4-3 慟哭
グリースレリア軍による首都奪還作戦を最後まで聞き終えた頃には、時刻ははすでに夕暮れ。
軍の出発は7時間後と決定し、アズキはコテージへと戻ってきた。
辺りはもう薄暗いというのに、コテージの窓から明かりは漏れていない。
出掛けている? いや、それはないだろう。
扉を開けた先の室内には予想通り、彼はアズキがコテージから離れた時と同じまま。
ソファに腰掛け、うなだれていた。
「ただいま」
「・・・・・・・・・」
返事は無い、先週出会ったばかりの時のように。
けれあの時と違うのは、アズキが彼の失意を痛いほど知っているという事。
名無しの少年の隣に腰掛け、アズキは背中をさすってあげながら。
「少しは、落ち着いた?」
目の前で”使徒”を名乗る者達が死んだ時。
名無しの少年は何時までも叫び、嘆き、咆哮を上げ続けていた。
他国の使者団はそれに戸惑い、自分達が間違っていたのかと混乱を生んだが。
彼ら、使者団の行動は間違っていない。
あのまま使徒を名乗る連中を行かせれば、グリースレリアに被害がでていたのだから。
けれど、間違いでないから、死んでよかったなんて割り切れるはずもない。
彼らは、名無しの少年が一度は救った命なのだから。
隣に座るアズキの顔を見て、数時間ぶりに口を開き。
「あの集団を率いていた男は、ルーンネイトの大森林の中にある、小さな村の神父だった」
「・・・うん」
話せるぐらいには気が落ち着いたらしい。
そうして楽になるならと、背をさする手を止めずに、彼の独白に耳を傾ける。
「その日その日を生きていく事だけで精一杯の貧しい村だ。
寒さや飢えを、神を崇拝することで耐えてきた人々。
生きていられるのは神の恵みで、ただそこに在るだけで幸福なのだと。
だが神など所詮は人が作った妄想の産物だ、現実に迫る魔の手から守ってくれはしない。
俺はいつも通り、村を襲おうとする山賊を殲滅しただけ。
神の代行などしたつもりもなければ、神になろうなどと思った事もない。
だが、彼らは俺にそれを幻視する。
・・・どうしてだ?」
わからない。
神という概念にすがる精神が。
人が生きていくのに、神から授けられたものなど何ひとつない。
少なくとも、名無しの少年はそう思っていたから。
いや、信じられるはずもない、なぜなら。
「神が人を救うというのなら、5万と8千もの命を奪った俺がここにいるはずがないだろうに!?」
人を救う代わりに積み重ねた罪に心は悲鳴をあげつづけ。
自ら死ぬ事も許されない不死の体に幾度となく絶望もした。
それでも、自分以外の誰かの涙が見逃せずに、大量殺戮者の汚名を着せられても、今日まで戦い続けて来たけれど、
もう心は限界だった。
アズキは慟哭する名無しの少年をやさしく抱き締め。
「あの人達は、心が弱すぎたの。
生まれた場所も環境も辛くて。
いつか幸せになる希望がほしくて、在りもしない神様にすがった。
神様なんてこの世界に居ないって、心の中で感じながらもね。
そんなところに貴方が現れてしまった。
現実に自分達を救ってくれた貴方は、生きる希望になって。
それをあの人達は独占しようとしたのよ。
それは心の弱さが生んだ罪にほかならない。
だから、貴方は悪くない・・・、ね?」
「っ・・・ぅ・・・ぁ・・・」
アズキの慰めに、名無しの少年は彼女を突き離そうとして、けれどしがみついてを何度も繰り返す。
優しい言葉が心地よくて、それにすがっていたいのに。
自分の罪を自覚していて、受け入れる事に恐怖する。
常人なら心が壊れてしまいそうなジレンマ。
そんな彼の頭を、離れなくていいと抱えてあげながら、アズキは歯をくいしばり、思う。
(・・・私のせいだ)
ヴェイグは言っていた、彼はずっと一人で生きてきたと。
戦いに明け暮れていた5年の歳月、辛い事があっても一人ぼっちという現実が逃げ道を作らず。
逆にこれまで耐えてこられた要因だったのだろう。
だが、アズキがそれを変えてしまった。
人に甘え、安らぐ事を知る事で、反動に冷たい現実が耐えがたいものになってしまった。
そしてそれを引き起こしたのもまた、自分の責任。
(この国に、忍軍を連れてきたのは私のせいだ)
倭本の追っ手がアズキを探しにこなければ。
連中がこの地にやってくる事もなかったかもしれない。
なんと愚かな事をしてしまったのだろう。
無関係な人を巻き込まないために、この土地までの移動は一人で行ってきたのに。
男にかまけて、忍軍への注意を怠ってしまうなど。
(私のせいで、この人を追い込んでしまった)
何が癒してあげたい、だ。
連中の卑劣な手にまんまとひっかかり。
余計に傷付けた女が、どの面をさげてそんな分不相応な願いを抱いたのか。
アズキは何よりも、自分自身が許せなかった。
もう一度、ギュッと名無しの少年の頭を抱いて。
長い間そうしてから、頃合を見計らって口を開く。
「・・・グリースレリア軍は今日の夜、首都リングルスに向かうそうっすよ」
それから、会議で見聞きしてきたグリースレリアの軍事行動を伝言するアズキ。
元々彼女が軍儀に呼ばれたのは、無メイの乖離に伝えてほしいと言われていたからだ。
彼は話の途中で少しだけ反応して、ちゃんと聞いてはいるようで。
説明の最後に。
「―それでね、あたしもグリースレリア軍に同行しようと思うっす」
「どうして?」
震える声で、即座に問いかけてくる名無しの少年。
アズキにすがる指に力が加わり、行かないでほしいとねだる。
「・・・チャポがまだ帰ってきてないから、迎えに行こうかなって。
大丈夫、すぐ帰ってくるから、ね?」
心配しないでと、名無しの少年の頭を優しく撫で、そう言い聞かせるアズキ。
それでも彼の指を離れない。
だって、まだ―。
「・・・名前、まだ、つけてもらってない」
考えてくれると言ってくれた、彼の名前。
あれから2日経つがアズキはまだ決めかねていた。
催促こそしなかったけれど、ずっと待ち詫びていたのに。
彼女はしばらく考えた後、小さくごめんね、と小さく謝ってから。
「帰ってきたら、とびっきりの良い名前、つけてあげるから」
実はもう考えてある。
一度考え付いたら、それしかもうでてこないぐらい、彼にピッタリの名前。
とっておきの場面でつけてあげたいと思っていたから。
それは、今じゃないと思うから、そんな約束を取り付ける。
それからずっと、名無しの少年が自分から離れるまで。
ずっとずっと、抱きしめ続けてあげていた。




