1-5 悲願
ロックラウンドは資源の豊富な鉱山の町だけあり、建築物の堅牢さには目を見張るものがある。
選りすぐりの上質な素材を用いて作られた家屋は多少の嵐ではビクともしないだろうし、地震や火災などの災害にもしっかり対応できるようにと、職人達がこだわりにこだわって出来上がったのがこの町だ。
となれば、一番頑丈に作られていなければならない牢屋の格子は、ある種芸術品の域に達していた。
土を固めて作られた分厚く堅牢な壁に、贅沢に張り巡らされた一級品の鉄格子。
ハンマーで叩いてもビクともしないその牢屋の中に、外套に身を包んだ無口な少年は居た。
武器の剣と槍は取り上げられて、罪人収容所の保管場所にでも置かれているのだろう。
ただ身辺を検めている時間はなかったようで、とりあえず武器だけを奪われ、牢屋に叩き込まれた形になっている。
牢屋は何十と並んでいるが、今、そのどれもが空っぽだ。
最近罪人など居なかったのか、広い収容所には少年一人だけ。
この少年、牢屋に放り込まれてから2時間、牢の片隅に腰掛けたまま、ただじっと時間が過ぎるままで居た。
兵士に連行されている時から暴れる様子もなく、終始無言のままで。
しまいには兵士達も気味悪がって、この牢屋の中ならなにもできまいと放置。
人手不足である故に、運よく見張りの一人もいないのだから、少しぐらい暴れてもよさそうなものだが、首一つ動かそうとする気配も無い。
今、罪人収容所の入り口のドアが開いたのが、久しぶりに鳴り響いた音だった。
さすがに見周りの兵士が来たのだろうか?
とはいえ何もしていない少年は動じる事もないのだが。
その耳に届くポトポトとした軽い足音に、違和感を覚えた。
兵士達の身に着けている鉄の具足ではない、軽い体重からでてくる音だ。
やがて、格子の前に現れたのは、小さな女の子だった。
歳は10か11ぐらいだろうか?
パンとコップを載せたトレーを抱えるように持っており。
「スパイのお兄ちゃん、ご飯持ってきたよ」
町は侵略者の侵攻に備えて厳戒態勢のはずだが、なんでこんな女の子が?
少年は外套の奥から、疑問をもちながら女の子を観察する。
慣れた手つきで格子の小さな窓を開けて、トレーを差し込んでくる。
と、女の子は、少年の無言を違う意味で悟ったのか。
「えっとね、お父さんがスパイさんを牢屋にいれたって言ってたの。
あ、お父さんは軍人さんのお仕事してるんだけど、今日は忙しいみたいだから、ケイが代わりにご飯を持ってきたんだ。
ケイね、たまにお父さんの代わりに、牢屋の中の人にご飯をあげてるんだよ」
女の子はケイというらしい。
この娘のお父さんが軍人で、一方的に罪人を牢屋に放り込み、
あまりの忙しさに仕事を忘れていると察して、食事を持ってきたのか。
慣れている様子を見ると、こんな事は初めてではないのだろう。
少年は無言のまま立ち上がり、トレーの上のパンに手を伸ばしてかじりつく。
硬い、中もパサパサで、先にコップの水を飲み干してしまうと飲み込む事は困難だ。
顎で引き千切るようにして口に含む、味もほとんどしないパン。
罪人に与えらるものとしては、贅沢なほうだろう。
町中が厳戒態勢の中、わざわざ食事を運んできてくれた女の子ケイ。
それも、スパイだなどと疑いを掛けられている者に、だ。
パンを食べ進めて行く少年を見ながらケイは。
「ねぇ、お兄ちゃんはどうして、牢屋に入れられちゃったの?」
色んな事に興味があるのだろう、好奇心旺盛な女の子だ。
口の中のパンを水で流し込んでから、少年は。
「・・・スパイに間違えられたんだ」
この口が言葉を発したのは、どれだけぶりだろうか?
これまでしゃべらなかったのは、必要が無かったため。
今ここで返事をしたのは、その必要性があると判断したからだ。
「じゃあ、お兄ちゃんは悪い事してないの?」
「・・・どうだろうな」
「う~ん、ねぇ、お兄ちゃんは何をしてる人なの?」
「ただの傭兵だ」
「傭兵って、お金でなんでもしてくれる人達の事だよね?」
それは傭兵ではなく、ただのなんでも屋である。
ただある種その認識は間違いないのかも知れない。
戦争が終わったこの世の中、職に就けない傭兵は大量に居る。
少年もそのうちの一人とされても、何の反論もしない。
「あ~あ、ケイもお金があったら、お兄ちゃんにお願いするのになぁ」
年端もいかない女の子が、傭兵に何をお願いするのか。
その言葉の中に悲しみの感情が混じっているのに、少年は気が付いた。
「何を願うんだ?」
こんな子供に、なんて声をださせるのか。
少年の微かな怒気にも気づかず、ケイが口にした願いは。
「この世界から、戦争をなくしてほしいな」
少年の肩が、ビクリと震えた。
彼の妙な様子に気が付かずに、ケイは続ける。
「ずっと前に、戦争は終わったってお父さんもお母さんも言ってたの。
でもね、そんなの嘘だったもん、また戦争が始まっちゃうんだって・・・。
おかしいよね? 戦争が起きたら、人が死んじゃうのに。
皆、誰にもいなくなってほしくないのに。
ミーちゃんのお父さんが戦争で死んじゃった時、皆泣いてたのに。
なんで、そんな事するのかな?」
戦争の存在意義、してはいけないという戒めなんて、こんな幼子でもわかる事だ。
それでも、この世界ではそれは無くならない。
いや、今まさにまた繰り広げられようとしている。
それに疑問を持つ事がどれほど正しい事か。
「戦争が無くなったら、誰も居なくなったりしないのに。
戦争が無くなったら、今ケンカしてる人達も仲良くなれるのに」
語るケイの大きな目に、いつしか涙の雫が浮かんできた。
この娘もまた、戦争で心に傷を負った事があるのだろう。
いや、この世界に、戦争で傷付かなかった者など誰もいない。
「もう・・・やだ・・・。
お友達が死んじゃったり、お家が無くなっちゃったり。
戦争するから逃げなさいって、何日もずっと歩いたりとか、もうやだよぉ・・・」
嫌な物をずっと見せつけられてきた。
戦争はいけない事だ、そんな事は誰でもわかっている。
だけど。
「この世界から、戦争は無くならない」
「・・・え?」
少年は、少女の願望を否定し、尚続ける。
「戦争は無くならない。皆が幸せになりたいから」
「どうして、幸せになりたいのに戦争するの?
みんなで手を繋いで、一緒に遊べばいいのに」
ケイの言う事は真理だ、争わずにいられるのならそれが一番だろう。
だが現実はそうではない、少年は牢屋の格子に手を添えながら。
「今、俺がこの牢屋から出たいと言えば、
君はその鍵で、この扉を開けてくれるか?」
「それは、お父さんがやっちゃダメって・・・」
「そうだ、それをしたら俺の代わりに、
君のお父さんとお母さんがこの牢屋に入る事になる」
「や、やだ! そんなのやだ!!」
子供に言い聞かせるには容赦の無い言葉。
これは、少年からの警告だ。
顔も名前も知らない、犯罪者として囚われている男に施しを与える意味。
その代償は、大切な者の命で支払う事になるのだと。
それを伝えたかったために、久しぶりの言葉を発した少年は。
「早く帰った方がいい。そろそろ戦いが始まる」
市民たちは避難のため、どこか大きな公共の施設に集められられているだろう。
安全ではないかも知れない、だが、ここよりはいい。
戦争が始まる前に、早く帰れと告げる少年にケイは。
「・・・戦争は無くならないの?」
顔をあげたそこには、すがるように瞳。
けれど、この世はそれが許されるほど甘くなくて。
「・・・無くならない。
人が幸せになりたいと願う限り、戦争は無くならない」
非情で。冷酷で。けれど、それが世界の真実だ。
聞かなければ良かったと、涙を流して走り去るケイ。
それにもう見向きもせずに、まだ半分ほど残っているパンにかじりつく少年。
「・・・帰らせたいなら、もうちょっと優しく言ってあげたらどうっすか?」
無人の牢屋に響く、批難が混じった少女の声。
声の先は、牢屋の天井の採光口。
人一人通れるかぐらいの小さな穴をスルリと抜けて入ってきたのは、町の外まで一緒に歩いて来た少女、アズキだ。
「ったく普通にしゃべれるんじゃないっすか」
言葉をしゃべれないと言うのは勘違いで、極度の無口なだけだったらしい。
それにしてもアズキには答えず、あんな幼子には話しかけるというのはどういうことか?
さらには侵入してきたアズキを見ても驚きもせず、何の反応も示さないのだから、尚更アズキは不満である。
「魚を恵んでもらった恩で、ここは助けてあげるっすよ。
鍵はチャポが探してるっすから、さっさとこの町から出るっす」
アズキが先行して牢屋に来たのは見張りの兵士を倒すためだったが、その必要はないらしい。
ならばさっさとこんなところとおさらばしよう。
茶歩丸が鍵を持ってくれば、すぐにでも。
そう考えていた時だった、町中の兵士達の喧騒をかき消すような、轟音が当たりに響き渡る。
方角は町の門のほう、轟音の正体は、大砲の炸裂音。
「まずいっす、もう始まったっすか!?」
争いが始まる前に逃げたかったのに、間に合わなかった。
と、その音が合図だったかのように、忍び狸が口に鍵束を銜えてやってきた。
「待たせた! さぁ、とっととずらかるぞ!」
戦いが始まったばかりだというのならまだ間に合う。
急いで脱出しようと鍵を受け取ったアズキをよそ目に。
少年は鉄格子を両手で握り締めて、グッと力を込める。
何をやっているのか? この鉄格子の品質は一級品だ。
大掛かりな工具を使ってもそう簡単に壊せる代物ではないのに、
ましてや素手でなど無理に決まっている。
「バカな事してないで、鍵はここにあ―」
あるんだからおとなしくしてろと、最後まで言えなかった。
少年が掴んだ鉄格子が、メキメキと音を立て、柔らかい針金かのように、ひしゃげていく。
あとはカーテンをかきわけるかのように両腕を開いて、硬質な鉄格子が大きく開かれた。
「・・・え?」
「・・・へ?」
呆然とする1人と1匹の横を素通りする少年。
その途中で壁にかかっていた自分の剣と槍を手に取り、収容所の外へと歩いて行った。
その背中が見えなくなったところで、ハッと気づいたアズキと茶歩丸。
折れ曲がった鉄格子を試しに触ってみるも、やはり見立てどおり硬くてビクともしない。
その開いた力が強大だった事は、握力のエネルギーで加熱し、
陽炎を立ち昇らせる鉄格子が伝えている。
「な・・・なんだありゃ!?」
いったいなんだというのか?
いや、そんな事よりも、茶歩丸にとって大事なのは主のアズキの事だ。
意味のわからない名無しの少年はもう放っておこう。
あれには関わらないほうが良いと、獣の直感が言っている。
「アズキ! もう行くぞ!」
これ以上ここにはいられない。
今でも遅いくらいだ、早急に去らなければ。
だがなぜか、アズキは。
「・・・ごめん、もう少し見届けさせて」
脱出する事も忘れ、彼の後を追うアズキ。
まずいと、手で顔を覆う茶歩丸。
語尾に”っす”を付け忘れているアズキは、何かに夢中になっている時だ。
ああいう時は誰の話も聞かないと茶歩丸は良く知っている
「ったく、しゃあねぇなぁ!」
茶歩丸がアズキを追って収容所の外にでると、町はすでに戦火の中にあった。