1話
いきなり異世界に飛ばされてしまったら、どういう行動をするべきだろう?
『いきなり異世界に飛ばされる』
これはもう、ありえない話というか、物語にしたって誰も思いつかないような新機軸というか、過去にも未来にも僕が体験したものが唯一であり、どんな本を紐解いてもネットで検索しても絶対に出てこないような特殊なシチュエーションだと思う。
だからこういった時のためのハウトゥがあるわけもないのだが、それでも悔やんでしまう。
もっとなろうで小説を読んでおけばよかった。
さて、状況は草原スタートである。
目が覚めたら雄大な草原の上におり、周囲の景色を見回せば遠くに山が、近くに洞窟みたいなものが見えるものの、雲に覆われた空は昼か夜かも判然としない。
着ているものは飾り気のない部屋着のジャージだ。
ポケットを探っても元々何だったのかもわからない、ぐしゃぐしゃに丸まった紙が出てくるだけであり、食料も連絡手段も持ち合わせてはいなかった。
部屋でゲームをしていたままの姿だ。
ゲームに吸い込まれたというような気がしたのだが、気のせいではなかったらしい。
視界の左側にアイコンがある。
見慣れたアイコンだ――建造や整地といった項目が並ぶそれは、何もない土地に建物を建てていき、交通網やインフラを整備して人口を増やしていったりするゲームのそれによく似ていた。
つまるところ、僕の役所は市長とか、村長とからしかった。
何もない。
ならば、建てればいい。
そうだ、周囲にはちょうどいい平原が広がっているじゃないか。
都市経営系ゲームの世界に飛ばされ、どうやら能力があるらしいことは視界左のアイコンでわかるのだけれど、まだ実際には試したことがないのだ。
自分に何ができるか、実際に知っておく。
これは大事なことだ。
だから僕はアイコンにカーソルを合わせて、建築コマンドを選ぶ。
見つかるのは道路や消防署などの近代的なものだった。
まさに都市開発――という感じで、発電所、水道局、駅なども見つけることができた。
ともあれ、最初は住居だろう。
意識すればカーソルが合う。
そして、カーソルを合わせると、視線の先に青白く光るキューブ状の何かが出現した。
さらに集中すれば、そこに建物ができあがるのだろう。
資材は――
ない。
木材も鉄材も、少ししかなかった。
二とか三とかいう頼りない数字が並ぶ。
建造物にアイコンを合わせて建てようとしてみても、資材がないせいか不可能だった。
一番小さな建物を建てるにも五から必要というのが微妙にいやらしい。
やれることは――整地だけだ。
整地というのはつまり、平らでない道を平らにして、そこに建物を建てやすいようにする技術である。
周辺が平らな現在では意味があんまりないコマンドだった。
遠くの山でも均すしかないのだろうか。
あるいは近くの洞窟か。
そう考えて、洞窟の方を眺めれば――
「ダンジョンからモンスターが逃げたぞ!」
そんな、鋭い女性の声とともに。
洞窟から、全長三メートルはあろう、全身の皮膚が緑色の、一つ目の化け物が出てきた。
モンスターが出たぜ。
ここに来て、僕は、たぶん初めて本格的な混乱に見舞われた。
異世界に飛ばされる。
まあ、慌ててもしょうがない。そういう日も生きていればあるだろう。
周囲に何もない。
しかし視界にはコマンドやカーソルがあって、資材さえあれば建物を建てることはできる。
けれど――モンスターが出た。
しかもそいつは、一直線に僕の方へと向かってきている。
このままだと死ぬ。
こうして頭が動いているのだから、そうそう混乱もしていないんじゃないかと見る人もあるかもしれない。
しかし、モンスターが出て、こちらに走ってきて、目の前でその巨大な腕を振りかざすに至った今現在まで、僕の体は一ミリだって動いていないのだ。
「そこのお前、逃げろ!」
女性の悲痛とも言える叫び声がした。
でも、全身は固まっていて動けなかった。
固まったまま。
視線が一つ目の巨人に向いている。
ということはつまり、僕の視界の先に出現している、青白く光るキューブ状の何かも、巨人と重なるように出現しているということだ。
結果とかを予想したり、対抗手段を講じようと思ったわけではない。
何かを考える余裕はなかった。
だから、ついうっかりというぐらい、何も考えず――
そのモンスターを整地した。
ジュッ、という音とともに、青白く光るキューブ状の何かが、いっそう光を強くする。
そして、次の瞬間、『モンスターのいた草原』であったはずの一辺が三メートルぐらいの四角いその空間は『何もない土がむき出しになった場所』へと変化していたのだ。
僕はふらふらと、整地が終わった場所に歩く。
すると、カリカリッという小気味よい音とともに、視界の右下に文字が浮かび上がった。
『肉 を取得しました』
肉か。
……肉かあ。
いや、今どういう必然で肉なんていうアイテムを取得するのかを考えれば、その肉が何肉かなんていうのは、簡単に判断ができるんだけれど。
僕は考えないことにした。
ともかくわかったことは――何かが整地され視界から消滅したあとの空間には、アイテムが漂っており、僕はそのアイテムを回収できるということだけだ。
荷物が増えたり、体重が増えた感じはない――僕自身が四次元ポケットみたいな感じなのだろう。都市開発ゲームの資材だって、お前どこにしまってるんだよという感じだし。
肉だってそうだろう。
胃袋におさまりましたと考えたくはなかった。
僕ががんばって辛い現実と折り合いをつけようとしていると、ガシャガシャと音を立てて鎧姿の女性が近付いてきた。
美人だ――と言ってしまっていいものだろうか。
表現に悩むのは、別に彼女がブサカワ系だとかポチャカワ系だとか、そういう意味ではない。
声の印象から感じていたよりも、よっぽど幼い少女だったからだ。
金髪に金色の瞳の少女。
鎧姿ではある……戦うような格好をしてはいるものの、身長は百四十ぐらいじゃないか?
よくよく見ていけば、頭の左右、こめかみのあたりに黒い角らしきものが生えていたりもする。
それに、彼女の背中側で揺れる、太い、爬虫類のような――強いて言えば、竜めいた、黒い尻尾も見えた。
ただし、翼はない。
なのでドラゴンというよりは、でっかいトカゲ系の印象が強かった。
純正の人間、ではないのだろう。
さらに考えたら、声もどことなく舌足らずというか、幼げで甲高いというか、甘い感じだった。
その子が背負ったでっかい剣をひきずるようにしながら僕に近寄り、笑う。
「驚いた。サイクロプスを一瞬で消滅させるなどと……強いのだな、お前は」
感心したような、惚けたような表情だった。
だが口調が男っぽいというか、どことなく上から目線な感じでギャップがある。
ひょっとしたらこんな見た目でも、僕より年上なんていうことがあるのかもしれない。
……そうだったら嫌だなあ。
僕はロリババアという属性は嫌いではないのだが、三十歳ロリババアとか四十歳ロリババアにはときめかないタイプなのだ。
百歳越えててほしい。
半端に現実にいそうな感じにまとまらないでほしい。
そういった願いを、ロリババアに対しては抱いている。
普通に幼い、あるいは人間では考えられないような年齢でいてほしい、見た目と声が幼く口調が男っぽい少女が、さらに言葉を重ねる。
「あれはレベル九十のサイクロプスだ。普通の冒険者では束になっても太刀打ちできないような凶悪な魔物のはずなのだが……それを一瞬で倒すとはな。いや、驚いた。魔術師か? レベルはどのぐらいになる?」
……んんん?
レベル九十のサイクロプス?
冒険者?
魔術師?
そもそも――レベル?
何かおかしい。
僕は、都市開発系ゲームに来たんじゃないのか?
どういことなのか。
現状を確かめたくて、僕はたずねた。
「……あの、ここはどういう世界で?」
女の子はきょとんと首をかしげた。
それから、悩むように角に手を当てて。
「どういう世界とは不思議なことを……そうだな、強いて言えば――」
王様が治める専制君主国で。
地方は貴族によって統治されていて。
モンスターが出て。
そんな、彼女にとっては常識的であろうことを丁寧に語ってくれて。
そして最後に――
「我ら冒険者が剣と魔法で身を立てていく――そんな世界だ」
少なくとも都市開発系ゲームじゃないよと。
そういうような意味にとれることを言った。