第二五話 プリズン・ブレイク
許せん――許せん、断じて許せん!
男は不満を爆発させた。しかし、できることと言えば意味のないうめき声を出すだけことだけ。両手両足を縛られて、おまけに彼の存在意義でもある魔法を唱える口を猿ぐつわで封じられている。
(この俺を、魔術師レガスを豚のように扱いやがって!)
昨日までの彼の地位はどこへいったのだろう。
人々から畏れられる魔術師であり、兵を束ねる将軍であったはずの男は牢獄で芋虫のように転がっている。
そこは、街の自警団の拘置所。
本来なら彼が入れられるべき場所ではない。だが実際は、戦いに敗れ惨めな捕虜になったのだ。理屈でどうにかなる状況ではなかった。
「おい、大人しくしてろよ。何かあったらあの娘がうるさそうだからな」
牢獄の前に兵士が立っていた。
元々、街の管理のものがいたはずだがどこかへやられたのだろう。帝国の息がかかっている可能性がある者は押しやってしまうのだ。何の罪もないのに。
(娘? あの戦場で俺を縛ったあの女のことか?)
兵士が口にした言葉で思い出した。
こんなことになっているのはあの娘が原因なのだ。八つ当たりに近いものをレガスはぶつける。だが――ああされていなければいま自分は、死んでしまっていたかも知れない。
だから感謝しろって? そんなこと、出来るはずがない。あの娘も反乱軍の一味なのだ。敵。憎い敵の一人に過ぎない。もしここから出られたのなら、あの娘でも容赦などしない。
そうだ。皆殺しにしてやる。
自分は最強の魔術師なのだ。死の呪文を口にするだけで虫けらのように人を殺せる。
(ここでこうしていても、いずれ殺されるだけだろう。ならば)
レガスは決心ついたように瞳に光を宿らせる。
「…………っ!!」
閉じることの出来ない口から悲鳴のようなうめきを漏らす。
じたばたと体を暴れさせ、狂ったようにもがき続ける。実際、魔術師は狂っていたのかも知れなかった。
「お……おい、やめろよ。何なんだよ」
兵士が狼狽していた。
だがレガスはもう言葉を聞いてはいなかった。白目を剥き口腔から泡を吹き出し、全身から脂汗を流している。徐々に顔が紫に近い色に染まっていく。尋常ではない状態だった。
「おい!」
堪りかねたように兵士は牢獄の施錠を外し、レガスに近づいた。
だからといって何かできたわけではない。ひたすらに暴れる彼は地面に頭を打ち付け始めた。このままでは死んでしまう。
「息が出来ないのか!?」
呼吸困難に陥った患者はあまりの苦しさに無意識のうちに自分を殺そうとする。
レガスの状態がまさにそれだった。兵士は猿ぐつわを外してやろうとする。暴れるので何回か失敗したが、どうにか緩めることができた。
海の底から浮上したと言わんばかりに、レガスは大きく息を吸い込んだ。
「げほっ、げほっ……!」
とても苦しそうに咳き込んでいる。
それから、混乱しているのか意味不明の呟きが聞こえた。しかしそれは奇妙な韻律を持った、悪魔の声。
「《魔界の槍》……」
「うぐっ!?」
魔の言葉は現実を支配した。
兵士の影から細長い槍のようなものが突き出し心臓を貫いた。それは黒く、彼の影そのものが実体化したものだった。魔法は現実を非現実に変える力を持つ。それゆえ忌み嫌われる。常識が通用しないものは畏れられる。
兵士は驚愕を浮かべた表情のまま絶命し、倒れた。
「はあ、はあ……また、役に立ったな」
自分を呼吸困難に陥らせる方法。
詳細は明かせないが、そんな技術がある。彼は一度、異端審問にかけられそうになったことがあり、その時も最後の悪あがきとしてこれを使った。医者が診に来て詐病ではないと判断を下され病室に移された。まだ裁判は行われていなかったから殺すわけにはいかなかったのだ。そして彼が寝ている間に世界が変わった。皇帝の遣いがやってきて彼を攫っていったのだ。
「早く、脱出しなくては」
口さえ解放されれば問題ない。
残る縛られた手足の縄を切るのは簡単なことだった。魔法に常識は通用しない。