第三二話 ファイナル・ストライク
奇妙な間が流れていた。
大役を成し遂げた少年はその功績を労われ、褒美のものを遣わされることになった。
まだ女すら抱いたことのないだろう少年が望むものとは何か? 多少は興味のあることだった。莫大な金、一国の王座、大陸の一部。考えられるものはそんなものでしかなかった。しかし。
短刀、ひとつ――それが少年の望みだった。
(謙遜か? だが、それにしては奇妙な選択ではある)
皇帝に恐れた、という理由ならわかる。
だがその選んだものが短刀などとは、腑に落ちない。何を考えている?
魔術師は疑惑の目で少年――カイン・サウザードの横顔を見つめた。その瞳には何かを決意したかのような光りがある。恐れたというのなら、この力強い眼差しは何だというのだ。
いっそ、殺してしまうか。
魔術師がそう考えた時だった。
「ふ……これは面白いことを申す」
皇帝――ザラスシュトラだった。
少年の奇妙な選択に笑って答えている。何が面白いというのだ? その反応は間違っている。
「か、カイン。君は自分が何をしているのかわかってるのか」
処刑部隊の隊長。
ラクシウスが慌てて取り繕うとしている。もう遅い。少年は取り返しのつかない愚行を犯した。子供だからと言って許されるものではない。
魔術師は一歩踏み出した。
どんな魔法で片付けるか考える。目の前にひれ伏しているのは少年。
そんな彼も魔法を打ち破る業を極めし暗殺者。魔法はことごとく無効化されてしまう――しかし、彼らは武器がなければその力を発揮し得ない。それは意図的だった。彼ら処刑部隊を組織する時に注意を払ったのは、絶対的な力を身に付けさせないということ。そう、弱点はわざと作られたのだ。
(魔法を超える力など、存在してはならない。だが、魔法に対抗する術を作ることは必要だった)
――考えてもみろ。
最強の魔術師たちが暴れたら、誰が止めればいいのだ?
魔術師と魔術師の戦いは不毛なものだ。対抗呪文を唱えあって、決着がつくことはない。どちらかの精神が緩むまで対峙しなければ。
いずれ、魔術師にも余計な者が現れるのは明白だ。
謀反を企むもの。自分勝手に犯罪の限りを尽くすもの。世界の平和を脅かすもの――考えれば切りがない。だから魔術師を処分する存在が必要だった。
それが処刑部隊だ。
彼らは限定的に魔術師を超えられる。絶対的な力ではない。いまのように武器を取り上げられてしまえば無力化する。全て計算どおりなのだ。
魔術師が頂点に立っている事実に変わりはない。いや、変わってはならない。それを教えてやろう。
代わりならまた作ればよい。
「……小僧、皇帝を愚弄するとはいい度胸だ。望むとおり死を与えてやろう」
死の呪文を口にする。
魔力の渦――視認できるほど濃い魔力が周りを漂い始める。残りの魔術師たちは黙って見ていた。一人二人殺すのに全員が動く必要はない。
「まあ待て。短刀ひとつくらい、くれてやっても良いだろう? ――ザラスシュトラよ」
「!?」
詠唱は途切れた。
皇帝、ザラスシュトラが立ち上がっている。その手には短刀が握られていた。
そして彼は自分に向かって皇帝の名を口にした。二人だけしか知らない秘密を、明かしてしまった。
「貴様、謀ったな――ツァラトゥストラ!!」
魔術師は激昂した。
いや魔術師――ザラスシュトラは吼えていた。その波動だけで魔力が開放される。本来、彼は詠唱する必要もなかった。味方をも欺くためだ。それが裏目に出て、護衛の魔術師たちは混乱している。
そう。姿の良く似た兄弟は入れ替わっていたのだ。
体格の違いは鎧で誤魔化せてしまえる。後は雰囲気だけで誰もが玉座の皇帝を疑わない。例え護衛が後れを取って皇帝が暗殺されても、それは影武者だったという寸法だ。
「カイン!」
黄金の鎧を来たツァラトゥストラは短刀を投げつけた。
全ては予定通りと言わんばかりに、カインは口の端を吊り上げて短刀を受け取る。迫っていたザラスシュトラの魔法の黒い光りはあっさりと無効化された。短刀の蒼い刃が切り裂いてしまったのだ。
「おのれ……おのれぇええええっ! いつだ、いつから手を組んでいた!?」
ザラスシュトラは頭巾を脱ぎ捨てた。
露になったその顔はやはり兄と同じ砂色の髪に紫の瞳。ただし彼のほうが濃い紫であることは、近づいて見なければわからない。
今更ながらそのことを忌々しく思うが、遅い。
「賢者がこの宮殿に現れた日だ。お前は彼らに見捨てられたのだよ」
馬鹿な――ザラスシュトラは愕然とする。
自分は預言書のとおりに動いたはずだ。奴らの、賢者の望みを叶える為に手を尽くしたはずだ。
「そう。あの銃の設計図を預けたのは、この瞬間のためだったのさ」
全て仕組まれていたということか。
戦争の真っ最中――数々の国を吸収し、帝国が誕生したばかりの頃。奴ら、賢者は現れた。
驚くことはなかった。奴らに会うのは二度目だったからだ。
奴らはいずれ必要になると言ってあの設計図を遣した。もちろん預言書を完成させるためだ。その方法は語らなかったが、まさかそれを自国の武器として使うつもりはなかった。そんなことをすれば預言書の完成など望めまい。だから、別のことに利用したのだ。
「あの計略は俺の発案だったはずだ! まさか」
「そうだ。それも彼らは計算していた。賢者を甘く見たな、ザラスシュトラ」
ツァラトゥストラが勝ち誇ったように呟く。
あの日――始めて殺人を起した日に賢者は現れた。お前はいずれ巨大な魔力を手に入れ、帝国を築くだろう。そして預言書を完成させる。そう自分に告げたのだ。奴らは異端審問をもみ消した。だから自分は生き残った。そして、奴らの望みどおり大陸を支配してやろうと決めたのだ。
「そうか……あの日から、奴らは初めから俺を欺いていたわけか」
所詮、自分も預言書の一小節に過ぎなかった。
計略に踊らされ壊滅した愚かな反乱軍と何も変わらない。生かされていたことに何の疑問を抱かなかった罰なのだ。
「だがな、俺は違う。忘れたわけではあるまい……俺は世界を破滅させる魔法を知っている」
「……!」
そう。
賢者が自分に着目したのには理由がある。
魔力の才を持って生まれた自分は、そのうち禁断の魔法を知ってしまった。それを使ってみる勇気はなかったが、いざとなれば使ってしまえとも思っていた。
だから賢者は恐れたのだ。自分を。
いや――違う。魔術師を恐れたのだ。破滅の魔法はその才に恵まれた者ならいずれ辿り着くことができる。自分が特別なわけではない。ただそれに到達するのが早かっただけだ。
「たった一声でこの世界を終わらせることができる」
ザラスシュトラは勝利を確信した。
その死の呪文より重い言葉に、誰もが凍りついたように動けなかったのだ。