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竜神と百合と未来

 竜神は、保留音を鳴らし続ける携帯を切った。


 深夜から早朝まで時間帯を変えて連絡するのに、何度鳴らしても猛と通話が繋がらない。

 着信拒否されている気配はないが、何らかの手段で回線を遮断されているのかもしれない。


 なぜだ。


 嫌な予感に胸にもやのようなものが広がっていく。


 竜神は連絡する相手を変えた。

『はい、もしもし?』

 通話相手は未来の母だ。竜神はこの母親から猛の連絡先を聞いていた。


「こんにちはおばさん。強志です。猛さんと連絡が付かないんですけど、そちらには何か連絡がありましたか?」


『それが……私からも繋がらないのよ。まぁ、あの子、何かに熱中するとメールの返事も平気で一ヶ月二ヶ月返さない子だから、今回もそうだと思っているんだけど……』


「そうですか……。未来さんが心配なんですけど、どうにか会うことはできませんか?」

『おばちゃんにも無理なのよ。心配してくれてありがとうね』

「どうしても無理なんでしょうか……」

『猛に連絡が付けばいいんだけど、付かないからねえ……』


 母親もまた戸惑ったような声をしていた。


「会える手がかりがあれば連絡ください。どんな小さなものでも構いませんのでお願いします。また……近いうちにお邪魔してもいいでしょうか?」

『それはいつでも歓迎するよ。おばちゃん、土日の昼間だったら家にいるから、遊びにおいで』


「ありがとうございます」


 竜神は電話を切って、携帯を充電器に繋いだ。

 下で気配がしたので階段を降りる。珍しく父が帰ってきていた。


 竜神は単刀直入に切り出した。

「なぁ親父、日向君と会えるよう取り計らってくれねーかな」

 父は怪訝に眉を寄せ、息子に問い返してきた。


「なぜだ?」


「急に入院したから心配だからに決まってるだろ」

 父は眉間に力を入れたまま答えた。

「日向君からお前に会いたいとの希望があれば、向こうから連絡してくるだろう。あの子が一番頼りにしているのはお前だと研究所の人間もきちんと把握しているんだからな」

「日向君の意向がないと会えないってのか? ちょっとぐらいいいだろ。ずっと監視してたんだから」


「このプロジェクトには何千人もの人間が関わっている。監視してたからと言って、簡単に接触を計れるはずがない。大人しく待ってろ」

「それでも、なるべく早く会いたいんだ。頼むから何とか取り計らってくれよ。お願いします」

 頭を下げる竜神の背中に父は拳を落とした。竜神より身長も高く体重もある現役警備隊員の力尽くの一撃は、竜神の背中だけでなく内臓まで衝撃を与えた。

 が、竜神は緊迫感なく「あだ、」と声を漏らす。

「いい加減にしろ強志! 俺は疲れて帰ってきてるんだ!!」

「……いや、ほんと、頼むからよ。どうにか会わせてくれって」


「まさか、お前……、日向未来に惚れたんじゃないだろうな。将来、警備隊員を目指す人間が護衛対象に懸想するなど――」


「好きじゃねーよ! オレが未来に惚れてたら監視役なんか即剥奪だっだろ。友達として心配なんだよ。いくら護衛対象っても、日向君はもともとクラスメイトだし、一学期の間中ずっと一緒に居て情が移らないわけねえ。オレを働かせるだけ働かせといて、あとは無関係扱いするなんてひでーだろ!」

「うるさい! とにかく、向こうからの連絡を待ってろ!!」


 背中を向けた父に、竜神はそれ以上何も言えなかった。これ以上食い下がっては、万一連絡が合ったとしても会わせてもらえなくなるかもしれない。十六年も一緒にいるのだ。父の意固地さは知っていた。






 未来はここ三日ほどまともに食事を採っていなかった。

 まだ衰弱するとまでは言えないが由々しき自体ではある。

 和食、洋食、何を出してもろくに手を付けないので、未来の母親に食事を作らせて自宅から運んできた。


「ほら、ご飯だよ未来君。君のお母さんがナポリタンを作ってくれたよ。好物なんだろう?」


「……………………」


 珍しく未来は黙って着席して、フォークを手に取った。

 母の手料理の力は偉大だ。食べるのだろうと安心したのは束の間だった。

 未来はフォークを自分の喉に付き指した


「未来!!!」

 喉に刺さったフォークを抜いて、また、付き射す。血が噴出す。

 職員は未来の手からフォークを取り上げ応急手当に取り掛かった。

 傷は幸いにも浅かった。腕力が無いのが幸いしたか。


「クソ、まさか自殺を計るとは……!」


 今後、未来の食器には注意を払わないとならないようだ。




 未来はぼおっと天井を見上げていた。見慣れてしまった白の天井があった。


(あ、俺、死ねなかったのか)


 フォーク、尖ってたから死ねると思ったのに。駄目だったかと落胆してしまう。


(……喉、すっげー痛い……。こんな痛いのに死ねなかったのか)


 息をするのも痛くて、ただ目を閉じる。


(怖い。怖い。怖い。怖い。怖い)


 未来は恐怖に全身を引き釣らせた。穴の開いた喉がみしりと音を立てた。


(もうだめだ俺。耐えられない。なんで、こんなとこにきちゃったんだろ)(ここにきて、何日目なのかな。もう、三ヶ月とっくに過ぎてるよな。俺、もう、こっからでられないんだ)(幸せだったのに)


 幸せで楽しかった。海水浴行って、お祭り行って。流し素麺食べに行って、水族館にも行って。


 今が辛すぎて、妄想だったんじゃないかってぐらい不確かになっているけど。



(なんで、こんなことになっちゃったんだろ。俺、どこで間違えたんだろ)



 百合、美穂子、浅見、達樹。――――――竜神。


「りゅ……」


 声に出そうとして飲み込んだ。

 返事の無い名前を呼ぶなんて悲しくて嫌だった。

(次、食事が出されたら今度こそちゃんと死のう。フォークじゃなくて、箸でもいいから)








 決意してたのに、食器は、全部紙になってた。


(それもそうか、簡単に死なせてくれるはずないよな)

 別の方法を探さないと。

(何か無いかな。死ねる方法)


 食事には手を付けずにベッド入る。


(死ぬ方法考えなきゃ)


 部屋の中を探すけど、なにもない。

 風呂の水は目立ち過ぎる。死ぬまで待ってはくれないだろう。


 ベッドはある。布団の中で死ねる方法がたぶん一番確実だ。

(あ、トイレットペーパーあるな。あれ、丸めて飲み込めばいいな)

 布団の中でやれば、きっと、朝まで気付かれずに死ねる。


(あぁ、でも、時々、見張りしてる奴が中に入ってきて俺の体触るんだ)


 体触らない人の時に死なないと。異変に気が付かれてしまう。

(中に入ってこない人が誰だか、ちゃんとチェックしなきゃ)

(でも早く死ななきゃな。俺の事、犯すって言ってたし)


 犯す。


 ガクガク体が震えて、呼吸さえ不確かになる。怖い。怖い。全身に触られた指の感触が蘇って恐怖に脳が軋む。怖くて怖くて血管が切れような錯覚に陥る。


(チャンスは一回しかないよな。今度失敗したら、トイレットペーパーも没収されちゃう)(そういえば、竜神に居場所作ってやるなんてえらそうなこと言っといて、俺、また、実行できそうにないな)


(ごめんな竜神)


 ぼおっとしてたらまた、男に起こされた。


 無理やり体を起こされて、かくりと首が垂れる。


(うわ、めちゃくちゃ喉がいってえ。喉、の傷、どんなことになってんのかな)



 ベッドの上に座らされ、男二人かかりで右手と左手を押さえつけられる。


(痛いよ。きつく掴むんじゃねーよ)

(そんな力入れて掴まなくても、あんたらの力にはかなわないもん)

(もう暴れないから。痛くしないで)


 ぶつ切りに思考する未来の前、ドアが開いて、誰かが入ってくる。


「あ」


 入ってきた男の顔を見た途端、未来の瞳に一気に涙が溢れた。

「う――――ぁああああ! やだ、いやああああ――――!!」


 喉の痛みも、掴まれてる痛みもどうでもよくなった。

 叫んで叫んで遠くに逃げようと必死になった。






 入ってきたのは早苗の父だった。



 顔を見た瞬間、心臓が軋んだ音を上げた。


(たすけて、たすけて、だれか、こわい!!! だれか――――りゅう、「たすけて、りゅう、りゅうじん、りゅうじん――――――!!!」


 返事のない名前を呼ぶのは寂しい。そう思っていたはずなのに、未来は必死に竜神を呼んでいた。

 無意識だった。

 助けてくれた、守ってくれた男の名前をただ口走っていた。


『ひっ――いやぁあああ! や、いやだあああ!! くるな、よるなあああ、いや、助けて、りゅうじん……!』

『早苗、大丈夫だから、お父さんがいるから』

『いやああぁあ……! くるなあああ、いやあああ!! りゅう、りゅう、りゅう――――!!』


 ガラスの部屋の向こうで繰り広げられる、少女に対する虐待とも言うべき行為を見ながら、壮年の研究者が呆れるように言った。

「随分酷な調べ方をしてるもんだ」


 もちろん早苗の父は拘束されているし、二人の男が早苗の父を抑えて未来に近寄らないよう自由を奪っている。

 だけど拘束なんて目に入って居ないのだろう。未来は泣き喚いて逃げようと必死になっていた。


「日向未来は情報を引き出す駒だからな。それに、あんな可愛い子を苛められるんだから、サドにはたまらんだろうな」


「そういえば聞いたか? 一致したそうだぞ。彼女の証言と父親の証言が」

「あぁ聞いた。体の記憶が現実に起こるとはな」

「早苗の自殺原因を再現すれば、もっと精密に過去を思い出すかもしれないって推測もあがってきたらしいな」

「……早苗の自殺理由と言えば、セックスか」

「あぁ。妊娠させれば、また劇的な変化が現れるかもしれないって話だ」

「誰がやるんだ?」

「そりゃもちろん、」


 俺達だろう。

 研究者が下種に笑う。


 未来の悲鳴が響き続ける。



 後ろで話を聞いていた井上は足元が崩れるのを見た気がした。



 数週間前、リュックを握り締めて、俯いて震えていた未来を思い出す。


『俺、元男なのに、無理やり引っ張られると何も抵抗できなくなっちゃうんです。この体、力無いし、男の体がすげーでかく見えて怖いし。無理やり押さえつけられたら、殴られるの怖くて、体が固まっちまうし。情けないですよね』


 喫茶店で笑う少女は、尋常じゃないぐらいに可愛かったけど、普通の女の子だった。


 あんなに、怖がっていたのに。

 なぜ、こんなことになってしまったんだ。


 眩暈と吐き気が止まらない。

 そんな井上など知らず、研究者は話を続ける。


「でもまだまだ先の話になりそうだがな」


「え? なぜだ」


「残念そうな声を出すな。あの有様を見ろ。虐待の再現に未来の精神が耐えられるかどうかわからんからな。情報を引き出すだけ引き出してからだ。早くとも数ヶ月は先だろう」


「そうか。待ち遠しいな」


「馬鹿」




 笑い声を背中に、井上は逃げるように部屋から出た。


 日向未来は、恐らく二度と、この施設から生きて出る事はないだろう。

 この研究所に未来が来てからまだ十日。なのにもう精神状態はボロボロだ。長くは耐えられまい。




 壊すだけ壊した未来の、最後の利用方法は間違えなく――――解剖だ。


 日向猛は手術を連続で失敗している。


 失敗の理由がどこにあるのか、成功例を開いて確認してみよう。誰かが必ず言い出すに決まっている。


 猛に気が付かれない様、薬物で未来を始末して、「未来さんの死を無駄にしないため、脳移植の発展のため、脳を調べましょう」したり顔で言う誰かのシルエットが井上の脳内に浮かぶ。吐き気が込み上げてくる。




 業務を終え研究所を後にした井上は、帰路の途中、公衆電話からある相手に連絡を取った。

 コーヒーが安く、この時間だと酔っ払い共の声で騒々しい喫茶店で待ち合わせをする。


「急に呼び立ててしまったのに、来てくれてありがとう」


 井上の前には、年の頃は二十代後半といったところか、ブロンドのウェーブのかかった髪を揺らした、瞳の大きい美女がスーツから伸びた美しい足を組んでいた。気弱そうな青年と、尊大な態度の美女の取り合わせは、ちぐはぐなようでどこかしっくりと収まっている。美女を手に入れるため、男が下手に出ているといったところだろうか。


「用件は何だ」

 美女の口から放たれた言葉は簡潔でいて、攻撃的だ。


「強志君に連絡をとってほしいんだ。百合さん」


 井上の申し出に、髪を染め、ウェーブを掛け、元の顔どころか、年齢さえ推測できないほど念入りに化粧した花沢百合が笑う。

 三日月の笑い方だけは、制服の彼女と同じ物だった。




 井上の話を聞いた百合は、絶望に染まった声を吐き出した。




「最悪だ。なんてことだ――――――未来への暴行の証拠を持ち出すことはできないか」


 井上は首を振ってから答える。

「無理だ。実験のデータは取られているが、全部、所長が管理している。僕が未来君の実験に立ちあえるのは極稀にしかないんだ。証拠を集めるまで、あの子の精神が持つとはとても思えない」

 百合は頷いて、井上に確認した。

「職を失う覚悟はあるんだな?」

 井上は、迷いもせず答えた。

「当然だ。未来さんを助けてあげたいんだ」



 百合はすぐに竜神に連絡を取った。

 前にも呼んだことのある地下室に通し、事のあらましを話す。

 竜神は百合でも触れるのが恐ろしいぐらいに、静かに、怒りを燃え上がらせた。

「わかった。何があっても未来を施設から取り戻す。お前も協力してくれ」

「協力などというな。主戦力だと思え」


 話し合って、大まかな作戦は立てた。

 完全に情報が揃うまでに二日間かかった。

 百合は被害者のプライバシーに配慮する海外メディアの抽出といくつもの言語でのリーク文章の作成に費やし、



 竜神は――。



「辻神弥を見つけた」


 辻神弥とは未来にセクハラをはたらいた教師、辻勝魅の息子だ。


 百合がセクハラ事件を神弥の会社と婚約中の恋人に暴露したから、行方不明になっていたはずだ。


「行方不明なんてそうそう続くモンじゃねーからな。案の定所持金が底をつきかけてた。金を渡してパソコンの処分をさせる。決行日当日は、神弥と同じ格好して行動しろ。お前なら、神弥の服装を把握するのなんか簡単だろ? ――この作戦はあくまでオレが立案して実行したもんだ。お前は何も関係ない。それだけは貫き通せ」


 百合は愕然とした。


「竜神……最初から全てを被るつもりだったのか」

「ああ」

 事件を全面的に隠蔽するのではなく、竜神強志が事件を起こすのだと、隠すことなく事を進めるつもりでいることに、百合は愕然とした。



「――――!!! 警察官になる夢は捨てるのか!!」



「しょうがねえだろ。研究所に侵入するのに覆面して入れるわけでもなし、オレの仕業だってのはバレバレなんだから隠すなんて無理だ」

 激昂する百合とは正反対に竜神は冷静だ。


「とにかく、未来を助け出すことが最優先だからな」


 神弥に渡す金を作るために、こだわって買ったバイクも売った。


 竜神の顔には諦念も躊躇も無い。目的があるのみだった。


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