第十三話 ニナ・オデット・ルナーリア
ニナ目線。
ようやく迷宮突入編開幕です。
目が覚める。
私が人化して二ヶ月ほど経った。
いい加減人間の身体にも慣れてきたけれども、やはり寝起きだけは慣れない。毛が無いとこれほど身体の感覚が敏感になるとは。藁のベッドがちくちく刺さってあんまりよろしいものではない。人間とは面倒くさいものである。
他の村人がやっているように狐の姿に戻ればいいのではないか、とも最初は思ったが、どうもそれとは話が違うらしい。彼らが人間の姿になっているのは何かに化けるスキルを使っているからだけれど、私はどうやら恒常的に人間の姿になってしまっているらしい。オデット様と同じで、膨大な魔力を抱えた強力な魔獣にだけ起こる現象らしい、のだがなぜ私程度の弱さで人化が起きたのかはオデット様にもわからないらしい。
別に、人の姿になることは悪いことばかりではないからいいのだけれど。ユキトと同じ姿だし狐の時によくやられていたあの屈辱的なお腹わしゃわしゃももうされないし……まあ、たまにはさせてあげても……いや、なんでもない。
で、そのお腹わしゃわしゃの犯人だが、起き上がって目をこすりながら隣のベッドを見るともう居なくなっていた。
大方朝からオデット様に鍛えられているのだろう。この村で刀を扱えるのは彼女だけだ。あと数時間したら今度は私の魔法の特訓のために戻ってくるはずだ。
もぞもぞと起き上がり、彼を看病していたときに覚えた「布生成」スキルで作った服を着る。服についてはよく分からなかったのでオデット様とユキトに教えてもらいながらデザインしたものだ。ユキトは『白ゴスか……山田がやってたゲームに出てたのに似てるなあ』とやっぱりよく分からないことを言っていたが、似合ってると褒めてくれたので良しとする。
外に出て、小川でばしゃばしゃと顔を洗う。
洗ったあと、ふと水面を見ると私の顔が映っていた。
どことなく母親を思い出す顔つきの幼い少女の顔だった。
私の両親は居ない。
彼らは私がまだ10歳ぐらいだったころに死んだ。
彼らは村人の中でも優秀な人たちだったらしい。母は七尾だった。父は分からない。私は父の尻尾を見たことが無かった。
私は母も父も好きだった。145年前の記憶だからもう朧げではあるが、あの2人はいつも笑っていた。ただ、私の方を見るとき、ときどきとても悲しげな顔をしていたのを覚えている。
「ニナ、あなたは迷宮に潜っては駄目だからね」
そして、そういう表情の時2人はいつもそう言うのだ。かならずそのあと私に謝る。私にはそれがなぜか分からなかった。両親はその理由を教えてくれなかったし、他の村人に聞いても、オデット様に聞いてもはぐらかされた。
迷宮に潜れないということは私たち妖狐にとっては死活問題だ。
迷宮はただの暇つぶしのアトラクションではない。
魔物を倒すことで私たちはレベルアップする。そして、進化する。
迷宮に潜れないというのは私たちが進化できないということになる。進化できないということは、私たち魔獣は一切成長できないのだ。
「でも大丈夫よ、あなたが成長できなくても私たちが守ってあげるから」
「いずれちゃんと進化できるようにしてやるから、待っててな」
そう言って父は小さな私を大きな手で抱いた。私は父のそばにいるときに感じる安心感が好きだった。逆に、父がそばにいない時はいつも不安だった。もやもやするし、なんだか妙にイライラするのだ。
そして、あるとき両親がいなくなった。
「しばらく出かけるけど、帰ってくるまでいい子にしていてね」
「ちゃんとおばあちゃんの言うことを聞くんだぞ?」
「誰がおばあちゃんじゃ」
「ニナにとってはおばあちゃんだろ? お義母さん?」
「そうじゃがな」
軽口を叩く父とオデット様。そしてそれを見て、私を撫でながら寂しげに微笑む母。私はオデット様の細い腕に抱かれながら見た光景を私は今でも鮮明に覚えている。
それから、両親は迷宮に潜り、そして帰ってこなかった。
しばらくしてオデット様から2人は村のためにこの迷宮を攻略しようとして105階層で死んだと伝えられた。
どうして。
私はオデット様を責めた。
オデット様には気配感知のスキルがあり、この迷宮の第1階層から最下層まで全ての気配を感知できる。それならば2人が危険だったのも分かったのではと、助けに行けたのではないかと責めたのだ。
もちろん、今ではそんなことは不可能だったと分かっている。いくら気配感知が出来ても、危機に陥ってから105階層に助けに行って間に合うはずも無い。そもそも、105階層まで到達した者などそれまで誰もいなかったのだ。そんな危険な場所に村の要であるオデット様が行くわけにはいかなかったのだろう。
現に、後に私はアドルフさんからオデット様が助けに行こうとして必死に村人に抑えられていたということを伝えられた。
だが、それでも私はこの怒りを抑えられず、その日以来オデット様を『おばあちゃん』と呼ぶことをやめた。
それからは苦痛だった。
オデット様も、村の人たちも私に優しかった。
だが、私が心を開けなかった。表面上は取り繕っていても、それでも両親を助けてくれなかった彼らに対して心の痼りがあった。
父がいなくなって、モヤモヤやイライラは大きくなっていった。どう放出したら良いか分からない気持ち。毎晩毎晩苦しんだ。
だが、たまにだがそれが解消されることがあった。
この森には残滓や断片が落ちてくる。
その中で、断片が落ちてくるときだけは私の中のモヤモヤは解消された。すぐに絶命することもあれば、しばらくもがいていることもあったが、彼らが死ぬと私の安らぎの時間は終わる。
死んだ瞬間に私は罪悪感と更なる不快感に襲われることになるのだ。
人間の死に安らぎを感じている自分がどうしようもなく嫌だった。私は自分が壊れかけているのだと自覚していた。
だが、それでも私はこの苦しみから逃れたかった。
だから、毎日毎日森に行って断片が落ちてくるのを待った。
残滓と違って断片は滅多に落ちてこない。残滓だった場合はモヤモヤは解消されないし、彼らが死ぬとさらにモヤモヤイライラすることになる。
それでも、それでも私は断片を待って落ちてくるたびに鑑定した。断片が落ちれば隠れてその死をそばで見て、残滓が落ちれば家に逃げ帰って震えた。彼らとの距離の違いはモヤモヤの増減に大きく影響していたのだ。
もちろん、必要以上には近づかない。断片は危険な存在だ。村を襲われたこともある。私の行動はそれでも常軌を逸していただろう。
だが、オデット様は危険な森に潜り続ける私の行動を黙認していた。私の意図に気づいていたのかは分からないが、私が罪悪感を覚えていたこともあり彼女と話すことは少なくなっていった。
そして、私の身体は145年一切レベルが上がらなかった結果か、最近は異常に疼くようになっていった。モヤモヤとイライラは限界に達し、私の精神も限界だった。
村人もオデット様も優しかったが、それでも私が迷宮に潜ってレベルを上げることだけは許してくれなかった。おそらく両親の忘れ形見だから大事にされているのだろうし、その気持ちは嬉しかったが私は辛かった。そろそろ表面上取り繕うのも限界に来ていた。
死にたいと思っていた。
そんなときのことだ。
いつものように森に行き、私は高い樹の上で断片を待っていた。
ここしばらく断片や残滓は落ちてこなかった。
だが、その日は違った。何かが落ちてきたと思った瞬間、私の中のモヤモヤが一気にごっそり持っていかれた。強烈な感覚だった。あまりの衝撃に意識を失い、私は木から落ちた。
目が覚めたとき、私の中のモヤモヤはさらに消し去られていた。しかし代わりに脚に激痛が走る。気づけば大樹の蔓に私は捕われ、動けなくなっていた。このままでは私は死んでしまうだろうと思った。
だが、代わりにどんどんモヤモヤやイライラは減少していく。145年分の不快感は半分以下になっていた。今までになく癒された気分なのに、もうすぐ死んでしまう。
嫌だ。
はじめて死にたくないと思った。
私は助けを求めて鳴いた。私は命を求めて泣いた。
そして、そこに彼が来た。
見たことの無い黒い髪の男だった。全身血まみれであらぬ方向に手足は曲がっていた。
だが、その目の色は死んでいなかった。
必死で生を求めていた。だが、諦めかけていた。
「死にたく……ないなあ」
彼はそう呟いた。そして、私の鳴き声に気づいてこちらを見た。
「……お前も俺と同じか、仲間だな」
彼はそう言った。
死にかけの仲間。そういう意味だろう。
でも私は死にたくなかった。そういう意味でもおそらく彼と私は仲間だっただろう。
死にたくなかった。助けて欲しかった。
おそらく彼も同じことを思っていただろう。でもお互いに死にかけていて助けられない。
だが、彼の目の色が戻る。
彼は私を助けようとしていた。必死で這いずってやってきて、私を絡めとる蔦を千切りとって、ぎこちなく笑った。
この人は、自分が死ぬことが分かっていて、私を助けることを優先したのだ。
私はこの人を助けたかった。すぐにでも村に戻って助けを求めようと思った。
だが、私の脚は折れていた。所詮赤子の身体。私は動くことが出来なかった。レベルが上がっていれば別だっただろうけど。
彼もそれに気づいたようで悔しそうな顔をした。
しかし、彼が何かしたのか、私の腕が光輝き、痛みが消えた。いや、折れた骨が治っていたのだ。そして、治った瞬間に私の中のモヤモヤが全部消しとんだ。
まるで天国のような心地だった。
こんなにも不快感のない世界というものは素晴らしかったのか。
だが、幸せな時間はすぐに終わる。
私を失った大樹の蔦が今度は彼に矛先を伸ばしたのだ。全身動けなくなってしまった彼はすぐに捕われてしまう。見れば残っていたはずの腕もいつの間にか折れている。私の傷を治した影響なのは明白だった。
彼を助けなくては。
必死で蔦を噛み切ろうとする。だが、私の非力な力では一切千切ることが出来なかった。
「……行けよ」
彼は私に逃げろと言った。自分の身も捨てて、私を逃がそうとした。
私は嫌だった。私を助けてくれた彼を見捨てることなど出来なかった。
だが、彼はさらに私を追い立てる。確かにここにいても私は何も出来ない。悲しくなった、情けなかった。
だが、ここにいるよりは村に戻って助けを求めた方がいい。
だから私は必死で走った。そして、私を探しにきたらしいオデット様に助けを求めた。
オデット様はすぐに私の様子に気づき、彼を助けてくれた。
だが、そのとき奇妙なことを言った。
「ニナ。この童から離れてはならぬぞ。だが、この童から離れないのならレベルアップも許す。迷宮入りも許す」
あまりに唐突だった。まあ、もちろん私は助けてもらったこともあって彼を信頼していたし、その命令は素直に受け入れられたが、どうして急に迷宮行きの許可が得られたのだろう。
まあ、とにかくそんなこんなで私は彼、ユキトと一緒に迷宮に行けることになって修行の日々を送っているのだ。
彼は断片でなく残滓だったが、そばにいるとモヤモヤはほとんど生まれない。また、優しい人だったが、一方でなんだか変なことも時々言っていた。異世界から来たらしいがよく分からない。
一番驚いたのは彼が私よりずっと年下なことだった。そんな彼に撫でられると恥ずかしくてしょうがないのだが、妙に撫でるのが上手いしモヤモヤも完全に消し飛ぶので、私はいつも屈服してしまう。
私が人間になってからもよく撫でてくれるので嬉しいのだが、最近はなんだかお父さんのような目で私を見ている。私の方が年上なのに、屈辱だ。
だが、私はそんな彼が好きだった。ずっと一緒にいたいと思う。
別につがいになりたいとか、そういう意味ではない。種族も違うし年齢も大きく違う。家族のような感じだ。
けれど、この気持ちは本当にただ好きなだけなのだろうか。
本当に純粋な気持ちなのだろうか。
私はただ、私の不快感をぬぐい去ってくれる便利な存在だから彼のそばにいたいと思っているだけなのではないだろうか。
そう考えると憂鬱になり、私は私が嫌になった。
だが、それを口に出すことは出来ない。
口に出したら私が嫌な人間だと思われてしまうから、嫌われてしまうかもしれないから。
「なにしてんだ? ニナ」
「きゃう!?」
気づいたらすぐ後ろにユキトがいた。オデット様も一緒で2人とも木刀を持っている。前までユキトが使っていたものはオデット様に分解されてしまったので新しく作ったものだ。
「な、なんでもないよ?」
「そうか? ぼーっとしてたから声かけたんだけど。朝飯のことでも考えてたのか?」
「違うよ! ユキトのバカ! 噛むよ!」
「ごめんなさい!」
やめてー、と腕で顔をかばうユキトはよく見るとボロボロだった。また随分としごかれたようだ。反対にオデット様は傷一つなくけろっとしている。
「ま、腕は随分と上げたのう。剣術もレベル4になったしそろそろ101階層ぐらいは行けるじゃろ。共鳴することが前提じゃからもう少し共鳴の神聖領域干渉数値を抑えたいところじゃがな。今一回発動するといくつ上昇するんじゃ」
「あー、継続時間は少し伸びたけど上昇値は変わらないですよ、一回発動で1万。99回使わなきゃいいだけだししっかり寝れば全回復するし問題ないでしょ」
「それでももう少し鍛えてからがいいのう。まあ駄目そうなら戻ってくればいいだけじゃけど。まあ、出発はもうすぐじゃの」
ユキトは結局この二ヶ月あんまり成長しなかった。刀の腕は上がっているが、他にスキルを取得することもなく、共鳴の効果も何度も共鳴して練習しているがイマイチだ。
本人は『ゴミスキルばっかりでやんなっちゃうわンモー』とか笑っている。
私の方はそこそこスキルレベルは上がっているし新しいものも取得している。ユキトをサポートするために頑張っているので結果が出ているのは嬉しい。迷宮には潜っていないので魔獣領域レベルは上がっていないが。
と、そこでオデット様が私を見て、目を細めた。
「ニナ」
「はい?」
「迷宮にお主達が入る前に話しておくことがある。覚えておくのじゃ」
「……はい?」
なんのことだろうか。
「お主の両親の真実について、それだけは伝えておくからの」
思考が停止する。
両親の真実。
考えもしなかったそんな言葉を言われ、私は新たな悩みが増えたことを確信したのであった。