第五話 グレイ・ワールド
世界が灰色に染まっている。
自分の手も、足も、空気さえも。だがしかし、それを不思議とは思わない。いや、思うはずがない。
これは夢だ。
彼はその光景を達観していた。夢だと気づいた夢は、ひどく醒めてしまう。それとも、彼はいつもそうなのかも知れないが。
『お前は呪われた子だ! 悪魔の遣いだ! 気持ち悪い――』
一人の俯いた少年が、数人の少年たちから忌憚のない悪罵を散々に浴びせられている。それは重さがあるかのように、少年の身体を揺らす。
『お前がいると世界が汚れるんだよ、永遠に消えろ!』
突き刺さる悪意。
それは見えない刃でなぶられているようなものだ。痛みはやがて、心を喰らい尽す。
少年は顔を上げた。
泣いてもいない。怒ってもいない。冷たく凍てついた瞳は感情を語らない。
『死ね』
少年は暗く短く呟いた。
一瞬だけ少年たちを黙らせたが、結局はそれだけだった。
『なんだと、この』
体格の大きな少年が拳を振り上げる。
言葉では飽きたらず、今度は力で叩き潰そうというのか。たがしかし、少年は毅然として退かない。
『――――』
少年が何か呟いた。今度は長い。そして速い。それは言葉などではなかった。
突然、地面から何かが、しゅっと飛び出す。それは拳を振り上げていた少年の首に絡み、巻きついた。影――少年の影から黒い手が伸びて蛇のように首を絞める。
『う、うわぁあああ』
それまでの威勢は失せ、少年たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。たった一人、仲間を見捨てて。
『ぐ……がっ』
首を絞められた少年は白目を剥いて泡を吹き出していた。
それでも手は万力のようにますます力を込めていく。みしみしと骨が潰れる厭な音が聞こえて来るほどに。
『やめろっ!』
少年の背後で誰かが叫んだ。
驚いたせいか、素直に従ったのか、どちらにせよ、手は少年を解放し逃げるようにして影の中に消えていった。支えを失って、どさりと少年が倒れるが起き上がらず、ぴくりとも動かない。
死んでしまったのだ。
青くなった表情は子供のそれとは思えないほど醜く歪み、ただただ絶望を訴えている。
『なんてことをしたんだ』
背後から現れた少年は、信じられないといった様子でうめいた。
無理もない。自分の弟が人を殺してしまったのだ。しかも、禁じられた呪いの力を使って。
『豚が一匹死んだだけさ』
『!』
乾いた破裂音。
少年の心のない言葉に、兄は思わず平手で殴りつけていた。
吊り上がる邪視。
地面に転がった少年は、兄を見上げる形で凝然と睨みつけている。
『……今日のことは、俺がやったことにする』
『え?』
罵倒を覚悟していたが、その兄の不可解な言葉に少年は一転、目を丸くする。その瞬間だけは、年相応の純朴な幼さを見せていた。
『兄貴が弟の尻拭いをするのは当然だろ。これは俺のミスも同然なんだ』
『…………』
殴りつけられた痛みも忘れ、少年は言葉を失う。
それとも。
もう言葉は持っていなかったのかも知れない。「……ふん、この時にこいつも殺してしまえば良かったか?」
誰に問うというか。
夢の終わりを察知して、彼は陰鬱に呟く。その声は魔法のように灰色の世界を黒く塗り潰していった。