入院
八月三十日。
入院を決意した俺は、施設に足を踏み入れていた。
白衣を着たお医者さんに案内された部屋は、ビジネスホテルみたいな個室だった。
精神病院って、檻とか牢屋とか鉄扉に囲まれた刑務所みたいな怖いイメージあったんだけど、あまりにも普通すぎて拍子抜けしてしまう。
案内してくれた人はすぐに部屋から出ていったので、抱えてたスポーツバックを開いて、早苗ちゃんの写真を窓際のローテーブルに置いた。
「ちゃんと、心の壊れたところを治して、早苗ちゃんの体を守っていけるように頑張るから、早苗ちゃんも一緒に頑張ろうな」
困ったように笑う写真の早苗ちゃんを見ながら呟く。
ノックの音が静かに部屋に響いた。
「どうぞ」
俺の返事を待って、部屋に入ってきたのは優しそうな女医さんだった。
「未来さん、始めまして。私の名前は山本さなと申します。一緒に治療を頑張って行きましょうね」
さなって名前、どっかで訊き覚えが……ああ、保育所で俺に懐いてきた女の子の名前と一緒だ。
竜神と一緒にスーパーで買い物してたとき、偶然会ってしがみ付かれて泣かれたっけ。
『お姫様に貰ったお花の冠、皆大事にしてるの! どらいふらわーにしたの! お姫様が可愛いって言ってくれたからずっと大事に取ってるの!』
なんてギャーギャー泣いて。花冠は俺が作ったわけじゃないってのに。
なんだかんだあって、竜神と一緒にさなちゃんの家にお邪魔して、りなちゃんも来て、竜神に懐いてたガキも来て大騒ぎになったのを思い出す。
ちょっと、親近感湧くな。
「よろしくお願いします」
ちょっとだけ笑顔になって、頭を下げた。
「ゆっくりでいいから、この質問に答えてください。来たばかりなのに申し訳ないけど」
テストみたいなプリントを受け取る。
さなさんはすぐに出て行って、俺はシャープペン片手にプリントの質問に答えて行った。
前半は普通に答えられる質問だったんだけど、
「――――――」
なんだこれ。
後半の質問が――――――――。
こんなの、答えられない。
シャープペンを置いて、プリントの上に突っ伏した。
なんだろう、なんで、こんなこと訊かれてるんだろう。
なんか、ちょっと、嫌な予感がする。
入院したの間違いだったかな。
いや、そんなことないよな。男に触られたらパニックになる俺の頭、確実におかしいし。
それにこの病院には兄ちゃんもいるんだ。おかしいことなんてない。
これも必要なことなんだ。多分。
でもでも、回答なんて出来ない。
なんとか起き上がったけど、シャープペンを机の上に転がしたまま、プリントを睨んで硬直してしまった。
その体勢のまま、どれぐらい経ったのだろうか。
さなさんが部屋に入ってきた。
「あら、半分しか埋められなかったのね」
眉を潜めて、責めるような声で言われてしまう。
「……す、すいません……」
反射的に謝って体を小さくした。
――――――テストの後半は、早苗ちゃんが受けた虐待に関する内容だった。
正直、思い出したくない。
頭の中に焼き付いてるけど、思い出すだけで怖くて体が震えてくるから。
情け無いけど、どうしても無理だった。