2-2 おもてなし部隊
まだ出来て新しい馬の蹄の跡に馬車の轍。
つい昨日、ロックラウンドの侵略行為を行ったランジベルが往復して荒れ。
大勢の足跡がくっきり残る街道を、少年と少女、そして1匹のタヌキが歩んでいた。
少女の名は慈恵アズキ、タヌキの名前は茶歩丸。
少年に名は無く、彼のこれまでの行動から無メイの乖離と呼称されている。
その2人と1匹がロックラウンドを発ってから1と半日が経った今。
「うっま! これ相当良い肉つかってるっすね!?」
「うおぉ! なんでこんな良い肉干すかなぁ! ガツガツ! もったいねぇ! ガツガツ!」
アズキと茶歩丸は、歩きながらも豪快な音をたてて干し肉に喰らいつく。
基本、干し肉というのは日持ちを良くする事を重視した保存食であり味は二の次である。
だが今1人と1匹が舌鼓を打つのは、干す前にしっかりと味を調え。
肉の旨味と絶妙な塩加減のバランスがとれた高級干し肉だ。
おそらく大規模な軍の移動の際、将官クラスにのみ食べる事が許される一品だろう。
さて、なんでそんな物をアズキと茶歩丸が味わっているかというと。
「それにしても中央政府の使者さんっていうのは、そうとうカッ飛ばしてきたんっすね」
2人と1匹が歩く場所からかなり離れた後方にうっすらと影が見えるのは、1台の馬車と7頭の馬に、男女混じった6人の兵士。
彼らはリンクス連邦中央政府から、ボラール大臣の遣いでやってきた使者だそうで。
ロックラウンドの戦いが昨日の昼で、速馬の伝令で中央政府に情報が入ったのが夜。
それから使者は夜通しかけて準備をして移動し、こちらにやってきた事になる。
もちろん、彼らはアズキに会いに来たわけでない、本命は隣を歩く名無しの少年だ。
つい3時間ほど前、馬車が毛並みの美しい名馬達に牽かれて現れ、馬車を囲んでいた、礼装用の白銀の鎧を身に纏う男女入り混じった6人の兵士が降り立ち。
一番最初に兜を脱いだのは、中央に立つリーダーと思われる30過ぎぐらいの男性。
プラチナのような銀髪をキチリと流れるように整え、様々な経験をした男だけが見せる、柔和の中に”芯”を感じさせる細めの顔立ち。
彼に習って他の5人も兜を脱ぎ、王にするかのように膝を地面につけ、頭を垂れて傅き。
「ようこそリンクス連邦へ、無メイの乖離。
我らボラール大臣の命により、貴方の助けになるよう仰せつかった使者団。
私は団長の『ヴェイグ』でございます。
今後の旅に必要な食料や水、それと馬車を用意させていただきました。
なにかご要望がありましたら、どうかご遠慮なくお申し付け下さいませ」
礼節をわきまえた、兵士というよりは貴族的なオーラを放つ使者が6人。
無メイの乖離の旅路をサポートするために彼らはやって来た。
なのだが、ロックラウンドを出てから一言もしゃべっていない名無しの少年は彼らに応じる事もせず、興味もないと歩き出し。
使者達もそれをわかっていたのか、それ以上は何も言わず。
それよりも、彼と行動を共にしているアズキと茶歩丸に気がついて。
「はじめまして。失礼かとは存じますが、貴女は?
無メイの乖離の奥方様でしょうか?」
「お、オクガタサマって!?
ち、違うっすよ!!
ただ・・・その・・・、なんとなく着いていってるだけっす」
突然の関係を交えた問い合わせに、不意打ちだったのか顔を赤面させて動揺してしまうアズキ。
おいおい満更じゃないのかよと呆れつつ、隣の茶歩丸が説明する。
「露骨に動揺しすぎだっつーの。
俺たちゃホント、ただコイツについて来てるだけだぜ」
「ほほう、言葉を話す狸とはこれまた珍しい」
またも人前でうっかり人間の言葉を喋ってしまった茶歩丸。
興味深そうに見つめてくるヴェイグと名乗った男の前で、
冷や汗を流しながらしばらく考えた後、彼が出した突破口は。
「・・・実はあたしの腹話術っすタヌー」
「それあたしの真似のつもり?」
「はっはっはっは! ご安心下さい。
これでもあらゆる事を経験させていただいております。
言葉をしゃべる狸は初めてではありますが、そういう事もあるでしょう」
なんだか無駄に話がわかる人で今は助かった。
さて、ただついて来ているだけという、いかにも怪しい一人と一匹。
彼ら、名づけるなら『おもてなし部隊』の目的がそこの名無しの少年であるならば、そんな一人と一匹を相手にする必要はないのだが。
意外な事に団長のヴェイグは優雅に一礼して。
「では、お連れ様もなにかご用がございましたらお申し付け下さいませ。
我々は後方で待機しております、ご用の際はなんらかの合図をお送りください」
バカみたいに丁寧な物腰でアズキと茶歩丸にも申し出て。
それから彼らは馬には乗りなおさずに、徒歩で遠くからそれに付いてくる形となった。
あらかじめ予定されていた行動なのだろうと、出会いの出来事を思い起こしつつ。
アズキは、もらった干し肉にかぶりつきながら振り返って。
「ご機嫌取りの接待と監視ってところっすかね、まぁ、向こうもそれを隠すつもりはないようっすけど」
後ろをついてくるおもてなし部隊の元に早馬が現れては、なにかやりとりをして去って行くを繰り返しており。
かなりの頻度で、無メイの乖離と恐れられる彼の位置や情報を中央政府に届けているのだろう。
もうひとつ気になる事もあると、茶歩丸は。
「急造の接待部隊ってわけじゃなさそうだな」
おもてなし部隊がここまで到着するのが随分早い事や、いま口にしている干し肉の用意にしても、一朝一夕で終わるものではなく、かなり以前からこの日のために用意されていたものだろう。
貴賓用にしては地味な馬車は、派手さを好まない彼の趣向を汲んだもので、プライドの高い貴族連中にみせたら鼻で笑われる事を考えると他に利用価値はない。
いつやってくるかもわからない、たった一人の少年のためにあらゆる用意をしていた。
彼らは無メイの乖離専用の接待チームと推察できる。
「とんでもない待遇っすねぇ」
他国の王様や英雄にするのとはまた違うリンクス連邦の対応に、隣を歩くこの名無しの少年がいかに特別な存在か推し計れる。
だとするといったい何をすればこうもなるのだろう?
興味で動くアズキの性格上、気になって仕方がなく。
「チャポ、あたしはちょっとあっちに行って来るっす」
「へいへい、そう言うと思ってたよ。一応気ぃつけてな」
「了解っす」
それから、隣の彼のほうへ向き。
「あたし少し離れるっすけど。
勝手にどこかへ行かないでほしいっす」
「・・・・・・・・・」
その無言が肯定なのか否定なのかわからないが、とりあえず伝えておきたかったアズキ。
歩みを止め、パッと腕をあげて後方の馬車に合図をすると。
おもてなし部隊の一人、若い風貌の男が即座に駆け寄り。
「どうかいたしましたか?」
「実はちょっとあたし疲れちゃって、そこの馬車で休ませてほしいっすけど、いいっすか?」
「もちろんでございます!」
彼らが監視する対象ではないが、随伴者であるアズキに無礼はしない。
馬車は少し速度を上げやってきて、アズキの前でピタリと止まる。
馬車を操る者の技量に感心しているところで、さきほどヴェイグと名乗ったおもてなし部隊の団長が馬車の扉をあけ。
「どうぞ、―」
「あ、名乗り遅れたっす、あたしはアズキ」
「ありがとうございます、どうぞアズキ様」
「様はやめてっす」
「かしこまりました、では、アズキ殿」
改めて案内された馬車の中はとても広く。
豪華な装飾などは一切施されないながらも、素材に拘った一級品である事が伺える。
馬車の車輪周りも特殊な構造を施してあるのか、大勢の行軍で荒れた道でも揺れを大きく感じはしない。
「うっひゃぁ! こりゃまたお金かけた馬車っすねぇ」
「ええ、我が国の技術の粋を集めて作り上げた最新型の馬車でございます」
調度品などはまったくと言っていいほど無い反面、機能性だけを追及した馬車は。
設置された座席もこれまた地味ながら一級品で、腰掛けばフワッと包みこむ感触が心地良い。
ヴェイグも一緒に馬車に入って、まずは石造りの保冷ケースからボトルを取り出し。
「オレンジジュースで宜しかったでしょうか?」
「ありがとうっす。いやぁ、至れり尽くせりっすね」
「いいえ、長年続いていた戦争を終わらせた英雄。
無メイの乖離の功績を考えれば足りぬくらいでしょう」
トクトクとグラスに綺麗な橙色のジュースを注ぐヴェイグ団長。
その彼に、アズキはあっけらかんと。
「ところで聞きたいんっすけど。
あいつ、何をやったんすか?」
「えぇ!?」
予想だにしなかった言葉に慌ててボトルを落としそうになったヴェイグだが、
そこはプロフェッショナル、何とか持ち直し。
グラスに注いだドリンクをアズキの前に出しだすも、表情は狼狽したままだ。
「む・・・無メイの乖離の事をご存知ないなど、ご冗談を」
「いやぁ、実はあたし、ちょっと前にこの国に来たばかりで何にも知らないんっすよ」
「・・・ほう、異国の方でしたか」
「ここからずっと東にある、小さな国っす」
「なるほど」
ヴェイグの態度が少し変化した。
さきほどまでは彼女が無メイの乖離とどんな関係か探っている様子はあったが。
今では疑いの眼差しが強く宿っている。
失礼しますとアズキの向かいの席に腰掛け。
「では、ご説明させて頂きます」
少し探りを入れる気配を出しながらも、ヴェイグは語り始める。
「始まりは今から5年程前と言われています。
戦乱の中にあった大陸の片隅で、ある噂が流れ始めました。
”その少年の傭兵が参戦した戦争は、必ず勝利する”というものでした。
戦争においてこのような士気高揚プロパガンダは珍しくもありません。
最初は誰しも話半分で聞いて居たことでしょう。
ですがそれが何十回と続けば、信憑性は増します。
これが、無メイの乖離の始まりと言われております」
御伽噺みたいな始まり方だなと思うアズキ。
いや違う、まるで御伽噺のようだと言うべきか。
「共に戦った傭兵達は、その少年の何人も寄せ付けない圧倒的な強さを恐れました。
たった一人で何十、何百、何千の敵を薙ぎ払う一騎当千の戦士。
彼の有無が戦争の勝敗を左右するとなれば、傭兵達は契約を交わす前にまずその少年がどの陣営に所属しているのかを確認し。
味方ならばどんな条件でも契約し、敵となるならば強国であろうと縁を切ってしまう。
この異常事態を察した各国が調査を開始し、無メイの乖離は認知され始めました」
「へぇ~、傭兵達からすれば、たまったもんじゃなかったっすね」
「その通りです。全ての傭兵達が雇い主を選べる立場ではありません。
信頼される管理運営された傭兵団ならば治安維持やキャラバン隊の護衛などの職はありましたが。
ゴロツキ崩れの個人の傭兵達は食い扶持を失って路頭に迷い、野盗に堕ちた者も、珍しくありませんでしたね」
所詮この世は競争世界。
優秀な者が必要とされ、無能な者が淘汰される。
それは自然の摂理だが、彼の存在はあまりにも不自然だった、だが本題にはまだ早く。
「しかしこの頃はまだ傭兵達の中で語られる程度で、世間一般にはまったく広まっていませんでした。
各国の軍も、臆病者の傭兵達が逃げ出す口実だ、程度にしか思っていなかったようです」
「そりゃそうっすよね。国が与太話に振り回されるわけにはいかないっすから」
「ですが、その名前に価値を見出しはじめた国も少しづつ現れ。
彼が居れば自国に戦力を集めやすくなる。
野心的な考えで接触し、臣下になるように持ちかける者も現れ始めたのですが」
「けれど、アイツはどこにも所属しなかった」
「そうです。そして契約を申し出た国は、自分たちの面子を潰されたと憤慨しました。
当時は戦時中であり、兵士の社会的地位は高いものでしたから。
傭兵風情を取り立ててやろうとしたのに、断るなどとは何事か。
特に大金を用意し、貴族が直接出向いてまでの勧誘にも関わらず、話すら聞いてもらえぬ時は、高いプライドを持つ豪族は大層怒り狂い。
兵士を差し向けるも返り討ちに。
それを繰り返す事で皮肉にも、それが彼の実力が知れ渡るきっかけになりました。
そんなある日の事です。
大陸の北半分を占有する大国、聖ルーンネイト公国の第三王子が彼を配下にしようとし、
やはり相手にされませんでした」
聖ルーンネイト公国と名を聞いて、先日見させてもらった地図を思い浮かべる。
この辺りの地方の北半分を掌中に収める大国。
それも第三王子となれば小国の王など比にもならぬ立場のはずだ。
ルーンネイト公国の内情は知らなくてもそれぐらいはわかり、
そんな立場の人間の誘いを他の連中と同じように断ったとなれば、事が穏便に済む筈がない。
「たかが傭兵風情が王族の顔に泥を塗った。
第三王子はルーンネイト公国の私兵1000人を出兵。
たった一人の少年の傭兵を相手に異例の数の兵力であったため、当時は負けるなど露とも思わず。
過剰な戦力は、・・・まぁ、一種のデモンストレーションのようなものだったようですね」
「王族に逆らう者への見せしめっすか。で、どうなったんすか?」
「1時間も保たず全滅です」
まぁそうでしょうねと、全滅という言葉には驚かない。
それよりも気になったのは、アズキが知る兵法の基礎との違いだった。
「全滅って・・・。その第三王子は撤退しなかったんすか?」
どんな愚か者でも兵を扱う以上はそれなりに心得ておかなければならない事がある。
兵法の基本として、全体戦力の2割を失った時点で撤退を選ぶもの。
ましてや戦時中の、それも強国の第三王子にしては”全滅”という結果はあまりにもお粗末だ。
「第三王子は自分が玉座に遠い事に焦っていたそうで。
当時は無名の、たかが一人の少年を相手に1000人も使っておきながら負ける。
地位も名誉も失うのは間違い無く。
退くに退けずの討ち死にといったところですね」
「で、部下1000人は巻き添えの人身御供っすか」
王族の我侭で命を落とした兵士達に少し同情するアズキ。
どこの国も支配階級にあるものは変わらないなと。
そしてそんな連中が次に起こす行動も容易に想像がつく。
「第三王子の落命となると、ルーンネイトは平静じゃいられないっすね」
「ええ、第三王子は王位継承には遠かったものの、妃に溺愛されていましたし。
さらにルーンネイト公国は軍神と呼ばれる『ケプクァトル神』を信奉しており。
王族とは即ち、ケプクァトル神の神託を受ける使者として、神に次いだ存在とされています。
王族、そして宗教の信奉者である国民の逆鱗に触れた彼を討伐せんと、ルーンネイトは討伐隊を結成し、同時に国内に点在する小国にも協力を命じ。
手配書も出回り、莫大な懸賞金がかけられました。
確か最初は、金貨100万だったかと」
「え~っと、たしかのこの大陸の相場だと、人生そこそこ遊んで暮らせる額っすね」
「だいたいそのぐらいですね。
もっとも、今現在の状況を考えれば安過ぎると言わざるおえませんが。
懸賞金ほしさに多数の国や傭兵が彼を狙って集い、その尽くが散っていきました。
手柄と名誉を狙って多数の小国が万策を企てようとも全てが無意味。
彼の存在が周知されてから2年。気がつけば、3000人の命と4つの小国が失われたのです」
「また派手っすねぇ」
「ちなみに、今現在は更新を停めておりますが、懸賞金の最高額が金貨10億と王女との婚姻。
ルーンネイト公国直轄の領地と、最高の爵位が与えられるそうです」
もはやそれも形骸化しており。更新を停めた理由が一国程度で支払える価値は遠に超えたからである。
安過ぎる報酬だとポツリと呟くヴェイグの感想は正しい。
結局この地方の半分を占有するルーンネイト公国が総力をあげても、腕の一本も奪えなかった。
たった一人に国家を超越した戦力があるという証明。その次は。
「そこまで来る前に、他の国も放っては置かなかったはずっすね」
「もちろんです。
西のクタナ、南のミンフヘイム、もちろん私達リンクス連邦。
我先にと彼の力を得るか、抹消するか。
今にしてみれば愚かな行為ですが、当時のリンクス連邦大統領は抹消する事を選び。
多額の国費を注ぎ込んで多数の兵力を送り込んだのです。
結果は語るまでもありません。さらに過ぎる事2年間で、合わせて8千の命が失われました」
最初からといえばそうなのだが、つくづく現実離れしすぎだと改めて思うアズキ。
たった一人を相手に、4年で8千人が死んだ?
それも正確な数ではなく、もっと多いかもしれない。
「いつしか戦争でいがみ合っていた各国は、彼を討伐するために連携を取り合うようになり。
コードネーム『無メイの乖離』と共通の名を与え、ついには人種、国籍などを超越した多国籍軍を結成する計画が立ち上がりました。
たった一人を倒すためだけの軍など、おそらく人類史上初だったでしょうね。
それを彼も察していたのでしょう、多国籍軍が完成する頃合を見計らい、無メイの乖離からひとつのメッセージが届けられました。
とても短い文章です。『四カ国が交わる地、ポイント・ゼロにて待つ』と」
「ポイント・ゼロ・・・」
地図で真っ黒に塗りつぶされていた、大国の国境が交差する唯一の地点。
そこで彼が待つ意味は、一つしかない。
「無メイの乖離からの決戦を促す宣告。
多国籍軍にはさらに、各国から選りすぐりの先鋭、新兵器が導入され。
持てる限りの人員と武器が結集した、総勢10万人の史上最大の連合軍が完成しました」
「は~、10万っすか・・・」
超大国同士の正面衝突でもまずお目にかかれないであろう戦力にアズキも感心する。
それほどの人員を動かすとなれば維持費に行軍費、兵達への給料だけで小国なら財政が破綻する。
大国といえど決して軽い負担でない、つまりは彼の討伐にそれほどの価値があるということだ。
彼女の素直な驚きがなぜか嬉しいのか、ヴェイグはここからですと続け。
「たった一人を倒すための軍勢。
実は私もその戦列に加わっておりましてね。
この戦力で負けるはずがない。
これはただの四カ国による共同軍事演習の口実程度に、誰もが思っておりました」
「でも結果は―」
「はい。ポイント・ゼロでの会戦が始まったその日、多国籍軍の兵士1万。
その次の日にまた1万の命が失われ、無メイの乖離に一切の傷を負わせられませんでした」
「2日で2万って・・・」
2万となれば、多国籍軍10万のうち20%。
前述の兵法でいうならば撤退を決めなければいけない被害。
4年で8千人を倒した話の時点で胡散臭い話だというのに。
それですら本気でなかったとでも言うのか?
そんな相手に勝てるはずがない、被害を省みても撤退の頃合だ。
しかしそうはいかない、何せ10万も集めた軍隊、国が傾くほど莫大な資金が費やされている。
これでなにも成果も出せずに逃げ帰るなど。
経済、感情、世間体、あらゆる面で許されずはずがない。
ヴェイグはどこか興奮気味に、その結末を語りだす。
「多国籍軍の攻撃は一週間行われました。
途中、長距離から大砲や矢の集中射撃なども行われましたが全て無駄に終わり。
最終的にはポイント・ゼロでの会戦で、半数にあたる5万の将兵が大地に散りました」
「・・・さすがにもう?」
「撤退を決断した部隊も、早い所では三日目には国へ帰っていましたね。
最初に撤退した国の軍隊こそ臆病者と罵られましたが。
四日目、五日目と日が経つにつれて兵士達の戦意は喪失していき。
やがて、そもそも戦う事が愚かと気づき。
最後まで残ったルーンネイト公国の騎士団による玉砕が残らず駆逐され。
ポイント・ゼロでの戦いは、無メイの乖離の勝利に終わったのです。
この日、四カ国は戦う事の無意味さを思い知らされ、80年も長く続いた戦乱は、ここで終わりました」
それが急激な終戦の意味かとアズキは知った。
聞き終わっても現実感に乏しい話。
自国の人間が彼の存在を信じるのに数年かかったのだ、
異国の旅人がすぐに信じられるはずがない。
しかしアズキは実際その目で見た。
ロックラウンドにて押し寄せるランジベルの兵士達をこともなげに薙ぎ払う、
あの常人離れしたパワーとスピード。
無言になったアズキに、ヴェイグは少し気持ちを落ち着けてから続ける。
「その後、敗北するとは思っていなかった各国は、後の準備ができておらず突然の終戦に大混乱。
私達リンクス連邦はポイント・ゼロでの会戦で大統領を失い。
現在、次期大統領を巡ってボラール大臣とダルマック将軍が争ってはいますが、
まず国を立て直す事を最優先としているため、この1年間大統領の席は不在となっております。
南のミンフヘイムは元々、無メイの乖離と強く関わるつもりは無く、最初に撤退したのもここでした。
外交的な意味で多国籍軍に参加こそしたものの、四カ国の中で最も被害が少なく。
今でもひっそりと領土の森で静かに暮らしているのでしょう。
西のクタナに関しては、彼に戦時中から敵意を剥き出しにしていました。
奴隷制度の要、侵略による奴隷の調達が無メイの乖離によって何度も妨害されたため、なんとしても彼を討ちたかった国のひとつでしたが失敗。
損失した軍事力のスキをついて奴隷達の抵抗運動が活発化。
大規模な改革の兆しに国全体が揺れ動いています。
最も被害が大きかったのは北のルーンネイトですね。
ポイント・ゼロの会戦で王位継承権を持っていた第一王子は落命。
さらに過酷な土地環境を神を崇拝する事で生きながらえてきた国民の中に、
無メイの乖離こそが実は神の使いの生まれ変わり、もしくはそれ自体が降臨したと言い出すものが現れ。
新たな宗教戦争の火種になっているそうです」
そして1年が経つも、突然の終戦にいまだこの地方の混乱は収まらぬというわけか。
無理もない、戦争とは相手に勝ち、略奪するために行うモノである。
80年もの争いの結果が戦力の大半を失っただけで得るものが無いとなれば、
各国の経済状況はガタガタにもなろう。
ヴェイグの話はかなりかいつまんだ話だったようだが、アズキにもとてもわかりやすかった。
「正直、全部を信じる気にはなれないっすけど。
だいたいわかったっす。ありがとうございます」
「いえいえ。・・・それでは、こちらかも聞かせて頂きます」
語り終えたヴェイグの声音が突然、冷たいものに変化する
アズキはやはりと思う。
彼が無メイの乖離の事を話し始めたあたりから、馬車の内外に殺気が立ちこめているのだから。
「貴女の目的は、どのようなものでしょうか?」
「さっきも言った通り、旅の途中に通りかかっただけっすよ」
実際その通りなのでそう答えるしかないのだが、
彼女が無メイの乖離の逸話を信じられないように、ヴェイグもそう簡単に異国の者の言う事を信じるはずがなく。
「貴女と話していて、一定の教養を持っているのはわかりました。
そして私達の殺気を受けても動じぬ所を見ると、そういった訓練もされているのでしょう。
そんな異国の者が偶然に彼と接触をした? 出来すぎでしょう」
「あ~。まいったっすねぇ」
どうやら異国のスパイの嫌疑がかけられているようだ。
当然いえば当然だ。
この地方において無メイの乖離に関しての案件はデリケートで、些細な事も無視できぬ事なのだから。
それはわかっているのだが、ヴェイグを納得させられそうな返事ができそうにない。
良くも悪くもアズキはこの周辺の状況を知らなさ過ぎた。
このまま黙っていても良くはないが、と困るアズキの反応を見て。
ヴェイグはフッと笑い、放っていた殺気を消した。
「・・・失礼いたしました。
貴女が何者であれ、現状我々が危害を加える事はございません」
「ん? どういう意味っすか?」
それは妙な話だ。アズキは異国の、それも放浪者である。
リンクス連邦からすればどこで野たれ死のうが無関係で、むしろ保護する理由がないはずだ。
アズキの問いにヴェイグはそれに答えるべきかしばし考えた後。
「これまで無メイの乖離を己が下に迎えたいと接触を試みた者は何千人とおりますが、その誰もが相手にされる事なく、いつのまにか忽然と姿を消されているそうです。
見たところ、貴女は契約なども何も無く、しかし丸一日以上彼と行動を共にしている。
はじめてなんですよ。それほどまでに長く、彼が一緒に歩いている者など」
「そうなんっすか? あいつと会って、そろそろ3日になるっすけど」
「それはまた・・・、観測している範囲では新記録ですね」
無メイの乖離が拒絶をしない女、それだけでどれほどの価値があるのか。
そうは言われても、アズキに思いあたるフシはない。
ただ空腹でさまよっているところ、食事を恵んでもらってから勝手に付いて行っているだけだ。
その辺りが不明だが、とりあえずさきほど向けられた殺気でよくわかった事がある。
「あいつと一緒に行動してるあたしの立場、よくわかったっすよ」
「ええ、お気をつけ下さい。今後の場合によっては、
貴女は女王陛下となるかも知れません」
冗談はよしてくれ、と言おうとして止めたアズキ。
長き戦乱をたった一人で終わらせ、10万の軍隊を圧倒した男。
その彼の寵愛を受けた女がいるとすれば、世界一の発言力をもつ者となるのは自然。
恋愛感情はさておき、彼がどうしてアズキの随伴を許しているのかはわからないが、おそらく今は聞いても答えてはくれないだろう。
とりあえずヴェイグとの会話で知りたかった彼の話を聞く事ができた。
女王候補などと余計な話は知りたくなかったが、知らずに命を狙われるよりはマシか。
そんな事を考えながら馬車から降りようとして、そういえばとアズキは振り返り。
「あ、さすがに一週間で5万人は盛りすぎじゃないっすか?
人間お手々は2本しかないっすよ」
いくら無メイの乖離が強いとはいえ、わずかな期間で5万人を倒す事はムリだろう。
多国籍軍10万人の大敗を誤魔化すためとはいえ数字の捏造はどうかと思う、とアズキは冗談混じりに告げてみるが。
ヴェイグは少しの笑みも浮かべずに。
「光を放つのですよ、あの方は」
「・・・光?」
「たった一度の輝きで何千もの兵を覆い尽くし。
山を破壊し、湖を干上がらせ、光の晴れた後には何も残さない。
”無命の光”です」
それ以外は何も語らず、頭をさげてアズキを見送るヴェイグ。
釈然としない顔で、先を歩く1人と1匹を早足で追いながらアズキは考える。
(女王ね・・・、そんなものは微塵も興味もないんだけど)
あの閉塞した故郷の環境から抜け出したくて抜け忍になったアズキが求めるのは自由奔放な今のような生活だ。
組織や国家に属さずに、好きな場所を好きなように歩いて。
そしていつか、自分を大切にしてくれる男性が居たのなら、その人と一生を添い遂げられればいい。
(・・・姿を消すべきなんだろうな)
あの名無しの少年の傍は危険だ、もう関わらないほうがいい。
あれから茶歩丸にも何度も言われている事だ。
あんな目立つ存在と一緒に居れば、
自分の命と腰から下げる宝刀を狙った忍軍の追っ手にもいずれ見つかるだろう。
いや、もう見つかっているかもしれない。
自由がほしくて抜け忍になったのだったら、もう去るべきなのだ。
わかっている、わかっているのに―。
「・・・・・・・・・」
アズキが近づいてくる音を聞いて、ちらりと振りかえる名無しの少年。
外套の奥にある瞳と一瞬だけ眼があって、すぐにはずされてしまった。
その背中があの時の、ロックラウンドを去ろうとした彼の姿とダブってみえる。
人々に恐れられ、拒絶されたあの寂しそうな背中。
そして少女に礼を言われた時の、柔らかく儚い微笑み。
それを思い浮かべてしまうと。
「・・・もうちょっとだけ、一緒にいてもいいよね?」
彼の下から去ろうだなんて、とても思えなかった。
結局、次の町までは着いて行こうと自分に甘く言い聞かせて。
名無しの少年の隣を再び歩き始める。
街道の分かれ道に看板を見つけた。
名無しの少年は迷う事無く、軍隊が通って荒れた道を進む。
看板が示したその先には、『ランジベル』という街がある。




