4話
「うるさいわねアナタ。せっかくの主演舞台に水を差さないでくださらない?」
叫んだせいで魔王に目を付けられてしまった。
むべなるかな。この水を打ったように静まりかえり、遠くで街が焼け落ちる音しか聞こえない静寂の中、おもむろに叫び始めたら注目を集めるに決まってるのである。
魔王マナフが僕に近付いてくる。
その歩調は非常にゆっくりしたものだった。
今から回れ右してダッシュすれば余裕で置き去りにできるだろう。
しかし――そんな程度で逃げ切れるとは、とても思えない。
ファンタジーRPGにおけるボスはだいたいステータスがやばい。
彼女らはたった一人で時には勇者12人とかを同時に相手取るのだ。それ相応の能力があると相場が決まっているのである。
だから僕はあきらめて、魔王が寄ってくるのを待ち受けた。
逃げる無為を悟ったというだけではない。
魔王というのは、驚異的な存在である。
たかがモンスターとは一線を画するのであろうことは、観衆の中にいる武装した人々が、先ほどからピクリとも動けずに固まっていることからもわかる。
鎧や剣では話にならない。
兵器があっても戦いたくない。
そういう存在が、魔王と呼ばれる人型の災害なのだ。
もちろん僕は冒険者でもなんでもなく、元いた世界で武術を修めているなんていうこともありえようはずがなく、強いて言うなら職業も不定であるところのただの人だ。
魔王に勝てるはずがない。
だから、僕は僕に対し、こう思うのだ――お前、もっと怖がれよ、と。
怖がりたい。
しかし――ここからシリアスなシーンを展開するのが無理であることを、僕は悟ってしまっていたのである。
だって。
整地するためのアイコンが魔王にぴったり重なっているのだ……!
なんていう空気ブレイカー。
あ、整地します? いつでも平らにできますよ?
均す? ねえ均す?
あのアイコンが全力で、そんな提案をしてくるのだ。
雰囲気を読まずにピカピカと青白い光を放つアレのせいで、僕は悲しんだり絶望したり恐怖したりするよりも、笑いをこらえるのに大変なのである。
「あら、どうしたのいきなり黙っちゃって。もっと元気に逃げたり怯えたりしなさいよ」
魔王がついに正面まで来た。
アイコンは『いつでもいけます』とばかりにピカピカ明滅している。
……どうしよう。
街を滅ぼしての登場。
『どうしたのいきなり黙っちゃって。もっと元気に(以下略』とかいう、自分が上位と信じて疑わない発言。
にもかかわらず――消滅までワンクリックというのは、あんまりにも、あんまりだ。
「つまんないわねえ、人間。レスポンスのない観客とか、あたしの舞台にはいらないんだけど」
僕があんまりにも黙っているもので、魔王マナフは苛立ったようだ。
このままだと彼女があまりにも痛々しい。
かと言ってひと思いに整地してあげることにも、抵抗がある。
没コミュニケーションな魔獣ならともかく、彼女とは会話ができる。
そういった相手を整地してしまうことについて何とも思わないほど、僕は冷めてはいないのだ。
いや、他にどうするかというのは、今まさに考え中なわけなのだけれど。
方策を思いつく前に、とりあえず彼女がこれ以上恥をかかなくて済むように助言など試みる。
「あの、一つ、アドバイスがあるんだけど……」
「何かしら? 人間の分際であたしにアドバイス? 面白いわね」
「それそれ。そういう……強そうな発言は、やめた方がいいと思うんだ」
「へえ、どうして?」
「負けた時恥ずかしいから」
ザワッ……!
……なぜだろう、周囲が一気にざわめきはじめた。
魔王マナフに至っては、こちらを見下すような視線を僕へ向けて――彼女の身長は僕より低いけれど――妖艶に舌なめずりをする。
紅潮した頬は、まるで探していたお宝に巡り会ったコレクターのようだ。
「面白いじゃない人間。アナタ、そんなに強そうには見えないけど、あたしに勝てるとでも?」
「いやあ、その、勝負にすらならないと思うというか」
「言うわねえ……そこまで言うからには、勝算があるのね? あたしを満足させるほどの強さを、あなたは見せてくれるのかしら?」
「戦うのが好きで言ってるんだったら、満足はできないと思う……戦いにすらならないから」
ドヨドヨドヨ……
周囲がどよめき始めた。
……なんだろう、雰囲気がおかしい。
僕は何も嘘を言っていないのに、なんだか周囲から『あいつ何言ってんだ』みたいな視線を向けられている気がする。
魔王マナフなんて、ますます楽しげに、興奮した様子でいるし。
真摯な提案のつもりが悲しいすれ違いをしている感じだ。
「このあたしを、戦いにもならないほど一瞬で倒せるとでも言うのかしら?」
魔王マナフが聞いてきた。
だから僕は、素直に答える。
「まあ、そうだね」
周囲が静かにヒートアップしていくのがわかった。
僕は困り果てるばかりである。
まあ、なんだ、その、たぶんこの異常事態は僕がもっと違った表現をすれば避けられたような気がしないでもないのだけれど、他に言いようが思いつかなかったので致し方ない。
不本意にも目立ってしまっている。
まずいなあ、苦手なんだよなあ、注目されるの。
誰か僕より目立ってくれそうな人材が、このシーンに割りこんでくれないものかと願う。
その願いが通じたのか――
「待てぃ!」
と、僕と魔王の間に割って入るように、鎧姿の小さな少女が現れた。
重そうな剣に、こめかみの当たりからそれぞれ生えた角。腰あたりからのぞく爬虫類めいた太い尻尾などの特徴――
まさしく住民の避難誘導に行ってもらっていた、レヴィアの帰還だった。
彼女が割りこんだお陰で、魔王マナフとの距離ができている。
レヴィアは大きな剣を魔王に突きつけるようにしながら、叫んだ。
「お前! それ以上この、ええと、なんだ、その……ご、ご、ご、ご……ご主人様……に手を出すと許さんぞ!」
すさまじい剣幕である。
ご主人様、のところだけやたらと声が小さかったが、それをふまえても、充分に気迫のこもった一喝だった。
魔王マナフは突如割りこんだレヴィアを見て、妖艶に笑う。
「……なるほど、仲間に竜人族がいるからこその自信だったっていうわけね」
それは不可解な現象に答えを見つけた、安堵の響きを伴う声だった。
竜人族ってそこまですごいの? と視線で問いかける。
レヴィアは胸を張って答えた。
「ふふん、聞いて驚くがいい。我が竜人族は、その頑強さ、その勇壮さ、その力強さにおいて比類なしと呼ばれる種族であるぞ! この世界ができた時、人間の守護者として神が創りたもうた種族の二つのうち一つ、ドラゴンこそが我が始祖である! つまり、竜人族は誇り高く、格式高く、そして強いのだ! 魔王など、我が前では恐るるに足らず!」
見事な名乗りである。
ただ、先ほど、彼女が僕を『ご主人様』と呼ぶに至った経緯を思うと……
……見事な名乗りというか、堂に入った敗北フラグ建てだという感想の方が先に来てしまう。
魔王マナフが肩をすくめる。
「あーはいはい。強い強い。……何よもう、ムカつくお子様ね。これだから竜は嫌いなのよ。上から目線っていうか、自分だけが強いみたいな。アンタ友達いないでしょ」
「う、う、う、うるさいな! そんなの今、関係なかろう!?」
大声で話を逸らそうとするレヴィアであった。
……が、レヴィアに友達いなさそうだなというのは、僕も思わないでもなかった。
だって彼女は一人だったし。
もし友達作りの能力があれば、そのようなことにはならなかっただろう。
そう思うと、彼女のことが愛おしく思えてくる。
「おいご主人様! なぜ優しい視線を向ける!」
レヴィアに怒られてしまった。
魔王マナフが肩をすくめる。
「ま、とにかく? 竜人族のお子様を倒せば、障害はなくなるわけね? ――いいわ。演目の前に迷惑なオーディエンスにご退場願うのも、主演女優の腕の見せ所よね」
魔王から発散される重圧が増す。
レヴィアが巨大な剣を構え直す。
「おい、ご主人様、やっていいな?」
一応という調子での確認だった。
本人はとっくにやる気なのが雰囲気だけでもわかる。
その場のノリで決まっただけ感があるとはいえ、一応主人である僕の顔を立てるための問いかけだろう。
義理堅い少女だ。
ただ、僕は別に義理堅くない。
「やらなくていいよ」
「なぜだ!?」
いや、だってさ。
無理に強敵に挑んでケガすることないじゃん。
僕は『熱いバトル』とか『しのぎを削る戦い』みたいなものを否定するつもりはない。
漫画をはじめ、様々な物語でそういったものを堪能する時だって、人並にはある。
むしろ、ここからバトルをするのはファンタジーRPG的に正しいだろうとさえ感じるのだ。
でも、僕がやるつもりなのは都市開発系のゲームである。
バトルはいらない。
「僕がやるから、さがってて」
そう言って前に出る。
レヴィアは不満そうにしながらも、下がってくれた。
対照的に、楽しむような顔になったのはマナフだ。
「あらあら、いいのかしら? アナタ、悪いけどそこの竜人族よりだいぶ弱そうに見えるわよ」
その観察眼は正しい。
たぶん、僕はこの世界の基準に照らし合わせれば相当弱い。
サイクロプスを倒した時のレヴィアの発言から、この世界はレベル制だとわかっている。
僕の強さをレベルに直せば、一を下回るだろう。
剣術も魔法もわからないのだ。
だから、僕をいつでも殺せる雑魚風に扱う魔王に非はない。
彼女の観察眼は正しい。
その上で、強いて言うのならば――
システムが違う。
ただそれだけが、魔王の不運だった。
まあ、不運なだけで整地されるというのもかわいそうというか、僕の側にコミュニケーションをとれる生命体を消去するだけの覚悟がない。
なので、ここは――先ほどから考えて、今思いついた方策を試そう。
「どういう手段を見せてくれるのかしら? ……楽しみだわ。魔法? 剣術? それとも弓や隠密術だったりするのかしら?」
「いいや、どれでもない。僕が見せるのは――建築だ」
僕は、魔王マナフの周囲に建築を開始した。
建築――それは、カーソルの合った位置に、資材を消費して建物を建てる行為である。
先ほど、道路や橋を造った手法である。
建造するのは牢獄だ。
ただし、まっとうな意味での牢獄ではない。
僕が建造できる建物の中には『留置場』というものもあるが、それに人を収容するには手続きが必要だったはずなので、突発的に拘束する必要がある今回、建てるべきはそれではないだろう。
住居だ。
住居を四つ、マナフの周囲を取り囲むように建てる。
魔王の上部には、道路を置いた。
これで、牢獄~住居仕立て。そっと道路を添えて~の完成だった。
「ちょっと何よコレ!? こんな壁、あたしの前には――って壊れない!? なんで!? 転移もできないじゃない!? どうなってんのよ!?」
姿を完全に覆い隠されたマナフが叫ぶ。
……壊れないのか。
これは、思ってもみなかった成功と言えるだろう。
壊されることを予想し、壊れた瞬間にまた増築しようと思っていた。
幸いにも、資材は大量にあるのだ。
そして建築は一瞬でできる。
だから、何度も何度も何度も、資材が尽きるか魔王があきらめるかの勝負を強いられるものと、覚悟をしていたぐらいだったのだけれど。
手間がかからない結果になって本当によかった。
ひょっとしたら、僕の建てた建物は、僕が整地する以外に破壊できないのかもしれない。
あともう一つ。
転移ができないというのは、正直あまり考えていなかったことだったけれど。
これにもなんとなく理屈をつけられないことはない。
転移というのは、おそらくこの世界の魔法だ。
僕の建てたものは、この世界のルールとは違うルールに基づいている。
だから、この世界の魔法では『通り抜ける』などの行為ができないのだろう。
しばらく、魔王マナフは抵抗していた。
しかし――ほどなくして、爆発音や打撃音が聞こえなくなる。
さらにしばらくすると。
「出してぇ……出してよぉ……もう封印は嫌……くらいところやだぁ……」
などという、何とも情けない声が聞こえてきた。
レヴィアが言う。
「……建築とは恐ろしいものなのだな」
ゾッとしたような声だった。
こうして僕は、建築という力の持つ無限の可能性、その一端を示す事ができた。
建造物の前には魔王さえ無力である。
魔王のすすり泣きを聞きながら、僕は空を見た。
そして思う。
ああ、なんて――
なんて虚しく、後味の悪い勝利なんだ。