4-13 願・無剣
保守派の筆頭、ダルマックは瓦礫の中に倒れ、戦いは終わった。
アズキの放った渾身の一撃は再起不能なまでのダメージを与え、老齢の男は息も絶え絶えだ。
いや、あの一撃を受けてよくもまだ息があるものかというべきか。
「ぜっ・・・は・・・ぁ・・・」
亡骸から吸い取った生命エネルギーを使い尽くした紫百合の刀剣は白刃へと戻り。
アズキの髪の色も元の黒髪へと変化し、力を失って、刀を支えになんとか立つアズキ。
リンクス連邦を混乱へと陥れた内乱は終わった、もう休んでいいだろうか?
―そんなわけがない。なぜならそれはリンクス連邦の話であって。
慈恵アズキと、彼女を狙ってこの国まで追ってきたオボロには、どうでもいい事なのだから。
パチパチと耳障りな拍手をしながら、アズキに近づいてくる足音。
「見事ですな、”アズキ姫”。
先代から能力は劣化しているとはいえ、紫百合を初めて引き抜きながらもこの力とは」
「そう・・・私を・・・呼ぶ・・・な・・・!」
「そうはいきませんな、貴女は一応とはいえ、頭首様の娘であらせられます。
我が国では介錯人は礼節を弁えた武家の役目。
このような場所とはいえ、作法は守りませんとね。
まぁ、辞世の句をしたためる時間はございませんが」
言葉こそ礼を重んじている風ではあるが、声音には明確な嘲笑が含まれている。
動いて、刀を握らなければならないのに、能力の解放でアズキの体は限界を迎え、思うように動いてくれない。
「あん・・・た・・・、この為に・・・下忍を・・・」
「ええ、けしかけさせて頂きましたよ。
拙者も剣技に自信がないわけではありませんが。
紫百合を持つアズキ姫と真正面からやりあうような愚かな真似は致しません。
そこのダルマックは阿呆ですが、武力だけは並外れた物を持っていましたからな。
けしかけ、紫百合を使わざるおえない状況を作り出し、おあつらえ向けに殺したばかりの新鮮な9人分の亡骸を用意させてもらいました。
紫百合の連続発動は不可能だと、良く存じておりますから」
この男、最初からこの機会を狙ってアズキを誘き出していたのか。
だが、悔しさに噛み締める奥歯にすら力がはいらない今、何も抵抗のしようがなかった。
「私を殺して・・・、紫百合を・・・持って帰るつもり・・・?
私か・・・私の娘でも作らないと・・・使えないのに・・・」
「先代に比べてアズキ姫の能力は劣化が著しい。
もう子世代に継承しても大した戦力にはならぬと頭首様が判断されました。
ただ、紫百合は忍軍創設から受け継がれている国宝。
使える者は居なくとも、その存在に価値はありますから」
「つまり・・・あの男は・・・。
娘の私より・・・刀のほうが・・・価値があるって・・・?」
「その通り、素晴らしい認識です」
「はは・・・さい・・・あく・・・」
オボロは刀を抜き、倒れ付すアズキの上に陣取って、振り上げる。
一刀で首を落とし、さっさと任務を終わらせる。
忍に感慨などない、ただ目的を果たす事だけ。
「お覚悟」
最期の言葉と同時に、容赦なく振りおろされる刃。
(あぁ・・・さすがにもう・・・無理・・・か・・・)
ここまで、なんとか足掻いて見せたけれど、だめだった。
ごめん、と。結局一度も呼んであげる事ができなかった名前を、口の中だけで。
「・・・・・・・」
か細い声で、名を呼んだ時だった。
「っ!?」
突然オボロが後方に飛び、アズキから距離をとる。
続いて風を切り裂く、何かが投擲される音が頭上を飛び越えた。
投げられたのは、不恰好な木の棒の塊。
見覚えがある、あれは、名前を持たないあの少年が愛用していた槍の柄の部分。
力を振り絞って視線を向けると、そこに居たのは。
「あ・・・」
ブロンドの髪をなびかせながら、アズキの元へと駆け寄ってくる。
見つめるサファイア色の瞳は、寂しさと嬉しさ、
安堵と怒りなど、いろいろな感情が入り混じっていて。
抱き寄せる腕は力強くて、その中に居るだけでどうしてこんなに安心できるのか。
「アズキ、大丈夫か?」
「う・・・ん・・・ちょっと・・・大丈夫じゃ・・・ないかも・・・」
駆けつけてくれた名無しの少年の温もりに、嬉しさがこみ上げて頬が緩んでしまうアズキ。
離れていたのはほんの半日ではないか。
だというのに、何年も顔を合わせていなかったかのように感無量で。
そんな良い雰囲気でも、残念ながら今は目の前に敵が居る。
「ええい! そこのデカブツが小娘一人始末するのに手間取るからこうなる!」
アズキを始末し損ねた事に、頭巾の奥で怒りを顕にするオボロ。
相手は世界を相手に勝ってみせた最強の傭兵、一人で対抗できる相手ではない。
「・・・お前が、アズキをこんな目に合わせたのか?」
射抜くような視線をオボロへと向ける名無しの少年。
瞳に滾るのは烈火の怒り。
愛する彼女の命を狙い、傷付けた。
これほどまでに怒り、殺意に達したのは初めてだった。
まだ20も超えていない少年がしてはいけない眼光にオボロはたじろぐも。
口元から余裕は失われていない。
「ふ・・・、ふふ、まあいい!!
どのみちお主も始末するつもりであったのだ!
それが先か後か、一緒かの違いだけよ!!」
まさか、名無しの少年とやりあうつもりなのか?
彼の実力を知る者ならば絶対でないセリフを口にしながら。
オボロは懐から手裏剣を取り出し。
それを名無しの少年でもアズキでもなく、あろうことか、倒れ伏したダルマックへと投げつけた。
気を失っていたはずのダルマックは、手裏剣の痛みに目を覚まし、次にもがき苦しみ始め。
「うっ! ぐ・・ぐお・・! おおおお!!」
体が異常なほどの痙攣をしはじめ、重鎧の下の肉体が膨らみ。
砕かれた重鎧も押しのけて膨張する肉体。
老齢を感じさせない引き締まった肌は、人とはかけ離れたカエルの緑色へと変色していく。
苦悶に表情を歪ませるダルマックはオボロを睨み。
「オボ・・・ロ・・・! 貴様・・・何を・・・!?」
「無メイの乖離を討ちたいとおっしゃったのは将軍閣下でしょう?
だから、毎日少しづつ貴方の体に手を加えさせていただきました。
たらふく浴びるように飲まれてましたねぇ、我が国の地酒」
「まさ・・・か・・・」
「いやぁ、実に扱いやすい男でした。
おかげで、拙者の目的はここで達成できるというもの」
オボロははじめから、ダルマックを名無しの少年にぶつけるつもりで。
甘言で接近し、口車に乗せて内乱を悪化させたというのか。
全ては、己の任務のために。
そのために、この内乱で何万の人間が犠牲になったのか!?
「オボロ・・・あんたはそこまでして・・・!?」
「はははははは!! 欺く事こそ忍の骨頂!
いや、それより、拙者に構っている暇などありませんぞぉ!?」
アズキの叱責も意に介さず、変貌していくダルマックから距離をとるオボロ。
やがて立ちあがったダルマックはもはや、人と形容できる姿ではなかった。
高さ3メートルはある巨躯に、深緑の肌は湯気を放つほどの高熱を発し。
ゴツゴツと骨ばった顔と白く濁った瞳。
そして目を引く、両側頭部から伸びる2本の角。
「人を鬼へと変える秘伝の妙薬!
さぁ、いくら無メイの乖離とはいえ敵いますかな?
ああ、説得は通じませんよ、ダルマックにもう理性はありませぇん!!」
オボロは愉快そうに、勝利を確信したセリフを吐いて気配を消す。
室内にある感知できる気配は名無しの少年とアズキだけとなり。
「ガォォォォォォ!!」
目の前にある物を無差別に攻撃する、元はダルマックであった鬼。
踏みしめるだけで破壊される床石が、尋常ではない脚力を物語っている。
「・・・・・・・・・」
名無しの少年はアズキを抱えたまま、咄嗟に地面に落ちていたダルマックが使っていた大剣を拾い。
大男が両手で振るっていた大剣を片手で振り回して、向かってくる鬼に叩き付けるも。
鋼よりも硬くなった鬼の皮膚は逆に、リンクス連邦の至宝とも呼ばれる大剣を砕いてしまう。
おそらく大砲でも傷一つつかない、そしてそこから繰り出される、剛腕の振りおろし。
「アズキ、掴まっていろ」
「う、うん!」
受け止められるパワーではない、名無しの少年が転がるように横に回避すれば。
殴りつけられた床が木っ端微塵に粉砕され、階下の部屋が覗けるまで破壊。
あんな剛腕、まともに受けたら原型も残らないほど潰されてしまうだろう。
一旦距離をとり、名無しの少年はアズキに問う。
「アズキ、あの怪物はなんだ?」
「知らない・・・! 倭本はこんなものを作っていたなんて!?」
アズキも忍軍頭首の娘として、ある程度の事は知っていたつもりだった。
だが、こんな人を怪物に変えてしまう薬の事などまったく知らされていない。
あれは、人がやっていい所業を大きく逸脱している。
アズキの言葉に、気配を消したままのオボロは笑いながら。
「貴女が知らないのも無理はありませんよ、アズキ姫。
この鬼化の妙薬は忍軍で造られた物ではありません。
生殺与奪の能力を恒常化させるための研究の一環として、
国営の専用機関で長年研究されてきたもの。
これを作る為に何百もの罪人による人体実験を繰り返したそうですよ。
ああ、アズキ姫のお母様のご協力で研究は飛躍的に進み、ついに完成にこぎつけたそうですなぁ」
「お母さん・・・が・・・?」
敬愛する母がこんな事に関わっていただなんて?
生殺与奪の能力を持つ者がアズキ以外に母親しかいないのならば当然とはいえ、ショックを受けるアズキに、さらにオボロは。
「まぁ、完成を間近にあの方のお体は限界を迎えてしまいましたがねぇ?
いやぁ残念ですよ! あの方にもこの鬼の力、ご覧になって頂きたかった!!」
母の死因も、この研究なのだと告げるオボロ。
ガツンとハンマーで殴られたような衝撃がアズキを襲い
「こんな・・・こんなもののために・・・お母さんが・・・」
「そんな風におっしゃっては、お母様が浮かばれませんよぉ?
さぁ! 感謝して受け止めてみせなさい! それが娘が母に贈る最高の礼儀でしょう!
そしてもうひとつ、無メイの乖離を捕らえ、新たな研究の糧とする!
それが拙者の、帝より承った勅命である!!」
オボロの扇動に突き動かされ、鬼は執拗にアズキを抱える名無しの少年を狙う。
状況はかなり宜しくない、名無しの少年にはいつもの剣と十字槍は無く。
いや、あったとしてもあの硬質な体を破壊できるかは怪しい。
では逃げるか?
それもだめだ、こんな化け物を外にだせばリングルスにどれだけの被害がでるかわかったものではない。
オボロは言った、名無しの少年もまた彼の目的なのだと。
それを果たししおえるまで、鬼はいつまでも追いすがる。
対抗できる方法はたったひとつしかないとアズキは提案。
「ねぇ! 隻腕の獣になれば戦えるでしょ!?
私をおろしてすぐに―」
「だめだ。あの男は俺が離れればアズキを殺しにかかる」
「でも! このままじゃ―!」
このまま避け続けるだけでは、いずれ二人共やられてしまう。
そうさせないためにも、せめて、彼にだけは生きていてほしい。
アズキは覚悟を決めて。
「私が、オボロをなんとかするから、その間に―」
嘘だ、今の自分の体でオボロの攻撃を避けれるはずがない。
まちがいなく死ぬ、だけど、2人で死ぬよりはマシだと。
アズキは切羽詰った言葉を、震える声音で告げようとした時。
「―別に」
名無しの少年の表情は、まったく動揺もしていない事に気がついた。
この状況に何も問題も感じさせない、いつもの声音のまま。
「この手の怪物と戦うのは、2度目3度目じゃない」
「え?」
「もう大丈夫だ、アレの力は大体見切った」
だから、そのままで居てくれればいい。
ギュッと左手でアズキを抱え、右手を高く掲げる名無しの少年。
余裕な彼の言葉に、オボロは気分を害したようで。
「ハッタリを。
我が国の技術力は世界一。
芸術、文化、武器に至るまで外人を超越して久しい。
それを侮られるのは我慢なりませんなぁ?」
倭本こそ至高の国であり、他の国は全てに劣る。
確かに、あの鬼の戦闘能力は凄まじい。
名無しの少年が変化した隻腕の獣と互角だという認識も間違いではないだろう。
だが、それだけの情報が全てだと誰が決めた?
「ポイント・ゼロでの戦い。
各国は俺を倒すため、あらゆる兵器を投入してきた。
世界中から殺していいと認可された、無メイの乖離という化け物を退治するんだ、
武器の開発者やら研究員からすれば、最高のモルモット実験場だったろう。
世間一般に公開できない人体実験や生物兵器の類も多数投入されていたんだが。
この鬼という怪物か、それと比較して何も特別な所はない」
「くっ! その減らず口! 潰してしまえええ!!!」
オボロは信じない、自分の認識は完璧だと。
無メイの乖離にこの鬼を倒す術などなく、ただ叩き潰されるだけの運命。
「―そうか」
名無しの少年の掲げられた右手に、バチリと稲妻が走った。
稲妻は増加、増大し、やがて溢れる光となって掌の滞留。
それはすぐ側で見ているアズキが、思わず状況を忘れて見惚れてしまうほどの絢爛な光だった。
この光の色を見た事がある。
そうだ、隻腕の獣が放つ無命の光と同じ。
握り締めれば、顕現するのは光の剣。
「―願・無剣」
眩いばかりに輝く、天の滴から放たれる、莫大なエネルギーの塊。
指先一つ触れれば全身が滅却されるだろう、破滅の光剣は。
「綺麗・・・」
こんな状況だというのにアズキの目には、この世界のどんな剣よりも美しく見えて。
「ガァァァァアアァアァァァアア!!!」
火に突進する猪かのように、鬼は光を見て速度を速めた。
これがただの焚き火だったら、踏み潰されて炎を失っていただろうが。
彼が放つ無名の光、その8発分ものエネルギーを超高濃度圧縮した光の剣は、リンクス連邦が誇る宝剣で傷一つつかなかった皮膚にいとも容易く切り込み。
鬼の右腕は虚空に舞い、どしゃりと床に落ちた。
「アガァァァァァァ!!」
片腕を失い、激痛に絶叫する鬼。
ありえないと、オボロは驚愕する。
「バカな!? 人間国宝が鍛えた刀ですら切れぬ皮膚だぞ!?」
倭本こそがどこの国よりも優れている。
そしてこの鬼を倒せる者は倭本には存在せず、対処するためには三日放置し、全てのエネルギーを使いきって自滅するまで待つしかない。
すなわち倭本において最強の生物兵器。
それを、怪我人を抱えたまま、片腕で、こうもあっさりと!?
痛みに怒り、再び襲いかかる鬼だったが、今度は左脚の膝から下が切り落とされ、みっともなく地面に倒れ転がる。
汗一つかきもせず、名無しの少年は冷ややかな目でそれを見下ろしながら。
「確かにパワーは十分だ、スピードも申し分ない。
硬質化した皮膚は並大抵の攻撃はすべて跳ね返すだろう。
・・・だが、それだけだ。
ただ性能が高いだけの兵器なら、この世界にあふれるほど転がっている」
そしてそれら全てに勝利してきたからこそ、無メイの乖離は最強の傭兵。
辺境の島国程度で開発された生物兵器など、戦争に明け暮れる大陸の兵器と比べるまでもない。
「醜悪だな」
これはナンセンスだと名無しの少年は怒りを感じる。
人を人とも思わぬ実験によって生まれる生物兵器。
それは紛れも無い自分自身の事であり、彼が最も嫌う物。
「・・・こんなものは、俺一人で十分だ」
もう弱点は見極めている。
倒れてもがく、鬼の胸元を光の剣で一閃。
鬼の体躯を維持する中心点だったそこを切除され。
「ガアアァァァァ!!! ア・・・が・・・あ・・・」
鬼の体は収縮しはじめ、肌の色を人のそれに除々に戻し始め。
やがて、右腕と左脚を失ったダルマックの姿へとその形を収めた。
その胸板がわずかながら呼吸で上下している事にアズキは気がつき。
「すごい、この人、まだ生きてるっす」
「凄まじい生命力だ、さすがリンクガルズの一人といったところか」
よかった、彼にはまだ、この内乱を終わらせる最期の役目があるのだから。
ならばこちらも終わらせようとオボロが居た方向へと顔を向けるも、そこには誰も居ない。
気殺を使って隠れているのかとも思ったが、同じ技術を使えるアズキが認識できないということは。
「あいつ・・・、逃げたっすね」
「勝てないと踏んですぐか、判断は早いな」
「追いたいけど・・・、ちょっと、ムリ・・・か」




