4-12 紫の百合
首都リングルスでの戦いの形勢は、ほぼ逆転したと言っていい。
無メイの乖離からの援護射撃から、各領地からの増援の到着。
四方を囲まれて逃げ場を失ったダルマック軍の戦意はほぼ喪失。
彼らはもはや抵抗ではなく、逃げ出すための作戦を立てはじめている。
リングルスが賊の支配から解放されるのは時間の問題だろう。
ダルマックの軍事クーデターはわずか2日で終わろうとしている中。
リングルスの中央、コルキス城の最上階で繰り広げられる戦いは、
もうそんな物は関係のないところにあった。
「―はぁ、キッツ・・・」
頭部に受けた傷から流れる血が額を流れ、手の甲で拭いながら、ため息をつくアズキ。
傷はこれだけではない、藤色の忍装束のあちこちが血でどす黒く染み。
白い肌は斬り傷と打撲で見る影もなく薄汚れてしまっている。
リンクス連邦最強の騎士の一人、ダルマックと長い時間切り結ぶ間に受けた傷は、
アズキを確実に追い込んで行った。
「大した娘よ、その華奢な身で我の剣を避けつづけ、まだ抵抗する意志を失わぬとは。
我が国の兵士といえど、なかなかおらぬ傑物よ」
「そいつぁどうも・・・」
ダルマックの余裕綽々の上から目線からわかる通り、重鎧には傷らしい傷は見当たらない。
この結果を導き出した要因は、体格差や年齢による技術に経験の差もあるが、
あまりにも戦いの技法の相性が悪すぎた。
アズキが得意とする鎧通しは、刺攻撃に高い防御性能を誇る鎖帷子も無効化できるほど。
高速で懐に潜り込み、鎧の隙間に刃を差し込んで的確に致命傷を突く。
重鎧を着込む相手であればあるほど、アズキの速度に対応できずに不利となるはずだが、
問題は、ダルマックの剣士としての技量が、桁外れである事だった。
巨大な大剣を、針の穴に糸を通すような繊細な重心コントロールで操り。
常人では目で捉えられない速度でアズキが接近しても、即座に反応して迎撃。
持ってる剣は鉄ではなく紙かなにかでできているのかと錯覚するも、
打ちつけてくる衝撃は剛腕を100%伝達してくるのだから性質が悪い。
近づけば手痛い反撃で弾き飛ばされ、距離をとれば大剣の一方的な射程に脅かされる。
近中遠、全ての距離でダルマックはアズキを凌駕していた。
それでも、ダルマックはこの少女の戦いに感心している。
この圧倒的不利な状況で、ダルマックの左腕の手甲の隙間からは血が滴り落ちているのだから。
「この身から血を流させた者など、リンクガルズ以外にはおらん。
それがましてや女だというのだから、実に驚かされた。
・・・どうだ? 我に忠誠を誓わぬか?
あんな傭兵の小僧よりも良い暮らしをさせてやるぞ?」
「・・・はぁ? あんた、こんなクーデターが成功すると思ってんの?」
アズキは一瞬、この男が何を言っているのか理解できなかった。
いい暮らしだとか忠誠だとか、それはこのクーデターの先に未来があればの話。
山賊連中を抱きこんだ一時的な首都占拠など、そうそう長く続くはずがない。
アズキは外の状況を知らないが、それでもこんな無茶な蜂起が成功するはずがないとわかっている。
たかが18の少女が認識できている事を、一国の軍責任者がわかっていない?
兜の隙間から見えるダルマックの瞳は、真剣そのものだった。
「無論、我がこの国の王となり、臣民を導こう。
例え狂王と後の歴史に語られようと、我のこの行いは過ちではない。
武力による市民の防衛、略奪者を駆逐し、他国の資源や領土をリンクスのモノとする軍事力!
これこそが国を潤わせる事のできる真理よ!」
「その国の民を、今傷つけてるのはアンタでしょうが!?」
「ふん、我に従わぬ者に幸福を得る権利など無い。
このリングルスの連中はな、この我の提示する真実に耳を貸さず、
ただただ、無メイの乖離などという傭兵風情に尻尾を振りおった。
そこはリンクスの誇りなど無い、ただの負け犬の掃き溜めよ。
そんなもの、偉大なる先祖、ダルマックの名を受け継ぐこの我が承服せん!
故に! 間違った道を進もうとするこの国を、我が正す!」
この男は本気で、心の底からそれが正しいと信じ、自分の悪を自覚して受け止めて尚、罪悪感すら抱いていない。
どうしてそんな事を考えられる? どうしてそう思い込める?
その理由は、彼の名前、ダルマックにある事は誰の目にも明らかだ。
「・・・そうだ、ダルマックは救国の名。
英雄ハンクスを導き、リンクス連邦設立に多大な貢献をした高潔なる血。
それが失われる事など、あってはならん、あってはならん。
それを我が、証明せねばならん。
ダルマックの末裔たるこの我が!」
執拗にダルマックの名を口にし、誇りを掲げ続ける男。
それを見るアズキの目は、ただ冷ややかだった。
「・・・ハンクス英雄譚、この前一通り読ませてもらったっすよ。
侵略者に絶望する闇の世界に生まれた、ハンクスという希望の光。
でも最初は右も左もわからない若輩者だったハンクスを、
影日向に支えて、救国の英雄に育て上げたのはダルマック将軍だった。
確かにダルマック将軍が居なければ、リンクス連邦は建国する事もできずに、どこかの国の一部として切り分けられていたでしょうね」
稀代の名将、御伽噺の捏造を抜きにしても、その功績は真実なのだと納得できるほどの偉人。
ランジベルからグリースレリアに移動する馬車の中で、ヴェイグに用意してもらった伝記を読ませてもらったのだが。
数多い伝記の中でも特に人気の作品を用意してもらったようで。
あまりの面白さと読み応えに、ついつい夜遅くまで読み耽ってしまったほどだ。
建国の英雄を補佐したダルマックも大きく取り扱われており。
なるほど、こんな物語を幼心に聞かされれば、理想の英雄の姿も心に刻み込まれるだろう。
自らも尊敬する偉大な先祖への賛辞に、ダルマックは大いに喜び。
「フッ、そうだ。我の祖父にあたる。
この身はその血を正統に受け継ぎ、そして現代にまでその理想を体現する崇高な―」
「いや、あんたとは似ても似つかぬっすよ」
「なんだと?」
これまでどんな言葉にも余裕を見せていたダルマックの表情が変化する。
ああやっぱり、予想通りだとアズキは。
「あんたのやってる事は、偉大なご先祖様の足元にも及ばないって言ってるんすよ」
「黙れ! 余所者の小娘になにがわかる!?
私は生れ落ちたその日からこの名を背負い。
今日、今この瞬間までこの国を守り続けてきたのだ!
その功績を讃えられこそすれ、扱き下ろされる言われは無い!」
烈火の如く憤怒。
ダルマックは根幹に根ざすプライドを刺激され怒鳴り散らす。
その反応こそが、この男の盲目さを示しているとも気づかずに。
「そうやって、自分は偉大な子の子孫だからって。
周りから持て囃されて、力だけは無駄につけた結果。
あんたは、ご先祖様が守りぬいたこの国を潰そうとしているのがわからないの?」
「はっ! ボラールの口車に乗せられてると気づかぬ奴らの事を言っているのか?
くどい! 奴らは我らダルマックの血が築き上げてきた栄光をないがしろにしおったのだ!
この国の歴史! 伝統! それを敬わずして何がリンクス連邦か!」
「それはあんたが決める事じゃない!!」
ダルマックの主張を、真正面から押し返すアズキの一喝。
燃え盛る怒りを言葉に込め。
「歴史、伝統、伝承。
過去の人達が血を流して築き上げてきた、法にも繋がるそれを否定する気はないけれど。
けどね! それは元々、未来に希望を託すために作られた物でしょう!?
あんた達こじらせた老人は、勝手に自分の都合のいいように解釈して。
さもそれが全てであるかのように子に押しつけて。
従わない者を罰し、時に命も奪う!
挙句の果てに強制する事を良しとするくらだないプライドなんかもって。
コケにされたら誰でも悪? 罪人だから殺していい?
そんな事、伝承の中のダルマック将軍は絶対しない!!
誰よりも若者の可能性を信じて未来を託したのは他ならぬあの人でしょう!?
あんたが、いや、あんた達がしてる事は人を守る事なんかじゃない!
ただ、自分の都合で年下を従えようとしてるだけよ!!」
「き、貴様・・・言わせておけば!!
我がどれだけの年を重ね、この国を生かしてきたのか知りもせずに―」
「はぁ? 生かされてきたの間違いでしょ!?
その甘ったれた脳みそをジジィになるまでもってきたアンタを見ればわかる。
自分の意志で生き方なんて決めた事なんかない!!
ただダルマック将軍だから、その名前で国に嵌め込まれただけの男。
それで国が形を変えようって皆が決めたら、理解できずに駄々こねて、必要とされなくなるのが怖いってブルブル震えて、
国の未来の足を引っ張るだけの、年だけ無駄に重ねた下郎に過ぎない!」
「小娘がぁ―」
「その小娘に、言い返してみなさいよ!
自分の口で! 意志で!
無理でしょうね、余所者のオボロなんかの口車に乗せられる程度の男が!!」
「―ほざく事かぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!
般若の如き形相で、大剣を構えて猛然と突進してくるダルマック。
怒りに我を忘れ、アズキの体を八つ裂きにするまで治まらないだろう。
こんな傷だらけの体で。明らかに挑発しすぎたとわかっている。
たぶんいまのアズキでは、大剣の一撃も捌ききれないだろう。
(・・・口だけでも従う不利をしておけば、少しは長生きできたかもしれないのにね)
とはいえ、それもほんの少しだけだろう、ダルマックが許しても、オボロは確実に殺しに来る。
今のダルマックはオボロの言葉にはなんでも素直に従ってしまうのならば、忠誠を従っても無意味か。
迫ってくるダルマックの姿がやけにゆっくりと感じ。
死に際の走馬灯というものか、いろんな事を思いだす。
長い時間を共に過ごした、兄弟同然の茶歩丸。
いつも優しくしてくれた、母の温もり。
けれど一番思いだした記憶は不思議な事に、まだ出会って一ヶ月も経っていない、
あの名前の無い少年の顔だった。
(名前をつけてあげるって、約束したのにな)
自分が死んだら、彼は泣いてくれるのだろうか?
きっと泣いて、悲しんで、落ち込んでしまう。
自惚れではない、あれは優しすぎる人だから。
ボロ雑巾みたいに引き裂かれた亡骸を抱きかかえて泣きじゃくる彼の姿を想い浮かべ。
(・・・嫌だ)
見たくない。彼には笑っていてほしい。
だってやっと、あんなに柔らかな笑顔を見せてくれるようになったのだから。
アズキを頼り、求めてくれる子犬みたいな彼を、悲しませたくない。
失いたくない、心の拠り所にしているのは彼だけではない、アズキも同じなのだから。
「―生きなきゃ」
死ねない、こんなにお互いが求めあっているのに、どうして別れなければならない?
愛する人を、悲しませたくなんかない!
望みはただそれだけ、他になにもいらない!
「生きて、いたい!」
心と体が叫んだ瞬間、腰にさげた宝刀からドクンと鼓動が鳴り響いた。
自然とその柄に手が伸びて、いままでピクリともしなかった鞘からスルリと抜き放たれ。
顕れた刀身は、無垢な白百合のような美しさ。
もう一度トクンと鳴り、アズキは全て理解した。
この刀がこれまで引き抜けなかった理由。
今、その求めに応じる理由。
そして己の中に眠る、天の滴の本来の使い方を。
「―流るる千年、焦がれるは乙女心」
アズキの艶やかな黒髪が染まるように薄紫がさしこんだ。
彼女の体から迸る、同色のオーラは明らかに何かがおかしい。
怒りに我を忘れたダルマックはそれに気がつきながらも、突撃をやめない。
小娘一人が何を小細工したところで、この戦況を変える手段など存在するはずがない。
ダルマックの剣は、小娘の人生の3倍以上を費やし鍛錬してきた唯一無二の剛剣。
そしてこれから放たれる一刀は、同じリングガルズのボンズですら無傷ではすまない必殺の一撃。
アズキは避けない、ただ静かに引き抜いた打刀を正眼に構え。
「―想い猛り燃え盛り、口端に滴る赤を啜り」
体格差ゆうに2倍、鎧の重量を加算すれば質量差は3倍以上。
細身の刀と娘の細腕など物ともせずに叩き潰そう。
横一線に薙ぐ大剣の一刀は、微動だにさせれず、受け止められた。
「何・・・!?」
「―悠久を行く貴方を求め、私は罪を重ねます」
一体何がと困惑するも、そこで呆けるダルマックではない。
大剣を薙いだ姿勢をそのまま流れに乗せて、一撃目の勢いを乗算させた二撃目を振り落とす。
一撃目を超える圧倒的なパワーならばと、繰り出される追撃を。
突如、アズキとダルマックの間に人影が割り込み、人影の上半身がぐちゃりと潰れ、彼女を庇った。
「なっ・・・、この者は・・・!?」
オボロと似た忍装束、この部屋の入り口でアズキに殺されたはずの忍者だった。
まさかまだ生きていて、アズキを庇って命を落としたのか?
現れた忍者は一人ではない、入り口で死んでいたはずの残り8人の忍者が、一斉にダルマックに襲いかかってきた。
「貴様ら、我を裏切ったか!?」
オボロの部下というからこの場所の警護を命じてやったというのに。
あっさりとやられたどころか、雇い主に牙を剥いてくるなど。
裏切り者に容赦はせんと、ダルマックの大剣が忍者の一人の首を刎ね飛ばす。
残り7人、全て切り伏せてはやくアズキにトドメを刺す。
そう決めたダルマックの足に、何者かが掴みかかってきた。
増援か? いや違う、足を掴んでいるのは、さきほど首を刎ね跳ばした忍者の死体だった。
偶然絡みついたのではない、首無し死体が、自らの筋力で足にしがみついてきている。
それだけではない、ダルマックを取り囲む残り7人の忍者。
全員の瞳孔は開いたまま、命の灯火など感じられない。
「し、死体を・・・、操っているのか!?」
亡骸を意のままに操り、戦力とするアズキの能力。
彼女は通常、生物を自在に操るために使っていたが、本来の能力は違う。
アズキに宿る天の滴の能力は、”有機物”を自在に操る事。
別に生者である必要は無い、死体であろうとそれが有機物で動く構造があれば、遠隔操作を可能とする。
「―永久なる時の中、終を望む貴方を想い」
詩を紡ぐ度、アズキの纏うすみれ色の闘気が色濃くなっていく。
闘気は刀身に吸い込まれ、白百合を思わせた刃は、紫に染まって尚まだ吸収を止めない。
なにかをしようとしている、ダルマックはそれを妨げようにも、忍者の死体達が邪魔だ。
「退けぇ! 亡者共がぁ!!」
剛剣を振り回し、死体達を原型なく斬り飛ばす。
いくら死体を操れようが、人間の形をしていなければなにもできはしない。
意志を持たぬただの亡骸如き、ただタフなだけでダルマックの歯牙にも欠けぬ。
あっという間に一蹴してみせるのだが。
亡骸からうっすらと立ち昇る煙のようなものが、アズキのほうへと漂う事に気がついた。
「―黄泉より授かりし、無垢な白刃を犯しましょう」
「・・・まさか」
ダルマックが死体を破壊する度に、オーラは色彩を増していく。
この少女の力は、死体から生命エネルギーを吸い上げ増している。
まだ生命エネルギーが残る肉の塊を引き裂かせ、中に溜め込んでいた魂を吸い上げる。
無垢なる白百合の少女が、命を吸って、自然界に存在しない色に染まりきり。
ドンッと放出音と共に、刀身から藤色のエネルギ-が溢れだした。
生物を自在に操るアズキの能力、名は『生殺与奪』。
命を在り方を冒涜するその能力で生命力を吸収、
白刃を殺刃へと変換する、宝刀にして妖刀。
「―咲え、現世非ざる紫の百合が如く」
その一閃は、放ったアズキ以外には到底知覚できない速度だった。
音速を超えて光速。
莫大なエネルギーの塊、命を吸い上げた魂魄の刃を阻める物などこの世に存在しない。
分厚い重鎧をなんの抵抗も感じさせず、肉体ごと深く切り裂かれ、血を撒き散らしながら宙を舞うダルマックの体。
その直下で、アズキは刀を振り抜いた姿勢のまま佇み。
ここに、長きに渡り自分の名に執着した男の野望は、
体制に縛りつけられる事を嫌った、自由を求める忍者の少女によって、完全に潰える事となった。




