3話
「とりあえずサイクロプス討伐をギルドに報告しなくてはいけないのですご主人様。だが、実質的に倒したのはご主人様ですので、ご主人様が平らにした道を通り、一緒に来てくださいませんかご主人様」
そんなようなことを言われて、今度こそ彼女と街に行くことになった。
やけくそさを感じさせる口調である。
もう『ご主人様』が語尾みたくなってるじゃねーか。
「あの本当……無理しなくっていいんだけど」
「無理などしていない。竜人族は無理などしない」
これ以上会話をしても、譲歩を引き出せそうもなかった。
羞恥に打ち震え屈辱を噛みしめながら無理をして従順っぽく振る舞っているレヴィアを伴い、僕らは街を目指すことにした。
「街はここから、割合近い場所にあるぞご主人様。二時間ほど歩けば着くぞご主人様」
いや、徒歩二時間は近くねーよ。
と、思うのは僕の、つまり現代人の感覚であり、レヴィアなどのこの世界の人にとっては『徒歩二時間』というのは遠くもなんともないのかもしれない。
この世界の人。
僕は未だに、この世界がどんなところか、想像を巡らせられないでいる。
だが、その疑問も街に入れば解決するだろう。
街には様々な人が生活をしているはずだ。
旅行でもなんでもそうだが、現地の人の生活から、その世界観を推し量るのはそう難しいことではないだろう。
まあ、レヴィアがモンスター退治、しかも結構な強敵を相手にするのに、装備していたのが剣と鎧という時点で、そこまでの文明レベルは期待できない。
せいぜい中世か、もっと昔かだろう。
それにしたって――
「そういえば、なんで強敵っぽい魔物に挑むのに、一人きりだったの?」
数は力だ。
当たり前の話である。
一人よりも二人、二人よりも三人。強敵に挑むのであれば、文明レベルがどうあれ集団を構成したいと思うのは、人の常ではないのだろうか。
レヴィアはただの一人だった。
仲間が潜んでいた様子も、洞窟内にいた様子も、ない。
今こうして、僕と二人きりで街を目指しているのが、何よりの証拠だろう。
ちらりと見れば、レヴィアは視線を泳がせていた。
わかりやすい。
何かを隠している――と、それは言葉で言うよりもよほど雄弁な表現力で僕に伝えてきた。
「いや、その」
たっぷり十秒ほど口ごもった後、レヴィアが言いにくそうに口を開く。
「……竜人族だからな!」
……理由になるのか、それ。
便利だなあ、竜人族。
この先どのような疑問や不可解を他者に感じさせることがあろうとも、彼女は『竜人族なら仕方ないな!』と押し切っていくのだろうか。
ここまで来るともう、竜人族というものの正式な定義が気になってくる展開である。
まあ、それも、街にたどり着いてからでいいだろう。
街には様々な人種だって、いるはずなのだ。少なくともレヴィアがサイクロプス討伐を受けたギルドぐらいはあるはずで、そこには竜人族だけではなく、様々な種族がいるというのは想像に難くない。
まあ、この世界にどのぐらいの人種がいるかはわからないので、人間と竜人族だけしかいないというような展開だって、考えられるのだけれど。
その後、一時間ほど無言で歩いた。
僕が没コミュニケーションというのもあるが、無言の理由は主にレヴィアにある。
かわいそうなのだ。
彼女は僕にしてしまった約束を心底後悔しているようだった。
それでもプライドのせいで撤回してとは言えないらしい。
まあ、この世界に放り出された僕としては案内役が欲しいところだったので、レヴィアの存在はありがたいのだけれど、街に着いて今後の方針が固まったら、早めに解放してあげたい気持ちでもあった。
そんなわけで、何を話しかけても痛々しいという状態のレヴィアと並んで歩く。
しばしして――街が、見えてきた。
見えてきたと、思う。
それは一見して、水に浮かぶ巨大な亀を思わせる建造物だった。
街一つを『建造物』と表現してしまうことに対し違和感を覚えないでもないけれど、城壁でぐるりと囲まれた街はそれ自体が一つの要塞めいている。
城壁はドーム状になっており、もちろん、完全に上部をふさいではいないのだけれど、かなり上の方まで街をカバーしていた。
そんなものが堀の中にあるのだ。
どうにも跳ね橋が見えるのでそこから出入りできるのだろうが、あれを上げてしまえば、完全に要塞と化すだろうことが想像できる。
「あそこは人間族の大都市の一つだな」
それまで無言だったレヴィアが口を開く。
僕としては彼女にあまり触れないことで気まずさを緩和していたのだけれど、彼女の方は無言という状況に気まずさを覚えていたのかもしれない。
街が視界に入った途端に『ネタができた!』とばかりに、嬉しげな顔さえして突然話を始めた。
「入口は東西南北に一つずつ、計四つだ。百年前、魔王がいた時代に造られたもので、門さえ閉じれば、魔獣の軍勢の侵攻に耐えうるような、頑強な造りとなっている。内部では食料の自給自足が可能で、三ヶ月は籠城できる計算のようだな」
「ずいぶんと堅牢なんだね」
「そうだな! ちょっとやそっとでは攻め落とされないような、そういう場所だ。もっとも、今は戦争もないし、魔獣も時折ダンジョンからわき出る程度でしかないので、そういった堅牢さを見る機会はあまりないが」
ちょっと話に乗っかったら、すごく嬉しそうに反応された。
どうやら彼女は彼女で、沈黙に気まずさを覚えていたという予測は、当たっていたようだ。
悪いことをした。
で、悪いことついでに、ちょっと質問が浮かんだんだけれど。
「なあ、街から煙が上がってない?」
煙というのは少々遠慮した表現かもしれない。
火柱が時折見えるので、『火の手が上がってない?』とか『中で燻製でも作ってるの?』という聞き方の方が、いくらも実情を表わすだろう。
すっげえモクモクしてる。
街はドーム状の城壁に囲まれている。
あの構造だと、火の手があがったらさぞかしよく燻されそうだった。
レヴィアが街に眼をこらす。
「……おかしいな。たしかに火の手には弱いであろうとは思ったが、そうそう大規模な火災が起こるような治安の悪い場所ではなかったはずだが。街は衛兵が見回っているし、火を扱うにしても個人宅ではまずしない。料理なども日に三度、所定の場所に近隣住民全員で集まって行なうほどの注意ぶりなのだ。燃えるというのは、まず考えにくいのだが」
「でも実際、煙は出てるっていうか――ほら、見てよ。跳ね橋のところに人が集まってる。必死に外に出ようとしてるよ」
「……ふむ」
レヴィアが考えこむようにうつむいた。
そして、不意に顔を上げて。
「大事件ではないか!?」
「そのようだね」
しかも、堅牢な造りが災いして、街から外に出る人たちの流れが妨げられている。
跳ね橋からあふれた人たちは、深い堀へと飛び込んでいるようだ――が、あの高さから落ちて、死なないまでも無傷で済むとは思えない。
僕は冷静に観察して、うなずく。
「……大事件だ」
「ぼんやりしている場合か! ひ、避難を手伝わねば! それとも、私たちも逃げるか!?」
逃げる。
まあ、現実的な選択肢だろうけれど――
「いや、どうにかしてみよう」
「どのようにして!? それともご主人様は、雨でも降らせることができるのか!?」
「それは無理だけれど……」
いや、資材さえあれば不可能とは言わないが。
今は無理だ。
今、できることと言えば――
「城壁を崩して、大きな橋をかける」
土、木、石、砂などは大量に取得した。
山一つぶんある。
となれば――堀を埋めることも、新たに橋をかけることも、できるだろう。
城壁を崩すというのは、後から色々言われそうな気もするのだが。
人命優先だ。
「僕が今から、跳ね橋の横に新しい橋を作るから、レヴィアはみんなに新しい橋を渡るよう呼びかけてくれ」
「わかった!」
二つ返事でレヴィアが走って行く。
僕は、意識を集中した。
まずは城壁を整地――っと、危ない。橋が先だ。
今、城壁の内部には避難待ちの人々がひしめいていると思われる。
そこでいきなり城壁を取り払ってしまったら、そこからお堀にダイブする人が続出してしまうことだろう。
そうなれば阪神優勝時の道頓堀である。
死者が出るかもしれない。
死者と言えば――すでにお堀に落ちた人たちの救出だって、急務だろう。
よくよく注意してみれば、現在気温は高くはない。寒いと体を震わせるほどではないものの、水温は低いだろう。
また、ケガをした人だって、少なからずいるはずだ。
ということで――やることは三つだ。
一、お堀に落ちた人たちのために浮島……という用途で道路を設置する。
二、お堀に橋をかける。
三、城壁を整地して、中の人を出す。
合計五秒もあればできるだろうか。
それぞれの作業は一瞬だけれど、多くの建物を造るのには、一回一回クリックというか、念じる必要があるのだ。
短い時間だが、一刻一秒が人の生死を分けるかもしれない。
思考は終わり、穴はない。
ならば、実行に移そうか。
お堀に道路をいくつか浮かべる。
人をつぶさないように気をつけて配置する。
その途中で、『水の上に道路ってきちんと浮かぶのか?』という疑問がわいた。
しかし、結果として、疑問はただの杞憂だったことを知る。
石と土をいくらか消費し、道路はきちんと水上に設置される。
僕が設置する建築オブジェクトは、細かい物理現象に左右されないようだ。
普通、水の上に道路を置いたら、沈む。
そういった気遣いは必要ないらしく、道路は沈みも漂いもしないで、僕が設置した位置にそのまま固定されていた。
これで浮島は問題ないだろう。
次は、橋だ。
これにも、問題なく、成功する。
石、木という素材を消費。
バシッと叩きつけるような音がして、城壁の空いていない部分に橋がかかる。
あとは、城壁を整地するだけだ。
意識を集中し、城壁に狙いを定める。
が、ここでもわかったことが一つ。
僕には細かい作業ができないらしい。
というのも、『城壁を崩そう』と思ったら、『城壁の任意の一部分』だけではなく、『城壁全部』を整地するしか、できないようなのだ。
すでに設置されている建築オブジェクトの一部を消したり消さなかったりはできない。
……仕方ない。逆に考えれば『オブジェクト全体が自動ロックオンされる』ということは、『オブジェクトの周辺を巻きこまずに済む』ということだ。
人でひしめきあっているはずの城壁を整地するのに、人を巻きこむ心配がないというように考え方を変えよう。
が、その事前準備として、僕は、城壁を囲むお堀をまんべんなくふさぐようにして、橋を造る。
これでどこから人があふれても大丈夫のはずだ。
準備を万全にしたうえで。
僕は――城壁を整地した。
ジュ、という音を立てて、城壁が消滅する。
すると、中から人があふれ出してきた――予想以上に多くの人が、街の外に出ようとしていたらしい。
混乱よりも、災害から逃れたい恐怖が先立ったのだろう。
街人たちは迷うことなく一目散に脱出を開始した。
命が助かるという事実の前には、『なんで急に城壁が消えたのか』とか『なんで急に堀が埋まっているのか』とかいうのは些細な問題なのだろう。
いや、あとで気にされそうな気はするけど。
その時は――レヴィアに表に立ってもらうか、何もしてないぶって黙っていようと思った。
目立つのは苦手だ。
避難行動は、見ているだけで一段落した。
全員が街の外へと走り、ある程度の距離を空け止まる。
きっと、自分たちが今までいた街の様子が気になったのだろう。
……だが、見てしまった景色はきっと、彼らにさらなる絶望を与えたことだろう。
街は、燃えていた。
なぜこんなことになったのか、この世界に来たばかりの僕にはわかりようはずもない。
けれど――それが一ヶ月や二ヶ月で復興できる程度の被害には、とうてい思えなかった。
誰しもが無念そうな顔をしている。
あるいは、悔しそうな顔をしていた。
泣き出す家族や、膝から崩れ落ちる男性がいた。
予想通り、様々な人種を見ることは叶った。
だが、彼らの生活を見て、この世界の文化レベルを推し量るということは、どうやら無理になってしまったようだった。
何もない。
すべて、炎と灰の中だ。
完全に他人事のはずなのに、僕の心にも途方もない虚無感がのしかかる。
いわんや、この世界の人をや、だ。
誰しもが街を見守る中。
街の炎から躍り出る、黒い影があった。
影は、遠くから見ている僕の視界には、最初、ただよう黒煙のように映った。
目をこらせば、それが女の子であることがわかる。
遠近法を差し引いて見るならば、すらりとした背の高い女性だ。
目を惹くのは、異常に長い髪だろうか――真っ黒なその毛髪は、女性の身長をすら超えて地面にくっついて……というか、影に同化していた。
服装もそうだ。
スリットの多い、黒いドレス。
その裾は長く、長く、あまりに長く、やはり影に同化していた。
黒い瞳が周囲を見る。
睥睨とでも表現したくなるような、高飛車さと傲慢さ、それ以上に他者を冷酷に値踏みする残酷さをもった、恐ろしい視線だった。
そいつが、高らかに、歌い上げるように言う。
「はあい、弱者のみなさん? 今ここに、あたし、魔王マナフの復活を宣言するわ! 泣いたりわめいたりして場を涌かせなさい?」
聞く者の魂を魅了するような美声。
この時、僕が感じるべきは、魔王復活という一大事件に対する恐怖とか、どうにもそいつが独力で行なったらしい『街一つを滅ぼす』という凶行に対する絶望とか、あるいはその声のあまりに蠱惑的なのに興奮なんかを覚えたって、いいかもしれない。
しかし、僕が感じてたのは、そのどれとも違うものだった。
いや、まあ、その。
魔王復活が一大事件なのはわかるんだけれど。
僕にとっての一大事件っていうのは、むしろそこじゃなくて。
「この世界、ファンタジーRPGじゃねーか!」
魔王復活。
燃える街。
逃げ惑う人々。
それらを総合的に考慮したうえでどうしようもなく動かしがたくなった現状。
つまるところ。
都市開発系ゲームの能力を持っているはずの僕が、ファンタジーRPGに来てしまったという違和感に、僕は叫ばざるを得なかった。