2-8 至・無神 (挿絵有)
草木も眠る丑三つ時、無メイの乖離と呼ばれる名無しの少年はランジベルの街を出て、近くの山を登っていた。
月もでない闇夜は、光がなければ一歩も歩けないはずなのに。
そんな中、名無しの少年は前がハッキリと見えているように光も灯さずに進んでいく。
いつものように無言ながらも、その背中はどこか違う。
彼の背後でカンテラを灯して歩くアズキには見覚えがあった。
ロックラウンドの住民に恐怖され、去る時に見せたあの背中。
アズキは何度も手を伸ばし、声をかけようとして、何も言えない。
(貴方はいったい・・・何者なの?)
鉤爪が体を貫いたはずなのに、背中の破れた衣服の下に、傷口は一切見えない。
手品だとかそういう類のものではない、本当に、致死に至る怪我が一瞬で完治した。
その後ろを着いて歩くローレンスと茶歩丸は、黙ったままの2人を見比べながら。
「・・・本当なのか? スイレン君が無メイの乖離を殺そうとしたというのは?」
「さぁな、アズキもそう言ったきり黙りこくっちまってるし。
だいたいこんな時間に、なんでこんな山道歩いてるのかわかんねーし」
茶歩丸は主に従い、ローレンスは無メイの乖離の監視のため。
それぞれに役割があるため同行しているが、こんな夜半にこんな山道を歩く理由はわかっていなかった。
それはアズキも同じ、名無しの少年がどこを目指しているのかは知らないけれど。
発したあの言葉が、その目的を示している。
彼は言った、「依頼を承諾した」と。
ならば名無しの少年の目的は孤児院の母代わりの彼女の願いを聞き届けるため。
そして歩く事数時間、辿りついたのは山の頂上だった。
東の地平線に光が煌きはじめ、少しづつ朝の日差しが昇りはじめると。
崖際から見下ろせる遠くに、あの土砂崩れの現場が見えている。
休み無しで山登りをさせられた茶歩丸とローレンスは肩で息をしながら。
「ったく・・・夜通し歩かせやがって・・・なんだってんだよいったい・・・」
「こんなところで何をするつもりだ・・・?」
土砂崩れをどうにかするつもりなら、現場から300メートルも離れた山の頂上に来ても意味がない。
1人と1匹の疑問には答えず、名無しの少年は懐から図書室で書いた紙を取り出し、
遠くに見える現場と見比べているようだ。
アズキはそれを、黙したまま見つめ続ける。
(貴方は、なにをしようとしているの?)
今なら見極められると思った。彼が一体何を求めて、何を願っているのか。
何かを確認していた名無しの少年は紙をしまいなおし、アズキ達へと振りかえって。
「・・・離れていろ」
”それ”を行うから、”それ”は危険な事だから離れていろと警告。
2人と1匹はよくわからないながらもそれに従って距離をとる。
十分に離れたのを見届けてから、名無しの少年は外套を脱ぎ捨て、右腕で左腕を掴むと。
メキリと離れていても聞こえるほど強い握力で自らの腕を握り締め。
力任せに、自らの左腕を肩から千切り、もぎ取った。
「は?」
「何!?」
「・・・・・・・・・」
呆ける茶歩丸と。驚くローレンスと。見守るアズキ。
傷口から血は流れない。千切った腕を掴んだまま。
「―、至・無神」
彼が呪文のように不思議な言葉を呟くと同時に、少年の体に劇的な変化が訪れる。
背中がボゴッと膨らんだかと思えば、体のあちこちが肥大化し。
頭部から獣のような耳が現れ、臀部から伸びはじめる鏃を重ねたような尾。
巨大化する体を硬い鱗が覆いその姿は、長い尾を抜きにしても体長5メートルもある異形の怪獣へと化し。
特に目立つのは、触れればそれだけで切り裂かれそうなほど鋭利に鱗が張り出す右腕。
千切った左腕も変化をし、宙に浮く巨大な三つ指のクローへと変わっている。
狼を思わせる頭部の巨大な口がバクンと開き。
「・・・グル・・・ウヲォォォォォォォォォ!!」
木々を震わせ、大地を揺らす怪獣の咆哮。
尋常ではない覇気に、近くの動物達が悲鳴を上げて去っていく。
銀の鎧をまといし巨獣の異形。
それを見て呆気にとられる茶歩丸の横で、
なんとかローレンスは、伝え聞いたその名を喉から搾り出せた。
「こ・・・これが・・・隻腕の獣・・・!?」
「せきわんの・・・けもの?」
「ああ、無メイの乖離が変化する。
数多の兵士を蹂躙した、彼の者の真なる姿と言われている。
そのあまりの強さから兵士達が見た幻覚か何かと思っていたが。
まさか・・・本当の事だったのか・・・!?」
吟遊詩人が語っていた話にあったと、アズキは黙してその姿を見あげる。
不思議と驚きはなかった。たぶんこれから何があろうと、彼が何をしようと。
隻腕の獣は、鋭く尖った青い瞳で一瞬だけアズキと目を合わせた後。
巨大な右腕の先端に、宙を舞う左腕だったクローがドッキングして、三つ指は大きく広がり。
獣の右腕に作られた巨大な大砲、その間に激しいスパークが渦巻きはじめる。
銀の爪の間に収束する、金色の光は溢れる程に増していった。
『光を放つのですよ、あの方は』
ヴェイグから聞いた、無メイの乖離の話の最後。
『・・・光?』
『たった一度の輝きで何千もの兵を覆い尽くし。
山を破壊し、湖を干上がらせ、光の晴れた後には何も残さない―』
隻腕の獣は、エネルギーの収束した腕の先を砲口に見立て、狙いをつけるように動かす。
その300メートル先に見えるのは、土砂崩れを起こした現場。
隻腕の獣の口が再び開かれ、人の言葉が紡がれた。
「―、滅・無命」
光は一瞬だけ点となって、そして激しい轟音と共に、おびただしい奔流が撃ちだされた。
着弾までに有した時は一瞬。
除去するのに3年かかるとアズキが見立てた土砂崩れが、
光に焼かれ、スポンジかと錯覚するほど粉々になって散っていく。
「す・・・すげぇ・・・!」
茶歩丸はこれは夢かと疑うも、凄まじい風圧に耐える自分の体はまちがいなく現実だった。
光の奔流はそのまま流れ続け照射したまま、隻腕の獣は少しづつ右腕を動かしていく。
太陽よりも眩しいその光の先に目を凝らして、ローレンスは気がついた。
「土砂崩れを、薙ぎ払うつもりか!?」
隻腕の獣の狙いはまさしくその通りのようだ。
ゴーネス川を塞き止めている岩の塊は次々と蒸発していき。
と、右腕を動かす途中で、一時的に光の奔流が半分ほどの大きさになった。
ランジベルの図書室で何かを調べ、計算していた名無しの少年。
いま光が焼くあの場所は、そこだけ地質が脆く崩壊の危険性があり、
『出力は40%に』と注釈をつけていた箇所。
隻腕の獣には、名無しの少年の意志がある。
あの土砂崩れを一刻も早く撤去し、己を殺そうとした依頼主の願いを聞き届けようと。
地質の脆い箇所を抜けたら、もう残る土砂は3分の1もない。
最も巨大な岩が塞がるその場所に向け、光の奔流はこれまでの倍に膨らんだ。
「ルォオオオオオオォォオオオオオオオオオオォォォ!!!!」
隻腕の獣が叫び、光を薙ぎ払い終えた後。
干上がっていた川の跡に、土色で濁った濁流が一気に流れ溢れだし。
その流れは川跡を突き進み、ランジベルの誇る巨大な橋の下を一瞬で満たして見せ。
「ランジベルに・・・川が・・・戻った・・・?」
これまでランジベルを苦しめていた土砂崩れを、わずか数秒で。
口をポカンと開けたまま、ローレンスは呆然とその場に立ち尽くしている。
役目は終わったと、隻腕の獣は高温で陽炎を揺らめかせる右腕を降ろし。
怪獣に変化したあの光景を逆再生するかのように再び人の形を成して。
千切った左腕をつけなおし、名無しの少年の姿に戻る。
「・・・・・・・・・」
再び外套を深く身に付けなおし。立ち去ろうと歩き出す少年。
ローレンスは強いショックを受けており、もう追いかけてくる気はないようだ。
一瞬目があった茶歩丸も、ビクリと肩を跳ねさせて萎縮する。
あれは人間ではない、いや、この世のどこを探しても居るはずがない化物。
野生動物の勘が、これまで幾度と無く思わせた危険の警鐘を強く鳴らす。
近づいてはならない、この少年はそういう類の生物だと。
去る事を考えていた茶歩丸の前を、紫色の人影がフワリと横切るのだった。




