16話
領主のおねーさんにあいさつをして、僕らはいよいよ旅立つことにした。
見送りをしようという提案もあったが、厳粛にお断り申し上げた。
復興作業で大変そうなのである。
建造物を好き放題建てる僕の出番はまだまだ先のようだし、ちょっと魔王倒しに行くだけだからということで、見送りナシの方向でおねーさんを説得した。
その際にこんな会話があった。
「……しかし神様にこう申し上げるのも、無礼になってしまうかもしれませんが……『ちょっと魔王倒しに行くだけ』というのも、すさまじいことですわね」
「たしかにそうかもなあ……いえ、僕的には『簡単なことだから心配はいらないよ』って言いたいだけなんですけど」
「そうですわね。ですが――せめて、祈らせてくださいまし。どうか、ご無事で。神様にとっては簡単なことかもしれませんけれど、わたくしのような凡人からすれば、それは歴史に名を刻むほどに困難な一大冒険なのでございます」
「まあ、そうだね」
「そして願わくば、これを、お納めください」
と、渡されたのは手のひらサイズの小さな革袋である。
長い革紐で口が綴じられていた。
首から提げたりできそうだ。
「これは?」
「祖母の代から伝わる指輪でございます。本来は男性側から女性側に渡すものなのですが、現在、我が一族の当主はわたくしですので……帰って来たら、それを、神様からわたくしにお返しいただきたいのです」
「ん? どういうこと?」
「それが婚姻の際の正式な手順でございますれば」
……その話、マジなのか。
どうしよう……『まさかな、いや、その場のノリの冗談みたいなもんだよな』と思ってスルーしてたらいつの間にか引き返せないところまで話が進んでいた気分だ。
ポイントオブノーリターンである。
僕は曖昧に笑うしかできなかった。
領主のおねーさんは、まさに神に祈るようにひざまずき、祈るように手を合わせて。
「どうか、ご無事で。わたくしを式の前に未亡人にしないでくださいまし」
真剣な声で、そう言った。
彼女が真面目なのはわかるのだけれど、僕にはもう、それが死亡フラグを強化されているようにしか聞こえなかった。
というのが理由のすべてでもないが。
指輪のついでとばかりに。
「あとこれ」
……と、渡された革製の、ブーツみたいな靴の方が、僕にはありがたかった。
いや、その。
今まで黙ってたんだけれど。
実は僕、裸足だったんだよ……!
言い出す機会がなくって地味につらかった。
内助の功とはこういうものかと、領主のおねーさんに対する好感度が一気に上がったほどだ。
でも結婚はちょっと考えさせてね!
閑話休題。
見送りを断ったので、旅の始まりは至極静かなものだった。
道路を作ったり整地したりして、どんどん高度を上げていく。
しばらく坂道を登れば、もうそこは空だ。
僕らは空中に引かれた道路を歩いて行く。
荷物はレヴィアが持っている大きなリュックだけだった。
僕とマナフは手ぶらである。
女の子、それもこの中では一番小さな子に荷物すべてを任せることに、もちろん罪悪感を覚えたので、手伝おうと提案したのだけれど――
「竜人族は頑強で力が強いからな。私にとって、これしきの荷物は重くもなんともないのだが」
むしろ、手伝うと言わせてしまって申し訳ないというように、彼女が言った。
僕は食い下がる。
「せめて持ち回りにするっていうのは?」
その提案をした瞬間に、マナフが『あたし嫌よ。そういうのは女優じゃなくて付き人の仕事でしょ?』とか言ったが、スルーした。
レヴィアも耳に入れなかったようで、僕に対してだけ返事をする。
「かまわんが……いや、気を遣わせると思って言わなかったのだが、それなりには重いぞ? 私にとってではなく、竜人族以外の種族にとってだが」
「だったらなおさら任せっきりはできないよ」
「いや、その、重いというのは少し言葉足らずだったかもしれん」
「?」
「……まあよかろう。よく考えれば、私は今まで人と己の力を比べることが少なかったからな。昔は同い年の子供相手に力比べをしてよく泣かせていたものだが、大人が相手であればそこまで深刻な腕力差異はないかもしれん。一度、あずけてみよう」
そう言って、リュックを下ろす。
僕はその肩紐に手をかけて、持ち上げてみた。
……持ち上げようとしてみた。
「……おかしいな、動かないよコレ」
「ご主人様は豆の袋を持ったことはあるか?」
「ないけど」
「ふむ、その、なんだ。……豆は軽いが、それは他の穀物などに比べれば軽いという話であり、別に羽毛のように軽いというわけではないのだ」
「つまり」
「軽いと言ってもそれなりに重い。他の荷物も入っているしな」
それなりってレベルじゃない。
動きもしないというのは、ちょっと異常だ――いくら三人分、一週間分の豆だとしても、こんな僕が引っぱっても動かせないほどの重みになるものか?
……まあ、現実は、動かせないほどの重みになっているわけなのだが。
「やはり私に任せてもらった方がいいだろう」
「……申し訳ない」
「謝る必要はないぞ。むしろ、ご主人様の荷物を持つことは奴隷である私の仕事だからな。当然のことをしているまでだ……それに、先ほども言ったが、私にとってはそこまで重いものでもない」
「でも、大きな剣と鎧まで装備してるじゃないか」
「……別に剣も重いとは感じていない。普通の剣だと振っただけで折れるので、必要な丈夫さと、満足のいく重さを求めたら、いつの間にかこんな感じになっただけだ」
彼女の腕力を見た目から測ろうというのが、愚かな行為だったようだ。
僕は大人しく荷物をレヴィアに任せることにした。
そして、さらに進んでいく。
進んで。
進んで。
まだ進んで。
いい加減日が暮れるまで進んで。
僕はようやく――実際に旅を始めるまで予想だにしていなかった、重大なる問題に気付いた。
「魔王の住んでる場所、遠いな!」
へとへとな体に鞭打つように叫ぶ。
遠い。
マジで遠すぎる。
そりゃあ、多少は距離が離れていることは、覚悟していた。
日数がかかる旅路になるだろうなということだって、意識はしていなかったが、無意識には感じていたことだろう。
ただ――実際に歩いてみて。
ひたすら歩くというのがここまで疲れることだというのを初めて知った……!
今日だけでも六時間とか七時間は歩いたんじゃないか?
もう、ぐっすり眠って、明日は一日休んでいたいぐらいの気分だ。
なのに、魔王に出会うまで、この旅路は毎日、当たり前のように続いていくのだ。
ぶっちゃけありえない。
いや、こういうこと言いたくないんだけどさあ……
僕、現代人なんだよ。
体力ないよ。
僕、インドア派なんだよ。
汗かくのとか好きじゃないよ。
毎日こんなにウォーキングして、僕が健康的になったらどうするんだ……?
誰か責任とってくれるの……?
とにかく、今日はもう無理だ。
足が痛い。
たぶん、血豆とかできてるよ、絶対……
僕の叫びと疲労を汲んだのか、レヴィアが提案する。
「今日はこのあたりでキャンプをするか」
そう言って彼女はリュックを下ろす。
ごそごそと、傍目にはリュックに体ごと突っ込むようにして、何かを探し――取り出した。
それは大きな布の塊であった。
「実はテントを用意してみたのだ。……いつもは一人だから必要ないのだが、今回は集団での旅になるということだからな。ちょっと奮発した」
楽しそうだった。
集団での旅はどうにも初めてっぽいので、彼女もこれでワクワクウキウキしているのだろう。
はしゃぐような様子で、テントを設置しようとするのだが……
「……ご主人様、残念な報告がある」
「どうした」
「テントの設置は、まず、テントの骨組みを作り、風などで飛ばされないよう、鋲で地面に打ち付けるようなのだ」
「うん」
「この地面、鋲が刺さらない」
……あー。
地面というのは、僕が空中に引いた道路である。
道路に限らず、僕の造った建造物は魔王の攻撃にも余裕で耐える、僕が整地する以外には破壊不可能という仕様である。
鋲が刺さらないのも無理はなかった。
「……テントは、無駄になってしまったようだ」
それは悲しげな声だった。
非常に申し訳ないことをしてしまった気分になる。
しかも――
追い打ちをかけるように、雨が降ってきた。
……僕は、旅というものに対して色々と配慮や考えが足りなかったらしい。
上空にぽつんと浮かぶ道路なだけに、周囲に雨宿りできそうな場所もなくて、しかもテントも建てられないのだから、雨をしのぐ手段は絶望的だ。
今さら地上に降りようにも、けっこうな高さになってしまっていた。
坂道を作ってだんだん高度を下げるという下り方になる以上、安全な高さまで降りるにはあと最低でも一時間ほどの徒歩が必要となるだろう。
そうなれば、もうずぶ濡れだ。
さて、どうするか。
というのは、考えるまでもなかった。
僕にできること、僕が思いつくことなど、決まっているのである。
だから状況を打開するために、二人に告げる。
「じゃあ、ちょっと建築してみようか」
雨風をしのぐ。
そのための――最適な建物を用意してみよう。




