あの日あの場所
卯月の処女作です。
試験運転と言い換えても良いでしょう。
温かい眼差しでどうか最後までお付き合いください。
(7月22日、卯月十六夜から囲井鯀に改名しました。
ある日の事だった。
僕は彼にあった。
真夏の昼下がり。日光がじりじりと肌を焼くのを感じながら僕は街中を一人歩いていた。こんな暑い日でも、しかし街を歩く人の姿はちらほらと見られた。
しかし。
しかしだ。
「……暑い」
溶けてしまいそうだとか、そんな生やさしいものじゃない。頭が沸騰しそうだ。肌がひりひりと痛む。
何故僕は此処にいるのだろう?
自分で彼を呼んでおいて、そんな疑問が頭に浮かぶ。しかし、その疑問もすぐに蒸発してしまった。
「そして遅い……」
帰ってしまおうか? いや、僕が彼を呼んだのだ。勝手に暑いからと言って帰るわけにはいかない。それは彼に失礼だろう。
だから、僕は彼を待ち続けた。
「いやー、ごめんごめん、待った?」
「……死んでた」
「ありゃ、ごめんな?」
結局、日が暮れる少し前に彼はやってきた。
「いやー、お前との約束忘れてたわけじゃないんだけどさ、どうにもこうにも暑くって。外に出る気にゃあ、なんなかったんだわ、これが」
「僕は暑いのにこうやって何時間も待ってたんだぞ?」
「え、お前、ずっとここで待ってたわけ?馬鹿んなるぞ?」
「馬鹿は死ねばなおるんだ。知らなかったのか?」
「はー、初耳だ。俺もいっぺん死んでみっかな」
「やめとけよ。お前じゃ無理だ」
他愛もない会話をしながら僕と彼は茜色の街を歩く。
しばらく話して、適当に飲み食いし、そして話し、別れる。
それが日課だった。
「お、今日は俺が早かったな」
「今日は夕立だな」
「まったくだぜ。傘持ってきたか?」
「持ってこれねーよ、こんな晴れてんのに」
「じゃあ今日は傘でも買うか?」
「僕は傘マニアじゃないんでね。傘は一本で充分だ」
「あー、そうか。まあ、そうだな」
「おい、聞いたかよ、今朝のニュース」
「ああ、見た見た」
「あ? お前、テレビ派だったんだ?」
「お前は何派だったんだよ」
「もちろん、ラジオ派だな。便利だぜー、分かり易いし。他のことしながらもニュース聞けるし」
「はいはい。で、例の殺人事件のことか?」
「そうそう。お前、あれ、どう思う?」
「物騒だなー、って」
「そんだけ?」
「それだけ」
他愛もない、世間話。
ただそれだけなのに、僕はとても楽しかった。
だけど、長くは続かないことは分かっていた。
「…………」
「それでさ、最近なんか良い映画とかないか?」
僕は呟く。
「……あのさ。ちょっといいか?」
「どうしたよ」
本当に、ぽつりと呟いただけなのに、彼はちゃんと返事をくれた。
それが、嬉しかった。
そして、悲しかった。
「僕、明日にはもうこの街にはいないんだ。あ、いや。ちょっといるかも」
「へえ、夜逃げでもすんのか?」
けらけらと彼は笑い飛ばす。
「まあ、ちょっと違うけど、同じかも。僕、引っ越すんだ」
「違くね? 夜逃げと違くね?」
「まあ、正式に手続きしてるから。夜逃げとは違うよな」
あはは、と僕は笑う。
渇いた音を出して笑った。
「そうかー、もう会えないのかー」
腕を首の後ろで組みながら彼は呟いた。
「ああ、ごめんな」
「ってえと、あれだな」
ぱちんと彼は指を鳴らした。
「こっち来い、こっち。ほら、ぼさっとするな」
「お前はいつから僕の親になった?」
「今だけだよ」
またも笑いながら彼は言った。
「そうかい、分かったよ。全く……」
そう言いながらも、思わず苦笑してしまう自分がいた。
思わず、唇を噛む自分がいた。
「ほら、ここだ、ここ」
連れてこられたのは、そこそこ大きなゲームセンターの前だった。
「ゲーセン? 遊ぶのか?」
「違うって。ほら、プリクラ」
「男同士でか? 断っていいか?」
変な勘違いされても困る。いや、絶対困るから嫌だ。
「駄目だな。駄目駄目。記念だよ、記念。俺とお前があった記念だ」
「記念、ねえ。ま、いいけど」
どうせ、彼と会うのもこれが最後なのだ。
これぐらいしておかないと、面白くないだろう。
「ほらほら、早く入れって。うはっ! 狭い!」
「落ちつけよ、って狭っ!」
「まあいいや。ほら、百円入れろだってー」
僕が入れるらしい。
「ほら、入れたよ。どうするんだ?」
「うわー! 俺プリクラとか初めてなんだよー! どうすりゃいいんだ?」
初めてだったのかよ!
「知るかよ! 適当なボタン押せばいいだろ!」
「これか!」
彼は手当たり次第に次々と画面を操作する。
「うわ、カメラ見ろだって。カメラ何処だ?」
「そこにあるじゃねーかよ!」
正面少し上の所に!
「笑え! 時間がねーぞ!」
「お前のせいだと僕は考える!」
こんなに騒がしくプリクラを撮るのは僕たちぐらいだろう。周りからすれば何があったと思われているはずだ。
しかし、しっかりと僕は笑った。
これ以上ないくらいの、満面の笑みだったことは、画面を見ればわかる。
「えっと、名前書け」
「え?」
「俺も書くからさ。ほら、早くしろって」
急かされて、僕は慌てて自分の名前を書いた。
何度も何度も書いたことのある、俺の名前を。
しかし、名前を書くだけでこんなに緊張したのはこれが生まれて初めてだろうし、この先長い人生の間にも、きっともう、二度とないだろう。
「はー、変な名前」
「うるせーよ。ほら、お前も書けって」
「あいよ、さらさらさら、っと」
プリクラは初めてな割に、綺麗な字だった。いや、これはなんの関係もないかもしれないけど。絶対関係ないと思うけど。
「よし、なんか地味だけど完了でいいかな」
「地味すぎないか?」
二人のツーショットに、名前がそれぞれ書かれただけだ。
「『I LOVE YOU』って入れておこうか?」
「よし、これで完了、っと」
地味だけどそれはそれでいいとして、完了のボタンを押す。
機械から12枚のシールが台紙とともに吐き出された。
「あーあ、つまんねーの。もっと茶目っ気持とうぜ?」
「冗談」
台紙を半分に破り、片方を彼に渡す。
「うし、それじゃ。達者でな」
「ああ、のたれ死ぬなよ」
僕たちはゲームセンターから出ると、別れを告げた。
名前も知らなかった彼。
だけど、この街を去る前に彼と会えたことは嬉しかった。
たとえ彼が、どんな人物であろうと、僕は彼にあえて良かったと心から思える。
たとえ彼が、世間からどんな風に見られているのか、知っていても。
僕は彼にあえて良かったと、心からそう思える。
「信田、信田勝正」
僕なんかより、よっぽど普通な名前だ。
車の助手席から見える景色をスライドし、左手に見える河を眺める。
「どうしたの、ユウキ」
「いや、なんでも」
別に、泣いてるわけじゃないから、心配しなくていいよ、母さん。
はい、ありがとうございました。
慣れたら連載を始めると思うので、その時はどうかよろしくお願いします。