第二話 ダイアモンド・プライド
中立都市フィンツ。
大陸の東南端、広大なレーン海に沿う交易の盛んな商業都市の顔を持つ経済豊かな都市。
そのフィンツは、西南端を支配する隣国のスクラドと和平同盟を結んでいる。
神聖王国スクラド。
そのスクラドは敬虔なる神の信仰と共に、最強の兵力を誇る聖騎士団を抱えている。
しかし西南端は峻厳な山脈に囲まれており、主な生産品は鉱山から採れるありふれた鉱石と森林の伐採くらいのものであった――そこでフィンツを守護する盟約を交わし、代わりに豊富な物資を受け取っている。
これが同盟の所以であった。
しかし何故フィンツがスクラドの守護を得なければならなかったか。
それは北に鎮座し広大な領地を抱える帝国ティルナノーグの侵攻から自国を防衛するためであった。
一騎当千を謳われる聖騎士団の威光もあるのだろうが、スクラドの首都ジールは、帝国を含め大陸の殆どの国が信仰するファーティマ教の総本山である事からも、帝国は安易に彼らを敵に回すことはせず、水面下では睨み合いが、表向きには平和が続いているのだった。
「――いまさら歴史の勉強など必要ないよ。なぜこんな話を?」
フィンツを見下ろす高台に構える豪奢な屋敷の、その一室。
男はやや不機嫌そうに、整った眉目を醒めた表情にして言った。
流れるように背中まで伸びた髪は銀色。冷たく虚ろな碧の瞳は細められ、しかし計算された美しさを湛える宝石細工のような品性は失われていない。
「いや、アルベール殿。失礼致した。まず前置きが必要かと思った次第……ことに同盟問題の話題であります故」
肩の凝りそうな口調で話す男は、どうやら騎士であるらしかった。
青みがかった白銀の鎧で全身を包み、表情さえ鉄仮面で守っている。位のある人物と対するときは仮面や兜は外すのが礼儀だが、この騎士には存在しない礼儀だった。
「ふん――我がフィンツ家も舐められたものだな。使節の騎士にまで見下されようとは。これがただの余興の戯れ芝居だと言うのなら、早々に考えを改める必要があるのだがな」
易々と一国の名を語るアルベール。
その気品もなるほど、彼は自国一の歴史と地位、財力をもつフィンツ家の公爵である。
言うまでもなく、都市フィンツは土豪であるフィンツ家から発祥したのだった。以来、この都市は彼らによってずっと支配されてきた。
「これは心外、いや失敬。親方様はそのようには思われておりませぬ。全ては拙者の作法知らずが故。少々のご無礼をお許しくだされ……我が聖騎士団、礼を忘れど剣の腕は随一でござる」
礼を軽んじて何が騎士か――アルベールは冷たく凍る瞳の奥で吐き捨てる。
「それで、スクラドの聖騎士殿」
「拙者の名はウォード・バズラッシュ、と申します」
聖騎士は間髪入れずに名乗り挟んだ。
アルベールは表情さえ優雅に保っているものの、こめかみの辺りに筋を立てていた。
自分のペースを乱されるのは得意ではない――やや間を置いて、再び口を開く。
「……ウォード・バズラッシュ殿。貴君の大将にはこう伝えてもらいたい。商業の都たるフィンツ、その我々は商いの才に恵まれど、重い剣を振るい戦う力も、意志もない――フィンツはスクラドと共にある、と」
アルベールは真摯な眼差しで、まっすぐに鉄仮面を見据えた。
長々と続く説教じみた演説などとは比較にならない、短い言葉に込められた説得力――いや、それ以上に真の貴族が持ち得る宝石の輝きにも似た高貴な眼差しは騎士に追求の余地を与えなかった。
「その言葉そのままに親方様に伝えましょう。やはり、我が国に流れた不信説は根も葉もなく、杞憂だったようですな」
「ああ、もちろん。遠路はるばる、ご苦労だったね……聖騎士殿」
「ウォード・バズラッシュにございます」
あくまでも名乗り上げる騎士だったが、アルベールは窓の外に視線を移し言葉はなかった。
話は終わったということだ。それを悟ったのだろう。聖騎士は一礼してから部屋を後にしようと扉に手をかけた。すると扉が先に開き、鮮やかな赤い髪をした少年が顔を出す。
「おや、この坊やは?」
「む、私の客人だ」
ウォードの言葉に少年の存在に気付いたアルベールは、彼に中に入るよう促す。
少年は腕組みしながら堂々と部屋に入ると、好奇的な眼差しで甲冑の聖騎士を見定めるように一目した。幼さのあるその瞳だがしかし、その瞳の奥には何も映っていない。不気味なほどに暗い深遠が広がっているだけだ。
「……では、失礼致す」
聖騎士は少年の視線から逃れるように退室した。
扉の外に鎧の重苦しさが消え失せ、アルベールもようやく肩が軽くなり疲れたように歎息する。
「あれがかの、スクラドの聖騎士様か……」
少年は閉じられた扉を見つめ、何か思惟を巡らせているようだった。
「ふん、いつまでもでかい顔はさせぬさ。駒は、手の内にあるのだから」
先程まで保っていた美しい容貌をも歪め、アルベールは冷酷な笑みを浮かべた。
その眼差しの輝きは歪な光を湛えていた。