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本編より数年後のファル・アルフェのお話です。
「ファル・アルフェ。貴殿の『上級魔導士』の資格が剥奪され、『魔導士見習い』になったようだね」
広くもない執務室に響く声に青年は俯いたまま顔を上げない。
「なぜ、そうなったのか理由に心当たりはあるだろ?」
「…………」
「魔導士の証の水晶は君を『魔導士』とは認めなくなった。魔導士としてこの先も暮らしていきたいのなら一から勉強し直しなさい」
ため息とともに吐かれた言葉にピクリと体を震わせ、耳朶にはめ込まれている魔導士の証に触れる青年ファル・アルフェ。
執務机の上に膝をつき、組んだ手の上に顎を乗せた北国魔導士協会の会長であるルカジオ・セルベラがファルを静かに見つめていた。
ルカジオは組んでいた手をほどき、机の引き出しから封印の術が掛かっている数冊のノートを取り出した。
「これは彼女がこの国のために残してくれた研究ノートだ」
「え?」
「先日、各国の魔導士協会宛に西国の王ヴィート・ウェス・クローチェ陛下から依頼があった。各国に残されている彼女……ジュリ=ドウモト特級魔導士の研究ノートをひとつ残らず西国に譲ってほしいと」
ノートをファルの前に置き、一通の書状を懐から取り出したルカジオは厳しい声で告げた。
「ファル・アルフェに命じます。我が国唯一の特級魔導士ジュリ=ドウモトが我が国のためにと残してくれた研究ノートを西国の魔導士協会に無事に送り届け、その内容をすべて習得してきなさい」
「え?」
「すべてを習得し終えるまで北国への入国は禁止します」
書状から視線を上げ、にっこりとほほ笑むルカジオ。
「ジュリ殿は本当に貴殿には甘いですね。本来なら即刻処刑されていてもおかしくない行いをした貴殿に対して最後の最後に私に伝言を残されたんですから」
*
中央国で行われた交流試合前、王の護衛として中央国に来国していたルカジオとジュリは最後の会話を交わしていた。
「ルカジオ様は気づいていたんですね。ファルの今までの暗殺行動の数々を」
「ええ、彼の行動はあからさまです。気づかない方がおかしいですよ。それを難なく躱していた貴女も貴女ですが……」
呆れたようにつぶやくルカジオに彼女はクスリと笑みをこぼす。
「気づいていながらも放置していたの?」
「まさか、それなりに対処していますよ。現に彼は『上級魔導士』でありながら協会内で権力を与えられていないのが何よりの証拠です」
「各国に片手ほどしかいない『上級魔導士』は協会の運営の中枢核にいるべき存在。だが、彼はその役に就けずにいる半端モノってところかしら?」
「強いて言うのならば『神子の愛玩具』ってところですかね。本人もそれで満足しているようですし。下手に役職に就けて『神子』に介入されるよりかはマシです」
「ねえ、ルカジオ様」
「なんです?ジュリ殿」
「ファルが今回の交流試合の間に私に牙を向けたら彼の処分はどうなるの?」
目の前のテーブルに置かれているティーカップに手を伸ばしながらどこか楽しそうに微笑む少女・ジュリにルカジオは小さくため息をつく。
「『私たちの神子様』を害なす者には厳しい制裁を。これがわが姉と先の王妃様のお考えです」
「そう、じゃあ私からお願い」
「はい?」
「ファルに制裁を与える時に『死』を与えることだけはしないで」
「ジュリ殿?」
「『死』を与えるのは簡単よ。でもね、それは一瞬だけの達成感でしかないの。本当にファル達を懲らしめたいと思うのなら『生きて償わせること』が大切よ。簡単に言えば、命は奪わずに存分に扱き使えってこと」
「ジュリ殿」
「きっとファルは試合の間に私に牙をむくわ。今日までの鍛錬の時も隙あらば……って感じだったからね」
クスクスと笑うジュリにルカジオは背筋に冷たいものが走る感じがした。
*
「貴殿が魔導士として苦労なく今までやってこれたのは誰のおかげか……西国で思い出してきなさい」
ルカジオはそう言い放つとファルの退出を促した。
ファルはルカジオからノートと書状を受け取るとすぐに退室していった。
「西国は彼をどうするつもりなのだろうか……まあ、西国で彼がどうなろうと俺達には関係ないけどな。せいぜい、死ぬまでヴィート陛下達に扱き使われて来い、ファル・アルフェ」
***
「そう、西国王陛下のお願いなら仕方ないですわね。ファル、一日も早く帰国できるように頑張ってきてね」
魔導士協会から王妃の私室に向かったファルはルカ王妃の言葉に小さく頷いた。
「あなたがこの国からいなくなるのは寂しいけど、その研究ノートの中身をすべて取得できれば貴方はあの魔導士協会会長よりも……あの娘よりも強くなれるのね」
うっとりとした表情でファルの頬を撫で回す王妃。
王妃の私室内は王妃とファルの二人きり。
扉ひとつ隔てたところに侍女や騎士がいるのを知りながら王妃はファルに甘い声を出す。
「出発はいつ?」
「明日の朝」
「じゃあ、しばらく会えないから……たのしみましょう」
王妃はファルを自分の胸に抱き寄せ耳元で囁く。
しかし、ファルは王妃の誘いを断り早々に退室した。
誘いを断られた王妃は憤怒し、物に当たり散らし侍女や騎士たちから冷めた目で見られていることに気づいていなかった。
ファルは王妃の私室を辞すると神殿に向かった。
すでに日は沈み、神殿内は光魔石を使った光が所々に施されている程度で薄暗い。
コツコツと足音を立て、神殿の最奥に向かうファル。
神殿の最奥は『神子召喚』が行われた場所。
祭壇には毎日白い花が添えられている。
『彼女』が好きだと言っていた花。
ファルは一輪の花を祭壇に置く。
「ジュリ姉さま」
小さく呟かれた言葉は思いのほか部屋の中に響いた。
「ジュリ様に何の御用?」
自分以外誰もいないと思っていた部屋に響く声にファルは身構えた。
カツンカツンと響く靴の音に顔をこわばらせるファル。
祭壇付近に灯されている光で声の主が見えたファルはその場に跪いた。
「マリエ・セルベラ様」
現れたのはルカジオの姉であり『死の国より舞い戻った側妃マリエ・セルベラ』だった。
マリエはファルを立たせるとその脇を通り過ぎ祭壇に白い花束を置き、短い祈りを捧げた。
「ジュリ様が残された研究資料を西国に届け、研究する役目を拝命したと聞きました」
祈りを捧げる姿勢のままマリエは言葉を紡ぐ。
「西国で貴方は死よりもつらい日々を送ることになるでしょうね」
「え?」
「西国の魔導士協会に所属する魔導士または魔術研究者はジュリ様信者の集まり。ジュリ様に害をなしていた貴方を快く迎えることはないでしょう」
「…………」
「しかし、それが貴方に与えられたジュリ様からの罰」
「ジュリ姉さまからの罰?」
「……私も先の王妃も貴方の極刑を望みました。しかし、ジュリ様の『最後の伝言』がそれを阻みました。『生きて己を見直せ』最終的に下ったのは何とも甘っちょろい処罰でした」
祈りの姿勢を解き、まっすぐにファルを見つめるマリエ。
「貴方に最後の選択を与えます」
「最後の……選択?」
マリエは小さな小瓶を取り出しファルに差し出した。
「これはジュリ様が私のために開発してくださった『姿変え』の薬です。それを飲めば姿形・声を変えることができます。ただし、一度飲むと元には戻れません」
小瓶を受け取ったファルはじっと小瓶を見つめる。
「ファル・アルフェとして西国に赴か、全くの別人となり逃げるか。貴方が決めない」
マリエはそれだけ言い残し、神殿を後にした。
翌朝。
ファル・アルフェは姿を現さなかった。
そのかわりに、ファル・アルフェが大切に持っていたブレスレットと手紙を持ったひとりの青年が西国へ派遣されることが即座に決まった。
国王や宰相たちに激励され、青年は生まれ故郷を旅立った。
魔導士協会の会長であるルカジオはそれを静かに見つめるだけだった。
「よかったのですか?」
隣に立つ女性にルカジオは小さく頷く。
「あれはもう、彼女が弟のようにかわいがっていた子ではありません」
「……あの方が生かした命。彼は別の人生を歩むというわけね」
「いや、あれは自ら試練の道を進んだ」
「え?」
「あの『姿変え』の薬。西国ではすでに解毒剤が開発されている。ヴィート陛下はジュリ殿からあの薬のことを聞いて密かに研究をしていたらしい。ファル達は全世界に『神子暗殺未遂犯』として顔と名前を知られている。きっとファルはあの薬を使うだろうとヴィート陛下は予測しておられるのだろう。あの薬を使おうが使わなかろうが、結果は同じだろう。……いや、薬を使った方がつらいだろうな」
遠くを見つめるルカジオ。
女性はそっとルカジオの腕に手を添えた。
「ルカジオ様、すべてはあの子が自分で選んだ道です。私たちができることはもう残っておりません」
「ジュリエッタ」
「私たちは私たちのやるべきことを致しましょう」
ルカジオはジュリエッタの手に己の手を重ね、小さく一度ため息をついた後、表情を引き締めた。
「ああ、俺達には俺達がやらなければならないことが待っているからな」
***
「はて、北国から派遣されてくるのはファル・アルフェではなかったか?」
立派な白髭をはやした老人がファル・アルフェの手紙を持った青年を上段より見下ろしている。
「ファル・アルフェは急病のため、急遽この魔導士見習いルフェ・ファルアが代わりに派遣された次第は北国魔道士協会会長セルジオ・セルベラ様より連絡がいっているはずです」
護衛としてついてきた騎士の言葉に老人は一瞬だけ鋭い視線を向けた後、のほほ~んとした表情を浮かべる。
「ああ、そうだったな。すっかり忘れていたわ。年は取りたくないの~」
騎士は表情を変えず、ただ黙って老人の言葉を聞いていた。
「それで、あの方が残された研究ノートはどこじゃ?」
きょろきょろと視線をさまよわせる老人にルフェがカバンの中から数冊のノートを取り出した。
「おお!これはまさしくあの方の筆跡……む、これにもまた封印の術が施されているではないか!」
ルフェからノートを奪い取ると老人はキラキラした瞳でノートの視線を落とした。
「ふぉふぉふぉ、しかしこの術は簡単だな」
老人が小さく呟くとノートからキラキラとした粒子が零れ落ちた。
「ぬを!?」
粒子の光が消えた後、老人の瞳が大きく見開いてノートを凝視している。
「ぐぬぬ……幾重にも術を重ねるとは……それほどまでに見せたくないのか~!!」
ノートに向かい喚いている老人を横目に補佐だという青年がルフェを施設内を案内することなった。
「ロウ師匠、あまりムキにならないで下さいよ。ぶっ倒れても知りませんからね。それにあの方がそう簡単な術を掛けるわけないではないですか。僕はルフェ殿に施設内を案内してきますからね」
「おお!行って来い」
青年に振り向くことなく老人・ロウは手を振り退出を促した。
「騎士の方もお疲れでしょう。別室に軽くつまめるものや酒を用意してあります。疲れをお取りください」
青年に促され護衛騎士は丁寧に礼を言い、研究員だという者に案内され退室していった。
「さあ、ルフェ殿。まいりましょう」
ルフェの背を押し部屋から出ると青年は笑顔を浮かべた。
「さて、俺の名前はジュリオ。一応ロウ師匠の弟子兼補佐兼世話係をしている。年も近いし仲良くしようぜ」
右手を差し出すジュリオにルフェも恐る恐る手を伸ばすと力強く握られぶんぶんと振られた。
「よ、よろしく」
「おう!じゃあさっそく施設内を案内するわ」
握っていた手を放すとジュリオはさっさと歩き始めた。
ルフェは遅れまいと小走りに後をついていく。
「……っと、ざっとこんなもんかな?すぐには慣れないと思うが徐々に覚えていけばいい」
「すごい施設ですね」
「ん?」
「北国にはこんな立派な研究施設はありません」
「あー、まあ、王様がアレだからな」
口を濁すジュリオにルフェは首をかしげる。
「うちの王様、『魔術バカ』って呼ばれていたから」
「呼ばれていたって誰に?」
「ジュリ様だよ。知っているだろ?真の神子様であり特級魔導士の資格を持っていたジュリ=ドウモト様」
「う、うん」
「陛下……当時はまだ王子だったけど、あまりの『魔術バカ』だったからジュリ様がポロって言っちゃったんだよね。『そこまで魔術が好きで研究したいなら仲間を集めて研究所を立ち上げればいいじゃん。幸いにもこの国は王位継承問題が起きているからと言っても国庫はほかの国よりも潤っているみたいだし』って。それを聞いた陛下とその仲間たちが結束して私財であっという間にこの研究所を作っちゃったんだよね」
どこか遠い目をしているジュリオ。
「まあ、ここまで立派な施設になったのは陛下が即位してからだけどね。それまでは本当に仲間内だけの小さな研究所だったみたいだよ。陛下が即位してから私設研究所から国立研究所に格上げされ、機材等もそろったんだ」
休憩所だという場所で飲み物を受け取ったルフェはガラス張りになっている部屋から研究所内を見回している。
ルフェ達がいる休憩所はフロアの中心にあり、誰もが自由にくつろげる部屋となっている。
仮眠をとってもいいし、仲間同士談話してもいい、設置されているミニキッチンで料理をしてもよいことになっている。
ただし、壁はすべてガラス張りで中で何をしているのか、外から丸見えだ。
また、基本的に各研究室もガラス張りでだれがどんな研究をしているのか隠していない。
しかし、ガラス壁に不可視の術を掛ければ極秘の研究も可能である。
もっとも、極秘の研究は地下で行われるのが通常らしい。
地下の研究所は限られた者のみ入室が許可されているためルフェは見ることはできなかった。
ルフェが西国で魔術の研究を始めて1か月がたった頃、王の視察が入った。
しかし、王の視察だからと言って畏まることもなく、普段と変わりない魔導士や研究者たちにルフェは戸惑っていた。
「ルフェ、どうした?朝からそわそわしているけど」
ジュリオが笑いながらルフェの肩を叩いた。
「いや、陛下の視察今日だろ?緊張しちゃって……」
「あー、ルフェは初めてだもんな。だけど、普通にしていればいいよ。視察と言っても俺たちが気づかない間に終わっているはずだから」
「へ?」
「まあ、口で説明するより体験する方がわかりやすいだろうな。とにかく、今日はいつも通りにな」
ルフェの肩を数回たたいた後、ジュリオはロウ師匠を会長室から引っ張り出してくると言い残して駆けていった。
いつ視察が始まるか教えられていないルフェはジュリオの言うとおり、己の研究に集中することにした。
ロウ師匠からルフェに言い渡されたのは、封印の術を解除した『北国の研究ノート』と呼ばれるようになったジュリが残した研究内容を己自身で試すことだった。
研究ノートには入門・初級・中級・上級・特級ごとに分けられ、ルフェは現在『入門編』に着手していた。
研究ノートの中身を読んだロウ師匠が興奮のあまり暴走して王の執務室に突撃したのがひと月前。
その後、王は各国から派遣された魔導士および研究員と西国の魔導士・研究員をいくつかのグループに分けてそれぞれ研究する旨、指示を出したという。
ルフェは北国の入門編を担当することになっている。
現在のルフェは『魔導士見習い』の為、『入門編』が妥当だろうというロウ師匠の判断による。
ルフェはジュリの研究ノート(のコピー)を片手に一つ一つその魔術の特性・リスク・汎用性等を自分用の研究ノートに記していた。
一日の終りにロウ師匠にそのノートを提出することが義務付けられている。
「ほう~、手際がいいな」
不意に後ろから声を掛けられルフェの集中力が途切れた。
声のした方を振り返るとそこには西国の王ヴィート・ウェス・クローチェが立っていた。
「へ、陛下」
慌ててその場に跪こうとしたルフェを軽く手で制して作業を続けるよう告げた。
背後からじっと観察されながらの作業にルフェの手元が微かに震える。
しかし、王は何も言わずただ黙ってルフェの後姿を見つめていた。
一通りの作業を終えたルフェに国王は終業後、王の執務室に来るように告げると次の部屋に移動していった。
『ルフェ、大丈夫か?』
隣りの部屋から壁越しにジュリオが声を掛けてくる。
「ああ、なんとか」
『珍しいな、陛下が声を掛けるなんて……まあいいか。それよりも、これがうちの国の王の視察。北国とは違うだろ?』
面白そうに話すジュリオにルフェは頷く。
「ああ、北国での視察は上層部での話し合いだけで現場視察はなかった」
『陛下が少しでも魔術研究を間近で見たいという理由からかの視察だからね』
「たしか、陛下は魔術愛好家だとか」
『ああ、本当なら王様家業を放り出しても魔術研究に明け暮れたいと常にボヤいているけどジュリ様との約束だから王太子殿下が成人されるまでは魔術研究を封印されている』
ジュリオの説明にファルは北国の王と違いを様々と見せつけられた気分になった。
北国の王チェルソ・ノズ・バッリスタは王妃マリと出会う前までは誰もが口を揃えて『賢王になるだろう』と言われていた。
しかし、マリと出会い、仕事は疎かになり、マリが気に入らないといった人物たちに冤罪をかぶせ王都より遠ざけたり、国外に追放したりしてきた。
多くの民が『チェルソ様以外の方が王位を継いでくれますように』と祈るようになったのに時間はかからなかった。
しかし、民たちの願いはあっさりと跳ね除けられ、神子を伴侶にしたチェルソが王位を継いだ。
王位に就けば以前のようになるのでは……と希望を抱いていた臣下達はすぐにそれは間違いだったと気づいた。
チェルソは表向きは公務を行っているように見せながらも、実際は何もしなかった。
毎日、王妃と宮殿の奥に籠り、王妃の機嫌取りに勤しんでいるだけだった。
臣下達はある人たちの助言をもとに王が居なくても政が行えるように少しずつ少しずつ制度を変えていった。
王も王妃もそのことに気づいていない。
王と王妃の唯一の公務が施設視察(という名の各施設の長との会食のみ)という状態にまで臣下達が制度を変えてしまったにもかかわらずに……
北国の王はただの飾りに成り下がっていた。
そのことにいち早く気づいたのは西国。次いで中央国の二国のみ。
だが、北国も内情を知っている二国ともそのことは黙秘していた。
書き始めたら一気に暴走してくれたよ……
もう、彼らが気のすむまま書き綴っていきます。
5話以内で終わらせる予定。




