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第三五話 ネバー・エンディング

 まるでそれは道標のようだった。


 辺りは不気味なほど静まり返っている。強行突破も覚悟していたが、その必要はなかった。


 宮廷の魔術師たちは既に何者かの手によって殺害されていたのだ。その骸が道標のように点々と続いている。恐らくその先に皇帝の謁見の間があるのだろう。


「よし、とりあえず目障りな魔法使いどもを片付けろ」


 聞き覚えのある、耳障りな気障っぽい優男の声。


 シェラは廊下の角からそっと顔を覗かせ声のした方を見やった。


(あいつ、生きてたのね!)


 声の主の正体は、やはりアルベールだった。


 彼の後ろに十五名ほどの兵士がいて、その手には銃を抱えていている。


 こちらからは伺えないが、部屋の中の魔術師たちに照準を向けているらしい――そう思った矢先に激しい銃声の嵐。悲鳴さえ聞こえなかったが、恐らく全員射殺されたのだろう。アルベールたちは部屋の中に突入した。


(まさか皇帝も倒したの?)


 厄介なことになった。


 魔術師である皇帝なら、刺し違えてでも何とかできたはずだ。


 だがどうやらアルベールに先を越されてしまったらしい。銃を手にする彼らは魔術師より、皇帝より危険な存在だ。恐らく帝国を乗っ取るつもりだろう。


(そんなことはさせない!)


 シェラは駆け出した。


 もう自分は傍観者ではない。皇帝を討つつもりで乗り込んだが、事情が変わった。


 ザラスシュトラだろうとアルベールだろうと、危険な存在を野放しには出来ない。どこかに隠れて細々と生きることも出来たが、しかし出来なかった。


 罪から逃げるのはもっとも罪深いと知っているから。


「アルベール……賢者のことを知りたがってたね」


 それは少年の声だった。


 部屋の中に飛び出そうとしたシェラを止めたのは、聞こえてきた弟の声。


(カイン!?)


 絶望的な状況だった。


 覗き込んで見ると、魔術師たちの骸を乗り越えたアルベールと兵士たちの隙間に、黄金の鎧の男とラクシウス、そしてカインの姿を見つけた。弟だけは犠牲にしたくない――下手には動けない。


「時間稼ぎのつもりか? その手には」


「その銃の技術を帝国に預けたのは賢者さ。知っておいたほうがいいんじゃないかな?」


 カインはあくまでもおどけるように問う。


 その言葉にアルベールは口を閉じた。よほど重要なことだと気付いたのだろう。しかしシェラは賢者という存在を知るのは初めてだった。


(まだ隠し事をしてたのね……まったく)


 呆れるように嘆息するシェラ。


 そんなシェラに気付いたというわけではないだろうが、カインは肩を竦めてみせた。


「さすがは公爵様。事との重大さをわかってくれたかな……賢者を知らずに世界を支配することは出来ない。何故なら彼らこそが、この世界の支配者だからさ」


 手品の種明かしをするように得意げに話す少年。


 彼の瞳の深遠はどこまで深いのだろう。どこまで秘密を隠しているのだろう。シェラにはわからない。


「それが本当なら、なぜ銃の設計図を帝国に?」


「全ては預言書の導きのままに」


 その声は少年のものではなかった。


(ウィズベル!)


 記憶に新しい、ジールの司祭。


 シェラの目の前に現れたとき同様、前触れもなく突然に現れていた。カインの隣に当たり前のように立っている。


「な、なんだこいつは!?」


 アルベールは動揺し銃口を司祭に向けた。


「世界に秩序をもたらすために預言書がある。秩序とはこの世界の平和。お前たちの愚かな争いで世界が滅びないように、我々は預言書を記した」


 銃口を無視し、ウィズベルは淡々と語った。


 ここにいるようで、いない。そんな存在感の薄さが司祭を不気味なものに見せる。


「ならば何故、ザラスシュトラに――弟に預言書を託した? 奴は、この世界を滅ぼす寸前だった」


 司祭の姿を認めて、黄金の鎧の男が口を開いた。


 皇帝ザラスシュトラの兄ならば、ツァラトゥストラその人に違いないだろう。彼はアルベールのように、突然に姿を現した司祭に驚いている様子はなかった。何者かわかっているらしい。それはカインも同様だった。


「大いなる試練だった。この世界の存続の危うさを説く必要があった。世界の秩序のために」


 ウィズベルは独白するように呟く。


 その瞳のない視線は誰にも向けられていない。しかし、シェラは何故かその視線が自分に向けられているような気がしてならなかった。


「ええい、わけのわからないことを! これ以上無駄口を叩くと死ぬことになるぞ!」


 アルベールの容貌が苛立ちに歪む。


 理解の出来ないものに遭遇した時、人は出来うる限りそれを排除しようとする。彼の様子はまさにそれだった。


「やめろ、アルベール。銃は通用しないさ。彼は賢者……いや、賢者の代弁者だろう」


「そう。私は代弁者に過ぎない。主がお前たちに姿を見せることはない」


 カインの言葉にウィズベルが頷く。


「賢者だの預言書だの、どうでもいい! もう君たちの出番は終わった……舞台から退場願おう!」


(まずいっ)


 アルベールが兵士たちに指示を下す。


 銃口がカインたちに向けられた。何か出来ると思ったわけではないが、何もしないわけにはいかない。


 シェラは短刀を引き抜き飛び出していた。しかし間に合うはずもない――空気を割る激しい発砲音が無情にも鳴り響く。


「やめて!」


 絶叫。


 しかしそのシェラの叫びは声にならない。


 それだけではなく、飛び出したはずの体は動いていなかった。短刀を振りかざしたまま空中で止まっている。


(止まってる? 何が起こったの?)


 止まっているのは彼女だけではない。


 兵士もアルベールもカインたちも、まるで彫像のように固まってしまっている。


 銃から吐き出された弾丸でさえ空中で止まっている――止まってはいるがゆっくりと回転し少しずつ前進している。完全に時が止まってしまったわけではないらしい。


「さて、選択の時が来た」


 思わずぎょっとする。


 全てが凍りついた世界で一人だけ動いている者がいる。


 ジールの司祭。賢者の代弁者。常識を無視する存在――ウィズベルは歩き出していた。アルベールや兵士の体をすり抜けシェラの前で立ち止まる。その皺だらけの顔は笑っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。


(魔法じゃない……何も、視えない)


 愕然とする。


 この世界はどこまで自分を騙せば気が済むのだろう。


 剣も魔法も銃も――魔術師も暗殺者も皇帝も――正義も悪も――何もない。


 賢者は全てを知っていて、全てを超越し全てを握る。最初から最後まで彼らの思惑通りに綴られているのだ。この世界は。


「このまま時が動けば彼らは死んでしまう。しかし君が望むなら彼らを救うことができる。どうするかね?」


(どうするってこれじゃ――)


「言葉は必要ない」


 口を動かせなかった。


 だがウィズベルは思考を読み取ったように答える。


 仕組みを考えることさえ馬鹿らしく思えた。どうせ、彼らに常識は通用しないのだから。


(そりゃあ、助けたいに決まってるじゃない。見てわかるでしょ!?)


 飛び出した姿勢で短刀を振りかざしたまま、そう心中で呟く。


「我々は取引しかしない」


(……なるほどね、読めてきたわ)


 シェラには選択がひとつしかない。


 それをわかっていながら、彼らはこの状況を作り出したのだろう。その取引とやらの内容も予想がつく。


 だが今は余計な詮索をしている場合ではない。利用されるのは癪だったが素直に従う他にカインを救う方法はなかった。


「では、君の望むとおりに」


 シェラの意思を感じ取ったウィズベルが頷く。


 その瞬間――落下するような奇妙な感覚を味わうと世界が動き出す。


 空中に固定されていた体が思い出したように慣性に従って前方へと押し出された。目の前にいたウィズベルにぶつかると思う暇もなく彼をすり抜けて地面に着地する。


「こ、これは!?」


 その切迫した声はシェラのものではない。


 カインたちを襲うはずだった弾丸は突然現れた鋼鉄の甲冑姿の騎士たちによって阻まれていた。アルベールが顔を青ざめさせて叫ぶ。


「ウォード・バズラッシュ!! いや、違う――聖騎士団か!」


 地獄から亡霊が蘇ったかのようだった。


 フィンツで出会った聖騎士と同じ姿の騎士たち。だが彼はいない。


 ウォード・バズラッシュは死に、彼らはまた別の聖騎士なのだ。スクラドから姿を消していた聖騎士団。きっと、シェラとの取引が成立したウィズベルが呼んだに違いない。


「くそ、今更になって私の邪魔をするつもりか! 怯むな、撃ち尽くせ!」


 空気が割れる音と鋼鉄が叩かれて響く音。


 アルベールに続いて兵士たちの銃撃が何度も炸裂した。


 だがどれも騎士たちの鎧に虚しい引っ掻き傷を作っているだけだ。こうしている間にも銃身が熱くなっているだろう――そしてついにそれが起こった。


「ぎゃあああ!」


「うわあっ!」


 兵士たちの銃が暴発した。


 銃身が爆裂し、その破片が凶器となって持ち主の肉と骨を抉る。


「い、いやだああああああ!」


 アルベールは恐慌状態に陥っていた。


 周りの兵士たちが血を撒き散らしながら肉塊ともなればそれも無理ない。


「――ひっ!?」


 彼は後退りながら踵を返した。


 逃げようとしたのだろう。そして思いがけず背後にいたシェラと対峙する形となってしまった。


「戦場で骨を埋めるのが誇りになるんじゃなかったのかしら?」


 いつか貴族が軽く口にした台詞を返す。


「お、お前は! ちくしょう、どいつもこいつも……! そこをどけぇっ!」


 軽薄で冷淡な貴族はもういなかった。


 容貌を醜く歪めたアルベールは銃口をシェラに向ける。その手は微かに震えていた。


「撃ってみたら? その一発で暴発するかもしれないけどね」


「ぐぅっ……!」


 額に脂汗を浮かべ逡巡するアルベール。


 彼には撃つことは出来ないだろう。シェラはそう確信していた。


「舞台から消えるのはあんたよ、アルベール」


 もう語るべき言葉はない。


 シェラは身を屈めアルベールに斬りかかった。立ち尽くす彼と交錯した青い刃が煌めく。


 アルベールは銃を取り落とし膝から崩れ落ちた。額から鼻筋を沿って頬に赤い線が走っている。一瞬の間があって、その傷口から鮮血が噴き出した。


「あ、あ、あああああっ!?」


 自らの血に全身を赤く染める。


 だが派手な出血は一瞬だけで、致死量ほどに流れ出たりはしない。


 そう、殺す価値もない。罪に値する罰を与えただけだ。彼は一生、その醜い傷を背負って生きていくことだろう。償いにしては甘過ぎるが、ただ殺すよりはいい。


「姉さん」


「おお、愛しの君!」


 カインとラクシウスが口々に名を呼んだ。


 彼らの前に立っていた騎士たちが道を空けたため、シェラの姿を認めることになったのだ。


 凄惨な光景だった。最初に殺されていた魔術師の骸の上に兵士たちの肉塊が撒き散らされている。足場が殆どないためシェラはその上を乗り越えざるを得なかった。


(まるで人類の歴史ね)


 そんな風に皮肉る。


 この大陸は血と骸で出来ているのだ。


 遥かなる戦いの果てにこの世界があるのだ。そして戦いはいつか、この世界をも破滅させただろう。始まりがあれば終わりがある――そんな自然の摂理のように。


(だけど、そんな摂理も覆そうとする者がいる)


 骸をようやく乗り越えたシェラは振り返る。


 視線の先には血に塗れたアルベールの後ろ姿と、汚れがひとつもない純白の外套を纏うウィズベルの姿があった。


(あんたでも恐れるものがあるのね)


 それは司祭だけに向けられた言葉。


 その思考を読み取ったウィズベルが笑った。顔を歪ませて笑っていた。


「この者は代弁者に過ぎんと言っただろう。それとも、私自身に言ったのか?」


 そうだ。


 ウィズベルは所詮、奴の傀儡に過ぎないのだろう。


 奴がウィズベルの肉体を操っているのだ。初めてジールで会ったときの違いがようやくわかった。ウィズベルはもう死んでいる。


「私を殺すつもりかね?」


 城下町で聞いたような台詞。


 本質は同じだ。皇帝だろうと賢者だろうと違いはない。


「あたしは暗殺者よ。いずれ探し出して、その首を頂くわ」


 恐れる必要はない。


 決意を固めたら真っ直ぐ進むだけだ。


 結果を求める必要はない。その道程が、その生き方こそが真に求められるものなのだ。


「待っているぞ」


 そう言い残し、奴は消えた。


 同時に聖騎士の姿もなくなっていた。


「……やっと終わったのか?」


「何もかも終わりだ」


 ラクシウスが恐る恐ると口を開く。


 ツァラトゥストラが吐き捨てるように言ったが、カインは首を振った。


「いや、始まったんだよ。そうだろ、姉さん」


「そう――本当の物語はこれからよ」


 短刀を掲げてみる。


 冷たくも美しい青い燐光はいつもより輝きを強めたように見えた。


 この光がある限り、終わりは来ない――それが彼らの望んだことなのだから。



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