1-7 無メイの乖離
侵略軍ランジベルの兵力は1000。
対する防衛軍ロックラウンドの兵力は500。
数でも有利にさらに数々の新兵器までも投入した強襲は見事成功。
侵略軍ランジベルの被害はここまででわずか20人程度。
これは想定よりもかなり被害が抑えられており、ランジベル軍の副司令官『ローレンス』も、部下からの報告にうなづき。
「―よし、勝敗は決したな」
浅黒い褐色肌に、短く伸ばした紫のかかった髪が映える、まだまだ若さを感じさせる彼の年齢は21歳。
倍以上年の離れた兵士達に命令をしていく彼には、それ相応の実力がある証明だった。
リンクス連邦の士官学校を優秀な成績で卒業し、幼い頃からの夢であった正規の軍人となり。
生まれ故郷であるランジベルでその才を遺憾なく発揮し、この若さで副司令官となった事からもその能力はうかがい知れる。
とはいえ彼にとってこの戦いは初めての実戦でもあり、その内容もあってかなり緊張をしていたが、
戦況が安定した事に、気が緩んで安堵の吐息を漏らしてしまい。
「・・・いやいかん! まだ戦いは終わってない!
まだだ、気を引き締めろ、ローレンス・ミックホルン!」
頬をバンバンと叩いて自分を戒めるローレンス。
まだ本来の目的である住民の抹殺は終わっていない。
ロックラウンドの住民全てを殺害し、ランジベルの住人をこちらへ移動させて始めて目的が完成するのだから、
まだ目的の半分も達成していないのだ。
「いまこの瞬間にもランジベルでは命が失われている。
気を緩めていいはずがない」
愛すべき故郷、ランジベルの惨状を思えばとても気を休めてなどいられない。
一刻もはやく、守るべき民を救わなければ、それがローレンスの一番の願い。
有利な戦況に驕らず、確実に詰めていくために指示を下していくローレンスだったが。
突然彼の元に慌てた様子でやって来た部下の報告が届けられた。
「何? 我が軍の兵士の被害が広がっている?」
「はっ! すでに200を超えた、と」
「バカな。
ロックラウンドの兵などもう300も残ってはおるまい。
それがどうして?」
ロックラウンドの残存兵力がそれほどの粘りを見せているのか?
いや、そんな力があるのならば、そもそもランジベル軍にここまで進攻を許すはずが無い。
部下からローレンスにもたらされた情報は、さらに驚くべきものだった。
「それが、西区の教会に傭兵らしき男女が現れ、ロックラウンドの市民達を護衛しているそうです」
「男女2人だと?」
「はい、報告では十代後半ぐらいの、かなり若い2人組だと」
「そのたった2人が我が軍に被害をもたらしている、と?」
ローレンスは戦争で活躍した数多の英雄達を思い浮かべてる。
一騎当千と評される武を極めた達人はこの世界に極僅か実在するが、そのほとんどは大戦中に命を失い、生きていてもどこかの将校などの地位についている。
少なくともロックラウンドにそういった者はいないはずであり。
放浪の旅を続ける武人であっても、若い2人組など聞いた事もない。
「この目で確認する。貴様は中央区に陣を敷いている司令にこの事をお伝えしろ」
「はっ!」
伝令をランジベル軍の指揮官のほうへと向かわせて、ローレンスは馬を駆り、増援の200人の騎兵を従え、報告にあった西区の教会へと向かった。
自分達の戦いに、ランジベルの住人全員の命が懸かっている、敗北は許されない。
そう自分に言い聞かせながら目的地へと向かう彼の耳に聞こえてきたのは。
激しい剣激と、なぜか爆音が鳴り響いている。
音の鳴る方向は、目的地の教会だ。
すぐそこの通りを右に曲がれば教会の正面が見えてくる。
そう思った矢先、ランジベル軍の鎧を着た兵士が砲弾の如く、目前の壁に叩きこまれた。
驚きで反射的に暴れそうになる馬を宥めながら。
「な、なんだ!?」
鎧を着込んだ兵士の重量は80kgを軽く超える。
そんな質量を飛ばせるとしたら、巨大な投石器などの道具が必要になるはずだ。
そんなモノを、教会の近くで使っているのか?
確認しようと角を曲がったローレンスが見たのは。
まさに自分のすぐ隣に着弾する、兵士という名の砲弾。
爆発音の正体はこれで、それも1つや2つどころではなく、
鍵楽器でも叩くかのように連続音を立てている。
「どういう事だこれは・・・!?」
教会の前で戦っているのは、とても気品など感じない粗雑な鎧に武器を持つ、傭兵らしき少年。
押し寄せるランジベル軍の兵士達を薙ぎ払い、吹き飛ばしていく光景。
子供の頃に見た歌劇団の演劇、英雄譚の大立ち回りよりも大迫力で。
あまりにも現実感に乏しいが、飛んできた壁の破片が兜に当たる音と振動は本物であると知らせてくるではないか。
まずは指揮官としての役割と、一度状況を確認する。
教会を背にして、ランジベル軍と戦っているのは2人。
1人は、さきほどから凄まじい勢いで兵士達を叩き飛ばしていく少年。
そしてもう一人は教会の入り口前で確実に1人1人を倒していく見慣れない衣装を身に纏う少女。
良く見れば少女と共に妙な獣も小さな武器を使ってランジベル軍と戦っているようだ。
謎の2人と1匹の組み合わせ、衝撃的な立ち回りと驚かされることばかりだが。
ローレンスは指揮官としての役割を果たすべく、驚愕の中でも思考を回転させる。
近づいてもどうしようもない相手ならば、長距離から仕留めればいい。
「全員その者に近づくな!
盾持ちの兵は間合いを開けて包囲せよ!
弓兵隊はその背後に展開!」
矢で射殺すとローレンスは決めた。
少年は下がるランジベル軍を追わない。
教会の周辺一帯を取り囲もうと布陣する兵士達を、何もせずに見つめたまま。
彼とは反対に危険を悟った少女と獣は、慌てて教会内に避難する。
「うっひゃ! 退散退散っす!」
「おい! だからてめぇはちょっとは逃げろっての!
ああもう知らねぇからな!?」
これだけの鏃に狙われても、少年は眉根一つピクリとも動かさず、剣と槍を構えようともしない。
射れるものなら射ってみろと、そう挑発されているようで、
余裕どころか何も関心がないという表情が、ローレンスの怒りを刺激する。
「舐めおって・・・、小僧がっ!」
ローレンスには使命がある。
愛する街と市民を守る、軍人としての役目が。
今、この行為が侵略であって、後世に愚行と記されても、守りたいものがあるから。
この決意、訳のわからない子供一人に邪魔されてたまるものか。
彼の指示に迅速に展開した兵士達が一斉に弓に矢をつがえ、狙いを少年に集中させる。
その数50、もう避けるにも間に合わない、命乞いなど聞く耳もたぬ。
「弓兵隊・・・放てぇぇぇぇ!!」
容赦はしない、ローレンスの号令に一斉に弓弦が鳴り響き。
50本もの矢は真っ直ぐ、全包囲から少年を狙って降り注ぐ。
たった一人を相手に放たれる、殺矢の雨。
少年は。
「・・・・・・・・・」
顔色ひとつ変えぬ少年は、右手の十字槍を、掌中で風車のように回転させはじめる。
巻き起こるのは風。
風は旋風となり、旋風は加速を続け、周辺の塵を巻き上げ、目視できるほどの竜巻を発生させる。
人類が腕一本で作り出せる現象の域を遥かに超えた、風の塊
それを纏った右腕を少年は掲げ。
「―阻・無攻」
風の塊を地面に叩きつけ、炸裂する風は暴風となって吹き荒れる。
迫りくる矢を巻き込み、吹き飛ばし、全ての矢を遥か彼方へ。
この場にいる誰もが呆気にとられ、状況を理解できず。
最初に口を開いたのは、教会の中からその様子を伺っていたアズキ。
「・・・すごい」
「いや人間業じゃねーよ!?」
こんなものは人の成せる事象ではないと、呑気なアズキの一言に被せる茶歩丸。
そう、人の成せる技ではないとすれば、こんな事ができる者などこの世界にそういるはずもなく。
ローレンスの脳裏に浮かんだ名前は、たった一人だけ。
「まさか・・・貴様は・・・」
押し寄せる数多の兵を尽く吹き飛ばし。
矢の雨を烈風で覆す傭兵など、この世界に”あの者”以外にもいるはずがない。
「道を開けろ! ええい、開けんか!!」
静まり返った広場に、しわがれながらも大きな男の声が響く。
ランジベル軍の指揮を行う司令官が、兵士達をどけながら馬でやってきた。
老齢ながらもまだ第一線に立ち続け、大戦中も数々の武勲をあげた彼。
リンクス連邦でも指折りの軍人は、少年の顔を確認するなり顔を青ざめさせ。
「全軍攻撃中止! 中止だ! 攻撃中止!!」
精神的なショックに気を失いそうになるのをなんとかこらえながら、慌てて馬から降り。
全軍に攻撃中止の指令を飛ばしながら、教会の前に立っている少年の前に駆けつけ。
兜を脱ぎ、軍人の魂でもある剣を外して地面に置き。
片膝をついて頭を垂れ。
「まさか、このような場所にいらっしゃるとは。
我が軍が大変失礼を致しました。
どうかお許し下さい、『無メイの乖離』」
司令官が呼んだその名に、兵士達がざわめく。
「まじかよ・・・・あれが?」
「ああ、たった一人で世界に勝った最強の傭兵・・・」
「まだガキじゃねぇかよ?」
「バカ! 聞こえたら殺されるぞ!」
その名を知らぬ者は、軍族にある者に居るはずがない。
いや、兵士達だけではない、教会内に立て篭もっていた住民達もその噂は耳にしている。
「あれが・・・ほんとに?」
「そうじゃなきゃあんなに強いわけねぇって、本物だよ、本物」
「5万人と4つの国を滅ぼした最強の傭兵」
「無メイの乖離・・・!」
誰しもその名を呼ぶ声に驚愕と恐怖を交えながら、無メイの乖離と呼ばれた少年は、やはり微動だにせず言葉を続ける司令官の言葉に、黙って耳を傾け。
「ご存知かも知れませんが。
我々ランジベルは先日の災害の際、土砂崩れでゴーネス川を失い、
その他の水源も枯れ果て、民は飢えと乾きに苦しんでおります。
そして、その原因がロックラウンドが仕組んだ計略であり、
ここの連中は知らぬとシラをきっておりますが、
それが事実である事は明白!
この恨みを晴らし、ランジベルの民が生き残るためには、
我々にはどうしても、この土地が必要なのです!
どうか無メイの乖離!
そのお力を、我らランジベルにお貸し下さい!」
彼の力があればランジベルを救う事ができる。
ただ名前を使って助力を願えばいい。
それだけで各国から多額の援助と支援を受け取る事ができる。
司令官の要望は、ランジベルを救う方法に関しては最も正しい判断だろう。
だが、ロックラウンドの住民からすれば、とても許せるものではない。
教会内から出てきた住民と、怪我を負ったロックラウンドの兵士達も声をあげる。
「ふざけんな! どこに俺達がやったって証拠があんだよ!?」
「侵略者共め! ただ俺達を殺す理由がほしいだけだろうが!
無メイの乖離! やっちまって下さい!」
「無メイの乖離! 私達を、蛮族達からお守り下さい!」
ロックラウンド側も怒りに叫び、喚き散らす。
目の前で家族や友人を惨殺された復讐。
彼らは名無しの少年にそれを求める。
「しらばっくれるな! 貴様らロックラウンドが―」
「うるせぇ! お前達ランジベルは昔から―」
両者の争いは舌戦となり、互いの感情をぶちまけ、口汚く罵りあう。
互いの悪を、それこそ遥か昔の出来事にまで遡り。
無メイの乖離の同情を誘う両者の中で。
「・・・怖い」
少年に戦争の停止を願い出た少女、ケイが怯えていた。
自分の知っている大人達が、子供の前では決して見せない顔。
普段は心優しい母親ですら、怒りに染まって罵詈雑言を叫び散らす。
「・・・・・・・・・」
人の悪意が渦巻くその中心に居る名無しの少年は。
ケイの顔を見てから、剣で地面を叩きつける。
世界を割るかのような爆音で、雑音を掻き消して止めた後。
「ランジベル軍、そしてロックラウンド軍に告げる。
直ちに戦争行為を停止せよ」
戦いの前の勧告を、一言一句違わずに。
ざわりと揺らぐ人々、彼はどちらの側にも加担をする気はないのか?
ランジベル軍の司令官は、下がれない、下がるわけにはいかない、前のめりになって。
「無メイの乖離! なにとぞ―」
「三度は言わない」
その言葉に、司令官は何も言えなくなってしまう。
無メイの乖離の勧告は2回まで、3回目はこれまでの記録に無い。
逆らえば、次の無メイの乖離の攻撃は、明確な殺意となって全ての兵士達を打ち砕くだろう。
もはや司令官に残された選択肢は、たった一つしかなかった。