桃の一族の妹姫は今日もため息を隠さない
童話仕様を目指して、書き始めた本作でしたが……|д゜)
あまりの兄の暴走ぶりに、泣く泣くジャンルを変更してお蔵出ししました。
皆様に、少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
「……はぁ。目眩がする」
桃の一族の妹姫、桃子は今日も溜息を隠さない。
それもこれも、目の前に広がっている阿鼻叫喚が日常化すればこそ。
どうして溜息を隠すなどという、無意味を自身に課す意味があろうか。
いや、無い。
「桃子さま?! 納屋に隠れていて下さいとあれ程……!!」
「……無駄よ。あれは何れ、探し当てるだろうから」
「……ですが!!」
駆け寄って来た侍女の萩に、ため息交じりに首を振る。
気持ちはありがたいが、元はと言えば自分にも責任の一端はあるのだ。
夜半から邸の果樹園を駆け巡る騒動に一人だけ目を瞑っている訳にもいかない。
「萩、案内をお願いできる?」
「……っ、姫様の頼みとあらば……」
ぎりぎりと歯軋りを隠さない萩の姿に、色々思うところはある。
例えば。
対外的にはけして見せない方が良いだろう、殊更殿方には―――等々。
口には出さないけれども。
責任の一端は自分にもあるだけに、余計に言えない。
そうこう考えている合間にも。
桃の提灯を片手に案内されてゆく道の先で、混沌の中心が視認出来た。
――――徐に懐のものを握り締め、狙いを定めて投げた先。
「……痛っ。よ……ようやく逢えたね、桃の姫君」
無様、と二文字で表せそうなほど。
いっそ見事と言っていい落ちっぷりで、桃の枝から転がり落ちてきた影が一つ。
提灯の明かりに照らし出された人物。見目だけは相変わらず麗しいばかりだ。
「……貴方も、懲りない人ですね」
「鬼というものは、そういうものだよ」
「………そんなものですか」
「ふふふ、今日こそは是の返事を貰えるまでは帰らないよ?」
鬼というものは、一概にしつこさと諦めの悪さと空気の読めなさを常備している一族らしい。
今更知ったところで、何の役にも立たない感慨である。
背後で萩が鬼女の如き形相で睨み据えているそれは、その一族の中でも頂点と言っていい存在。
なるほど、筋金入りである。納得もした。
改めて認識したところで、やはり溜息は隠せない。
これを日常として認識しつつある自分もまた、恐ろしい。
ばさばさ。ぎぃぎぃ。とてとて。
宵闇の中から、遅れて姿を現した『三匹』に目を遣れば。
「「「桃子様―……申し訳ありません」」」
雉、猿、犬の順番でごろごろと地に伏せる。
雉は夜の中、鳥目で飛び回った所為か……かなり傷だらけで痛々しい。
猿は着地の際に失敗したものか、しきりとお尻を気にしている。
犬は最近太り過ぎたものか、今にも息絶えそうなほどに荒い息を繰り返していた。
なんて――――残念な精獣たちだろうか。
尽きない溜息が、その胸の内を言葉にしなくても十分に表している。
雉はまだ良い。許せる。
しかし、猿と犬は完全にアウトである。
『猿も木から落ちる』を現実に実践してどうするのだ。
そして犬。そのふさふさの毛並みで隠れメタボを誤魔化そうとしても、無理がある。
「……豆太、豆子。貴方達は明日から兄さまと一緒に菊爺さまの処ね」
彼女の宣告に、揃って悲痛な声を上げる猿と犬。
彼らの名前はそれぞれに幼少の折、豆好きの彼女の個人的志向から付けられたものである。
猿、豆太。
犬、豆子。
雉、豆雄。
そのネーミングセンスについて、誰も言及できるものはいない。
彼女はこの邸において、当主に次ぐ立場に当たる。
本来ならば三番目に数えられる筈の彼女が、その立場へと繰り上がった理由。
それは全て、兄の素行の悪さに端を発している。
そもそもの起こりは、今より一月前。
始まりは『三匹』の悲痛な叫びで始まった。
*
「「「桃子様―!!! 何処にいらっしゃるのですかー?!!」」」
何処にいらっしゃるかと言えば、ここにいる。
庭の隅、洗濯物を干しながら。
遠く聞こえる三匹の声に思わず内心の声に留めた理由。
何やら、途方も無く嫌な予感を覚える叫びだった。
出来る事なら、面倒事に進んで関わりたいとは思わない。
それ即ち真理である。
その日は絶好の洗濯日和であった。
今日を逃せば、これから続く梅雨に布団たちも皆悲惨な湿り具合になることは必至と。
萩と共に、屋敷中の敷布という敷布を邸の屋根伝いに干し終えた後だった。
――――ふむ。良い仕事をした。
そんな感慨も、長くは続かなかった訳である。
徐々に涙声になりつつあった三匹を、とうとう諦めて呼び寄せた自分の甘さが後の後悔に繋がる。
しかしその時はまだ、予感に留まっていたのだ。
洗濯棒に舞い降りてきた雉、その色彩を目印に駆けつけて来た残りの二匹を順繰りに見遣って問いかけてみれば、やはり恐ろしい事実を告げられる。
「揃ってどうしたの……? まさか、兄さまに何かあった?」
「「「………桃爾様が、とうとう……鬼の姫君に手を出してしまわれましたー!!」」」
この時ばかりは、溜息よりも眩暈の割合が遥かに大きかったことを鮮明に覚えている。
「……兄さま、本当に……はぁ。どこまで馬鹿なの。あほなの。変態なの……」
「「「桃子様……何とおいたわしや……」」」
桃の一族『天原家』。
その一族には古から、代々課せられて来た使命がある。
それは祓の『仙果』を守り育て、地上の魔を清める手助けをすることである。
『仙果』すなわち、祓の力を宿した桃を仙界と地上の狭間で栽培するのが天原家であり。
天原家からは、時として男児が“繋ぎの川”を渡って地上へ送られることがある。
時として伝承という形で言い伝えられてきた。それは、要するにバランスを取る為の最終手段であるのだが。
地上の人々は、その本来の意味を知らない。
魔の象徴であり、人々からは『鬼』と称されることもあるそれは。
元を辿れば高天原より、地上へと落とされた神の落胤の血筋を継ぐモノたちを指す。
しかし、彼らがいつの時代も人々に害を与えて来たかと言えばそれは誤りだ。
事実。今世における鬼の一族は、人を害そうとする気風を掲げていないのだ。
だからこその、眩暈。
「………回収に行かないと。支度をして頂戴、豆太。豆子。豆雄」
襷掛けにしていた着物を慌ただしく整えた後、三匹の案内で桟橋へと向かった。
「それで―――兄さまは今どんな惨状を作り上げた後なの?」
「この、手遅れ感を入り混じらせた呆れ声……」
「更に過去系であるという…」
「うん、現在進行形ですら無いね!」
「「「流石、桃子様!! この手慣れた感じが抜群の安定感だね(な)」」」
因みに今の発言は、豆雄、豆太、豆子の順であり。
いつからかは分からないが、話の合間に三匹が声を揃えてくる辺り……精獣としてのスキルの無駄使いだと個人的には思っている。
「可能な限り、シンプルに纏めて話をして頂戴。兄さまはともかく、私が櫂を持つと地上までそれほどは掛からないのだから」
「「「では、順番に報告します!!」」」
「………お願いね」
靄掛かった川面を、するすると進んでいく合間に聞いた話。
それを聞き終えた自分が、感じた印象を一言でまとめておこう。
やはり、あの兄はどうしようもない。
「桃爾様がまず地上に降り立って後に真っ先になさっていたのは……未亡人を口説き落とす事でした」
「次に桃爾様は、未亡人の住まいを拠点に周囲の可憐な村娘たちを物色されておいででした。結果、数十人いる村娘たちの約七割がお手付きになりました」
「お止めしようとしたところ、僕らは“繋ぎの川”へ幾度もダイブする羽目になりました」
「「「あらかた村娘を口説き落とした後に、ある風聞が入って来たのです。“鬼の妹姫は、世にも稀なる美姫にして。今まで誰の誘いにも首を縦に振ったことが無い”と。………結果、桃爾様は現在“鬼の館”にて捕縛されています」」」
つまり、館に忍び込んだばかりか―――無様にも、身柄を拘束されていると。
纏めれば、そういうことらしかった。
「………煮て貰っても、焼いて貰っても、刺身でも………とりあえずどの手段でも、粛清方法に異議は唱えたくない心境ね」
「「「煮ても、焼いても、勿論生でも食べるのは遠慮したいですね―……」」」
こん、と。
川岸に櫂が当ったところで桟橋に船を繋いだ。
ひたひた、と岸辺を揺らす浅い水面に素足で降りて進んでいくこと暫し。
「豆雄、あとどれ位?」
先駆けとして空を飛行してきた豆雄に尋ねれば。
舞い降りて来て、あと僅かだと言う。
後方に、ぱしゃぱしゃと無駄に飛沫を飛ばしながら犬掻きで続く豆子とその背に乗って沈没寸前の風情を漂わせている豆太の二人を引き連れて進んで行った先。
靄の切れ目から、風雅な門構えが垣間見えた。
湖畔に浮かぶ孤島にある“鬼の館”の風聞は以前から耳にはしていたものの。
実際にこの目に見るのは、初めてのことになる。
「立派なお屋敷ね……正面の門は何処かしら?」
「桃子様、それはおそらく」
「東の方角だったかと」
「思います!!」
………どうして、こういう時に限ってばらばらに報告してくるのだろう。
半眼になりつつも、溜息は辛うじて呑み込んで東側へと歩みを進めた。
水面から、赤土の地面へと上がった時点で豆子が咥えていた草履を履き直す。
………豆子さん、若干のべたつきはこの際目を瞑るべきだろうか。
一人と一羽、そして二匹が進んで行った先にやがて紅の門が見えてくる。
どうやら、ご丁寧にも門番がきっちり二名常駐している模様だ。
「……ふむ、やはりね。天原などとは違って館の警備もそれなりらしい。どうしてあの愚兄の侵入を阻止できなかったのか……この際、当人たちに聞いてみるのも良いかもしれない」
「桃子様、それは恐らくあまり意味の無いことかと……」
「桃爾様は夜間の手薄な時間帯を狙って忍び込んだらしいですよ」
「本人がそう言っていたので、間違いないです!!」
豆雄、豆太、豆子が歩きながら順繰りにそう説明するのを、非常に居た堪れない心地で聞き終えた頃には―――――その紅い門を見上げるところまで来ていた。
「ごめんくださいまし。――――お仕事お疲れさまでございます」
三匹の精獣を後ろに従えて、見目麗しき一人の少女がひれ伏さんばかりに腰を折る。
その光景に、唖然とした様子を隠さない門番の二人だった。
「――――あの、お客人。どうか顔を上げてください」
「それではお言葉に甘えて」
花の顔が深い憂いをたたえたまま、見上げる。
その儚げな様相に―――ー思いがけず、魂を奪われたような有様になる二人であったが。
その花びらの如き可憐な口元から告げられた要件に、空気はあっという間に凍り付くのだった。
「不肖の兄を引き取りに参りました。どうか、鬼の統領様にお目通りを願いたく存じます」
――――やはり兄は、完全に彼らの不興を買ったものらしい。
案内されて、進んでいく合間にも。
周囲から向けられる眼差しは一様に、凍えたものだった。
それはもう、見事に吹雪いている。
無理もない話だ。寄りにもよって――――忍び込んだ相手が、相手である。
「……捕縛された時点で、普通なら首を落とされていても文句は言えないもの……」
「「「桃子さま……それは敢えて口に出さなくても……」」」
見事な螺鈿の凝らされた、屋敷の南の一間。
既に開け放たれた広間の奥に、麗しい鬼が二人座していた。
双方の色彩は非常に似通ったもので、恐らく彼らが同じ血族であることが遠目にもわかる。
――――黒い絹糸の如き、美髪。
――――青磁のように、透明な彩の双眸。
この二色を確認した時点で、自然とその身を深く折る。
額を木肌の床に付け、心の底から謝罪の意思を告げる。
「天原の家を代表し、お怒りを承知で罷り越しました――――全ての非は、こちらにあります。未熟で、物事の道理もわきまえず、周囲の害悪にしかなり得ぬ兄を管理する義務を怠った以上は――――どのような罰も覚悟しております」
「…………桃子、それはいくらなんでも酷いよ?」
視界の端に、幾重にも荒縄に巻かれて転がされた『何か』の塊があるとは思っていた。
――――無論これは、兄である。
「あら、何かあると思ったけれども兄さまでしたか。……どうしてまだ生きているのかしら?」
「え。待って、そこに疑問を……!?」
「まだ自分のなさった愚かしく、救いようのない、生きる価値を失った今回の行動を自覚すらなさっていないとは……ふぅ。桃子は哀しいばかりです」
「桃子、君は止めを刺しに来たの?!」
「………」
「その沈黙がむしろ怖い!!」
やはり兄は、兄です。
全くもって反省の一文字すら見出せない姿に、幾度目かになるか分からない失望を覚えます。
――――ころころと、鈴の音のような美しく芳しい声がかけられたのはちょうどその時でした。
「仲の良い兄妹ですこと。まずは、顔をお上げになって――――桃の一族の、妹姫様?」
「恐れ入ります。相良の姫君」
――――現、鬼の一族が直系『相良家』。
二年前に世襲が完了し、今は相良の長子とその妹君によって統治される鬼の領。
つまりそれが、目の前に座している彼らであった。
「………ふふふ。遠目でも、可愛らしい方だとわかっていました。こうしてお目にかかれて光栄ですわ。天原の妹姫様?」
「私などに、過ぎた言葉です」
「思った通り、謙虚な方。……やはり、馬子を射んとすれば先に……」
「相良の姫様……?」
「……ふふ、いえ。こちらの話ですわ。ところで、わざわざ足を運んで頂いたのですもの。つまらないお話はこれくらいにして――――さぁ、こちらへ」
つまらない話、で括られたまま放置された形の『蓑虫』もとい愚兄。
そんな背後の声も、置き去りで。
思わぬ展開に、戸惑いもそのままに。
ふわりと手を引かれるままに、案内された先にあったのは――――朱色の宴席。
「「「うわあ――!! 凄い豪勢!!」」」
「ふふふ。どうぞ、遠慮なく召し上がってくださいね?」
三匹のモチベーションがここに来て急上昇している。
無理もない。先ほどまでの空気とここでは――――天と地ほどに異なるのだから。
だからこそ、だ。
ここに至る流れに、自分が疑問を覚えずにいられる訳がない。
「――――不敬を承知で、お伺いしてもよろしいですか?」
真っ直ぐに見据えた先で、笑み零す鬼の姫君。
柔らかな輪郭の中に、紛れもない妖艶さを纏いながら――――大輪の牡丹のように綻ぶ口許。
弧を描きながら、愉しそうに小首を傾げる。
「――――どうぞ?」
「では、お言葉に甘えて。………兄を、餌にしましたか?」
その問いかけは、無駄にはならなかったようだ。
恐らく予期されていたのだろう。
瞠った眼の中に、紛れもない喜色が宿る。
「やはり……私が見出した通りの方でしたわ。うふふふ、……今後はお姉さまと呼ばせてくださいませ!!」
儚げな雰囲気が、一変する。
後になって思い返せば、その時には既に後戻りなど出来ないほどに詰んでいたのだろう。
束の間俯けていた顔を上げた瞬間に浮かべたそれは、既に獲物を見定めた後の獣の如く。
鬼の特徴か、はたまた個人として特化しているだけのものか。
――――回避、する間もなかったのだ。
「週刊『花と豆』、私のバイブルですの!! 桃子さま? 私がこの日をどれだけ待ち望んでいたことか……ああ!! この万感の思いをどうか受け取ってくださいませ!!」
――――何がどうして、バレている――――……。
無言で、虚空を仰ぐこと暫し。
数限られた情報源を辿り、最も有り得る可能性……もとい元凶を特定するまでにかかった時間は僅か。
「…………とりあえず、宴席に刺身を加えましょう」
「「「(――――や、やばい。これは本気だ!!!)」」」
くるり、と振り返った少女の微笑みの先で。
小刻みに震えるのは三匹の精獣たち。
限りなくゼロに近い慈悲を願い――――見上げた先にあったのは。
「大陸では、犬を常食にしている地域があるらしいの」
「「情けを!! どうか、お許しください桃子さま――――!!!」」
「………いいんだよ、豆太。豆雄。そもそも無理があったのは……分かっていただろ?」
「うわあああっ、超絶ブルブルの所為で大惨事!! というか、誰?!」
「しっかりしろ、豆太。豆子のキャラ崩壊は今に始まったことでは無いだろう?! そんなことよりかは今、優先すべき事項を思い出せ!!」
「……え、と。何だったっけ?」
「大惨事はむしろお前だ!! ああ、もうやだ。飛び去りたい!! 今、この場から!!」
口を滑らせるのは、常に犬。
そんな暗黙の了解をもとに確認してみれば、やはりそういう事らしい。
もう何も聞きたくない、とばかりに頭を押さえて蹲った豆太。
飛行体勢に入りかけるも、尾羽を豆子のお尻に挟まれていて身動きが取れない事実に気づいてしまった豆雄。
口を滑らせた当人――――豆子は先ほどの発言から一転。
刺身で終わりたくない、とひたすらに呟き続けている。
――――本当、残念な精獣たち。
宴席を横目に、予想もつかなかった事態へと転がり落ちていく状況に。
眩暈に似た何かを覚えても、誰も彼女を責められない。
「まずは、ここに至る経緯を。全ての後始末はそれから考えましょう……」
混沌真っ只中。
地上からいなくなってもらったほうが色々と世の為人の為になる兄は、蓑虫中。
三匹の精獣たちは各々、精神状態の崩壊を防ぐのに精一杯であり。
先ほどまでは儚げ、可憐、淑女の理想の三拍子を卒なく被っていたはずの姫君はと言えば。今やガッツリと獲物を捕らえた獣の如き。その恍惚な表情を隠す気もないらしい。
上の面々とまともなやり取りは、もはや望めない。
そう判断したところまでは間違ってはいなかったと思う。
ただ、唯一誤算が――――というよりも、前提として考えてみるべきだったのだろう。
そもそも、この場に真っ当な人物が残されていたか、否か。
「…………相良家の、当主殿。ご説明を」
「…………やばい、な。思ってたよりこれは…………」
唯一残されていたと思っていた先が、使い物になる以前だった場合。
「鬼の当主様?」
嫌な予感どころか、ほぼ確信をもって胡乱な眼差しを向けた先で。
当人にどのような心境の変遷があったかは知らない。
ここに至るまで、まともな会話すら交わしていなかったこと。
初対面も初対面。
それすらも、すべてを置き去りにしたようにして告げられた言葉は。
「これから、祝言を挙げよう」
「天原の家に、これ以上兄の同類を増やすゆとりはありません」
にべもなく、撃ち落とした瞬間に露わになる悲壮。
しかし、動じない。
ここで動じれば、主導権を持っていかれかねないと本能が告げているから。
「ご用件がお済でしたら、私はこれで。……廃棄物、いえ兄についてはこちらで持ち返らせていただきます」
「――――実兄を廃棄物扱い?!!」
遠くから、幻聴が聞こえてきても動じません。今更ですから。
「お姉さま……もうお帰りになってしまうのですか。叶う事なら、夜通し語り明かしても終わらないこの思いの丈を知って頂きたかったのですが……」
「……割と本格的な身の危険を感じるので、遠慮させていただきますね。宜しければ、日を改めて天原邸へお越しください。姫君お一人なら歓迎する用意があります」
提案した途端、花が綻ぶ様に表情を明るくする姫君がいる一方で。
悲壮の色をより深めていく同じ色彩をもつ当主もいる。
いやいやいや。騙されないよ。妹が猫なら、その兄は恐らく狼だ。
隙を見せれば、取って喰われよう。
鬼の一族の名は――――けして、張りぼてではない。現していないだけだ。
それにしても、見事な両極端。
意図をもって牽制した物言いをしたものの、これには少し罪悪感も覚える。
「……日中であれば、もうお一人付き添いでいらしても構いません」
渋々、付け足した。
後々になっては、この判断がそもそも間違いであったのは明らかだった。
安易な仏心は、その人物の首を絞めるのである。
*
「あまりの威力に三日は使い物になりそうもないんだ……」
「どうせなら、今後一生使い物にならないようにして下さって良かったのに……」
「………切実に妹の発言が恐ろしい!!!」
ずーるずると荒縄の先を豆子に引かせて戻る道すがら。
兄曰く。
館に忍び込み、そこから寝殿までは何一つ無駄のない道行であったという。
問題はその後。
肝心の相良の姫君による、容赦のない鉄扇による粛清であったと。
うん、素晴らしい手際だ。むしろ褒め称えたい。
青ざめた豆雄が帰り道を先導していく姿を見上げ、つらつらと返答する少女の口調に迷いはない。
「天原の家が途絶えてもいいのかい?!」
「私がいますから。端から兄様に期待はしていません」
「定型句のような返し!! ……え、婿取り?」
「そうなりますね。……ですので、兄様? 今後の身の振り方については、今のうちに考えておいてくださいね?」
「遠回しな家出てけよ宣告!?」
ずるずると、引きずられながらもめげずに会話を続ける兄。
そんな兄を横目に、夕霧の中を帰路につく少女の悩みは尽きるどころか増すばかり。
「暫くは……兄様に構っていられるだけの心のゆとりも無くなるわ。豆子、豆太、豆雄? 父様が戻られない間は、菊爺様と私たちで天原の家を守らなければならない。相良の妹姫は私が対応するわ。だから、あなたたちは相良の当主から目を離さないで」
「「「えぇ――――……あの方、底知れなくて怖いです」」」
「当然でしょう? 仮にも、鬼の一族を取りまとめる首領なのですから。……それに、豆子? あなたが刺身を免れたのは、ただ幸運だったから……なんて旨い話ではないのよ?」
「「「謹んで、お役目につかせていただきます!!!」」」
さて、この先はいったい何処へ流れ着いていくのだろう。
桃は川を下って、辿り着いたのは鬼の根城でした……なんて笑えない話。
*
「やはり弟の責任ですね……今一度、私からきつくお灸を据えておきましょう」
「萩、過ぎたことよ。それにもとはと言えば、自分で頷いたことだからね」
「……ですが!! それに伴ってこんな害獣が生じることになると知っていたら……」
「すべてを予見することなど、叶わないから」
「……っ、申し訳ありません」
萩の弟、霞は雑誌の編集を生業にして生計を立てている。
その手伝いがてら、とある週刊誌の欄を委託されるようになって数年。
まさか、外部にその事実が知られる日が来ようとは。
人間、安易に頷くものではないなと常々思い返すばかりの今日この頃……。
それは、さておき。
木から落ちてきた、鬼の首領。
昼過ぎに妹姫と邸を訪れて、庭の散策へ行くと言い置いた後に姿を隠したものだろう。
当初からの予定通り、夜半までこうして潜伏せしめた隠密技術。
やれやれ、とため息を零せば。
ふふふ、と微笑みが返される。
質が悪い。
「悪質な商法はお断りしています」
「これは極めて誠実な提案です。互いにとって、けして不利益は生じない筈ですよ?」
「……説明を」
「天原の皆さんも承知の通り、相良の家は男女等しく継嗣が認められている。だから、妹に相良を継がせます。これで私は相良の一男子として、貴女のもとへ晴れて婿入りが叶います」
「――――豆子、豆太、豆雄。お見送りを」
にべもなく、踵を返そうとした少女の細腕を捕らえた腕の熱さ。
目を眇めて見下ろせば、そのまま指を食まれる。
「桃の姫君。鬼の性質を、今一度お伝えしても宜しいですか?」
「……いらないよ。諦めが悪く、総じてしつこい。――――違うかい?」
「――――いいえ。けれど、一つだけ補足を」
「……補足、ね」
ふわり、と背後からの殺気立った空気を物ともせずに抱え上げた鬼の鈍感力。
呆れよりも寧ろ感心を覚えてしまいそうな、一人の美しい鬼。
「一度愛したら、生涯を通じて愛し抜く。……私は、もう貴女を諦めない」
「つくづく、厄介な種族だね。――――だが、しかし鬼というものは、そういうものなのだろう?」
そうして今日も、桃の一族の妹姫はため息を隠さない。
まるで、宝物を抱えるよう。
優しく拘束してくる鬼の腕の中で、ひっそりとため息を零すのだ。
補完編として、『鬼の一族の妹姫は今日も微笑を隠さない』を脳内組上げしておりますが……陽の目を見るかは未定です|д゜)
ここまで読んで頂いた方々へ、感謝の気持ちを込めて。
ありがとうございました(=゜ω゜)ノ