐ出るぞ」
「え、でも」
ニナが声を上げる。その表情はなぜか痛々しく、何かを懇願するように見えた。
「すまんな、ニナ。例の話は出来そうにない。お主が帰ってきたらゆっくり話そう……いつになるかは分からんがの。今はとにかくお主らを迷宮に送り込むのが先決じゃ! 行くぞ!」
「……はい」
ニナは唇を噛みながら渋々といった様子で頷いた。例の話とはなんなのだろうか。
とにかく俺たちは外に出て、迷宮の入り口に向けて走る。途中、オデットは村人に指示を出していく。
「アドルフ! 防衛準備! 儂らが迷宮にたどり着くまで持ちこたえよ!」
「了解。多分5分もたねえぞ!」
「十分じゃ!」
一体何が起こっているのだろう。緊急事態ということは分かるが。そうこうしているうちに迷宮の入り口についてしまう。地下へと伸びる階段は暗く、どこまでも続いているように見えた。
「オデットさん……」
「今は気にするな、とにかく迷宮を越えろ! お主達なら出来るはずじゃ。外の世界はここよりもずっと素晴らしいはず。どうか、ニナにその世界を見せてやってくれ」
「……はい!」
「そして、ニナ」
「……はい」
「お主の両親は、お主のことを置いていったわけではない。それだけは覚えておいて欲しい」
「……」
「すまんの。2人を見捨てた儂の言うことなど信じられぬかもしれん、じゃが、おそらくお主はこの先で知ることになる。じゃから、忘れないでくれ。あの2人はお主を愛しておったよ」
「……うん、オデット様」
ニナの表情は読めない。
俺は正直何の話か分からないが、彼女達の間には何か深い確執があるような気がした。
「よし、行け! 入り口には結界を張っておく。決して戻ってきてはいかんぞ。お主らが迷宮を突破することを祈っておる」
「あぁ、ありがとう! オデットさん!」
俺たちは迷宮に足を踏み入れる。しかし、ニナは少し逡巡して振り向いた。
「……オデット様」
「ん?」
「あの、……ううん、なんでもない」
「ん、そうか。無事でな、ニナ」
オデットは少し儚げな表情で微笑んで手を振った。一方でニナは悲しそうな、苦しそうな表情で迷宮へと向き直る。
「行こう、ユキト」
「……言いたいことがあるなら」
「ううん、いいの。行こう」
「……分かった、行くぞ!」
そして、俺たちは初めての迷宮への一歩を踏み出した。
背中で迷宮の入り口に結界が張られる音がして、俺は2ヶ月、ニナは155年いた村に別れを告げた。
**
「行ったか」
オデットは2人を見送ったあと、先程の轟音の方向、この階層の天井に目を向けた。
天井の一部には巨大な穴が開いていた。そこからはおびただしい量の水が滝のように流れ落ちている。
「この階層を水没させる気か、あの馬鹿者」
仕方なく結界魔法で穴を塞ぐ。また修理しなくてはならないだろう。
「あは、ごめんねぇ?」
「……アドルフはどうした?」
いつの間にかオデットの後ろには少女に見える人間が立っていた。黒髪の長髪は適当に結われていて、彼女の頭からはピンとたった獣の耳のようなものが生えていた。
「アドルフ? あぁ、あのでっかい狐の彼? 適当に伸しといたよん。成長はしたみたいだけど相変わらず力だけだねぇ、彼は。つまんない」
「アレでもこの村のナンバー2なんじゃがな。それで? 今度は何をしにきた。“厄災”」
厄災と呼ばれたソレは、手を叩いて無垢にきゃっきゃと笑った。
「そんな呼び名も懐かしいねぇ……ま、人間からは今は”餓狼”なーんて、呼ばれてるよん。こんなに可愛いボクに厄災だの餓狼だの失礼しちゃうよねぇ」
「くふ、笑わせる。どうせ前会ってから145年、また人間を殺し回っていたのだろう」
「うん、そうだよ? だって3000年も暇だからねぇ。ボク、君と違って殺してバラして遊ぶしか能が無いし? ……第一、人間やら勇者を殺すのは間違ってないでしょ?」
彼女は無邪気に、妖艶に笑った。
「だってボクらは断片なんだから」
「一緒にするな。儂は断片じゃない」
「ふふ、君も『本来の意味では』断片だろう! 世界の敵なのは変わらないよ、“原初の狐”。あぁ、そういえばあの赤ちゃんどうなった? ボクが前来た時にいたあの子」
「教える必要は無いな」
「つれないなあ、せーっかく昔の仲間が会いに来てあげてるのにさ! ま、いいや。どうせ発狂しちゃったでしょ、もう。酷い話だね……そんなことよりさあ」
くるくると踊るように回りながら彼女はニタリ、と笑った。
「で? ようやく出たんでしょ? ホンモノがさ。ここに落とされたってのは知ってるから。どこにいるの?」
「知らんな」
「誤摩化しは無駄だよ。この一体、酷いもん。澱みが全然なくて息苦しいよ。この澱みだらけだった階層がこんなに綺麗になるなんてね。いるんでしょ、ホンモノ!」
「随分と楽しそうじゃな」
「あは! だって久しぶりのイレギュラーだよ! 楽しくないわけないじゃん! で、どこにいるのさ。早く出してよ」
「さあな」
オデットのつれない態度に、ニコニコしていた少女の表情が消える。
「……ま、予想はつくけどね。どうせ下層に送り込んだんでしょ。やれやれ。分かった分かった。君をぶち倒して先に進めばいいんでしょ? おっけーおっけー、やろっか、じゃあ!」
「やれやれはこっちの台詞じゃ。手加減はせぬぞ。地上まで叩き戻してくれる」
「あはは! 君、ボクに勝ったことあったっけ?」
二匹の獣の眼光が交錯する。
数瞬あって、迷宮の全階層を揺るがすほどの爆音が轟いた。