第8話 進入
(……やばかった。今のはやばかった)
一本しかない腕を血で汚した大和スケルトンは、気絶した男の前で自分の失態を責めていた。そう、気絶した男の前でだ。
アルノーと名乗った剣士はまだ生きていた。足は折れ、頭からは洒落にならない血を流していこそいるが、まだ生きているのだ。
(まさか躊躇無く人殺ししかけるとは……。俺ってこんな危険人物だったけ? 剣を向けられた以上正当……過剰防衛はある意味仕方が無いとしても、気絶した奴に追い討ちかけるか普通?)
今も倒れ付している男の惨状を見ながら、若干言葉を修正しつつ大和スケルトンはそう頭の中で呟いた。
命の取り合いなのだから、敵に止めを刺すのは当たり前だ。日常的に命の取り合いをやっている戦士ならばそんなことを言うのかもしれない。
しかし、大和スケルトンは本来平和すぎる世界で生きてきた一般人なのだ。人殺しと言うのは、そんな彼にとって最悪に近い禁忌なのである。
(いや、違うな……。さっきまでのは、俺じゃなかったってのが一番近い。まるで誰かに体を乗っ取られてたみたいな、そんな感覚。後一歩で人を殺しちまうってところで何とか正気に戻れたけど、それまでの俺は人を殺してって部分に何の抵抗も違和感もなかった。それが一番の異常なんだ……!)
ゴブリンの頭を凶器とした大和スケルトンの攻撃は、アルノーの命を奪う直前で停止した。後一撃で命を奪うと言うときに、その不自然なまでの酩酊感とも言うべき感覚の中で、彼の人間としての心が悲鳴を上げたのだ。人殺しを拒絶する、普通の人間としての心が。
その結果、彼の理性と自制心はギリギリ体の支配を取り戻した。自分が自分で無くなる感覚と言うのは何よりの恐怖であったが、とりあえず最悪一歩手前で踏みとどまれたことには安堵のため息を漏らしたい大和スケルトンであった。
(さて、とりあえずこの人どうしよう? このまま放っておくのは殺人と変わらないよなぁ)
アルノーの体は、一言で言うのならばボロボロだ。顔面は原型をとどめないほどに殴られているし、足にいたっては折れている。その他にも小さな裂傷や打撲は数え切れないほどあるこの傷で放置すれば、近い将来には出血死するか飢え死にするだろう。もしかしたら、それより早く獣の餌になるかもしれないが。
いずれにしても、このまま捨て置くのは倫理的にありえない。その傷の全てが大和スケルトンのせいと言うわけではないにしろ、大半は大和スケルトンの責任なのだから。さすがに、このまま放置するのは後味が悪いだろう。
そこまで理論武装した大和スケルトンは、とりあえずアルノーの荷物を漁ることにした。服と一体化しているタイプのバッグから、先ほどアルノーが薬を取り出していたことを思い出したのだ。
しかし、そんな彼の前に想定外の問題が一つ立ちふさがった。
(……ほとんどわかんないな)
大和スケルトンにはサバイバル経験も無ければ、医者としての知識も無い。更に言えば、この世界の事など何一つ知らない。
その他この場において役立つと思える知識を全く持っていない彼にとって、魔物が巣くう森の中で一人戦っていた剣士の所有物を理解することは全く出来なかったのだ。
(この白いのは……薬……なのか? それに妙な形の刃物に……石?)
アルノーのバッグの中には、多分と言う言葉がついてしまうものの、ビンに入れられた白いクリーム状の薬が入っていた。ならばさっさとアルノーに使ってしまいたいところなのだが、この薬の効能がわからない以上下手なことはできない。
医療行為と言うものは素人が適当にやってもうまく行くことはまず無い分野であり、高確率で悲惨な結果を招くことになるくらいの事は大和スケルトンにだってわかるのだ。
(これが傷薬だったらいいんだけど、毒薬じゃないとは言い切れないしなぁ。クソッ! 結果的に止めを刺してしまいましたなんて冗談じゃないぞ。かと言って医者まで連れて行こうにも、俺自身が迷子って状況じゃあ無理だしな……)
実を言うと、大和スケルトンの手にあるのは傷を塞ぐ塗り薬であった。この世界に生きるものならば誰でも知っているメジャーな薬だ。薬草から作られるこの塗り薬は血止めの作用があり、応急処置としては十分な効果を発揮できる。
だが、それがわからない以上傷薬も毒薬と大差は無いのだ。
もちろんそれ以外の道具も、知識がまるでない大和スケルトンからすればどれもこれも用途不明としか言いようがないのだった。
とは言え、何もしなければ最終的には見殺しにしてしまうことになる。こうなったら薬をぬってみるかと賭けにでようと考え始めたとき、その耳がまた別の音を捉えた。
(ん? また物音か? まさかさっきみたいなのが他にもいるんじゃ……)
慌てて音のした方向を凝視するが、やはり木々が邪魔でよくみることはできない。しかし、本人からすると嫌な方向に彼は成長していたのだった。
魔物を殺したことによって増大した力は、より大和スケルトンに魔物としての能力を与えたのだ。
(この感覚……人間? なんか心がざわつくと言うか、他の小動物とは違う感じがする。間違いない。この先にいるのは人間だ!)
生者を憎むアンデッドの基本に忠実に、大和スケルトンは生物への敵意を強制される。その中でも、対人間への憎悪は特に強い。
本人はそんなこと全く知らないのだが、しかしその感覚は一種のセンサーとして働いたのだ。
(人間がいるんだったら任せるべきだ。例え誰だろうが、俺よりはマシだろう。だがどうやって知らせる? 俺はただの化け物だし、喋ることもできないし……)
まさか今の姿のまま人前に出るわけにもいかない。そんなことをすれば、アルノーを任せるどころか死体がもう一つ増えるだけだ。
そこで大和スケルトンは、一つ有益なアイテムについて思い出した。
(えっと……確かあったはずだ。…………お、これこれ)
アルノーのバッグから薬を探していたときに見つけたのだが、その中には顔を覆い隠す仮面があったのだ。
のっぺりとした白い仮面であり、顔全体を覆う作りをしている。目の部分に視野確保の為の穴が開いている以外にはこれといって特徴がない、あえて名前をつけるならば無表情の仮面だ。
装飾の類も何もなく、素人目に見ても味気ないとしか思えない。むしろ、ただひたすらに不気味なだけだ。完全に顔を隠すと言う以外の目的はない、美術的価値は皆無の代物であった。
(仮面をつける理由となると……宗教的なものか、あるいは祭りや儀式などで使うと考えるのが普通かな)
大穴でコスプレの小道具とかもあるかも、などとくだらないことを考えるが、結局の所大和スケルトンはわからないで結論付けた。
他にも、何か人に見せたくない問題のある顔を隠すと言った目的で使用されることも考えられる。だが、それこそ本人にしかわからない無い話だ。ここで大和スケルトンが頭を捻るだけ時間の無駄である。
今重要なのはこの仮面が何の為にあるのかではなく、顔を隠すことができるアイテムを入手したことなのだ。
(この男……たしかアルノーって言ってたっけ。とにかく、この人の服と仮面を合わせれば露出をほぼ無くすことができる。これでとりあえず姿を見られただけで即討伐って問題はクリアかな)
手に入ったことを素直に喜ぶことにしようと、大和スケルトンは疑問を一旦棚上げした。
本当なら泥やら血やらで汚れた衣服と自分の体を湖を使って洗いたいところなのだが、今は時間が無い。
大和スケルトンは急いでアルノーの衣服を剥ぎ、自分で身に着けていった。多少サイズがあっていない部分や、そもそも肉のない体につけることを想定されていない為に不具合の出る部分があったが、なんとか体を違和感無く覆い隠す程度には身につけることができた。
(よし。これで大丈夫だろ。アルノーさん、申し訳ないけど、拝借させてもらいます)
大和スケルトンは、そう頭の中で呟きながら肌着のみとなったアルノに向かって頭を下げた。
さすがに下着類は不要と言うこともあり、またさすがに怪我人を全裸にさせるわけにもいかないと言うことでできる限り残してこそいるが、普通に考えて森の中にいるべき服装ではない。
とは言え、今はそんなことを気にしている場合では無いと無理やり納得して次の作業に移った。
(後は向こうの人を呼ぶだけだ。とは言え、やっぱり直接ってのは危険だよな……)
一応骨の体を隠したとは言え、それでも不安はある。森の中でパンツ一丁の血だらけ男が倒れており、そばには血で汚れた服を着た仮面の怪しい人物がいるとなれば、化け物でなくとも怪しすぎる。
事実上追剥であることは否定できないと言うこともあり、存在を知らせるだけで姿は見せないのが理想だろう。言ってしまえば、この服は保険でしかないのだ。
そこで大和スケルトンは、近くに落ちている先ほどの戦いでも使った木の棒を手に取り、思いっきりその辺の木を叩いた。
(オラオラオラァ! こんだけでかい音させれば馬鹿でも気がつくだろ!)
まるで太鼓でも叩くように木を乱打する大和スケルトン。この音に余計なものが惹かれてくる恐れもあるが、大和スケルトンのセンサーでは近くの人間以外生命体を察知してはいない。
その感覚がどこまで信用できるのかは不明だが、もうそこまで考える時間は惜しいと、大和スケルトンはとにかく叩き続けるのであった。
「何の音だ?」
「さあ……? 確認してみるか」
そのまま30秒ほど続けると、音を聞きつけたのか人間達は大和スケルトンのいる方向へと進み始めたようだ。
彼のセンサーでは距離まで知ることはできないが、だんだん近づいてくる物音から察するにそう長い時間はかからないだろう。
そう判断した大和スケルトンは最後に服ごと盗ったアルノーの鞄のふたを閉め、水の中に飛び込んだ。先ほどの経験から、水の中こそが最良の逃げ道だと判断したのである。ついでに洗濯にもなるだろうし、一石二鳥だ。
「……どうだ? さっきの音の正体わかったか?」
「いや。今は何の音もしないし、誰も……ん? 誰か倒れてるぞ!」
「何ぃ!? ……こりゃヒデェな。おい! しっかりしろ! なんでパンツだけの上に血だらけなんだ!?」
「今はそんなことどうでもいい! 早く止血を――――」
(うん。どうやら任せて大丈夫のようだな)
やって来た人間達は、倒れているアルノーを見捨てることなく治療を行ってくれるようだ。
もし倒れている人間を無視して立ち去るような薄情者だったらどうしようかとはらはらしながら見守っていた大和スケルトンであったが、杞憂に終わったと水中で一息ついた。
そのままアルノは、水中を通ってその場から離れるのであった。
◆
当面の問題が解決した大和スケルトンは、しばらく水の中を移動した後再び森の中を彷徨っていた。水の中の方が安全かと考えていたのだが、水の中には水の中で魚の化け物がおり、とても相手にできなかったので陸に上がったのだ。
(全く……ここの生態系はどうなってんだよ……。まさか水の中にまで魔物がいるとは……。いくら呼吸が要らないからって、水生生物に水の中で対処できるわけ無いでしょ! ……まあいいや。こうなったら、無駄な考えは捨てよう。真っ直ぐ進んで行けば嫌でも森を出るはずさ)
大和スケルトンは、せっかく見つけたと思っていた安全地帯が実は危険地帯であったことに愚痴をこぼしつつ歩いていた。
相変わらず目的地のない適当な歩みではあったが、しかし大和スケルトンは一つ学習していた。
それはすなわち、真っ直ぐ進めばその内目的地に出るということだ。湖と言う明確な目的地へ行く為に無理やり森を突っ切ったことから、大和スケルトンはそれを学習したのだった。
学習などと言う言葉を使うには相応しくない力技ではあるが、これが実は結構有効な考えなのだ。
森で道に迷う原因の一つは、視界を遮る木々を避けて歩いているうちに方向感覚が狂ってしまうことだ。その結果、気がつけば同じ所をグルグル回っているという結果になる。
これを避ける為には進むべき方向を示してくれる道具を用意するか、あるいはその程度で感覚を狂わせられることのない森に慣れた人間の案内に頼るかだ。
そのどちらも持っていない大和スケルトンならば、無理やり真っ直ぐ進むくらいしか方法がないのも事実なのである。
また、本人も知らないことだが彼は知らないうちに出口付近までたどり着いていたのだ。基本的に日帰りで活動する冒険者や冒険者モドキと遭遇していることからもそれはわかるだろう。方向さえ間違えなければ、元々そう時間をかけずに森から出ることができる位置にいたのだ。
もっとも、その方向がわかっていないので適当に歩くこととなっているのだが。しかし、偶然か、あるいは人間の気配でも感じ取ったのか、大和スケルトンは町へと着実に足を進めていたのだった。
体内時計の類はあらかた死んでいる為に、大和スケルトンは本当に勘でしか時間を知ることのできない。
つまり本人は全くわかっていないと言うことだが、湖から大体三時間ほど歩いた頃だろう。ついに、彼は森から抜け出すことに成功した。
(ついに出口だ……。長かった、本当に長かった……)
もう当分緑は見たくないと思いながらも、一応の警戒を行いながら森を抜ける。森を抜けた先にあったのは草原。そのまま草原へ向かって大和スケルトンは駆け出た。
ある程度進んだところで全体を知るべくざっとどこまでも広がる草原を見渡す。まだ完全に日は昇っておらず、暗がりではあるが大和スケルトンには関係のない話だ。
目を凝らして遠くまで見てみるが、建物の類は存在しない。ただ地平線すら見えるほどに何もない平原が広がっていた。
森を抜けたら今度はこれかと一瞬落ち込む大和スケルトン。しかし、そうして視線を落とした所で自然物しか存在していないと思った平原に不自然なものを見つけた。
(これは……地面が二本の線状にへこんでるな。轍か? 向こうの方からずっと続いてるな)
大和スケルトンはその場にしゃがみこみ、地面のあとを観察する。
そこにあったのは重量に耐え切れなかった為にへこんだことによって作られた、平行に続いている二本の線。ほぼ間違いなく車輪の跡だろうと大和スケルトンは判断した。
車輪の跡があったということは、ここに車が通った証明だ。その車が機械的なものなのか、あるいは馬車のような類のものなのかはわからないが、一つ確かなのはそれなりの文明を持ったものの通り道であるという事だ。
(恐らくこの跡を辿っていけば町に行けるんだろうな。とは言え、どうしたものか……)
この車の持ち主が人間であるのかは不明だ。
普通に考えればそのような道具を作るのは人間しかいないわけだが、ここに来てからの経験で普通に考えることの馬鹿らしさは十分に理解している。
もしかしたら先ほど戦ったゴブリンのような魔物がそう言った文明を持っているのかもしれないし、それ以外にも大和スケルトンでは想定できないような例外はいくらでもありえるのだろうから。
そもそもこの轍の先にいるのが人間だとしても、それは彼にとって決してプラスとは言えない。既に彼は人間に刃を向けられ、そして人間を傷つける人類の敵なのだ。
もちろんそんなことは森で出会った極少数の人間しか知りえない話なのだが、隠しているとは言え化け物である大和スケルトンにとって人間は危険な相手なのだ。
それを踏まえたうえで、大和スケルトンは選択しなければならない。この轍を辿るか、それとも避けるかを。
ほんの数秒。もしかしたら自ら死地へと向かう暴挙かもしれない決断をするのには短すぎるともいえる思考時間の末に、大和スケルトンは自分の未来を選択した。
(……よし。この後を辿ろう。この先に何がいるのかはわからんが、別に他のルートが安全ってわけでもないしな)
結局の所、どの道を選ぼうとも安全など保障されてはいない。そして、何もない所に行くよりは何かあるところに行ったほうが生産的だし、面白いだろう。
それが彼の結論だった。碌な知識も何もない状態での無謀な判断ではあるが、安全確実な選択などもうやり飽きたと言う思いもあり、大和スケルトンは足元の轍に沿って再び歩き出した。
そして、そう長い時間をかけずに大自然の中から人工物を発見する。
(……壁、だな)
大和スケルトンの前に現れたのは巨大な壁。見ただけでもその頑丈さが伝わってくる、その存在感に圧迫されそうになる巨大な建造物であった。そこは丁度角に当たる部分であり、かなりの距離があるとは言え森に平行に作られている。
巨大なものと言うのはそれだけで見るものを圧倒するものであり、大和スケルトンもその巨大な壁を前に暫し立ち尽くす。
もっとも、どちらかと言うとその驚愕は、あまりにも前時代的すぎる石製の巨大建造物なんてものを見たからかもしれないが。
ともかく、しばらく呆然とした後に大和スケルトンは首を振って再起動した。
(まあ、魔物とか魔法とかが実在する異世界だもんね。こんなのもありえる話なのか……。とりあえず、技術レベルはかなり遅れていると判断してもいいだろう。こんな石製の建造物なんて時代劇の中にしかありえないしな)
再起動した後、彼はこの世界の文明レベルを予想する。
彼の住んでいた場所は、全てと言っても過言ではないほどに人工金属による建造物で埋め尽くされているのだ。重要文化財などのオブジェとしての、観賞用として以外にこんな石製の壁なんてものはありえない。
そんな常識もあり、彼はこの世界を技術的には低いと判断した。もちろん、目の前にあるのは観賞用であり、別の場所には発展した文明があると言う可能性も十分にあるのだが。
しかし、よくよく見てみると壁につけられた真新しい傷なのがあることから、現在も防衛の為にこの壁は使われているのではないかと予想したのだ。
(となると、この壁は……もっと言えば、この壁の向こうにある何かは何者かの攻撃を受けているとも考えられるのか。中に住んでいるのが人間かどうかもわからない現状でこれ以上考えるのは無駄だが、少なくとも平和な生活を送っているってことはないんだろうな)
壁から得られる情報を元に、少しでも現状を把握しようと大和スケルトンは頭を捻る。
防衛だの戦争だのと言う荒事への知識は皆無なので素人の浅知恵でしかないものの、それでも何も考えないよりはずっといいだろう。
そう思い、少しでもわかることを見逃さないように思考を止めないまま自分の足元を見た。
(さて、轍は壁沿いに進んでいるな。多分どっかに入り口があるんだろうし、またこれを辿るか)
大和スケルトンは、止めていた足を再び動かす。進める方向は森に平行な方向と垂直な方向があったが、轍は森に平行方向へと伸びていた。
それに従い、大和スケルトンは轍に沿って歩き続けた。視線は左手に見える壁と、右手に見える草原を行ったり来たりしている。
しかし、これと言って新しい情報は無かった。相変わらず壁には何かで叩いたような、あるいは引っ掻いたような傷跡。そして、草原に至っては人っ子一人いない。
変化と言えば精々風が吹くくらいの、何も起こらない状況。そんなのどかな光景を前に、止めないように心がけていた思考も乱れ始めた。どこまでも飽き性なこの男は、変化が無い環境で一つの事を続ける事などできないのだ。
(傷跡……傷跡か。こんな高々石でできてる壁一つ壊せないんだったら、ここは思ったよりも平和な世界なのかもしれないな。完全なる安全管理を行っていたあっちの世界は例外としても、弱いって意味で安全かもな。こんな壁、旧時代の兵器でも一撃でぶっ壊せるだろうし……)
大和スケルトンは自分の知る兵器についての知識を掘り起こし、この程度の壁で役立つのなら思ったよりも安全なのかもしれないと考えた。
はっきり言って甘過ぎる考え方だが、彼はとにかく安心したかったのだ。人間に本腰を入れて攻められたとしても、何もできずに死ぬ事は無いだろうと考えたかったのだ。
残念ながら、この世界の兵器たる魔法について何一つ知らない現状では無意味な考えだが。本当に、気休めにしかならないわけであるが。
例えば、壁を破壊しないまま内側にダメージを与えるような魔法があるのかもしれない。表面の傷はその余波であり、意味があるものでは無いのかもしれない。そもそもこの壁だって石でできていると言うだけで魔法的な力によりミサイルだって弾き返すような鉄壁なのかもしれない。
そんな風に考える事もできる以上、少しでも自分のいいように考えようとする思考パターンは不安の現われとしか言えなかった。
そんな心の防衛本能であり、しかし現実で生き残りたければすぐにでも捨てなければならない楽観的思考に気がつくこともないまま、ついに大和スケルトンは壁の切れ目にたどり着いた。
(む、人だ。……門番かな?)
長い石壁の終わりには、何人かの人間が立っていた。全員同じ意匠の鎧に槍を装備しており、同一の組織として活動しているのだと推定できる。
その直立不動で周囲を警戒する姿から、おそらく警備兵か門番のような仕事をしていると大和スケルトンは予想した。
大和スケルトンの予想は間違ってはいない。彼らの仕事は周囲の警戒であり、魔物が街中へ侵入しないように監視すること、そして町の中へ入れていい者とそうではない者を選別する役割を持っている。
つまり、視界を遮るものが無い草原を注意深く警戒していると言うことだ。当然、大和スケルトンが門番達に気づく前にその存在を確認していた。
「……向こうから誰か来ますね。服装からして冒険者でしょうか?」
「あん? あー、ったく。こんなようやく日の出って時間に誰だよ」
「誰かは知りませんが、朝早いからって怠けないでくださいよ」
「へいへい……。でもまあ、冒険者だったら素通りさせていいだろ。てか、二足歩行だってんなら素通りさせていいと思うんだけどねぇ。どうせこの辺りに人型の魔物なんているわけないんだしよ」
「いや、さすがにそれはどうかと思いますが……。一人なのも気になりますし」
実にだらけている。そうとしか言えないやる気の無い男に、兵士は見せ付けるようにため息をついた。
何故こんなにだらけているのかと言えば、ようやく太陽が姿を見せ始めた早朝であり、はっきり言って眠いのだというのが一つ。そして、彼らの仕事内容がもう一つの理由だ。
そもそもこの町――ドルア城塞都市は、兵士か冒険者、あるいはそれをターゲットにした商人や職人以外が訪れることは滅多にない。
魔物の発生地帯兼樹海という天然防壁がある以上、わざわざこの町を落とそうなどと考えるような国はないだろう。
もちろんこの国の住人であるのならば魔物の進行を食い止めるこの町をどうこうしようとは思わないし、他国の人間がガルド帝国へ攻撃する目的で攻めようと考えるのならこんな戦闘員しかいない辺境の町を狙う必要も無いからだ。
来るとしたら魔物くらいだが、そもそも魔物は律儀に門まで歩いてくることは無い。町を囲む壁に体当たりでもして帰るのが関の山だ。そうでなくとも、肉眼以上に信頼できる魔法的な監視網を張り巡らせているので、彼らに期待されていることなどほとんどないのだ。
そんな、攻めて来る相手を想定できない場所の門番。それが彼らだ。
それでも国防を任される兵士が仕事に手を抜いていいのか。そんなことを心中で新米の兵士は考えていた。
彼の名はカール。今月になってからこのドルア城塞都市に配属された新人である。
このドルア城塞都市に新米兵士を配属する理由は、はぐれ魔物と戦うことで実戦経験を身に着けさせること。そして、軍隊と言う特殊な集団に慣れさせることだ。
軍隊とは言っても、彼ら兵士は町民から志願した素人に毛の生えた程度の存在だ。所属する為には高い実力を初めとする様々な審査がある騎士団と違い、彼ら兵士は数をそろえて動かすことを前提とした、個の質にはこだわらない最下級兵なのである。
ここに勤めることは、魔物の発生地帯がすぐ側にあると言うこともありある程度危険ではある。だが、森の外に強力な魔物が出てくることはほとんどないこともあり、真の危険は皆無と言っていい。
仮に何かあったとしても、腕に覚えのある人間がわんさかいる町なのでいざと言うときは彼らに救援を求めればいい。故にこの場所は、もしかしたら使えるかもしれない新人を試し、実戦経験を積ませるには丁度いい所なのだった。
「いいから行きますよ。仕事しましょ」
「あー、めんどくせ……」
「思ってても口にしないでくださいよ……」
だらけた発言を行ったのはカールと同じく訓練目的で派遣された兵士であり、ここに配属されてから三年ほどの中堅、エドモンドだ。
この町で経験を積み、認められれば別の配属に移ることになるのだが、彼はとにかくやる気が無かった。
健康体であり、帝国民であれば誰でも所属できるわりには日々の食事に困らない職であるから志願しただけであり、特に成りあがろうとか、名を上げようとかは一切考えていないのである。
そのために、通常長くても二年ほどで交代となるドルア勤務をいまだにやらされているのであった。
「ホントにかったりー……。なあ、どうせ人間なんだし、素通りさせちゃわね?」
「ダメですってばー」
「なんでだよ、どうせ人間相手なら通しちゃいけない奴なんて来ないだろ」
エドモンドが言ったように、この町に入るために必要な資格の類は無い。そのため、人間であるのならば通していいと言うのはあながち間違いではないのだ。
仮にご禁制の薬品や危険物を持ち込もうとしたところで、門番の前にやってくるより早く魔法によって発見されるのだからそれに拍車をかける。もちろん犯罪者が魔法対策を施した上でこの町を隠れ蓑にしようとやってくる可能性がゼロではないので、本当に何の確認もしないと言うのは問題ではあるが。
つまり、この町で言う門番の仕事は『やって来た人間の名前とその目的を聞く』と言うことだけなのだった。兵士全員に配られる槍を振るうこともまず無い、正真正銘配属されたばかりの新人用の仕事なのである。
ちなみにエドモンドがこんな新人専用の、ひたすら鎧をつけた上で立ち続けるだけの忍耐力と命令遵守能力を鍛えるためのしごきのような仕事をやらされているのは、前日にサボっているのを発見された罰である。
「ほら、ブツブツ言ってないで。そろそろ来ますよ先輩」
「あー、はいはい。ったく、なんでこんなことを真面目にやれるのかねぇ」
カールは、歩いてきた冒険者風の人物の元へエドモンドを引きずって向かった。この場所には二人以外にもカールの同期が数名詰めているが、全員で向かう必要も無い。と言うか、仕事の内容的には一人で十分なのだが、何かあったときの為に二人で動くことが規則によって定められているのだ。
「止まれ! あなたの名前と、この町へやって来た理由を述べてください!」
カールは散々教え込まれた定型文を読み上げた。後は本人申告の話を記録しさえすればお終いという簡単なお仕事だ。
とは言え突如襲われることも考慮に入れなければならないので、一応身構えるのは忘れない。その隣で、片足立ちになってあくびをしている先輩もいるがカールは無視した。
しかし、いつもならすぐに終わる作業だったのだが、どうも様子がおかしかった。誰であろう、やって来た人間がだ。
まず、怪しんでくださいとでも言いたいのか顔を覆う仮面をつけている。それどころか、肌を全く露出しない服装のせいで男女の判定すらできないのだ。さらに、片腕を袖に通していないのも気に掛かる。
もしかしたら腕が無いのかも知れないが、懐に腕をしまいこんで武器を握っているとも考えられるのだ。
「先輩、用心してくださいよ」
「あー? ダイジョブだっての。あんな装備、傭兵や冒険者にはよくいるだろうが」
冒険者はもちろん、行商人など自然の中を旅する者ならば虫や草木にやられないように全身を覆う格好をすること自体は何もおかしなことではない。
現に、カールたちの装備だって鎧の下に全身を覆う服をつけているくらいだ。だが、その上顔まで隠されると外見から得られる情報がほとんど失われてしまう。
カールはそこに不安を覚えているのだ。だから、せめて少しでも何者なのかを把握するために注意深く観察した。
身長的には男性にしては低め、女性にしては高めとどちらとも取れるくらいだ。服越しに見える体格は男性としては――いや、女性としても細いくらいだ。
しかし、同時に女性的な丸みと言うものも感じ取ることはできない。結局、カールには性別すら判断がつかなかった。
そして、そんな怪しい人物は、名前を言うどころか一言も発せずにばたばたと袖に通している方の手を振り回していた。
「……? 名前と目的を!」
もしかして聞こえなかったのかと思い、カールはもう一度声を張り上げる。
しかし、確実に聞こえているはずの命令に従わず、仮面の人物はやはり一言も声を発しなかった。
「最後だ! 名前と――」
「あー、待て待て。こりゃ特殊な例だわ」
もしかしたら名前を名乗ることができない立場の人間なのか? カールはそう警戒し、初めて訓練以外で使うかもしれない槍を握った手に力を込める。
最後通告として質問を繰り返すカールだが、それを遮ってエドモンドが声を出した。もしや目の前の仮面の人物が喋らない理由がわかるのかと、カールは隣のエドモンドのほうへと振り向いた。
「特殊……ですか? どう言うことでしょう?」
「ああ。あの仮面は恐らく傷を隠す為だろうな。多分、顔をズバッといくようなデカイ奴だ。さらに、それで喉をやられたんだろ。冒険者って連中にはよくいるんだよ、仕事柄そんなそんなデカイ傷こしらえることも、治療する金が無いから放置するって奴もな。戦士タイプなら声が出せなくても戦えないことはねーしよ。もっとも、戦士にとっちゃあ命とも言える腕まで落としちまった見てーだがな」
「なるほど……。では、特殊な例とは声を出せないと言うことですか?」
「そう言うこと。冒険者が仮面つけてりゃ十中八九顔に傷跡があるからだろうし、それで喋れねーとくれば確定だろうよ。そうだろ? そこの人!」
エドモンドは、仮面の人物に確認するように問いかけた。すると、相手も少し考えるそぶりを見せた後に頷いた。
それを見てやっぱりな、とエドモンドは呟いた。しかし、カールとしては素直に信じていいのかと疑問に感じる。それを、仮面の人物には聞こえない小声でエドモンドに問う。
「でも先輩。仮面で顔を隠した不審者ですよ? 怪しいと思うんですけど」
「まぁ、気持ちはわからんでもないがな。あいつの気持ちになって考えてみろよ? わざわざ怪しんでくださいと言ってるような格好で俺らの前に現れるわけ無いだろ」
「……それは、そうですね」
仮面をつける理由として、傷跡を隠す以外にも考えられるものはある。
芸術的価値皆無だとその方面に何の知識も持たないカールでさえ理解できるその仮面をファッションとして身に着けている可哀想な人と言うケースや、純粋に他人に顔を見せられない後ろ暗い人間などだ。
カールが心配したのは後者だが、それはありえないと言う話だ。顔を全て隠す仮面をつけるなど、怪しい者ですと看板を持って歩いているようなもの。隠し事がある人間が、そんな真似をするはずが無い。
一応、怪しまれてはいけない立場であるにも関わらずその程度のことすら考えていない超がつくマヌケと言うケースが無いわけではないのだが、そこまで考えるだけ無駄だろうと自分の頭に浮かんだ反論を黙殺した。
そこまで考えた所でエドモンドの話に納得したカールは、ふと自分の発言を思い返し、仮面の人物に慌てて頭を下げた。
「どうも失礼しました! そちらの事情も知らずに声を荒立たせてしまい……」
「一人なのもそれが理由かい? 傷持ちは嫌われる傾向があるからねぇ」
「ちょ、先輩!? それはさすがに失礼ですよ! いや、本当に申し訳ありません!」
「おっと、こりゃ失礼……。侘びだ、面倒な手続きは免除してやるから行きなよ」
相手の姿を見ただけで事情を察したエドモンドをカールは一瞬見直しかけたのだが、すぐに失礼極まりない発言を行ったことで相殺された。
肩に乗せた槍の柄で自分の顔を軽く叩きながら発せられたその一言に慌ててまた頭を下げるカールだったが、そんな真面目な彼を尻目にエドモンドはさっさと話を進めてしまう。
その内容は、結局の所何もしないで素通りさせると言うことだ。それも、侘びと言うカールがダメを出しにくい理由をつけて。
一度こちらからお詫びと言う形で通ってよいと言ってしまった以上、訂正はしにくい。本来なら名前と目的を記録しないといけないのだが、もう素通りさせるしかないだろう。
「……先輩。最初からこれが目的ですか?」
「はて? 何の事やら」
カールは薄々エドモンドがこんな真似をしたわけに気がついていた。言葉を話すことができない以上、ちょっと話を聞くだけの作業が大変なものになってしまうからだ。
もし目の前の人物が文字を書くことができれば声を使わずとも簡単に意思疎通できるのだが、この国……というより、この世界での平民の識字率はそう高くない。
なにせ、実力と人間性の面では厳しく審査される冒険者の中にだって読み書きができない者はかなりいるのだ。割合的には半々と言うところだろう。
もし読めないほうだった場合に仕事量が増えると判断したエドモンドは、理由をつけて仕事を放棄したのだ。
「はぁ……。仕方がありませんね。それでは、これが立ち入り許可証です。一応、街中で公的施設を使う際にはこれを提示する必要があるので、失くさないでくださいね」
カールは諦めたようにため息をついて腰のポーチから手のひらサイズの紙を取り出し、それを仮面の人物に渡した。
門番からしてこんな有様なのであまり重要ではないが、一応怪しい人物ではないと判断された、入り口から入ってきた証となるものだ。
そこには、一言大陸共通文字で『ドルア城塞都市への立ち入りを許可するものである』と書かれている。別に権限をもった人物のサインや判子があるわけでもなく、いくらでも偽造できる建前だけのものではあるのだが、一応こういったものを用意しないとならない規則なのである。
ドルア城塞都市のように密入国者や犯罪者から見向きもなされない例外ではなく、もっと貴族が暮らしているような町へ配属になったときには公的に作られた許可証を提示する必要があるので、これもその研修の一つなのだ。
仮面の人物はカールの手にある許可証を暫し見つめた後、一回頷いて手に取った。その反応を見て、カールはやはり文字が読めないのだろうと確信する。
もっと警戒厳重な町への立ち入り許可証ならば、ごちゃごちゃとアレコレ書かれているために目を通すのにも時間がかかる。しかし、この町の許可証はシンプルに一言だけなので、文字さえ読めれば間を置く必要すらないはずなのだ。
カールとしては例え手間がかかってもしっかりと仕事をすべきだと思っているのだが、しかし膨大な手間を払わないですむと言うのにも心惹かれる話だ。特に、僅かでも面倒くさいと判断したが最後、すぐに逃げようとする怠慢先輩の監視をしながらというのが堪える。
結局、カールは甘い誘惑に逆らわず、サボるために無駄に知恵を凝らした先輩の機転をそのまま流したのだった。
視線だけは腰に着けた物入れに手渡した許可証を入れながら町に入っていく人物を追っていたが、足はエドモンドの後ろを追って定位置へと向かうのであった。
ようやく最初の森を脱出。まさか舞台一つ移動するのに十万字もかかるとは……。