第7話 殺し合い
ようやくまとも(?)な戦闘回です。
(……フッ! こうなったら腹を括って……逃げろぉ!!)
「あ? ……え?」
剣士の男と二匹のゴブリン。結果的に両者に挟まれる形となった大和スケルトンは、即座に湖沿いに走り出した。
相手は自分を簡単に殴り飛ばしたゴブリンと、そんなゴブリンを一撃で殺した剣士。全く勝ち目がない以上、この対応は極自然なものだろう。
しかし、スケルトンの特性を知っている剣士の男には予想外としか言えなかったのだろう。虚を突かれたと言うような驚きの声を上げた。
そんな驚きと足の怪我のせいでまともに動けない剣士の男は、逃亡と言う意味では問題のない相手と言えた。
しかし、そんな知識を持っていないゴブリンたちからすればその行動は“自分達で倒せそうな相手が逃げ出した”というものだ。
一切食することの出来ない骨のみの獲物などゴブリンだって遠慮したい相手と言えるが、この世界において獲物を狩ると言う行動にはもう一つ意味がある。そう、魔力を持つ相手を殺すと言うことは、そのまま自分の強化に繋がるのだ。
弱小モンスターであるゴブリンだからこそ、強さへの欲求は強い。故に、自分達でも勝てそうな相手を逃がす道理はない。
自らの糧とするため、ゴブリン達は動き出す。二匹の内、大和スケルトンを殴り飛ばした一匹はそのまま彼を追いかけた。
その速度は同等と言った所で、先にスタミナの切れた方が負けるといえるだろう。その勝負ならば、アンデッドである大和スケルトンの勝利は間違いなかった。
しかし、ゴブリンにも獣並みには知恵があった。追いかけなかった方のゴブリンは、丁度よく足元に散乱している木の枝を拾い上げ、大きく振りかぶって大和スケルトンに向けて投げつけたのだ。
(あっ!? しまった、足をとられた……!!)
「……いい腕じでるな」
バキッっと言う木の枝がへし折れる音と共に、大和スケルトンは前のめりに転倒した。
ゴブリンの投げた木の枝が、うまく大和スケルトンの足に絡まったのだ。なかなか精密なコントロールの持ち主だと暢気な感想を抱きながら剣士の男が感心している側で、大和スケルトンは慌てふためいた。
そして、そのサルを思いっきり歪めたような顔を、さらに邪悪な笑みで歪めたゴブリンが喜びの泣き声を上げながら追撃する。先ほどの剣士の男相手にやったように、倒れた大和スケルトンを殴りつけたのだ。
(ガァ! く、砕ける!)
何とか拳の乱打から逃れようとするが、それは叶わない。優位な体勢であるのをいいことに、ゴブリンは立て続けに数発の拳と蹴りを入れた。
殴られた痛みはほとんど無いが、いつ体が砕けてしまうのかわからない大和スケルトンにとってはたまったものではない。
死の恐怖に怯えながらも、つい先ほど遠目から見ていた剣士の男のように大和スケルトンは必死で転がりながら逃げようとする。
だが、棍棒を持っていないだけマシとは言え、それでも片腕落ちのまま転がるのはなかなか難しかった。
(この! うぉっ!)
被弾しながらも、大和スケルトンは泥まみれになりながら必死に転がり続ける。
その姿は先ほどの剣士の男の焼き直しにも見えるが、しかし剣士の男と彼には一つ大きな違いがあった。
それは、周囲への観察力と対応力。経験を積んだものなら誰しも無意識レベルで行うような地形把握だ。つまり、大和スケルトンは逃げるのに必死ですぐ側に湖があることを忘れたと言うことだった。
(あっ!)
「……落ぢだな」
この湖は、浅瀬の後から突然深くなる。水の上をゴロゴロ転がっているうちに、大和スケルトンは深い場所へと落ちてしまったのだ。
いったい何をやっているのかと剣士の男は呆れているが、当人にとってはそれではすまない。
(やばいやばい! 溺れる!?)
突然水中に入ってしまった大和スケルトンは、パニック状態になった。片腕を必死に動かして何とか泳ごうとしているが、どう見ても溺れているようにしか見えないような動きだ。
しかし、そもそも呼吸などしていないスケルトンが溺れるわけもない。体を構成するものが骨しかないスケルトンにとって、水中に入るとは水の抵抗以外に何の不自由もないことなのだ。さらに言えば、光を必要としない視覚能力を持っているので、水中でもはっきりと目を働かせることもできる。
そのことに、水中で暴れながらも十秒ほどで大和スケルトンは気がついた。
(水の中でも問題なく活動できるのか……。便利な体だな)
自分の不思議ボディにいっそ呆れとも言える感情を抱くが、同時に便利だから良いかと諦めた。溺れてしまうよりは水中でも問題なく活動できるほうがずっといいのだから。
このまま水の中を通って逃げてしまおうか。大和スケルトンは追ってくる様子のないゴブリンのことを思いながらそう考えるが、そこで一つ閃いた。
(待てよ……追ってこないってことは、あいつ等は水中に適応できないってことか? だったら……)
冷静になり、初めて有用な作戦を閃いた大和スケルトンはすぐに行動に移した。
まずは泳ぐことは諦めて水中を歩行し、崖のようになっている部分を片手でよじ登る。そして、そのまま水上へと上がっていった。
(浮力があって助かったな。さて、ゴブリンは……来た来た)
水の中へは行けない為に立ち往生していたゴブリンは、自ら這い上がってきた大和スケルトンの姿を確認すると一瞬驚いたように泣き声を上げるが、すぐに再び突撃を行った。
先ほどは何も出来ずに殴られるだけの大和スケルトンであったが、今度はそうは行かない。繰り出されるゴブリンの拳を避けようとはせずに、あえて腹で受け止める。そして、その衝撃に逆らわずに、むしろ自分から後ろに飛んで再び水の中へと飛び込んだ。
ただし、アンデッドである大和スケルトンは痛みを感じないことを利用し、殴られても怯むことなくその腕をしっかりと掴んだ。腕を掴んだまま水に落ちるということは、これでゴブリンを水中に引き込むことに成功したと言うことだ。
「ガグギィ!?」
(一緒に沈みやがれバケモン!!)
突然水中に引きずり込まれたゴブリンは、先ほどの大和スケルトンのようにパニック状態になりとにかく暴れる。腕を振り回して必死に陸上へ上がろうともがくが、当然大和スケルトンがそれを許すわけもない。
大和スケルトンは、水中でゴブリンに覆いかぶさるように絡みついたのだ。腕力ならゴブリンの方が上だが、身長では圧倒的に大和スケルトンが優位なのである。
ゴブリンも抵抗するものの、水の中ではうまく力を出せない為か大和スケルトンを引き剥がすことが出来ない。
死にたくないともがき苦しむゴブリンだが、大和スケルトンは一切力を緩めることはしない。むしろ、そんな苦しむ姿に邪悪な愉悦を感じてしまっていた。
(こんな性癖はなかったと思うんだがなぁ……。苦しむ姿を見るのがここまで愉快だなんてねぇ)
ゴブリンがいったいどの程度で溺れ死ぬのかは大和スケルトンにはわからないが、今までの経験上スタミナにはかなりの自信を持っていた。
それに加えて、自分にタイムリミットはないのだ。この状況に持ち込んだ時点で、大和スケルトンの勝利は確定していた。
ゴブリンのもがき苦しむ姿に満足しながらも、一切油断も手加減をせずに最後まで拘束し続ける。そして、ついに終わりがやって来た。
(……動かなくなったな。死んだか?)
ひたすらもがいていたゴブリンは動かなくなった。もしかしたら気絶しただけ、あるいは死んだ振りかもしれないと警戒をを続ける大和スケルトンだが、ついに死を証明する証が現れる。もう何度も見た魂が、ゴブリンの体内から浮かび上がってきたのだ。
(魂出たって事は……終わりだな)
ゴブリンの体から赤い魔力が噴出し、一部が大和スケルトンに吸収されていく。それだけでも今までの虫や小動物を遥かに上回る充実感を味わうが、メインディッシュはこれからだ。
淡く光る宝石のようにも見える魂を、大和スケルトンは鷲掴みにした。そして、そのまま手の上で転がすように品定めをする。
(魔物の魂か……。外見は今までのと変わらんけど……まあ、小動物よりはうまいんだろうな)
もっと派手なものだと想像していたためか、小動物と大差ない外見の魂に少々拍子抜けしてしまう。それでも食べてみれば少しは違うかもしれないとスキルを発動し、魂を自分の中に取り込む。
その瞬間、大和スケルトンの体が振るえた。
(なんだ、これ。今までのと全然違うじゃないか……!)
初めて手に入れた魔物の魂。それは、魔力を扱う術を知らない弱者のものとは比べ物にならない力を内包していた。
美酒を飲み干した時のような心地よい酩酊感。さらなる力を求める魔物の本能。そして、高まった力が後押しするアンデッドの本能。
それらが重なることで、大和スケルトンの理性が一気に侵食されていく。今すぐにでももう一匹のゴブリンを、そして剣士の男を殺し、魂を貪り喰らうと言う欲望が抑えられなくなっていく。
(地上には……アトニヒキ)
大和スケルトンは先ほどと同じく陸へよじ登った。
そこに待っていたのは、手持ちの道具で何とか折れた足の治療を行っている剣士の男と、仲間が湖に引きずり込まれたことで恐る恐るといった様子で大和スケルトンを森から伺うゴブリン。
僅かに残った理性が、剣士の男はしばらく逃げられないことを理解する。そこで大和スケルトンは、標的をゴブリンに絞った。
(ガアァァァアアァァァアッ!!)
声こそ出せないものの、心中では本能むき出しの雄たけびを上げてゴブリンへと突進する。
突然向かってきた大和スケルトンに一瞬驚き、ゴブリンは体を強張らせる。しかし、先ほどまでは自分の方が力は上であった為だろう。水に落ちた仲間がどうなっているかは瞬時に頭から抜け落ちたのか、ゴブリンもまた大和スケルトンへ向かって突進を行った。
ズドンと重いものが激突した時の重厚感のある効果音が聞こえてきそうなほどに、両者共に正面から勢いよく激突する。そして、そのまま取っ組み合いとなった。
(グヌッ!? ……クカカッ! ヨワイナ!)
「ギィィィィ!?」
衝突の瞬間全身砕け散っていてもおかしくはない骨である大和スケルトンだが、体重で勝るゴブリン相手に何故か一歩も引くことなく片腕で拮抗した。
先ほどは完璧に打ち勝つことが出来たはずの相手に力で拮抗すると言う事実が、ゴブリンの表情に焦りを持たせる。
いったい何故敵を払いのけることが出来ないのかと小さい脳みそで考えるように困惑の表情を浮かべるゴブリンだが、その理由はそれほど難しいものではない。
一言で言えば、両者の身長さが原因だ。
恰幅のいいゴブリンと言う種族だが、身長は人間の子供程度しかない。一応成人男性と同等の骨格を持つ大和スケルトンと力比べをすれば、当然上から押さえ込まれるような形になる。
そうなれば、上から捻じ伏せようとする大和スケルトンが圧倒的有利なのは一目瞭然であった。
「ギ、ギィィィィイイィィ!!」
(クハハッ! ムダダァ!)
口から喉が潰れるのではないかと言うほどに叫び声を上げて力を込めるゴブリン。しかし、やはり力比べという持久力を問われる勝負をアンデッド相手にする方が間違いである。
徐々にゴブリンの両腕に込めた力が弱まっていく。それに対して、大和スケルトンは全く衰えることなく残された片腕に全力を込め続けた。
そして、およそ30秒ほどのにらみ合いの末、ついに均衡が崩れた。
(イマダッ!)
自分が押していると狂気に犯されたまま理解した大和スケルトンはゴブリンを突き飛ばし、右拳を振りかぶる。そして、両腕を弾かれたせいでのけぞるような体勢になっているゴブリンの顔面目掛けて裏拳を放った。
その一撃にたまらずゴブリンは悲鳴を上げ、鼻血を出しながら仰向けに倒れる。大和スケルトンはそのままゴブリンに覆い被さり、そのずんぐりとした首に手をかけた。
(シネ! シネ! シネェェ!)
今の大和スケルトンの腕力は、平均的な成人男性を上回る。その力を持ってすれば、所詮弱小魔物であるゴブリンの首一つへし折るの程度なら造作も無い。
最後の足掻きと言わんばかりに手を振り回して暴れるゴブリンだが、すでに遅い。アンデッドの狂気を覚ますのには程遠い弱弱しい抵抗としかならず、ついに硬いものがへし折れるような嫌な音と共にその首はあらぬ方向へと曲げられた。
魔物とは言え、その基本構造は普通の生物と変わらない。ならばこそ、首を折られたゴブリンの命もまた消え去ったのだ。
死してまもなくゴブリンの魂が浮かび上がる。間髪いれずに大和スケルトンはそれを捕獲し、喰らいつくした。
(……ご馳走様)
二度目であった為か、先ほどのような狂乱を見せることはなかったものの、やはり圧倒的な充実感と幸福感を味わう。同時に、ある程度腹が満たされた為か理性も戻ってきた。
もう用はないとゴブリンの死体から手を離し、そのまま放置する。ゆっくりと立ち上がった大和スケルトンは、残った最後の一人である剣士の男へと振り向いた。
「いったいなんなんだよ……。さっきの様子を見る限りやっぱりアンデッドってやつか? 何でこんな所にいるのかわかんねーけど、とりあえず狩るか?」
ゴブリンを相手にしている間に応急処置を済ませたのだろう。先ほどの潰れた声ではなく、平時の状態に戻っているようだ。
さすがに折れた足は応急処置として添え木をしている程度だが、声を聞く限り折れた鼻は治っているようだ。
いったいどんな手品を使ったのか大和スケルトンにはわからないが、考えてもわからないことを考えるだけ無駄な時間であるし、どうせ魔法の薬でもあるのだろうと適当に結論を出す。
結局の所、魔法が存在する世界でわからないことを悩んでも損するだけだろうと言う現実逃避を含んだ達観なのだが。
(さて……足一本失っているとは言え……勝てるか?)
そんなことを考えながらも拳を握る大和スケルトンとは違い、剣士の男は握った剣を構えることもなく重力に任せて垂れ下げている。あるいは下段の構えという物なのかもしれないが、その手の知識のない大和スケルトンからすれば無警戒としか見えない。
そんな態度をとっているのは、剣士の男の修める剣術がそう言うものなのか、あるいは構える必要すらないと判断されているのか。大和スケルトンにはその判断がつかない。
その戦力差の不明瞭があり、突撃するには躊躇いがある。
むしろ、途中までは追い詰められていたとは言え、相手は大和スケルトンが一対一で何とかしとめられるゴブリンを三匹纏めて相手にして勝利した相手だ。普通に考えれば剣士の男は大和スケルトンを遥かに上回っていると考えるべきだろう。
少々本能に飲まれはしたものの、そもそもの目的は剣士の男の服なのだ。故に、逃げることは躊躇われる。
だがいくらなんでも無策に戦うのは危険でしかない為、大和スケルトンは構えるだけで棒立ちとなるのだった。
しかし、圧倒的強者として警戒されている剣士の男も、大和スケルトンの予想とは違って相当困っていた。
(……なんで向かってこねーんだ? アンデッドとは意思を持たない人形のような存在。生者を見れば闇雲に襲い掛かってくる……んじゃないのか?)
剣士の男。名をアルノーと言う。
彼は大和スケルトンが遭遇し、片腕を落とされた冒険者達とは別種の人間だ。その正体を一言で言えば、冒険者のなり損ないである。
この世界において、冒険者とは簡単になれるものではない。国によって認められた一種の特権階級ともいえる存在なのだ。
特権階級といっても貴族のように権力があると言う意味ではなく、幾つかの優遇措置を受けることが出来ると言う程度だが。
それでも冒険者の名を欲しがるものは数多く、それ故に一定以上の能力と信用のないものには受理されない。能力面だけならクリアしていたとしても、公的に信用できる人間からの紹介状等がない場合は門前払いということすら珍しくない職業なのである。
紹介状自体は国に登録されている村の村長レベルでも構わないが、ある程度の人間から信頼できると太鼓判を押される必要があるわけだ。
そして、アルノーにはそう言った後ろ盾がなかった。
彼は孤児である。ガルド帝国は近隣の小国に比べれば治安もよく、衛兵や騎士といった防衛戦力も整っているほうだ。しかし、それでも野盗盗賊の類はいるし、魔物による被害だって五万とある。
そんな、言ってしまえばよくあることでしかない不幸な事件により、アルノーは幼くして両親を失った。
元々貧民の産まれであったこともあり、当時まだ十にも達していなかった彼はスラム街で生きていく事となった。それこそ、生き残る為なら乞食の真似事から盗みまで何でもやるのが当たり前の世界だ。
実に不幸な話だが、そんな孤児はこの世界にいくらでもいる。はっきり言って、アルノー一人を贔屓するような物好きがいるはずもない。誰からも手を差し伸べられることなく、最底辺を這いずり回って彼は今日まで生き延びてきたのだ。
だが、しかしそれでも彼は神に愛されていた。
本当に神に愛されていたのならばそもそも孤児になることもなかったのだろうが、それでも彼には才能があった。剣の才能だ。頂点に上り詰めることが出来るような逸材ではないかもしれないが、並みの人間を凌ぐ才能があったのだ。
剣と呼ぶには無理のある拾ってきた鉄の棒ではあったが、武器を持ってさえいれば無法地帯と化していたスラム街でもかなりの強さをアルノーは誇っていた。
さらに十五歳を迎えた頃、孤児を利用する犯罪組織と幸運にも関わりを持つことが出来た。日々の食事を得る為ならば犯罪行為も辞さないスラムの孤児を利用する罪人集団は多いのだ。
構成員として受け入れられるといった話ではなく、小さな雑務を行う程度の話であったが、そこで彼は魔法の心得のある人物と接触を持つことが出来たのだった。
この世界において、生まれ持った、あるいは後天的にスキルを身に着けた一部の者以外は魔力を扱うことが出来ない。持たざるものがそれを可能とするには、ノウハウに基づいた鍛錬が必須条件なのだった。
魔法の心得があるということは、当然魔力の扱いを覚える鍛錬方法を知っていると言うことだ。同じ孤児相手はもちろん、大人相手だって負けることはめったになかった彼も、極稀に遭遇する魔力の扱いを知るものには手も足も出なかった。
アルノーは魔力と言う力の偉大さを経験で知っていた。だからこそ、彼はその男に必死に取り入り、時には命令されるまま強盗から殺人まで何でも行い、ついに魔力の扱いを身につけることに成功したのだ。
そうして、アルノーは元々の剣の才能に加えて魔力を得る事に成功した。もはや、スラム街にアルノーの敵はいないと豪語できる戦士になったのだ。
その時点で、アルノーはスラムに見切りをつけた。もはや自分はこんな底辺に生きる人間ではないと、もっと素晴らしい世界に受け入れられるべきなのだと信じ、今まで生きてきた町を飛び出したのだ。
自分はこんな所でくすぶっている存在ではない。もっと上にいける人間なんだ。そんな考えを持ったアルノーが目指したのが冒険者である。
ガルド帝国において強い人間とはどこにいるかと聞けば、その答えは騎士か冒険者だろう。犯罪者を取り締まることも職務の一つである騎士はアルノーにとって気にいらない存在であったのもあり、元々力でのし上がろうと言う傾向があったアルノーは、自分の力の証明に冒険者の称号を使おうとしたわけである。
しかし、社会的信用を求められる冒険者に孤児であるアルノーが、それも叩けば埃が山のように出てくる犯罪歴を持った男が冒険者になれるわけもない。
所詮はスラム育ちであり、まともな教育を受けたことがない故に“強ければそれでいい”などと言う馬鹿そのものの思考しかしていなかったのである。
そこで、アルノーはより強くなればいいと考えた。現実にはそう言う問題ではないのだが、とにかくもっと強ければ、冒険者ギルドから勧誘されるレベルにまで至れば誰だろうと自分を無視できないはずだと考えたのだ。
実に単純明快力任せな発想だが、実はこのような考えにいたる無法者はそう珍しくはない。一歩町を出れば暴力だけがものを言う魔物の世界が広がる以上、力こそが全てだと豪語する者は決して少なくないのである。そんな世界で生まれ育った若者も、また力さえあれば全てうまく行くと妄信するのは仕方の無いことだろう。
もっとも、そう言ったものは最終的に死ぬか、あるいは非合法な組織からスカウトを受けることになるのだが。獣の世界とは正反対である人の世界の代表格である冒険者になどなれるわけも無いが、最終的に強さを認めさせるだけならそれもいいだろうと言う結論に至るケースが多いのだった。
とは言え、この道を行く者の死亡率は当然高い。通常の方法で冒険者になる者はギルドからベテランの冒険者を紹介され、荷物持ちなどの雑用をこなしながら最低一年は側でその仕事を学ばせることになっているが、アルノーのような人間は何も知らない内から命の価値が限りなく低い獣の世界に入らねばならないのである。
何が危険かと言えば、意識の違いだ。冒険者達が新人教育に手間をかけるのは最低限の知識を学ばせると為でもあるのだが、一番重要なのはその危険性を知らせることだ。
元々冒険者とは全員魔力の扱いを知るものであり、魔力使いであることは冒険者の必須項目だ。だからと言うべきか、アルノーと同じように自分の力を過信している者が非常に多いのである。
故に、まず初めにプロの冒険者の戦いを見せ付ける。そして、戦うべき魔物の恐ろしさを知らしめる。そこまでやっても過信と慢心で死に逝く者が絶えないのだ。きちんとした教育を受けていない冒険者モドキがどうなるのかなど、言わずもがなである。
事実、アルノーは今日も一人で魔物の領域であるドルア樹海へと足を踏み入れている。よほどの力があり、過信でも慢心でもなく何があっても問題ないと豪語できるほどの力の持ち主でもない限りはありえない行為だ。
少なくとも、アルノーはその領域にはまるで足りていない。最弱クラスのゴブリンくらいなら正面から戦うのなら蹴散らすことが出来ても、ちょっと不意打ちを受けただけで足を折られたことがその証拠だ。
矛盾するようだが、ありえない事態というものは極限状態において頻繁に起こるものだ。それを経験で知るものならば、即座にフォローが効くようにチームを組んで事に当たる。このことだけで、アルノーが冒険者として最低限の心得も持たないモドキであることがよくわかる話なのだった。
また、夜と言う時間帯に魔物の領域へと入っているのも愚者の証である。特定の狙いがある、主に夜にしか発見できないような魔物や鉱物、植物の採取などが目的と言うわけでもない限り夜に魔物の領域へ足を踏み入れてはいけないのは常識である。
と言うのも、基本的に魔物は夜目がきくし、中には夜になると強化されると言うスキルをもった存在までいるのだ。日の光の下で生きることが当然であり、光を失えば前も見えなくなる人間が夜を制するのは至難の業なのである。
何故アルノーは、そんな不利な要素しかない夜にドルア樹海へと足を踏み入れたのか。その理由は二つある。
一つは多少不利でも自分の腕前なら何とかなると言う慢心。もう一つはこの森に関する条約だ。
一言で言うと、魔物の発生地帯には立ち入り禁止と言う法律がある。これはもちろん危険だからと言う理由もあるが、迂闊に危険な魔物を刺激しない為と言う目的もある。
発生地帯とは、端的に言えば魔物がうようよしている場所と言うことだ。故に、その魔物を殺して殺して殺しまくった結果進化した種が必ず潜んでいる。そう言った存在を発見した場合に、下手にちょっかいを出されて町に出てこられると困ると言うわけである。
発見した場合は刺激しないように撤退し、その情報をギルドに伝える。そして、討伐可能な実力を持った冒険者に討伐依頼を出すと言う流れがセオリーであり、それを徹底的に叩き込まれている冒険者以外は入ってはいけないと定められているのである。
危険性こそあれ優良な狩場である魔物の発生地帯への侵入を許されている。これもまた冒険者の特権の一つなわけだが、冒険者ではないアルノーにその権利はない。
ならば立ち入りを禁止されてはいない場所で魔物狩りを行えばいいだけなのだが、やはり発生地帯以上に効率よく魔物を狩れる場所はそうないわけである。
そこで、人目の少なくなる夜にこっそりと進入すると言う暴挙に出たのだった。
事実それは無謀であり、慢心から出た愚策としか言えなかった。
今回ピンチになったのも夜の闇に紛れて不意打ちしてきたゴブリンに気がつかなかったからであり、アルノーの準備不足と見込みの甘さがよくわかる。
また、いくら正面から戦えば楽に倒すことが出来るゴブリンと同程度の力しかないと判断したスケルトン相手とは言え、消耗が激しい為に少しでも楽な姿勢でいたいとは言え、魔物相手に構えることすらしていないことからもその慢心が見て取れる。
知識も、そして実力も、町のチンピラレベルならばともかく冒険者基準であれば最下級レベルでしかない。
だからこそ、異常と言うしかないスケルトンを見ても、聞きかじりの知識で知るアンデッドとは違うという程度にしか考えていないわけだった。
(クソッ! なんで襲って来ねーんだ。これじゃどうしようもないじゃねーか)
足を失った状態での戦闘方法など根性論以外には持たないアルノーは、詰まる所棒立ちで襲ってこないスケルトンへの対抗策がないのだった。自分の間合いにさえ入ってくれれば両断する自信があった――スケルトン相手に刃物は有用ではないが、そんなことは知らない――が、離れた位置にいられると本当に対処法がないのだった。
その点では、大和スケルトンの思いついた対処法は有効だったといえる。さすがに遠距離攻撃とは言いにくい、嫌がらせにしかならないその辺のゴミを投げられた所で倒されるアルノーではないが、遠距離攻撃は非常に有効な戦略であった。
とにかく、今のアルノーには機動力がない。対して、剣の間合いに入ることが出来ずにいるスケルトン。両者は、向かい合ったまま膠着状態になってしまった。
もっとも、膠着状態とは言っても、この状態とはすなわち動かない持久戦と言うことだ。アンデッド相手ににらみ合いなど、本来怪我人がやっていいことではないのである。
(グッ!? 足が……クソ!)
アルノーは折れた足に最低限の応急処置を施しているだけにすぎない。当然折れた足で体を支えることなど出来ないので、残ったもう片方の足で全体重を支えている状態だ。
傷を庇って他の部位に無理な負担をかけている。その負担は着実にアルノーを蝕んでいた。怪我の方も、徐々に激痛を誤魔化しきれなくなる。
手も足も出ないまま、少しでも楽な体勢で待ち続けるアルノーを尻目に、スケルトンは行動を開始した。
動き出した瞬間にはチャンスだと思って意識を集中したアルノーだが、その目論見は外される。スケルトンは直接アルノーに殴りかかってくるのではなく、アルノーを中心に円を描くように移動を開始したのだ。
(何を……って、それか!)
スケルトンは、ゴブリンたちが武器として使っていた太い木の棒を拾ったのだ。何故か左腕がないので一本だけであるが、それでも即席の武器を用意してきた。
とは言え、それで殴りかかってくるつもりなら返り討ちだと垂れ下げていた剣を中段で構える。しかしスケルトンは、アルノーの予想外の行動に出た。
(投げた!? でもこりゃー……)
スケルトンは人一人殺すには十分であると思われる木の棒を思いっきり投げた。それだけなら先ほどのゴブリンと同じように払い落とすことが出来るが、先ほどとは決定的に違うところが一つあった。
木の棒を正面からアルノーに投げつけたのではなく、空を目掛けて放り投げたのだ。
その軌道から、数秒後にアルノー目掛けて落ちてくると予想される。一歩移動すればそれで回避できる話なのだが、今のアルノーにはその一歩の移動が不可能なのだ。
高さから考えるに、直撃すると洒落ではすまないダメージを負うことになるだろう。頭には頭巾を被っているし、魔力による防御だって施してはいる。しかし、とても重量と重力、そして硬度を合わせた衝撃を無傷で済ませることは難しい。
そう考えたアルノーは、先ほど殺したゴブリンと同じく愚かにも目の前の敵から注意をそらし、上を見上げてしまった。
その隙を見逃すことはなくスケルトンは高速で移動し、近くに落ちていたもう一本の木の棒を拾い上げる。そして、そのまま勢いを殺すことなく今度は直線軌道でアルノーに投げつけた。
「しまっ!?」
上を見上げていた為にアルノーの反応は一瞬遅れた。後から投げつけられた木の棒はアルノーの剣を握る手に命中し、剣を弾き飛ばしたのだ。彼にとっては運の悪いことに、剣はそのまま水音を立てて水中へと落ちてしまう。
スラム時代からこつこつ溜めた金でやっとの思いで手に入れたまともな剣を失ったことで、アルノーはまたしても湖の方へと気を散らしてしまう。それどころか、魔力の大半を剣に集めていたこともあり魔力による守りまで散らしてしまった。
追い討ちをかけるように、アルノーを更なる攻撃が襲う。示し合わせたかのようにタイミングよく、完全に無防備となった、後は申し訳程度の防御力しかない布の頭巾しかない頭に最初に投げた木の棒が降ってきたのだ。
アルノーもさすがにまったく反応できなかったと言うことはないが、それでも腕で弾くことすら出来ずに直撃を受け、強烈な痛みを味わった。
痛みのあまり、アルノーはたまらず両手で頭を抱えた。さらに、元々無理して保っていたバランスを崩してしまい、折れた足の方から崩れるように転倒してしまう。
そんな隙だらけのアルノーを見逃すほどスケルトンも甘くはない。武器を手放したアルノーなら問題はないと判断したのか、手に何かを持って今度こそ接近してきた。
「グブゥ! こ……これは、ゴブリン!?」
スケルトンの手にあったのは、アルノーが斬りおとしたゴブリンの頭。口の部分に手を突っ込み、即席の鈍器として利用しているのだ。
ゴブリンの頭蓋骨の硬度を利用して、スケルトンはアルノーの頭を殴りつける。ゴブリンの頭の肉が裂け、血が飛び散ってもアルノーの命が尽きるまで殴り続けるつもりなのだろうとしか思えない気迫だ。
殺した本人であるアルノーが言うのもなんだが、命をなんとも思っていない吐き気のする行い。このとき初めて、アルノーは巷で噂されるアンデッドの恐ろしさを理解した気がした。
所詮は雑魚。そんな考えを持つものは必ず死んでいく。偶々酒場で話しただけの関係である現役の冒険者から教えてもらったことのある。
所詮酔っ払いの言葉だと鼻で笑った教えを思い浮かべながら、アルノーは最後の足掻きに出た。
「ざけんな! 俺はもっと上に行く男だ! アルノー様だ! てめー如きに殺られてたまるか!」
マウンドポジションをとられた状態から、アルノーは防御を捨てて殴りかかる。しかし、アルノーは犯罪組織の人間から拙い魔力闘法を学び、才能だけで剣を振るってきただけの男だ。
柔軟な戦略も技も持ち合わせてはいない場当たり的な拳でしかないその一撃は、魔物の体を砕くには至らない。むしろ、命中の前に魔力による防御を完了されてしまった為に、逆にアルノーの拳から血が流れ出る結果になってしまった。
文字通りただの悪足掻きにしかならず、アルノーの拳を無視したトドメの一撃がアルノーの意識を断った。
アルノーは薄れゆく意識の中、不死者の歪んだ笑みを見たような気がしたのだった……。
主人公、半分ボケた状態で初勝利を挙げる。
その場にあるもの全部使っての勝利。今の彼がまともに戦おうと思ったら、手段なんて選んでる余裕はありません。