5-4 天の滴
『天の滴』。
空から落ちてくる未知のエネルギー体はそう呼ばれており。
天の滴が人に吸収されると、その者に特殊な能力が与えられる。
今の人類では解析できぬ摩訶不思議な力。
アズキがもつ生物を操る能力『生殺与奪』も天の滴を先祖から遺伝して継承されたものだ。
アズキが天の滴に関して知っていることはここまでである。
そもそもカイリに聞かされるまではその存在すら知らなかったのだ。
ただ漠然と自分には力があって、そのせいであんな軟禁生活を余儀なくされていたという認識だったが。
この国にやってきて、天の滴を直接埋め込まれたというカイリと出会い。
ヴェイグという、英雄ハンクスからそれを受け継いだ者に。
さらに彼が率いるおもてなし部隊の6人全員が天の滴の能力を保有しているというのだから。
身近にここまで集まっているとなると、無関心ではいられない。
ヴェイグのほうからこの力を説明してくれるというのであればアズキとしてもまたとない機会だ。
多忙なヴェイグは帰りにコテージへ寄ってくれるそうなので、その前に夕食にして待つとしよう。
と、薄暗くなってきた辺り、遠くに見えてきた自分達が使うコテージの窓から光が漏れている事に気が付いた。
「おや、カイリ帰って来てるみたいっすね」
「今日はリングルスのほうで、ボンズのじっちゃんと話があったんだろ?
帰ってくるの早くね?」
「カイリがビッグわんこに変身すれば、リングルスとグリースレリアなんて、3時間もあれば移動できちゃうっすよ」
軍の全速力の行軍で半日かかる道のりだろうと、隻腕の獣の脚力をもってすれば日帰りは容易い。
この2ヵ月、カイリはたとえグリースレリアから離れた場所へ行っても、彼はほぼ毎日、夕食までには必ず帰って来ていた。
今日もきっとお腹を空かせてまっているだろうから、
早く夕食を作ってあげないと。
アズキは少し早足で駆けつけ、扉を開き。
「ただいま! ごめんね、すぐに作r―」
扉を開いたまま、突然石のように固まるアズキ。
なんだどうしたと、茶歩丸がアズキの足の間から室内の様子を覗き込むと。
「あぁん! カイリ様ぁ! 次は私よ!」
「シルナお姉ちゃんずるい!
まだ私、3分しか堪能してないよ!」
キャイキャイと言い争う上品にエプロンドレスを着こな美女2人を茶歩丸は知っている。
おもてなし部隊に所属する双子の姉妹、姉の『シルナ』と妹の『ツユナ』は、なんだか妙に艶っぽい声を出し。
さて、カイリの名前を呼んで何をしているのかというと。
「・・・気持ちいい(耳ピコ)」
「あ~ん!カイリ様可愛い!」
「もう!可愛いカイリ様ぁ!お持ち帰りしたいぃ・・・」
姉妹の間のカイリはというと、妹のツユナの膝枕に心地よさそうにしており。
話から察するに、美人姉妹の膝枕を交互に堪能していたようで。
「何してんっすかー!!!」
「ん、アズキおかえ―(メキョリ)」
アズキがすさまじい勢いで投げたカボチャがカイリの顔面にめり込み。
受け流しきれない運動エネルギーはそのままカイリの身体をソファから吹き飛ばすほど。
部屋の隅にポトリと落ちた浮気わんこを睨みつけてから。
アズキは引きつった笑顔で双子姉妹のほうへ向き直り。
「シルナさ~ん、ツユナさ~ん、説明していただけます?」
尋常ではないアズキの怒気に、双子姉妹は冷や汗交じりにホホホとごまかし笑いを浮かべ、先に姉のシルナが口を開き。
「い、いえ、ヴェイグ団長からカイリ様とアズキ姫に、
先に天の滴の概要についてお話ししておくようにと」
「まだアズキ姫がお戻りになっていらっしゃらなかったところ、
カイリ様がお帰りになって」
「少しお話をしていたら、昨日、膝枕リラグゼーションなるものがあるらしいと仰って」
「アズキ姫以外の膝枕はどんなものだろうと、ご興味があったご様子でしたから」
「「私達でお試しになられますか? という流れでして」」
「それ、どれくらい前の話っすか?」
「「1時間ほど前でしょうか」」
さらにアズキの手からジャガイモが放たれ、顔にカボチャをめり込ませたままのカイリの腹部にドスッと突き刺さり。
「・・・アズキ、痛い」
「痛くしてんのよこの好色イヌっころ!」
こっちが姫だ倭本だと頭を抱えている間に、張本人の最強の傭兵様は何をしているのか、まったく。
男というのは誰しもこういう側面があるものなのだろうか?
いや、茶歩丸とは長い付き合いだが、彼はいつもアズキの事を第一に―。
「水臭ぇぞカイリぃ、俺も誘えよぉ。
うっひょ~、シルナちゃんの膝枕きっもちいぃ~♪」
「あら、チャポ様まで、うふふ♪」
「茶歩丸様、私もお姉ちゃんに負けてないよ♪」
「そこのエロダヌキもかぁ!!」
茶歩丸に投げつけたニンジンを含め、計3つの野菜が好色男連中にたたきつけられて崩壊。
それからアズキと双子姉妹が夕食を作っている間、正座で待つようにお叱りを受けた2匹の男は。
できあがるまでそれでも食べていろと、砕け散った生のままの野菜を指さされ。
食べ物を粗末にしてはいけないと、そのままかじりつきながら。
「ガリガリガリガリ、おい、カイリ、これ」
「ガジガジガジガジ、ん、これは?」
「コリコリコリコリ、アズキの親父さんから、お前宛の手紙だ」
「ボリボリボリボリ、何かあったのか?」
「モグモグモグモグ、ま、ちょっとな」
犬と狸が部屋の隅で少し大事な話をしている一方。
キッチンのほうでは、アズキとシルナ、ツユナの3人の夕食準備。
アズキは手伝いは不要と答えたのだが。
「いいえ、アズキ姫だけに仕度をさせてただ待っていたとあれば、私達が団長に大目玉を食らってしまいますわ」
「それに、アズキ姫のその美しいスタイルを維持する倭本の料理はこれから注目されますよ。
この機会に、教えてほしいです!」
「いかにも女子らしい理由っすねぇ。じゃあ、お願いするっす」
なら手伝ってもらおうと、女子3人での夕食準備と相成ったわけだが。
女3人よれば姦しい、この状況で静かな仕度になるはずもなく。
その際の会話でアズキが気になるのは、”姫”という呼ばれ方だ。
「やっぱり、二人もあたしの事を姫って呼ぶんすね」
「ええ、申し訳ありませんが、貴女は倭本からの来賓でございます」
「ヴェイグさんの部下って立場があるっすよねぇ」
シルナとツユナの二人とはよく話をする関係ではあるが、
彼女たちの仕事はあくまでもおもてなし部隊のメンバー。
上司がアズキをVIPとして待遇しているのなら、その部下が習うのは至極当然。
姫という呼ばれ方に慣れるしかなさそうかとあきらめはじめたアズキに、妹のツユナのほうが。
「でも、アズキ姫は今や女子達の憧れなんです!
そんな方を正式に姫とお呼びできるなんて、光栄なんですよ!」
「はぁ!? あたしが憧れぇ!?」
そういえば港の商人達もそんな事を言っていたが、なんの悪い冗談か。
だが姉のシルナも同感だと前置きし。
「世界最強の殿方、無メイの乖離の寵愛を一身に受けるファーストレディ。
同じ女として、憧れるなというほうがムリですわ」
「ふぁ、ファーストレディって・・・」
最高権力者の夫人なんて呼称は、姫と呼ばれる以上に肌にあわない。
アズキの露骨に嫌そうな反応に、シルナは首をかしげ。
「あれ、アズキ姫はお気づきじゃなかったんですか?
今、町中の女の子の間でアズキ姫縁の物を身につけるのが流行なんですよ!
でも倭本の物なんてこの国にはないから、こじつけ気味に用意するしかなくて・・・。
私のこのブレスレットだって、アズキ姫のお召し物と同じ色だから一番人気で、手に入れるために一晩中並んだんですよ!」
嬉しそうに藤色のブレスレットを見せつけてくるシルナ。
なるほど、商人達が血相を変えて倭本の品を買い付けようとした理由はこれらしい。
さらに付け加えるなら、アズキを姫君として扱えば需要はさらに高まるだろう。
カイリと共にある女という事は、徹底的に名前を利用される立場なのだと改めて痛感させられ。
諸悪の根源の倭本にとってどれほど都合がいい事なのかと、考えると頭が痛くなってくる。
倭本の交易が本格化すれば、交易相手はリンクスだけではない。
おそらく今頃、リンクスと倭本の国交が始まったと聞いたグリースレリアに駐留している使者団達も、
倭本との接触を考え始めている事だろう。
「・・・倭本は栄えるっすね」
抹殺しようとした女の名を利用して、
辺境の島国で独自に発達した上質な工芸品を外国に輸出して巨万の富を得る。
ヴェイグにお願いして貿易に規制でもかけてもらいたいぐらいだが、それは内政干渉になり、先ほど警告された無用な争いの火種になるか。
少々気に入らないが今は我慢と自分に言い聞かせるアズキ。
物思いにふけってしまったアズキだが、ツユナのほうはまだ語り足りないようで。
「リンクス最強の三騎士、リンクガルズのダルマックをたった一人で討ち倒したというのも、アズキ姫の人気に拍車をかけてるよね!」
「そうね、ダルマックは女性人気はまったくなかったからより一層話題になったもの。
文武両道。才色兼備。
カイリ様の奥方様として、これ以上の方などいらっしゃいませんわ」
「あ~、もういいっす。
いい加減背中がむずかゆくてはがれそうっすから。
大体、あたしがダルマックを倒したからどうのって言うっすけど。
・・・お二人なら、余裕の相手だったっすよね?」
この双子姉妹がオボロを始末したのだとヴェイグから聞いている。
あの男は忍軍幹部候補の中でも実力者として名を連ね、高い腕前はアズキも認めざるおえないほどだった。
おそらくダルマックでも無傷で対処できる相手ではなかっただろうに。
それをこの双子姉妹は、一切近づかせる事なく、一方的に嬲り殺したというのだ。
あの男を八つ裂きじゃすまさないと独り言を口にしはしたが、
ああも無残な遺体にして実行したのは、今目の前で笑っている双子姉妹だというのだから。
そんな相手に武力を賞賛されても、とアズキの言葉にシルナは。
「それは買い被りですわ。
あの時はヴェイグ団長の能力で行動予測ができていましたもの。
私達はあくまでも、指示通りに天の滴の力を使ったまでです」
「私達双子が使う”動体操作”は、視界内にある物の運動エネルギーを自在にコントロールできるんですよ。
あの頭巾男も、私とお姉ちゃんで投げたナイフでとことんまで追いかけて、ザックザクにしちゃったんです」
「あ~、それであんなボロ雑巾みたいな死に方してたんっすね」
何十本も投げたナイフを一斉に襲い掛からせて、あんな死体が出来上がったのだろう。
目に見えている動く物を自在に操るというのなら、かなり応用が利くと予測できる。
移動や運搬を含め、あらゆる場面で活用が可能。
戦いに関しても今回はナイフを使ったそうだが、
他にも、例えば火薬がたっぷり詰まった木箱などを、好きな場所に落とせれば?
おもてなし部隊の中には空を浮遊する能力を持った者も居り、
さらにヴェイグの索敵能力と連携すれば、広域大量殲滅も手軽に可能だ。
それとあまり考えたくはないが、今ここで能力を用いて眼球を無理やり反転させられたら失明するだろうし。
口を開けた時の動きを利用されたら顎が裂かれてしまう。
動体操作、応用次第ではすさまじい殺傷能力を持つだろう。
彼女達がそんな応用を考えつかなかったとしても、
あの男、ヴェイグがそんな簡単な殺害方法に気が付かないはずがない。
彼女達はいつでもこちらを殺害する事が可能だと考えるべきだ。
(・・・敵には回したくないっすねぇ)
おもてなし部隊がもし敵として立ちはだかった場合。
カイリは別として、アズキと茶歩丸の生存は不可能だろう。
もっともヴェイグ含めて彼女達に敵対の意思は見られない、むしろ協力を惜しまない姿勢でいてくれる。
「アズキ姫、サーモンはこのぐらいの大きさの切り分けでよろしいのですか?」
「うん。あとはこれをフライパンで焼いて、塩をふるだけっす」
「へぇ、倭本の料理って、シンプルですね?」
「まだまだ、もっとシンプルなのがあるんっす。
なんと倭本では、魚を薄く切り分けて、生で食べる習慣もあるんっすよ」
「やだ! アズキ姫ったら、さすがにそれは嘘だとわかりますわ」
「そうですよぉ、熊さんじゃあるまいしぃ」
「まぁ、普通はそういう反応っすよねぇ」
せっかく親しい関係を築いた相手なのだ、敵対するなんて考えるのはやめよう。
双子姉妹は倭本料理の作り方を熱心にメモしながら、他愛のない女性同士の話題に華を咲かせつつ料理は完成。
カイリと茶歩丸もお許しを得てともに食卓を囲み。
アズキお手製の倭本料理に皆で舌鼓をうちつつ平らげ。
「ふぃ~、食った食ったぁ。ヴェイグのおっちゃんは、まだっぽいな?」
「ええ、団長はまだ・・・。お待たせして申し訳ございません」
「いやいや、二か月分の仕事の報告がそうすぐ終わるわけがねーって」
かなりゆっくりと夕食を堪能していたのだが、まだヴェイグが来る様子は無いようだ。
無理もないだろう、長旅からリンクスに帰ってきたばかり。
報告することも、報告される事も山ほどあるに違いない。
ヴェイグはそれを見越して双子姉妹を先に遣わせたのだから。
「では僭越ながら、私のほうから天の滴について、これまで判明している事をお伝え致します」
食後のコーヒーを前に、主に話をしてくれるのは姉のシルナらしい。
彼女のほうが落ち着きはあるので、自然な成り行きだろう。
「皆様は天の滴については、どれほどご存知でしょうか?」
「・・・空から突然現れる、エネルギー体」
「で、それが人に宿ると不思議な能力を使えるようになって。
宿主と同性の第一子に、少し劣化して引き継がれていく、ってところっすね」
「一応こっちでも調べは進めてみたが、どうにも情報が少なすぎてなぁ」
2人と1匹が天の滴について知りえているのはそれぐらいだ。
この2ヵ月、茶歩丸が言うように独自に調べはしてみたのだが。
この天の滴に関しては、どの文献でも異常なほど触れられておらず。
各歴史書を改めて見直してみれば、天の滴の力でなければ説明がつかない事柄は多いのだが。
意図的に隠されているとしか思えない程に、情報が少なすぎた。
それはそうですと、すぐさま答えを教えてくれるシルナ。
「天の滴の力は場合によっては国政に直結しています。
例えばルーンネイトですが、王家に代々受け継がれている能力は兵士の瞬間的な育成。
『戦技付与』と呼ばれる能力に触れた者は、痩せこけた老人ですら屈強な巨漢を片腕で討ち倒せるようにする恐ろしい力です。
ただ、すでに何十代にも及ぶ遺伝で、能力はかなり落ち込んでいるそうですが。
王家に忠誠を誓う者のみに、神から授けられる力と表向きにはされている能力。
民衆に真実を知られる事は王政への不信につながる事でしょう。
クタナ、ミンフヘイム、もちろん私達リンクス連邦も同じようなものですわ。
治世のためにも、可能な限り天の滴の存在は隠しておきたいのです」
天の滴から授かった能力によっては、建国できるほどの可能性がある。
下手に天の滴の存在を一般市民に知られては、統治がしづらくなるというのはわかる話だ。
「そもそも天の滴そのものについて、今だ誰にも解明できていないのです。
その原点としてわかっている事は一つだけ。
これは空の上から落ちてきていると考えられています」
「空の上っすか?」
「はい。おもてなし部隊のメンバーに、風を操り空を舞う者が居るのは先日お話しさせていただきましたが。
その祖先が、空より更に上、風も起きぬ闇の中から天の滴が落ちてくるのを見た、と」
「これは私達の予想なんですけど、流れ星に紛れて落ちてきているんじゃないかなって。
天の滴が発見された時って大体、流星群が観測された日のあとなんですよ」
かなり確信に近そうな、重大な事を軽くつけたす妹のツユナ。
なんだかロマンチックだなんて目をキラキラさせているのを見て、茶歩丸は感想をポツリ。
「なんつーか、ファンタジックな話だな」
「チャポ、あんたがそれを言うっすか」
「しゃべるアニマルなど、おとぎ話みたいだからな」
「おまえらにこそ言われたくねぇよチェリー&スィーツ」
このままではどっちがファンタジーかなんて不毛な言い争いを始めそうである。
シルナがコホンと咳払いをして、話の腰を折らないでくださいと戻し。
「古くから続く国家の統治者、支配階級の者は少なからず天の滴を受け継いでいると思われています。
アズキ姫のご先祖様も、そうだったのではありませんか?」
「確かに、もう何百年も前の話らしいっすけど、あたしのご先祖様は忍軍の創設だけでなく、倭本の幕府設立にも影響を与えたとは聞いたっすね」
そういう偉大な人の血筋だから直系のアズキは姫に祀り上げられても仕方ない。
遠い異国の地、倭本でも天の滴は大きく影響を与えている。
人の歴史に密接に関わる天の滴という存在の事はわかった。
ただひとつ、解せない事があると茶歩丸は手をあげて。
「天の滴がすげー力を人間に与えるっていうのはわかったんだけどな。
カイリの場合は、どうなんだ?」
「ん? どういう意味っすか?」
「天の滴が歴史に大きく関わってるっつっても、
たった一人で何十万の軍隊を相手を一人で打ち負かすとか、
そんなめちゃくちゃな記録はこれまで残ってねぇだろ?」
「まぁ、それは確かにあたしも気にはなってるっすけど・・・」
そこのところはどうなの? とカイリに目配せをするアズキ。
カイリは顎をつまんで考える仕草をしながら。
「やはり、俺の存在はイレギュラーだろうか?」
「俺はそう考えるぜ。その犬の耳に尻尾にしてもそうだ。
ハンクスやら皇帝陛下やらにそんなもんついてたら、いくらなんでも隠し通せるもんじゃねぇ。
お前だけぶっとんでんだよなぁ」
茶歩丸にそう問い詰められても、確証はない。
ただ、心当たりはあるとカイリが口を開こうとしたのだが。
それよりも先んじる声があった。
「俺が―」
「それは、カイリ様が通常とは異なる天の滴の授かり方をされたからでしょう」
本人が言うよりも前に、シルナが仮説を述べた。
・・・おかしい、カイリが人体実験で天の滴を埋め込まれた事はアズキと茶歩丸しか知らないはずだ。
異なる授かり方をした、と推測にしては断定しすぎている。
どういう意味かと、少し警戒を強めるカイリ達。
それはどうしてかと双子姉妹が話そうとしたところで。
「そこから先は、私がお話をさせて頂きます」
「っと、ヴェイグさん!?」
「うぉっ!? いつのまに!?」
いつのまにかリビングに入り込んでいたのは、待ち人だったヴェイグ。
シルナとツユナに、それを話すのは私の役目だといっただろうと目配せをしてから。
「大変お待たせいたしました。
また、突然の入室をお許しください。
部下が少し話を急ぎすぎていたご様子でしたので、つい。
疑問にお答えさせて頂きますと、カイリ殿に天の滴を埋め込んだ実験の件、私が調べたものです」
「あなたが? 研究資料は俺がすべて焼き払ったはずだ」
「いえ、7年前、貴方はまだ状況を把握しきれず、
研究の指示をだしていた根幹を特定できてはおりませんでした。
確かに、天の滴を埋め込んだ際の、最も重要なデータは残っていませんでしたが。
それ以前の研究データは、ある国に保管されていたのです」
まだ幼く、経験と知識が浅かったゆえに見落としは仕方なかっただろう。
何せ物心つく前に連れ去られてから、ずっと被検体として監禁されていたのだから。
だが、その見落としを調べ上げたのがヴェイグだったという。
ここで、新たな疑問が浮かび、茶歩丸が問う。
「なんでヴェイグのおっちゃんが、そんな事知ってんだよ?」
ヴェイグの天の滴の能力が、情報収集に特化しているものなのは知っている。
そしてそれを悪用すれば、今回の革命的な倭本との条約などなまぬるい事だというのも。
露骨に警戒する問いを、ヴェイグは特に気にした様子もなく。
「私がハンクスの子孫であると隠されていたのは。
ハンクスの天の滴の能力がどういうものなのか、
他国に察知されている可能性があったからです。
もし私がハンクスと同じような情報収集能力を持っているとわかれば。
各国に立ち入る事など許されなかったでしょうから。
生まれた時から身分を隠して育てられた私にリンクス連邦から与えられた任務は、周辺諸国の天の滴の継承者を把握する事でした。
現在確認されている天の滴の継承者は784人。
それを知りえた10年に及ぶ偵察任務の過程で、私はカイリ殿の事を知り、調べさせていただいたのです」
「・・・つまり、あなたは俺と出会う前に、全てを知っていたわけか」
「ええ、正確に言えば、まだあなたが無メイの乖離と呼ばれるよりも前に」
そこまで知りながら、あの時、ただリンクスから遣わされただけだという顔で接触してきたというのか。
なんという男だと感心するカイリの一方、アズキはこの男が以前漏らした言葉を思い出す。
(『私は誰よりもあの方の事を調べた自負がある』ね)
あの時は冗談か何かだと思っていたが、そんな体裁レベルの話ではなく言葉通りの意味だったらしい。
そんな男だ、ただ調べただけで済ますはずもないだろう。
「で、ヴェイグさんはその国がどこか、知ってるんっすよね?」
「はい、ルーンネイト領にある、とある小国です」
天の滴を使った人体実験を指示した者達と国がある。
その国こそが、カイリと、当時一緒にいた子供達を使い捨てて殺した連中。
室内にゾクリと寒気が奔った。
殺意に至る怒気を放つのは、アズキの隣。
カイリの耳と尻尾の毛が、針のように逆立っている。
「・・・どこだ?」
溢れる衝動を必死に堪えた、冷たい問い。
名を聞けばすぐにでも飛び出しそうな勢いだ。
双子姉妹がおびえた様子で顔を青くしているのだが、ヴェイグだけは冷静に。
「今はヴァスネークと名を変えておりますが、当時はギラムという国名でしたね」
「・・・当時?」
「勝手ながら、私のほうで処理させていただきました。
あのような研究、私も認めるわけには参りませんでしたので」
「つまり、あなたが関係者全員を消したと?」
「ええ、関係者全員の記憶を読み取り、全ての資料を燃やしました。
もうこの世界に、あの研究に携わったものは一人として生存していません」
本来ならば疑うべき返答だろうが、ヴェイグの目は真摯そのものだった。
考えてみればこの男、話さない事はあっても、これまで一度も虚偽を口にした事はない。
少なくともカイリの事に関しては全て正直で、聞けば答えてくれている。
言葉は信頼に値するだろうとカイリは怒気を収め。
「・・・ありがとうござます」
「いえいえ、もったいないお言葉でございます」
素直なカイリの礼を嬉しそうに受け止め、そうだ言い忘れていたと続け。
「このツユナとシルナ。
そしておもてなし部隊の6人全員は、私が天の滴の調査中に出会った者でしてね。
この力を持つが故に迫害を受け、行き場を無くしていた所。
私と共に、この特別な力で、私達にしかできない事をしないか?と」
「私達サーカス一座の娘だったんだけど、山賊に襲われて、お父さんもお母さんも皆殺されちゃって。
あの時は戦う方法なんて全然しらなくて、なにもできなくて。
それから奴隷商人に売られそうになったりとかいろいろあったけれど、
今はヴェイグ団長に誘われてここに居るの」
「ええ、ヴェイグ団長に熱く口説き落とされましたわ」
おもてなし部隊のメンバー全員が天の滴の継承者というとんでもない構成の理由はそういう事らしいが。
だったら尚の事わからない事があると茶歩丸がシルナに問う。
「はぁ、それでなんでまた、全員天の滴なんてとんでもない連中がカイリの接待仕事なんて請け負ったんだ?」
「それはもう、私達にとってカイリ様は憧れですもの」
「あこがれぇ? この駄犬がかぁ?」
言うに事欠いて駄犬とは、茶歩丸の失礼極まりない発言にツユナが噛みつく。
「チャポ様! いくらアズキ姫のお付きといってもそれは聞き捨てならないよ!
私達はこの能力を持っている事で、嫌な事がいっぱいあったの。
死にたいって思った事も一度や二度じゃない。
でもね、カイリ様はたとえ何があっても外道に落ちる事なく、常に弱者のためにその力を使い続けていた。
そして戦争を終わらせて、世界を変えて、大勢の人を救ったんだから!」
「お、おっと・・・、そ、そいつはすまねぇ」
「わかってない! そもそもカイリ様は―」
すごい剣幕で怒られたものだから、咄嗟に謝罪をしてしまう茶歩丸。
まだまだ続くツユナの説教をシルナもヴェイグもたしなめないところを見ると、二人とも同意見のようだ。
この力のせいで嫌な事がいっぱいあった、その気持ちはアズキにもよくわかる。
倭本で受けた軟禁生活の仕打ちや、母の死などは今思い出しても苛立たしいのだから。
ツユナはまだ語り足りないのか、このままでは何時間を続けてしまいそうなので。
「私とお姉ちゃんが売り飛ばされそうだった時、助けてくれたのがカイリ様で―」
「あ~、その辺の話はまたあとにしてもらっていいっすか?
おもてなし部隊さんやヴェイグさんの事はわかったっす。
で、ヴェイグさんが聞きたい倭本の事ってなんっすか?」
もうそろそろ夜も更けてきそうなので、聞き忘れないうちに聞いておきたい。
アズキの申し出に、ヴェイグはそうでしたとポンと手のひらを叩き。
「おっと、これは失礼致しました。
実は倭本を視察していた際に何度か広域サーチをかけさせて頂いたのですが。
そこで、天の滴の反応を3つほど感知致しました。
倭本の衛兵に監視されていたので接触はできませんでしたが、アズキ姫は何かご存知かな、と」
「あたし以外に、倭本で天の滴の反応が、3つ?
あたしは知らないけど・・・、チャポ、なにか知ってる?」
初耳だった。
自分以外に特殊な能力を使えるものが倭本に、外交中の限られた移動距離内に3人もいたというのか?
ツユナのマシンガントークから抜け出してホッとしていたところに話を振られた茶歩丸は、思考を切り替えてしばし記憶を探り。
「・・・いや、俺も聞いた事はねーけど。
ただ、帝が天の滴の継承者だったとしてもおかしくはねーよな?」
「そっか、帝の父親は亡くなってるけど、子供は居たはずだからそれで2つ。
・・・あと1つ、か」
「こちらでも調べは進めておきますが、ご注意ください。
あちらからアズキ姫に接触を図ってくる事も考えられます」
「はい、そうするっす」
正体不明の、倭本の天の滴の継承者の存在。
警戒はしたほうがいいだろう。
これで、天の滴に関して知りえる情報はすべてだろうか?
不思議な力でまだ人類に解析できていない事が多く、不明な点は多すぎるのが問題ではあるが。
それを含めて警戒をすればいい話だ。
では、立ち去ろうとしたヴェイグ、シルナ、ツユナを玄関で見送ろうとした所で。
ヴェイグは少し考えたのち、カイリのほうを向いて。
「・・・カイリ殿、少し悩みましたが、ひとつ」
「・・・?」
「貴方は、ご自分の出生の事を知っておくべきかと思います」
「っ!?」
ヴェイグの言う出生というのが、何のことなのか。
カイリが研究所に連れ去られる前に、どこで生まれ、どんな名前だったのか?
それをヴェイグは知っているという。
「カイリの・・・名前?」
どこかの貴族の生まれらしいとしか知らない、カイリの本当の名前。
アズキがつけた名前ではなく、実の親から与えられたもの。
複雑な気持ちで、目を見開いて驚愕しているカイリを見守るアズキ。
彼はどうするのだろう? いや、知りたいに決まっている。
これまでの孤独だった人生を変えてしまうかもしれないほど、重要な事なのだから。
カイリは頭を抑え、アズキのほうを見て、それを何度も繰り返し。
数分悩み続けた後。
「・・・俺は―」




