5-2 慣れない仕事
政治の世界では、40代ですら若手と言われる。
取引等に用いられる話術の技量は培ってきた対人関係に大きく影響されるからであり、
若輩者に一朝一夕で身に付くものではないからだ。
もし「自分は若いが口はうまい」等と自ら吹聴するものがいれば、
それが自惚れと気づかされた時にはすでに、身ぐるみすべて剥がされ、飢え死ぬ直前であろう。
政治の世界というのは、とにかく無慈悲で、弱肉強食の世界。
「あー、づがれだっすー」
弱冠18歳の慈恵アズキはそれをしっかりと自覚をした上で、それに挑み。
今こうして、疲労困憊でグリースレリアの繁華街の喫茶店のテーブルに突っ伏しているのである。
主の精神的瀕死の様子に従者である忍び狸の茶歩丸は、だから言わんこっちゃないと。
「箱入りのお姫様だったやつが、政治家連中と会談とか、無茶が過ぎるってーの」
それもここ連日で、だ。
なんでアズキがそんなことをしているかと言うと。
「仕方ないじゃないっすかー。カイリを自国に招きたいって連中に、
チャンスはあるって匂わせておかないと、何するかわかったもんじゃないっす…」
思い出すのは、無メイの乖離こと、カイリを神と思い込んだ狂信者達がグリースレリアに近づいてきて、無用な殺戮が起きた時の事。
そもそもの原因は狂信者達にあるとはいえ、各国の使者団が兵力を動かしてしまったのは、勧誘をさせてもくれなかった焦りからだ。
彼らとて物見遊山で来ているわけではない、無メイの乖離という最強の傭兵を自国に招き、その威光で便宜を図ろうという目的がある。
どの国が最大の権力を持つのか?競合で使者団同士が勝手に武力衝突したとしても全く不思議ではない。
だから、グリースレリアの中央議会場の一室を借りて、交渉と勧誘の場を設けて、使者達に仕事はしたという建前を与え、不満を軽減させる。
それがグリースレリア滞在中のアズキの主な仕事になったのだが、それがそう簡単な事ではなかった。
「ったーく、誰も彼も口八丁手八丁でさ、自分のところの国を魅力的に語ってきやがりますとのことよぉ」
「ま、その辺のプロ中のプロが命かけてやってきてるんだろうからな」
いかんせん案件が世界の覇権である、やって来ている使者達も選りすぐりのエリート交渉人ばかりでとにかく口がうまい。
忍としての訓練こそ積んでいるが、交渉術なんて物はおろか、これまでの人生でごく限られた人間としか接触していない、軟禁箱入り娘には全く縁がなかった世界。
世界最強の傭兵の伴侶という立場で、対等ではない談話が許されているだけで、
もしこちらがちらりとでも落ち度を見せれば、連中は容赦なくそこを突いて、こじ開けて、ねじ込んでくるだろう。
とはいえ負けじと突っぱねるわけにはいかない、ある程度の手応えを感じた上で帰ってもらわなければ、会談の場を設けている意味がない。
熟練の使者達に手加減はない、若輩者のアズキは全力で会談に挑み、適度なところで帰ってもらわねば。
それを1日5組ほど。1時間の休憩を入れて6時間。
正直、忍の訓練の方がまだ楽だというのがアズキの感想だ。
「1日の会談数、減らすか?」
「もうあたしらの滞在予定期間に予約はギッシリ、キャンセル待ちが溢れてる状況、今さら減らしたらどうなるっす?」
「会談希望の連中には、国家だけじゃなく商業組合やマフィアなんてのもあったな。…大騒ぎまちがいなしじゃねぇか」
「血が流れるレベルで、っす」
大変だと最初に覚悟してはいたが、予想以上にキツイと、再びテーブルに突っ伏すアズキ。
ふむ、と茶歩丸は別の案を思い付き。
「やっぱカイリの奴を付き合わせたらどうだ?
アイツも、アズキが辛いなら代わるって言ってたぞ?」
そもそも使者達の目的はカイリだ、彼らだって直接本人と話せるほうがいいだろう。
茶歩丸の提案は道理だが、アズキは突っ伏したまま首を振り。
「…昨日ね、アイツが会談中に顔出して来たっす」
「ん?どうだったんだ?」
「困ってる人がいるとかそういう話を聞くとウズウズしちゃってね」
「わかりやすい救いのヒーロー様だなヲイ」
「あと、”我が国では膝枕に特化したリラグゼーション施設を建設中!”って聞いて、すごい勢いで尻尾振ってたっす」
「…膝枕で世界の覇権が決まんのかよ」
これまでカイリが無言、無視、逃避を貫いていたのは、自分が情に流されやすいと自覚があったからだろう。
アズキは断言する、あのわんこ少年は交渉事に向いていない。
おまけに最近では女性の温もりを知ってしまい、なんの弾みで誘惑されるかもわからない。
導き出される結論はひとつ、カイリには勝手に交渉をさせてはいけない。
「少なくとも、情と利益を分けて考えれるようになってくれてからっすね。
大体、この国に3ヶ月も滞在させられてるのも、カイリの交渉下手のせいなんっすから」
もうリングルスの内乱は終わって、事後処理の段階だというのに。
アズキ達がまだこの街にいる理由は、あの時カイリがヴェイグに持ち掛けた取引のせいだ。
カイリはリングルスにいるアズキの所在を知るため、特に内容も指定せずに「要望を聞く」と提案し。
全てが終わった後、それを知らなかったアズキの目の前でヴェイグが。
「今回の我が国の内乱において、多大なご助力をカイリ・ハウンド殿にしていただきました。
つきましては感謝の気持ちを形にしてお贈りさせて頂きたい。
しかし対価に見合う報酬の用意にしばし時間が必要です。
先のアズキ殿捜索を請け負う代わりに私どもの要望を叶えてくださるという契約ですが。
お三方の、グリースレリアへの3ヵ月の滞在を希望させて頂きます」
アズキを探すための手段だったとはいえ、これまでの功績を押し付けたり、剣を向けて強要するなりやりようはあったのだから。
なんでいちいち自分が低い立場になって取引を持ちかけたのかと、カイリの交渉下手には困ったものだ。
幸いなことに、リンクス連邦への永住なんて提案をされなかったからまだよかったものの、
相手がヴェイグでなかったらどうなっていたかわかったものではないと、考えただけで冷や汗が浮かんでくる。
例えば、ここ連日会談させられている交渉上手の使者団連中だったなら?
従属、いや、王様に奉られて傀儡政権を樹立された可能性も十分にあった。
そうなる前に一刻も早く、アズキは政治家連中と対等に渡り合える交渉の技を身につけなければならない。
連日の会談は、自分に不足している交渉の経験を補うために決して無駄な事ではない。
それがカイリの、ひいては自分のためでもあるのだ。
「あたしがしっかりしないと。カイリにはあたしがいなくっちゃダメなんだから」
「…いま、ダメ男に騙されてる世話焼き女の発言が聞こえた気がしたんだが?」
「なんか言ったっすか?」
「聞こえてないフリするってぇ事は自覚はあんだな」
「いいの、そこが可愛いんだから」
それ、まさに典型的な発言じゃねぇかよと、天を仰ぐ茶歩丸。
これがもし、その相手がカイリでなければ茶歩丸は引きはがしてでもやめさせただろう。
だが茶歩丸もカイリの旅に付き合うと決めたのだから、従者として彼女の相談役をきっちりこなさなければ。
「ま、勧誘や従属はともかく、そのうちどこかに腰を落ち着ける事は考えとかねぇとな」
「ん? なんでっすか?」
「あのなぁ、妊娠したらどうすんだよ? 身重で旅なんかできねーだろ?」
カイリとアズキはすぐ傍で見ていてこっぱずかしくなるほどのイチャつきぐあいである。
茶歩丸がここ最近夜は気を利かせて外で宿をとっているのは、恋人同士の夜を邪魔するつもりはないからだ。
愛しあう年頃の二人が毎晩共に過ごしている、つまり、アズキがカイリの子を身籠るのは時間の問題だろう。
下世話かも知れないが大事な事だと真剣に問いかけてくる茶歩丸だが。
アダルトな話題にアズキは少し恥ずかしそうに、しかし不満そうなふくれっ面をして。
「・・・あの人、膝枕してるとすぐ寝ちゃうんだもん」
「は?」
不機嫌になったアズキから続くの言葉はない。
茶歩丸は額に指をあて、しばらく考え、初心な二人の夜がすぐに思い浮かび。
「ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!
おいおい! お前ら2人とも18過ぎてんだろ!?
近所の童でももうちょっとすすんでるぜ!!
わはははははははは!!!」
ケタケタと腹を抱えて、目尻に涙まで浮かべて笑い転げる茶歩丸。
従者にあるまじき無礼にして失礼な嘲笑にアズキは顔を真っ赤にして。
「う、うるさいなぁ! 私達には私達のペースがあるの!!」
「うはははは! これはケッサクだってぇの!!
うひゃひゃひゃひゃ!!あ~、はらいってぇ・・・!」
まぁ、箱入り娘の初恋じゃあこんなものかと、アズキを幼い頃から知る茶歩丸は思う。
そして、さきほどのアズキと同じような考えに至り。
「まったく、お前らには、まだまだ俺がいないとダメみてぇだな」
これからもずっと、アズキを支えていこう。
カイリだけに任せてはおけない、それは茶歩丸だけができる。
これから一生を共に歩み続ける従者、いや、家族としての誓いだった。




