第4章
「パドゥク、一体これはどういうことだ?」
「道に迷ったようですね」
「その言葉は聞き飽きた!」
ジャンは無造作に伸びた栗色の巻き毛を掻き毟って叫んだ。彼らの傍らには、鳥に啄ばまれ虫に蝕まれたアリーシャの亡骸があった。この乾いた砂丘の中にあって、彼女は既に乾いた躯と化していた。その干からびた肉を目当てにやってきた数羽の禿げ鷹が、白い砂の上に黒い影をつくっていた。その羽を広げた大きな影は、死体を囲うような円を幾度も幾度も砂の上に描いていた。
「一体幾度、我々はここへ戻ってきた?一体幾度、私は朽ち果ててゆくアリーシャの姿を目にした?」
ジャンは落ち窪んだ目を見開いて叫んだ。
「一体いつになれば、我々はこの砂丘を抜けられる!」
「いつになったら?」
パドゥクは立ち止まり、こみ上げる嗤いを抑えつつ言った。
「いつになったら、ですと。間もなくですよ。何しろ貴方は、間もなくこの砂丘で死ぬのですから」
「・・・何だって・・・?」
ジャンは乾いた唇を震わせて問うた。飢えと乾き、そして極度の疲労のために四肢から力が失せ、彼はどうと砂の上に倒れた。ジャンが起こした砂煙を足元に浴びつつ、パドゥクは白い歯を見せて嗤った。
「そうです。貴方は間もなく死ぬのです。決して、生きたまま貴方をここから出すものか。・・・そうだ、死ぬ前に、ひとつ私の話にお付き合い願いましょう。冥土の土産としては持って来いだ」
パドゥクはジャンの上に屈み込み、胸元のトーテム像を取り出した。ぎらつく太陽の光を、磨かれたトーテム像の異様に大きな目玉が反射していた。ジャンの額に冷たい汗が浮かぶのを見遣りつつ、パドゥクは話し始めた。
「今だから貴方に教えて差し上げよう。貴方がたの元にグマルを持ち込んだのは、この私なのです」
「何だと・・・」
喘ぎながら、ジャンは恐怖に見開かれた眼でパドゥクを見た。彼は頷き、言葉を継いだ。
「そうです。グマルは、私が持ち込んだのです。何故私がそうしたか、これからそれをお話し致しましょう。
かつて私は、緑豊かな森の中に切り開いた村の族長でした。その私の村は、グマルのためにあっという間に壊滅してしまったのです。それも、貴方がた白い入植者のために・・・。
我々の村は長らく、グマルとは無縁でした。それを貴方がたが持ち込んだのです。そもそも何故、グマルのような災いがやって来るのか。グマルは、禁忌を起こしたことによる神の怒りによって齎されるのです。欲望に負けて動物、ことに野生の鶏と交わる者は穢れ、その者には神の罰が下るのです。我々の村には長らく、動物を穢してはならないというこの禁忌を犯す者はなかった。だが愚かにも、白い入植者はこの禁忌を犯し、動物と交わった・・・」
「何だと・・・?神の使徒たる我々が、そのようなことをするはずが・・・」
ジャンは、顔を歪め、掠れた声で言った。その声を、パドゥクのそれが遮った。
「だが事実だ!」
パドゥクの身は震え、その黒曜石のような目は爛々と光った。
「何が神だ。何が使徒だ。女を犯し仲間を殺す白い入植者どもに、徳も神の救いもあるものか。貴方がたの神など、ただ去勢を張るための飾りにすぎぬ。私は知っているのだ。この砂丘を歩きながら、貴方が自分の神とやらを呪って天に唾を吐いたのを・・・。
ただの飾りに過ぎぬ神を畏れ、本当の神である我らの神を畏れぬ白い入植者は、肉の欲に負け、我らの動物を穢した。そして奴らは獣や鶏を犯すだけでは飽き足らず、あまつさえ村を襲っては娘らを次々に犯しさえしたのだ。その結果、穢れた白い入植者と交わった娘らはグマルの穢れに苦しんで死に、更にその娘らと交わった男たちも穢れによって死んだ。そして、私の妻も入植者に陵辱され、グマルに・・・」
パドゥクは声を震わせた。
「グマルに罹った者は、生きている者も死んだ者も、村の掟に従って、皆火に焼かれた。火によって穢れを清め、我々は神の怒りを鎮めようとしたのだ。だが私は、生きながら炎に包まれる妻の姿をどうしても見たくないばかりに、密かに妻を高床の家の奥に隠した。彼女がそれを望まなかったのにも関わらず・・・。だがそのようなことが長く続く筈もなく、妻は間もなく別の村人の手により引きずり出されて炎に焼かれた。そして私は、村の掟を破ったために、族長の身でありながら、村を追われる身となったのだ。
生き残った僅かな村人は、鉈や槍を持って私を殺しにかかった。命からがら逃げた私は、ある日白い入植者の調査隊の宿営地に迷い込んだ。そこで私を拾ったのが、貴方の上司である連隊長だ。
連隊長は当初、私を奴隷として召し使う心積もりだった。それから私を待っていたのは、酷い虐待と過酷な労働だった。だが私は幸いにして、入植者どもの言葉をすぐに覚えた。そこで私に智恵があるのを見た連隊長は、私に自分の服を与え、私を案内人として雇うことにしたのだ。
立場を得た私は、すぐに入植者どもに復讐することを考え始めた。機会を狙う私に智恵を授けて下さったのは、私のトーテムである鳥の神トゥクだ。トゥクは私の夢に現れ、復讐のために自らの身を供すると仰った。私はそれで、全てを悟った。トゥクは、グマルによる復讐の手段を私にお授け下さったのだ。それからというもの、私は夜毎トゥクに祈った。トゥクはその度に私の夢に現れ、私を祝福し、智恵をお授け下さったのだ。
ある日私は、トゥクが夢で私に示した通り、エンリケとラズロに鶏と交わることを教えた。私は、調査隊の男たちが皆女を抱けぬことに苦しみ、満たされぬ欲望に苛まれながら自涜に耽っているのを知っていた。彼らはすぐに、この汚らわしい愉しみに耽溺するようになった。それからは貴方も知っての通りだ。トゥクは先に、エンリケに手を下された。ラズロはグマルに蝕まれる前に貴方の手に掛かって死んだので、次にトゥクは代わりにその女に罰を下された。
だが残念なことに、私がトゥク神と共にこの病を白い入植者らに広める前に、我々の小隊は本隊からはぐれてしまった。エンリケの足が遅れたためだ。だが私は決して諦めない。貴方と違って、私には土地勘があるのだ。私は必ず、本隊を探し出して、入植者どもにグマルを・・・」
そこまで言った後、パドゥクは腰に帯びた小刀を取り出した。
「小隊長殿、私とてそこまで冷酷ではない。実際、貴方には世話にもなった。せめて楽に死なせて差し上げようではありませんか」
パドゥクはそう言うと、小刀をジャンに振り下ろそうと、その長い腕を上げた。パドゥクの黒い影に覆われつつ、ジャンは目を閉じた。だが次の瞬間、突然どさりという音がして、彼の顔に砂煙がかかった。ジャンが恐る恐る目を開けると、パドゥクが地に倒れ臥していた。倒れた彼の体はもうもうと舞う砂塵に包まれ、その背には弾丸が貫通していた。ジャンは目を上げた。揺らめく陽炎の向こうに、銃を構え、馬に跨った連隊長の姿があった。
「ジャン、無事であったか」
連隊長は馬を降り、彼に駆け寄った。
「ジャン、アリーシャは・・・」
尋ねる連隊長に漸くのことで頷きかけたジャンは、弱った指を上げ、傍らにある虫のたかった躯を指した。それと同時に、彼は意識を失った。




