第2話 世界の住人
四つの光を伴う太陽が輝く世界“イスティン”に存在するエルピン大陸には、いくつかの国が存在する。
その一つ、ガルド帝国。元々大国であったが、およそ十年前に皇帝となった男によるさまざまな改革によって一気に力をつけてきた強国である。
そして、ガルド帝国の領土の外れに一つの町がある。名はドルア城塞都市。その名の通り、町の周りを頑丈な壁で覆った都市である。
町が頑丈な壁で覆われていると言うことは、当然その壁を必要とするだけの外敵が存在することを意味する。
想定されている外敵の一つは、他国の侵略である。ドルア城塞都市はガルド帝国の国境付近に存在し、隣国が攻め入ってきた場合には最前線となることが想定されているのだ。
戦場になることを前提として作られている以上、意味もなく戦えない一般人が住み着くことはまず無い。都市に住んでいる者の内、半数以上が何らかの手段で戦うことのできる兵士だ。ちなみに残りの半数は、兵士の生活を支えている商人や職人だ。
ガルド帝国の兵士とは職業軍人であり、農民と兼業していると言うことはない。つまり、戦いがないときには鍛錬するのが仕事となるわけである。となれば当然自分達で作物を作っている暇などないし、それ以外の生活必需品を用意することもできない。よって、その手の生活必需品で商売する行商人が多く出入りしているわけだ。
その他にも、武具を酷使する関係上修繕、場合によっては買い替えることが必要になる。そのための職人や商人が町で見られるのだ。
そして、そんな住民達以外にもとある人種が町を出入りしている。その者たちの目的こそ、この町が外敵を跳ね返す壁を必要とするもう一つの理由――魔物だ。
そう、この世界には魔物が実在している。例えば動く骸骨とか。
それ以外にも、緑の子鬼などの亜人種から虫や獣と言った生物を基にしたもの。もっと珍しいものだと、自然の化身と呼ばれる精霊など多種多様な魔物が生息しているのだ。
ちなみに魔物とそれ以外の生物の違いは、誕生の仕方だ。魔物は世界の力と呼ばれる世界魔力が変質したものであり、その誕生に生物的な営みを一切必要としない。本当に、何の前触れもなく突然発生するのである。
あくまでも産まれ落ちる前はエネルギーであったと言うだけで、死者としての特性を持つアンデッドのような一部例外を除いて食事も睡眠も必要とする生物であることに違いは無いが。
この魔物と言うのは、基本的に獰猛だ。とある訳があり、産まれたばかりの脆弱な魔物たちはとにかく他者を殺そうとするのである。もちろん、人間も例外ではない。むしろ、脆弱な人間は魔物達にとって格好の獲物だ。だからこそ、産まれたての魔物の大半が本能のままに人を襲う事が多い。
だが、人間も負けているわけではない。この世界に生きる人間も世界魔力の影響を受けるために、魔力を持っているのだ。持っているだけで扱うことができない者が大半ではあるが。
ちなみに、魔物か非魔物かを見分ける方法にこの魔力の色がある。魔物が持つ魔力は赤く、それ以外の生物が持つ魔力は青い。ただし、それこそ魔物でもなければ魔力を視認するのは特殊な手段を用いなければ不可能だが。
そんな魔物の発生する場所には偏りがある。魔物は世界魔力の濃い場所に発生しやすいと言う特性を持っており、一定範囲に多量発生するのだ。
そんな魔物発生地帯と言われる場所の一つが、ドルア城塞都市のすぐ近くに存在している。ガルド帝国と隣国の国境線にもなっている、ドルア樹海と呼ばれる深い森だ。
そのため、国内有数の発生地であるドルア樹海からあふれ出す魔物を食い止めるためと言うのがこの城塞都市の真の意味である。むしろそんな危険地帯を国境としているために、ドルア樹海側から敵国がやってくることはまずなかったりする。
ドルア城塞都市につめている兵士達も、やっていることは基本的に森から出てくる魔物退治だ。
それだけのために兵士五千は過剰戦力と言える。はっきり言って、それなりに戦える兵士が百もいれば防衛力としては十分だ。
何故そんな大量に兵士の無駄遣いをしているのかと言えば、これは訓練も兼ねているからだ。
この町に駐在している兵士と言うのは基本的に歳若い。まだまだ経験不足といえる者が多く、実戦経験を積ませるために配属されているわけだ。そう言った実力に不安がある者が多いために、数でカバーしているのである。
そして、そんな森からやってくる魔物から国を守るのが兵士の役目ならば、住人ではない人間の中で最も多い者達の目的は、森に入り魔物を狩ることだ。
彼らは魔物退治の専門家だ。正式名称を【国立特別自由戦力組合員】とする彼らの仕事は、魔物との戦いだ。その内容は討伐だけに留まらず、魔物との戦闘が考えられることなら何でもこなす荒事専門の便利屋だ。
その活動の内容から、彼らは魔物の巣くう人の手が入っていない秘境へと足を運ぶことが多い。そこから――はっきり言って、正式名称が長い上に言いづらいからとも言われるが――冒険者とも呼ばれる彼らは、国立の組合に登録されている。
ギルドと呼ばれる組織が各地と連携し、人に害をなす魔物の情報を集めて所属する冒険者に依頼を出す。その依頼を受けた上で魔物を倒し、国からの報酬を得る。それが冒険者の正式な動きである。
そんな荒事専門の職業であるのだが、はっきり言って冒険者ギルドの出す依頼は難易度が高い。所属している中でも高位の冒険者用であるといっていい。
正確には弱い冒険者用の依頼も出ているのだが、冒険者の体感としてはほぼ高位用しかないと考えられている。
弱い冒険者用の依頼で多いのは、村の周囲に巣くった雑魚魔物の退治などだ。専門家である冒険者からすれば雑魚と言っていい魔物でも、戦闘能力のない村人からすれば脅威である。そのため、村の付近に住み着いた雑魚魔物を退治して欲しいと言う依頼などはあるのだ。
しかし、そう言った依頼は競争率が高い。はっきり言ってしまえば、そんな雑魚退治でなければできない弱い冒険者だけで全体の半数以上なのだ。そんな雑魚討伐で報酬がもらえる依頼などすぐになくなってしまう。そのため、結局ギルドに常駐しているフリーの仕事は高位向けばかりとなっているのである。
では依頼を受けることができない下位の冒険者はどうやって生計を立てているのか? その答えの一つが、このドルア樹海での魔物狩りだ。
本来、討伐依頼が出たわけでもない魔物を倒したところでびた一文手に入らない。魔物が世界から産み出される存在である限り、倒したところで同じものが産まれてしまうためだ。
厳密に言うと人に害をなす魔物が減るのだから戦う価値はあるのだが、そんな無限に出没する魔物に一々報酬を出していたら国の経済があっさり傾く為に仕方がないことなのだ。
ただし、中には成長を繰り返し強大となった魔物なども存在しており、そう言った進化種には特別に賞金がかけられている。倒してもすぐに新しいのが産まれるから大した意味はない、と言う理論から外れるからだ。
そう言った魔物を倒す賞金稼ぎと呼ばれる冒険者も存在しているが、ドルア城塞都市にいる冒険者はその類ではない。そもそも賞金つきの魔物を倒せる実力があるのならば、普通に依頼を受けるだけで生きていけるので当たり前だが。
彼らの目的は、倒した魔物の死骸だ。魔力から産まれたとは言え、魔物は死ねば霞になると言うことはない。ちゃんと死体が残るのだ。
基本的に、ただの動物よりも魔物から取れる素材は上質だ。いくら下位の魔物とは言え、そこから取れる物には価値がある。そう言った素材を手に入れ売りさばくことで、彼ら下位の冒険者は日々の糧を得ている。
そして、ドルア樹海は魔物の発生地帯。危険な場所ではあるが、言い換えれば産まれたての弱い魔物が数多く生息していると言うことでもある。
ドルア樹海は魔物の発生地帯ではあるが、産まれる魔物は最下級と言っていい雑魚が多い。そのため、弱い冒険者にとって絶好の狩場であると言える訳である。森の奥に行けば、そんな良質な狩場ですくすくと成長した魔物がいる、と言う意味でもあるが。
そう言った理由で町に滞在している、金と力はないが元気と夢に溢れた若い冒険者達が滞在している安宿の一つ『夢の杯亭』。
全体から受ける印象は、ボロいの一言だ。町のメインストリートからは外れた場所に立っており、どことなく安っぽい印象を受ける。
外見だけ見ればとても好き好んで宿泊しようとは誰も思わないだろう。そんな宿だが、内装を見ればそれなりに整っている。きちんと掃除が行き届いており、店主がしっかりした人間であることがわかる。料理にしても、安宿なりにうまい物を出す店だ。
そこに一つの冒険者チームが滞在していた。
ボロいと言う印象を受けても、汚いという印象は受けない宿の食堂。そこに、丸テーブルを囲む形で四人の男達が腰掛けていた。全員、かなり若いと言える。年齢は、二十歳かそれより少し若い程度だろう。
しかし、彼らはただの観光客などではない。それは彼らの服装を見ればわかることだ。彼らは、それぞれが鎧や武器を身に付けているのだから。
そのことから、彼らは冒険者であることがわかる。まあ強盗の類であるとも考えられるが、この住人の半数が国の兵士である町で武力を用いた犯罪など犯す馬鹿はそういない。
何故街中で武装しているのかと言えば、一種の売名行為だ。冒険者と言うのは、名前を売るために街中でも武装を解かないことが多い。仮に優れた魔剣でも持っているのならば、それだけで名を売ることができると言うことだ。
そして名前が売れれば、指名依頼を受けることができる。例えば、村の周囲に住み着いた魔物を討伐してくれと言う類の失敗は許されない上に緊急を要する依頼の場合、信用できる冒険者へギルドを通して依頼することができるのだ。
その場合、ギルドの仲介料が割安になる上に、他の冒険者に横取りされることもないので冒険者的にはうれしい話であると言うことだ。指名依頼を安定して取れるようになれば、冒険者としては安泰であると言える。
街中で武装することを認めては危険ではないかと言う考えもあるが、この世界ではいつ魔物に襲われるかわからないのだ。最低限の自衛手段を取り上げることはできない。そう言うわけで、武装による売名目的の武装が咎められることはない。
とは言え、この安宿にいる彼らの装備を見る限りそう大した物はない。例え下位の冒険者であるとは言っても、冒険者の慣習として武装しているだけのことだろう。
その中で、一人の男が口を開いた。
「んで、明日は森に入るのか? ルード」
帝国人として最も多い金の髪をもった細身の男が、同じテーブルに座っている三人の男達に問いかける。
身につける装備は急所だけを守るための最小限の防具であり、できる限り動きを阻害しない身軽な格好だ。腰からは小振りのナイフを下げており、身軽であることを重視していることがわかる。
「ああ、そのつもりだよツヴァイク。前回入ったのが三日前だし、もう疲れは取れただろ?」
黒髪であり、先ほどの男――ツヴァイクと比べると、かなり筋肉質なルードと呼ばれた男が答える。
上半身に皮で作られた鎧を着ており、腰から片手で振るえる程度の大きさの剣を下げている。こちらはどちらかと言うと防御力重視であり、所詮皮鎧と言っても耐久力を重視した装備だ。
彼らは同じチームに所属している冒険者であり、ルードはチームリーダーを勤めているのだ。
三日も休み、もう体調は戻ったのだからドルア樹海に入ろうと言うルードの意見に、右隣に座っていた男が意見する。
「まあ、確かに疲れは取れましたが……武器の方はいいんですか?」
新たに話した男は、前の二人と比べてさらに軽装だ。ツヴァイクにしてもルードにしても、それなりに防御力のある鎧を着けている。それに比べて、彼の着ているものはローブだ。防御力と言う観点で言ってしまえば、ただの服と変わらないと言っていい。
テーブルに立てかけてある木製の杖の先端には赤い石がつけられており、全てを総合すると魔法使いのような格好だ。いや、冗談でもなんでもなく彼は魔法を使う魔法使いなのだが。
「ふむ。確かに二人の武器が破損寸前だったと記憶している。俺やシノンのような後方型の魔力使いにとっては関係ないが、武器を使うお前達にとっては死活問題だろう?」
「そうですよ。前衛がやられれば私達もやられるんですからね。ラザエフさんの言う通り、武器の修繕が終わるまではやめといたほうがいいと思いますよ」
シノンと呼ばれる細身の魔法使いの言葉に追従するように最後の一人、ラザエフが口を開いた。
シノンの服装が魔法使いのローブならば、彼の着ているのは法衣だ。背中と正面に彼の信仰する樹木を模した神の聖印が描かれているところを見れば、一目瞭然といえる。
腰からは鈍器のようにも見える杖――メイスを下げており、ただの神官ではなく荒事も行えることを示している。同じ魔法使いだと言っても、その体格はシノンに比べてかなり大きい。装備を見なければ、彼こそがチームの前衛だと誰もが口を揃えて言うだろう。
そんな二人の心配の声を受けて、ツヴァイクが少しふて腐れたように答えた。
「実は俺もルードも新しく武器を新調したんだよ。……鍛冶屋の親父に俺らの武器の修繕頼んだらよ、こんな鉄屑、炉に放り込んだほうが生産的だ~なんてぬかしやがるからな」
「実際あの剣を使い始めてからもう長いからな……。思い入れもあったけど、この際新しい物に変えたのさ」
そういって彼らは、腰に身に着けていた武器を見せた。
今までの剣にもそれなりに気にいっていたルードとしては、買い換えるのは少しさびしいと言う思いがあった。しかし、命を預ける武器がオンボロというのは大きな問題であることも理解しているので、ここは気持ちを切り替えることにしたのだ。事実、新しい武器になったおかげで戦力は補強されたと、ルードは新しい武器を持ちながらも自信が湧き上がってくるのを感じた。
そんなルードの表情をみて納得はしたのか、シノン達の顔から心配が少し消えた。だが、それでもまだ心配事があるのか、シノンは二人に再度問いかけてきた。
「……お金は大丈夫だったんですか?」
その言葉の意味を理解しているルードは、心配させないように気軽に答える。
「なに、今までの個人貯金で買えたよ。別に魔装を買おうってわけじゃないんだし、そのくらいの蓄えはあるさ」
武器と言うのは値が張るものだ。命を預けるものであり、妥協せずに最高級品を手に入れようと思えば、首都で屋敷が買えるほどの大金を必要とする。
彼らクラスのチームが使う武器はそんな高級品とは程遠い安物ではあるが、それでも農民では手が届かない値がついている。
命を欠ける冒険者と言う職業は、その危険に応じて高い金を手に入れることができる。最下級の冒険者である彼らであってもそれなりの稼ぎがあるのだが、それでも武器を買うのは厳しいと言える。命をかける戦いの中でも、できる限り一つの武器を長く使おうとするほどには。
仮に金が足りずに性能の悪い武器を買ったと言うことならば、前衛の死亡率が飛躍的に上がることを示す。それはつまり、前衛に守られることが前提である後衛の死亡率の上昇をも示すのだ。
そのため、シノンの心配は当然のことであった。
「一応聞くが、チーム貯金には手をつけてはいないだろうな?」
「もちろん。てか、俺達は四人全員の認証が無いと引き出せない契約だろ?」
「む、そうだったな。愚問であった」
「でも、本当に大丈夫だったんですか? 無理したんだったら融通は利かせますよ?」
「大丈夫、心配無用だ」
「そうか。ならば、もう何も言わん」
ラザエフの言葉に、ルードはこれまた気軽に答えた。それに対し、シノンが少しだけ疑念を交えた声色でルードに問いかけた。
基本的に、冒険者チームでの報酬はチームメンバー全員に平等に分けることとなる。彼らのチーム『ホークウィンド』では儲けを五等分し四人で分け、残りをチームとしての貯金に回している。これは冒険者組合、ギルドで推奨されている報酬の分け方だ。
依頼を受けることができない弱小チームであるホークウィンドの稼ぎの五分の一では、武器を買うのは難しい。武装の強化は彼ら個人個人の懐から出すのが通例だが、もし足りないのならば貸すぞというのがシノンの言葉の真意だ。
まともな装備のない前衛では森での戦いで生き残れない。言外にそう言ったのだが、ルードもツヴァイクも問題なしと答えたのだ。それを信じてくれたのか、ラザエフ達は重々しく頷いたのだった。そこには、確かな信頼を感じることができるのだった。
「んで? 結局、明日は森に行くの?」
「ああ、いつも通り森の10台のポイントを回ろうと思う。なにか反論のある者はいるか?」
ツヴァイクによって切り出された本題に、ルードは改めて明日の予定を提示する。彼はホークウィンドのチームリーダーだ。故に、こうしたチーム内の話し合いでは司会を務めることとなっている。
「また10かよ……。そろそろ20台に挑戦してもいいんじゃねーか?」
「ツヴァイクさん……。我々は未だに脅威度20の相手と互角の勝負なのですよ? それなのに20台なんて、自殺と変わりません」
「いやまあ、そうなんだけどよ。いいかげんにゴブリンとか森ウルフとかの相手に飽きてきたんだよな~。正直儲けも少ないしよ」
ルードの提案するポイントに現れる魔物には飽きたと拗ねるツヴァイクを、シノンが諌める。はっきり言って、彼らホークウィンドは最下級冒険者チーム。まだまだドルア樹海によく発生する、緑の体に人間の子供ほどの大きさを持つ――ゴブリンのような最弱クラスの魔物がお似合いなのだ。
ルードの言う10台のポイントとは、その地区に発生する魔物の強さを示した言葉である。
この10、20というのは、ギルドの定める脅威度と呼ばれる魔物につけられたランクのことだ。単純な身体能力や所持する特殊能力を総合的に判断して定められる強さの基準と思えばいい。
当然、相性の問題などで総合的に判定すれば一段階上の実力を持つ者がそれ以下の弱者に敗北することは良くあることだ。そのため、あくまでも判断材料の一つでしかないが、それでも参考にはなる。
あくまでも大体の目安でしかない理由としては、同種であると言っても同一ではないことが挙げられる。同じゴブリンと言っても体の大きいものと小さいものが戦うのならば大きいほうが勝つし、道具を持っていればそちらが有利になるだろう。そのほか、そのときの体調や精神状態など様々な要因によって左右されるものだ。
ちなみに、20と互角と言うのは最弱クラスの称号を与えてもいいと言うくらいに弱い。基本的に、冒険者は自分達よりも何段階か下の魔物を狩ることとなっている。
言うまでもないことだが、死んでも蘇るゲームと違い命は一つ。できれば確実に倒せる、少なくとも優位に戦える相手を獲物に選ぶのは当然と言える。
要するに、最弱種であっても経験を積んだり成長したりすれば15くらいにはなりかねないので、ゴブリン相手が彼らには丁度いいと言うことだ。
なお、彼らから見れば御伽噺と同レベルの話ではあるが、高位の冒険者ならば脅威度1000の魔物と対等な力がある。文字通り、桁が違うのだ。
一応彼らの名誉のために言っておくと、何の戦闘技術も持たない一般成人男性が脅威度1とされている。冒険者的には弱小もいいところだが、一般人よりは遥かに強いのである。
そんな自分達の実力を良く知っているために、彼らは弱い魔物だけを狙っているのである。
もっと強い魔物を狩りたいと言うツヴァイクの言葉も、いつかはと思ってこそいるが本気で言っているわけではなく、ただの愚痴なのだ。とは言え、聞き流すには危ない考えである。そうルードは考え注意しようかと思ったその時、ラザエフが先んじて口を開いた。
「そういって功を焦って死んでいった者たちを何人も見てきただろう。俺はあいつ等の仲間にはなりたくないのでな。死ぬなら一人で死んでくれ。あぁ、葬儀なら割安でやってやるぞ? これでも神官なのでな」
「ひでぇ! しかも格安って金取るのかよ! 死んだ仲間くらい甘やかしてくれよ!」
「いつ如何なるときでもチームは対等。指示系統としての上下はあっても、決して人間関係での上下関係を作ってはならない。それが冒険者の掟だろうが。故に、俺は何があってもお前にだけは情けをかけぬ」
互いに信頼しているからこその憎まれ口を叩き合う二人と、それをいつもの事だと眺めていたシノンとルード。
そんな四人のテーブルに、エプロンをつけた中年の女性が歩いてきた。
「実に厳格なことで……。しかしなんで俺限定? ……お、飯ですかい女将?」
「ああ。注文の料理持ってきたよ」
お互いに軽口を叩きながら話していたところにやってきたのは、この宿屋の店主だ。荒事専門の冒険者達の相手ができるだけあり、なんとも恰幅のよい芯の強そうな中年女性だ。
この夢の杯亭を一人で切り盛りしている女将の手には、手馴れているのがよくわかる絶妙なバランスで複数の料理が乗っている。口に入れるまでもなく涎が出てくるいい匂いの、安宿とは思えない肉をメインに据えた料理をテーブルに並べ終わったところでルードは口を開く。
「ありがとうございます。さて、では話はいったんここまでにして食べようか」
「そうだな。もし料理を冷ましでもしたらこのおばさんに殺されるし」
「ほう……アタシにそんな口聞くとはいい度胸だねヒヨッコ。明日を待たずに葬式、出してやろうか?」
ツヴァイクの小さな声で言った悪口をしっかりと聞き取った女将のドスの効いた声が店内に響く。
その迫力は、どちらが荒事を仕事にしているのかわからないほどだ。ルードの直感による強さセンサーによれば、ホークウィンド全員でかかっても瞬殺されると出ている。直接的な斬りあい以外の技能を持たないルードのセンサーがどこまで当てになるのかは不明だが。
それでも、日々命がけの冒険者を脅えされるだけの迫力があるのは間違いなく、ツヴァイクはやや青い顔になって捲くし立てた。
「あ、あらー……。聞こえてました女将? やだなー、冗談ですって。僕は女将ほどにやさしくて包容力のある美人は他にいないと思っているんですよ? 料理もおいしく細部まで見渡す洞察力。鍛えられた逞しい肉体と甘いマスクの前にはどんな男もいちころですよ! よ! いろおんッゴ!?」
「フン! とにかくさっさと食って寝ちまいな馬鹿ども」
ボキャブラリーが貧困なツヴァイクのおべっかが鬱陶しくなったのか、ツヴァイクに拳骨で一撃入れて黙らせた女将はそのまま厨房に引っ込んでしまった。
とても客商売を営む者とは思えないが、これが女将のやり方である。そして仲間が頭から煙を上げて倒れたわけだが、いつものことだと他の三人は無視して各自注文した料理を食べ始めた。
「相変わらずうまいな。この値段でこんな料理が食べられるのは、ここくらいなものだろう」
「ええ。女将さんには、本当にいくら感謝してもしたりません」
「うまい食事は明日への活力。これがなければ、明日戦場に行く気にはなれんからな」
店員としての態度は失格であり、このような安宿屋だからこそ許されるレベルであるとは言っても、料理はなかなかのものだ。
特に、体力を要求される冒険者用に精のつくメニューが並べられたテーブルを見ても、料理の腕は確かであることがわかる。使われている肉は決して品質の良いものとは言えないが、それでも体力を付けられるようにと、少しでもおいしく食べられるようにと工夫が施されていることはこの場の誰もが知っていることだ。
ぶっきらぼうな態度をとりながらも、本当の意味で自分達のことを心配してくれているとわかっているからこそ、彼らは見掛けの態度に惑わされることなく女将を信用できるのだ。そんな冒険者達の態度から、金なし新人冒険者達が唯一心から安らげる場所を作るために頑張ってくれているのが伺える。
そんな料理を一通り食べ終わったところで、シノンが思い出したように軽い感じで口を開いた。
「ところでルードさん。10クラスのポイントにいくことに異論はありませんが、具体的にはどこに行くんですか?」
シノンの質問は、単なる確認作業だろう。今までと同じゴブリンや森ウルフを狩るのならば、いつもと同じ場所に行けばいいだけなのだから。
しかし、ルードは予想されているのであろう答えとはまた別の意見を口にするのだった。
「ああ。それなんだがな、明日は行ったことのないポイントに行ってみないか?」
「行ったことのない? どう言う意味でしょうか?」
「いつものゴブリンどもの生息地帯に行くのではないのか?」
食後のお茶を飲みながらのルードの提案に、シノンとラザエフが疑問の声を上げる。否定的というよりは、発言の意図を掴み損ねていると言うような感じだ。諸事情により食べるのが遅れたツヴァイクも、口いっぱいに料理を詰め込んでいるのでしゃべることができないようだが同じような表情だ。
仲間達のそんな様子を見て、ルードは詳しく説明することにした。
「なに、そんなに難しい話じゃない。俺たちはこの町に来てから基本的にゴブリン、偶に森ウルフの出る地区にしか行っていないだろう?」
「ええ……まあ、そうですね。ギルドの情報でも私達クラスのチームならばそこに行けと言われた場所ですし」
ルードの言葉を肯定しながらも、何か思い出しているような、気が逸れている時の顔になるシノン。
彼らホークウィンドがこのドルア城塞都市に入ってから約半年。その間に狩った魔物は、確かにほとんどがその二種類であったと振り返っているのだろう。
「今までは金を稼いで少しでも武装を強化すると言う意味で、極力安全に戦える相手だけを狙ってきた。まあ今でも満足できる装備が整ったわけじゃないが、それでも前の剣よりは上の武器も買えた」
そこでいったん言葉を区切り、ルードは買ったばかりの剣に目をやる。魔法と言う技術があるからこそ、修復し続けて騙し騙し使っていた、普通ならば遥か前にへし折れていたであろう彼の前の剣よりもその力は一段階上だ。その値段は、ルードの生活費などを除いた半年分の稼ぎが消し飛んだほどである。
それを改めて確認し、彼は言葉を続ける。
「だから、そろそろ俺たち自身のレベルアップも考えて行きたいんだ」
「レベルアップ? それは……魔力成長とは違うのか?」
ルードの言葉に疑問を抱いたラザエフが口を挟む。
彼の言う魔力の成長とは、他の生物――生物ではない魔物も含む――が死亡した際に、その存在が持っていた魔力の一部は周囲の者に吸収されると言う現象を指している。
自分のものにするとは言っても、それは回復手段ではない。魔力は消耗しても世界に満ちる世界魔力を吸収することで回復できるが、その上限は増えない。魔力成長とは、自身の魔力上限を底上げするために行われる行為である。
単純に、魔力の多いほうが強いのは当然のことだ。身体能力の強化から魔法の威力まで、魔力の多い方が断然有利となる。技術的な部分までは補完できないが、基本的に個の強さは殺した敵の数と質で決まるとまで言われるほどに、この世界では重要な現象なのだ。
ルードの言うレベルアップがそのことなのかとラザエフは聞いたが、言った本人もおそらく違うと思っているはずだ。仮にそうならば別に狩場を変える理由はないのだし、今一納得できないのだろう。
事実その通りであり、ルードの言った話はそう言う意味ではない。
実際、彼らの基礎能力はドルア城塞都市へとやってくる半年前よりも、ゴブリンや森ウルフから吸収した魔力によって強化されている。吸収できるのは倒した相手の魔力の1%未満とも言われているほど微小であり、一度戦ったら必ず最低一日は休息に当てると言ったペースであるとは言っても半年かけて狩り続けてきたゴブリンクラスが未だに丁度いいという程度の進歩なのだが。
ともあれ、それは初めから予想できていた問いだ。特に悩む様子も見せずにルードは質問に答えた。
「ああ、違う。そう言った能力の強化ではなく、経験的な話だ」
「経験……ですか?」
「ウップ。……どう言う意味だよ?」
ルードの答えに、真意がつかめない様子のシノンと、ようやく口の中のものを処理し終わったツヴァイクが疑問の声を上げた。
先ほどとは違い、今度は少し考えるようなそぶりを見せた後で、ルードは話を進める。
「つまりさ、俺たちはもうゴブリンや森ウルフの相手に慣れてるだろ?」
「そりゃそうだろ。俺なんてもう飽きちゃってるくらいなんだから」
ルードからの問いかけに、ノータイムで答えるツヴァイク。彼にとっては、確認するまでもないようなことであるらしい。残りの二人も声には出さないが、頷くことで肯定した。
それを確認したルードは、いったんテーブルの上のコップを手に取り中の水を飲む。そうして気を静めたところで真剣な顔を作り、全員に問いかけた。
「一つ確認したい。……俺たちホークウィンドは、今のところ最底辺の冒険者だ」
真剣な顔のまま、断言するようにルードは語る。その言葉にホークウィンドの三人は一瞬顔をしかめたが、それを語るのが彼らのリーダーであることと、それが事実であることを誰よりも彼ら自身が理解しているために反論はしない。
そんな仲間の心情を知ってか知らずか、ルードはそのまま続けた。
「しかし、いつまでもそこに甘んじるつもりはない。俺たちは、もっと上に行くんだろ?」
「もちろん」
「当然ですね」
「無論だ」
力強くそう言葉にしたルードに、三人が三人とも自信を持って答える。
そんな仲間達に満足した様子のルードは、真面目な顔を笑顔にして本題に戻った。
「ま、それを踏まえて経験って話に戻るぞ。まあ、そんな畏まるほど難しい話じゃない。要するに、もっといろいろな魔物との戦闘経験を積んで置こうってことだ」
「ああ……なるほど。そう言うことなら納得です」
「確かに……経験不足というのは、下級の冒険者の死亡原因の中で最も高いと言われているほどだからな」
「え? そうなの?」
「……ツヴァイクがギルドの警告をまともに見ていないことはともかく、まあそう言うことだ」
ルードの言葉を理解した様子のシノンとラザエフの二人が納得した様子で頷いた。もっとも、約一名理解できない様子だが。
自分の言いたいことを、一人除いて理解してくれたことに満足しながらも、その一人にルードは呆れる。後でツヴァイクにギルドに正式登録した際に渡される『初級冒険者のための基本ガイド』と言う、名前だけ聞くと胡散臭いが、多くの犠牲を持って作られた非常にためになる冊子を読ませるべきかと真剣に考えるルードは考えてしまった。結局無駄だろうと結論付けて、考えなかったことにしてしまったが。
「……で? 結局どう言うことなの?」
一人置いてけぼりのツヴァイクが質問してくる。ルードは呆れ顔のまま口を開いた。
「はぁ……。要するにだ、今のところ戦ってきた魔物はできることが同じだろう? ああ、わかっていると思うが、使ってくる特殊能力――スキルとかの話だぞ」
「お、おう。もちろんわかってるぞ。……ところで、ゴブリンってスキル持ってたの?」
「……ツヴァイクさん。あなたよく今まで生き残ってますね」
ツヴァイクの発言に思いっきり脱力した様子のシノンが、心底バカにした様子でぼそりと言った。他の二人も似たような様子だ。視線が冷たくなっている。
何とか反論したいツヴァイクだが、頭の中にそのための材料は何もないのだろう。子供が言い訳するときのように話し出した。
「だ、だってよ。ゴブリンなんて闇雲に殴りかかってくるくらいだろ? 何かしらのスキルなんて使ってきたことないぞ」
「まあ、確かにそれはそうなんだけど……」
「外見からはわからないと言うだけで、持ってはいるんですよ。薄暗い場所に好んで住む魔物なら大抵は持っている、≪暗視≫ですけどね」
≪暗視≫とは、光の届かない場所でも通常通り視力を得ることができるスキルである。
経験談で何とか反撃を試みたツヴァイクに、面倒くさくなったのか僅かに投げやり感のあるルード。そんなリーダーをフォローするように、シノンが説明した。
「へー。……なあ、それって持ってないと同じじゃねーの?」
結局、それがどうしたとしか思えないツヴァイク。そんな彼に、呆れたままの魔法使い二人が冷たい視線とともに口を開く。
「私達が今まで入ったのは森の中でも比較的浅い場所、つまりは光の届く場所です。仮に人の目では碌に見ることのできない暗闇で戦った場合、その脅威は跳ね上がると言えます。光のある場所でのゴブリンの脅威度は平均して10程度ですが、闇の中では15~20になるんですよ」
「知らずにたかがゴブリンと侮り、奴らが巣にしていた洞窟に入って殺された――なんて話もあるくらいだな」
「あ、そうなの……」
もう何も言えることがないのか、ツヴァイクはぐうの音も出ない様子で押し黙った。まあそれも当然だろう。シノンの言葉をそのまま受け入れば、光の届かない場所では自分達一人一人がゴブリンと同格なのだから。
少し疲れた様子のルードだが、その様子を見て説明を再開した。
「少し話がずれたが、続けるぞ。まあ、同種のゴブリンですら状況によっては手ごわくなるわけだ。そんなことになったらあっさり殺される――なんてことを避けるためにも、戦闘経験のない魔物を相手にしていこうと思うわけだ。ああ、もちろん脅威度10クラスだぞ。経験積みに行って殺されたら本末転倒だしな」
同じ低ランク魔物が出る地区と言っても、場所によって出現する魔物は違ってくる。同じ場所で戦い続ければ、今までの彼らと同様に、同じ種類の魔物との戦いと言うことになるのだ。
対策を立てる必要がないという意味では同じ魔物と戦い続ける方が良い。相手を知ると言う意味での経験から考えても、今の彼らならばよほどのイレギュラーがない限りは脅威度10程度の地区のゴブリンや森ウルフに敗れることはないだろう。
しかし、それではいけない。ルードの考えは、多種多様な状況に対応できるようにならねば上に行くことはできないと言うことだ。
相手は何度も倒してきた魔物だから問題ない。そんな考えでいては、少し上に挑戦した段階で死するのも事実である。30、40と上のランクに挑戦した冒険者チームの死亡原因はこの考えが大半だ。
と言うのも、一つの発生地と、そこよりも一段階上の発生地に同じ種類の魔物がいることは多い。その場合、最初の発生地の最強と、上の発生地の最弱は同一の魔物であることが大半だ。
そして、今自分達が狩っているエリアで最強の魔物に余裕を持って勝利できるようになったから一つ上に挑戦するというのが冒険者達の基本思考である。
そんな自尊心を持った冒険者が、初めてやって来たエリアで以前のエリアでは最強の魔物に出会ったらどのように戦うか。
その答えは決まっている。今まで通りに戦う、である。事実、今まで通りのやり方で同種の魔物を何匹も倒してきたのだから当然の発想だ。
そして、その慢心により殺されることとなる。たとえ同種の魔物であり、所持する魔力も同程度であったとしても、その実力には大きな差があるのだ。
少し考えればわかることなのだが、魔物だって学習する。自分こそが最強であり、誰に負ける心配をする必要もない生活を送ってきた者と、周りには常に自分以上の強者が蔓延っている中生き残ってきた者では、数字にはできない部分で大きな差ができるのだ。
同じ武器を持っているとは言え、ただ振り回すだけの素人と、技術を持って使いこなす戦士ではどちらが強いのかと言えばわかりやすいか。
経験を積んで臨機応変な対応力を身に着けなければいけない理由は他にもある。
より上級の冒険者が相手取る進化種と呼ばれる上位魔物になると、所持する魔法やスキルが同種であったとしても違ってくるのだ。進化の過程で違う経験を積むために、個々の能力にあったスキルを得るためである。
そんなものを相手にするのに、事前の知識だけで戦略を立てても意味がない。だからこそ、一流の冒険者にはどんな想定外な状況でも即座に反応できる対応能力が求められるのだ。
まあ、コレについてはホークウィンドの面々が考えるには早すぎる話なのだが。
そのあたりのことを軽く解説した後に、ルードは改めて意見を募る。
「そう言うわけで、様々な魔物との戦いを経験するためにも明日はいつもと違う場所から森に入ろうと思うんだが……反対意見はあるか?」
「いんや。ゴブリン相手にしなくていいんだろ? 俺としては大歓迎」
「私も問題ありません。後方の魔力使いにとって、情報は大切な武器の一つですからね。少しでも知らない魔物を知れるというのは魅力的なことですよ」
「俺も問題なしだ。上に行くには必要なことだと思うしな」
「よし! じゃあ、具体的にどこに行くかを部屋に戻って決めるか」
全員の賛成意見が取れたので、本格的に作戦会議を行うこととなる。そのために、ホークウィンドがとっている四人部屋へと彼らは行くこととした。
まさか魔物のすむ森へ適当に入ってみるわけにもいかないので、どんな魔物が出るのかを確認し、獲物を決めるために。
そして、彼らは明日、未知の存在と遭遇する。もし出会わなければ運命が変わったかもしれないと言うほどに、不可解な未知と。