第四話 ナイト・ウィンド
むせ返るほどの酒の匂いと戦争のような喧騒。
日が落ちるのを待ち訪れたのは、どこにでもある飲み食い所の酒場というやつだ。表の看板には『海竜の風亭』と掲げられていたのだが、シェラにはどうでも良いことであった。
「人を探してるの!」
彼女の第一声。
「髪は真っ赤で、癖がひどくて、身長は私より低くて、なんていうかね、そんな子! 歳は私より少しだけ幼くて……名前はカインっていうんだけど」
酒場の喧騒に負けないよう声を張る。
シェラは身振り手振りを交え、酒場の主に自分の探している人物の特徴を伝えていた。しかしその特徴に当たる人間は多くも、少なくもないだろう。
だが、それ以上のことを話せない矛盾にシェラは心中でうめく。
「んなこと言われてもなぁ。ごらんの通り、この店の客は出入りが激しくてね。いちいち顔なんて覚えていやしない。その名前にも聞き覚えがないな」
そう促されたとおり、テーブル席が五つある店内は客で溢れていた。
外から見ても大きな酒場で、あえて人の出入りが激しそうな店を選んだのだがそれが裏目に出たようだ。
「……そ、ありがと。他当たってみる」
「すまねぇな。今度は客として来てくれや」
主人の気遣いにも答えず、見るからに意気消沈する少女。
ようやく手掛かりが掴めると意気込んでいたため、シェラの落胆ぶりは激しかった。自身の体を引きずるようにして店を後にする。
「奴は本当にこの街にいるのかしら……まさか、あの情報屋! ガセネタを掴ませたんじゃないでしょーねぇ」
ぶつぶつと愚痴をこぼしながら、シェラは夜の帳が降りすっかり静かになった通りを進む。
何故か人通りを避けるようにどんどん裏通りへと足を運んでいく。やがて彼女は突き当たりに出てしまい、完全に進路を阻まれた。
「残念だったなぁ、そこは行き止まりだぜ!」
「行き止まりだぜ!」
「だぜ!」
三人。
追っていたらしい人影はここぞとばかりに姿を現した。
垢で汚れた顔にくたびれた服装、お揃いの蜘蛛か何かの腕の刺青。荒くれ、ちんぴら、雑魚――そんな、何とでも言ってしまえる風体の男たち。とりあえず、中肉中背のリーダーらしい男と、太った男と、痩せた背の高い男。
そんな風に、シェラはやる気のない半眼の視線で確認する。
どれも下品な笑みを浮かべていて、友好的な様子にはとても見えない。いや、友好的だったとしてもなるべく関わり合いたくないが。
「馬鹿ね、わざと場所を選んだのよ。で、何か用?」
呆れたように歎息する彼女だったが、男たちは意に介さなかった。
「おいおい、強がりはよせよ。魔術師の旦那に殺すなとは言われてるが、傷つけるなとは聞いちゃいねぇんだぜ」
「聞いちゃいねぇんだぜ」
「だぜ」
魔術師の旦那。
恐らく依頼主だろう――思い当たる節が多すぎる。だがタイミングから昼の魔術師であろうと容易に想像がつく。
「痛い目に合いたくなかったら、大人しくするんだな!」
「大人しくするんだな!」
「だな!」
陳腐すぎる滑稽な台詞。
リーダーの男は脅しているつもりなのか、先頭に立ちにじり寄って来る。
続いて残りの太った男と痩せこけた男が退路を塞ぐ。完全にシェラを追い詰めた気でいるらしかった。
「あのさー、さっきから残り二人の台詞、適当じゃない?」
「の、残り二人言うな!」
「言うな!」
相手にするのも馬鹿らしい。
とりあえず無視したほうが良さそうだ。そうシェラは決めた。馬鹿の相手をするのは馬鹿だけだ。
「さて、困ったわね」
というより、面倒だった。
どうやって殺さずに済むか――彼女はそんなことを思案していたから。
「本当は、素人には手を出しちゃいけないのよね」
やれやれと嘆息するシェラ。
彼女が脅えるどころか、警戒の素振りのひとつも見せずにいるのをようやく気付いた男達は苛立ち始めた。
「何をごちゃごちゃと! ちっ、いくぞ!」
下品な笑みは消え失せ、黒く淀んだ眼光が本性を現す。
懐から短剣を取り出した男たちは一斉にシェラへと躍りかかり、彼女は身構える。
その瞬間――黒い風が吹いた。
「ぐわぁぁっ!?」
「ぁぁっ!?」
「!?」
悲鳴がこだまするように響く。
黒い旋風が巻き起こり、男たちが見えない何かに打ち払われたかのように吹き飛ばされた。
無防備なまま民家の壁に激突し、意識を失って崩れ落ちる。
(何――今の? 私はまだなにも……)
シェラでさえ唖然として立ち尽くしていた。
その視線の先に人影があるのに気付く。こんな街中で重苦しい、全身を鎧で覆った鉄仮面。
「怪我はありませぬかな? お嬢ちゃん」
「あなたが?」
今のは魔術の類ではない。魔の力が働いていればシェラには視える。
どんな仕掛けか、重厚な鎧を纏った騎士は一瞬にして三人の男を片付けてしまった。
「いかにも。うさんくさい輩が、年端のいかぬお嬢ちゃんの後を計らったように追うのを見ては、騎士としては見過ごすわけにはまいりませぬので」
「は、はあ」
何となく掴み所がない。
騎士の見た目にも堅苦しい口調に激しい肩凝りを感じ、気のない返事しかできなかった。