1-9 その背中が求めるは
ロックラウンドへ進攻してきたランジベル軍は撤退。
悲鳴と断末魔は止み、破壊された町の復旧を始めなければいけないのだが、ロックラウンドの住人達に、いまからすぐに立ち上がる気力がある者はいなかった。
大勢の仲間、家族、友人、恋人の命が無残に奪われ、失い。
自分達は報復や反撃もできず、”ただ戦いが終わった”だけなのだから。
失意に満たされ、あちこちでへたり込む住人達の中を歩きながら、
茶歩丸とアズキは苦虫を噛み潰したような表情で。
「後味が悪い結果になっちまってるからなぁ」
「勝者がいない戦争っすか」
ランジベル軍の容赦ない蹂躙で、ロックラウンドの町は半壊状態。
彼らが立ち直るには、長い年月が必要になるだろう。
それをどうする事も、異国からの旅人である1人と1匹にはできない。
「こういう光景は胸が痛むな」
「ランジベルの兵士100人ぐらい広場に並べて、
火あぶりにすれば気も晴れたかもしれないっすけどね」
「おいおい、過激だな」
「・・・さっきの戦闘高揚が抜けてないかもっす」
もちろん冗談だが、実行すればロックラウンドの住民は喝采をあげて喜ぶだろう。
アズキもそれを批難はしない。
報復を願うのは人間の正しい感情の在り方だ。
だが、目の前にいる”彼”はどうなんだろうと、アズキは思う。
牢屋で自分にパンを恵んでくれた少女の願いを聞き届けた、最強の傭兵と謡われる少年。
無メイの乖離は、戦争を止めてほしいと願った少女、ケイの前に立って。
「・・・戦争は無くならない、だが戦争によって悲しむ人を少なくする事はできるはずだ」
この世界から戦争をなくしてほしいと願ったケイとの牢屋での話の続き。
剣と槍を収め、脱ぎ捨てた外套を身に付けなおしながら、少年は語りを続ける。
「君は、俺のような得体の知れない者に恵みをくれた。
もし戦争がなくなった世界であれば、大事なのはその心なんだろう。
だから、愚かになれとは言わないが、君は君のままでいてほしい。
悲しむ人を減らす事を願い、皆の幸福を祈ってくれ」
発する言葉に、僅かながらの感情が篭っている。
願うように切なく、けれど叶わないと知っている諦めにも似た。
幼いながらにケイはそれを感じ取り。
「お兄ちゃんは、そのために傭兵をしているの?」
たった一斤のパンで少女の願いを聞き届けてくれた、少年が願うのは?
自分と同じなのだろうかと、そう問う真っ直ぐな眼差しを、少年は受け止められず、視線を逸らし。
「・・・いや」
力無い否定と同じタイミングで、ケイに駆け寄る2人の男女。
一人はケイと一緒に逃げていた母親で、もう一人は少年を連行するよう命じた兵士だった。
二人は娘と少年の間に割って入り、地に平伏して。
「申し訳ございません! なんという無礼を!!
どうか、どうかお許し下さい!
なにとぞ命だけは! なにとぞ!!」
涙と嗚咽の恐怖の謝罪。
ケイの両親が少年に向ける目は、同じ人に向ける類のものではない。
娘を連れていかんとする死神にでも映って・・・、いや、それ以外の何物でもなかった。
少年は、この通りだと自虐の表情で。
「・・・俺にはもう、その資格はないんだ」
告げ、背中を向けて去っていく少年。
その背中があまりにも寂しそうだと、眺めているアズキは感じた。
今にも泣き出したいのをずっと堪えているかのようで。
気のせいかも知れない、勝手な思い込みかもしれない。
でも、そう感じたのはアズキだけではなかった。
去って行こうとする少年の背中に、両親の制止も聞かずにケイは慌てて駆け寄って。
「お兄ちゃん、ありがとう!!」
精一杯の、短いけれど一番気持ちの伝わる感謝の言葉。
それを聞いて、少年は振り返り。
「・・・ありがとう」
微かに微笑んで、そう応じる。
それを眺めながらアズキは、吟遊詩人が詠っていた無メイの乖離の詩を思い出した。
―その者に名は無く。その剣槍に銘在らず。
歩いた後には、明も残さぬ無情の兵士。
ただ一人にして全てを討ち、
勝利と敗北を分かつ、唯一無二の無名の傭兵。
滅したモノは、5万人と4カ国。
彼の者を人類史上最悪の災厄とし、こう名を語り継ごう。
”無メイの乖離”と・・・。
そう思い出したら、自然と足が歩みだしていた。
名無しの少年の跡を追おうとしている事に気がついた茶歩丸は主に警告する。
「おい、アレにはもう関わらないほうがいいんじゃないか?」
茶歩丸の言う事はもっともだ、あの名無しの少年は普通じゃない。
関わればなんらかのトラブルに巻き込まれ、無事ではすまないだろう。
至極正しい判断でそうするべきではあるとアズキもわかっているのに。
「・・・もうちょっと見ていたいから」
語尾に粗雑な言葉を付け忘れている、アズキの返事。
牢屋を出る時と同じ状況に、肩をすくめてため息をつく茶歩丸。
獣なので人間の考え方にはあまり共感できないほうだが。
生物としての直感が、そう悟らせていた。
ジト目で呟く恨み言は。
「ったく、一目惚れなんて幻想だとか言ってたくせによ」
「そ、そんなんじゃない!! 興味本位! ただの興味本位!!」
「ほんとかよ?」
「・・・たぶん」
「・・・はぁ、言いだしたら聞かねぇもんなお前」
仕方がない、これからしばらく気苦労は耐えなさそうだと、覚悟を決めてそれに付いて行く茶歩丸。
後ろを付いてくる1人と1匹に気が付いた少年は振り返り。
「・・・・・・・・・」
「やっほう、しばらくついていかせてもらうっすよ」
「うっとうしいとか、嫌ならさっさと言えよ」
「・・・・・・・・・」
しばらく見つめあってから、再び無言のまま歩き出す少年。
その背中に拒絶は無いとアズキは勝手に判断し。
「じゃ、これからよろしくっす~♪」
「おーい、だから、嫌なら言えって。お~い?」
「無理して言わせなくていいっす」
どこか楽しそうなアズキに、覚悟は決めたが出来る事ならやめさせたい茶歩丸。
そして、外套の奥で表情を一切変えない不思議な少年。
出会った2人と1匹は再び歩き出す。
行き先は少年しか知らないけれど、なぜだろう。
アズキの心には不思議と不安など少しも浮かんでこなくて。
ただただ彼の背中を追い続けて見たいと、夢見る少女みたいな事しか考えられなかった。