23話
竜人族。
世界にレヴィア一人しかいないと思われていた種族である。
この種族には多くの謎がある。
まずは、その特性だ。
性格、性質、資質、才能。
世界には様々な人種がおり、それら種族にはそれぞれ得意分野がある。
たとえばエルフは木登りや弓が得意で、ドワーフは穴掘りや鍛冶が得意など、そういうことだ。
竜人族は戦いが得意。
公明正大で、嘘をつかず、約束を守る。
そういった種族であることは、旅の中でレヴィアも知っていたことだった。
生きにくそうではあるが、強い種族。
それはわかったのだが――じゃあ、次の謎は、なぜ、今、世界にレヴィア一人しかいなかったのかということだった。
その理由を、黄金の竜人族の女性は語る。
「我らは呪いをかけられている」
静かな声だった。
落ち着いているというよりは、疲れ切っているという印象だった。
事実、女性の顔には諦念がにじんでいた。
「始祖ドラゴンが神に背いたためにかけられた呪いだそうだが――詳しくは、伝承でしか知らぬ。なんでもその呪いのせいで、歳をとるにつれて我らは言語や知恵を失い魔獣と化すのだとか。まあこれで事実が伴わなければただの怖いおとぎ話で済むのだが……事実、竜人族はある程度の年齢になると魔獣化が始まる」
魔獣。
その存在を僕は、覚えている。
理性を無くした害獣。
一目散に襲ってきたそいつの迫力と、その時に感じた恐怖は、今でもありありと思い出せた。
「ゆえに、我らは人から離れた。我らは人族を守りたい。いつしか凶悪な魔獣となる運命を持つ我らが人の隣にはおれぬからな。……そうして我らはこの山に居を構えた。人里離れ、難攻不落の要害にて人里からの行き来が阻まれた、この山にな」
彼女は笑う。
笑うという表情のはずなのに、ポジティブな印象は欠片もない。
やはりその笑みには、無力感が漂っていた。
「あきらめてはおらん。……いや、おらんかった、と言おうか。我は魔獣化するまではと思い、人里に降り、どうにか呪いを解く手段を探した。……が、結果は芳しくない。呪いを解く手段は見つからず、我は山に帰ることとなった――旅の途中で出会った男との子供を残してな」
視線がレヴィアに向く。
……その子供というのが、レヴィアのことなのだろう。
「その子供が、いつか、己の正体である竜人族というものについて調べるであろうことは、予想していた。そして竜人族の屈強さならば、この山にたどり着けるであろうことも、わかっていた。だからこそ地上に残し、いつしかこの母を殺してほしかったのじゃが――予想より十年は早かったようじゃな。まだまだ我の中に人の意思や理性が残っているこの時期に来るとは思いもせんかった」
早かった。
……うん、まあ、その。それはきっと僕のせいだ。
最初にマナフが言っていた通りの、正規の手段で要害を越えてここに来ようと思ったら、ここまで早い到着はなかっただろう。
予想より十年は早かった、と黄金の竜人族は言う。
つまり正規手段や街からここまでの移動距離は、そのぐらいの年月を懸けて――冒険者の生涯の目標として踏破されるべき、難攻不落の天然要塞群のはずだったのだ。
加えて言うなら、マナフというアドバイザーを獲得できてしまったのも、僕のせいである。
その的確なアドバイスのせいで、西の土地に竜人族の魔王がいたり、そこに至るためのルートなんかを正確にわかってしまったのも、レヴィアの旅路が十年早まった理由の大きな要因である。
が、こちらは『せい』ではなく『手柄』と呼ぶことを許してもらいたい。
だって僕がいなければマナフかレヴィア、どちらかが死ぬことになっていた目算は、低くなかっただろうなと思うのだ。
彼女たちが死ななくてよかった。
これが僕の素直な感想だ。
「半ば賭けではあったが……こうしてお前は母を殺しに来た。我の賭けは当たったということじゃな。成功するのは最初からわかっておったぞ。我に手違いとかありえんし。竜人族じゃからな」
……このへんは親子だなあという感じである。
竜人族にまつわる伝承は、かなり正確性が高いものだったらしい。
あるいは。
魔獣化の呪いを解く方法を探す旅の途中で、わざと発見しやすいように、黄金の竜人族が残したから、正確性が高かったなどという裏設定もあったりするのかもしれないが。
「こうして人里離れ、ダンジョンなど構えて己を封印しても、魔獣となった我らは、定期的に山を抜け、人里に降りる。それを人は魔王と呼び習わし、対抗しえない災厄として記録していた」
西の魔王の正体。
それは魔獣化し、理性をなくした竜人族の成れの果てなのだという。
「もちろん自決というのも、代々、我らは考えなくもなかったがな。それは我らを呪った神への敗北であるからな。竜人族は敗北しない。我が祖父も、呪いを解くため旅をした。我が父も、同じく旅をした。そして我も、旅をした」
笑う。
笑う、けれど。
なぜだろう、泣きそうな顔に見えた。
「親から子に、子から親に。……いつか来るであろう、神へ勝利するその時を夢見て、魔獣に成り下がり、化け物に成り下がり、いつまでもいつまでも生き続けている」
吐き捨てるように言う。
生きていること、それ事態が望まぬ現状だと言うように。
「だがな、その生にどのような価値があるのか。我らを呪った神に負けるのは癪だ。そして祖先からの希望を託されたこの身だ。勝手に彼らの希望を絶つことはできない。ならば――誰に負ければ矜持が保たれるのか。誰なら我を殺してもいいのか」
うつむけられていた視線が、こちらを向く。
レヴィアを、幽鬼のような視線で貫く。
「娘よ」
怨念めいた声。
疲れて、かすれて、けれどすさまじい執念を込めた声音で、黄金の竜人族は家族へ呼びかける。
「我が化け物になる前に会えてよかったぞ。……もっとも、そちらは我を母とは思っておらんだろうがな。我がお前を捨てたのは、事実なわけであるし」
寂しげな声だった。
……捨てたくて捨てたわけではないのだろうと、その顔だけでわかる。
だが、詳しい弁明はなかった。
そんなものはするつもりもないとばかりに、彼女は鋭い爪を構え、牙を見せる。
「それも良い。いや、それが良い。――さあ、恨み辛みをぶつけてくれ。憎き女を殺してくれ。世界を救わなくてもいい。人を守らなくてもいい。ただの私怨で我を殺せ。約束された呪われし結末を、理性を無くし化け物になるしかない我が未来を、お前の手で変えてくれ!」
敵意が研ぎ澄まされる。
闘士が肥大化する。
槍を整地されても彼女の戦意はまったく萎えないらしい。
それどころか、先ほどまでよりも楽しげでさえあった。
彼女の処遇をどうするのか?
それは、僕が勝手に決めるべきものではないだろう。
ここはレヴィアがその人生を費やした旅の終着駅だ。
決定権は彼女にある。
マナフのように言うのであれば、僕らは今この時、ただの観客にすぎない。主演はレヴィアであり、その母である黄金の竜人族だ。
ならば、主演に問いかける。
「レヴィアはどうしたい?」
僕には。
彼女の人生を背負う自信はなかった。
人生を懸けた旅の結末を決める権利はなかった。
彼女の追い求めた答えを勝手に決める義務はなかったし。
彼女が納得できる結末まで誘導する力もなかった。
だから、彼女に答えを求める。
それが辛く難しいことであるのはわかっているのに。
それが辛く難しいことであるのがわかっているから、彼女に答えを出させる。
レヴィアは。
「……無理だ」
弱々しくささやいた。
泣きそうな顔で、たぶん年齢相応の、子供みたいな顔で、僕を見る。
「無理、無理であろう、こんなの! いきなりそう言われても、私には決められない! ルーツを探して、仲間を探して、ようやくたどりついたのに……ようやく会えたのに! 殺すか、化け物になるのを待つかだなんて、そんなの……そんなの嫌だ!」
かんしゃくを起こしたように、彼女は叫ぶ。
当たり前だ。
ようやく出会えて。
それなのに、再開した家族は、殺されることだけが望みだという。
――娘よ。
――お前の旅路に明るい結末など、最初から用意されていなかった。
残酷な宣告だった。
身勝手な決定だった。
そして――どうしようもない、現実だった。
嘆くのも叫ぶのも無理はない。
取り乱したってだだをこねたって、誰も責められない。
……だが、彼女は忘れていまいか。
僕がなぜ旅に同行しようと思ったのかを。
ストレスを避けるため。
もちろんそれが目的だけれど――じゃあなぜ、僕が同行すれば彼女が死んだ際にかかるストレスを防止できるのだと思ったのかを、考えてほしい。
僕は問う。
「つまり、助けたいってことなのかな? 自分を捨てた母親だけど」
「そんなのは当たり前であろうが! やっと見つけた同胞で、ようやく見つけたお母さんなのに、殺すなんて、嫌だ!」
「じゃあ、そうしようか」
「どうやって!?」
……これもなんというか、間の抜けた問いかけと言わざるを得ないだろう。
どうやって?
まさか僕が、RPGみたいな手段を思いつくとでも?
僕にできることは一つしかない。
そして、その一つでなんでもやってきた。
だからいつものように、僕は言う。
「魔獣化する母親を殺さないために、殺し合わないためにすることなんて、一個だけだ。――建築をしよう」
僕にはそれしかなく。
それだけに、RPGでは助けられない誰かを助けられるのだから。




