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第二四話 アンダー・コーリング


 泣いていた。


 兵士の一人の青年が突然、涙を流した光景を思い出す。


 積年の恨みを晴らしたことによる歓喜の涙? いや、違う。そんなものではない。彼は明らかに心の空漠を訴えていた。それは彼女にも推し量ることなど出来ないとてつもない痛み。復讐の代償。


 それは昨晩のことだった。


 反乱軍が制圧した街で、祝杯を上げていたはずの復讐者が見せた、心の弱さ。


(人は弱い……いえ、弱くあるべきなのよ)


 剣も魔法も銃も、本当はいらないのだ。


 そんなものがあるから争いはなくならない。力があるから使いたくなる。


 カイン。あなたはそれを知ってて彼らに武器を渡したのね。


「うん、そのとおり――」


 役所だった場所を片付けて、カインとアルベール、それと何人かの兵士が広げた地図を元に作戦会議を進めていた。


 この街から進軍できる場所はいくつかあり、また敵軍の動きを推測しながら念入りに戦略を決定せねばならなかった。ここまで来て拠点を手放すわけにはいかない。いくら最強の武器があるといっても包囲されてしまえば敗北する可能性はある。


「アルベールの言うとおり、ひとつの場所に固まるのは危険だね。部隊を分けて行動するべきだろう」


 カインが頷いて答えていた。


 作戦は複数目標の同時攻略で決まったようだ。全員で突撃して挟み撃ちにされてしまうのは面白くないのだろう。大まかなことが決まって会議がひと段落する。といっても、シェラは参加していたわけでもないので関係なかったが。


 犠牲を出したくないと言いながら、目の前で起こっている会議すら止めることは出来ない。


 やはり自分は偽善者だったのだ。しかしそれでも、傍観者ではいたくなかった。


「助けた人たち――捕虜は、どうするの?」


 捕虜という言葉は使いたくなかったが、それさえも偽善に思えた。


 同じ人間でも立場が違うだけで家畜のような扱いを受ける。人間ほど邪悪で卑しい生き物はいないだろう。


「どうするも何も、刃向かわないように閉じ込めておくしかあるまい。言っておくが、君は残酷なことをしたんだぞ? 兵士は戦場に骨を埋めるのを誇りに思っている。そんな彼らに生き地獄を与えたのだ」


 予想はしてた答えだった。


 もう貴族の声を聞くことすら不毛に思える。


 自分の都合のいいように世界を解釈してしまう男。そんな者の言葉に価値はない。


 アルベールを無視して、シェラは真っ直ぐ部屋を出た。


 同じ空気を吸っていることにさえ嫌悪感を覚えたからだ。ならいっそ、奴を殺してしまおうか? そんなことをして何になる。第二、第三のアルベールが現れるだけだ。彼は人間の醜い部分の、氷山の一角に過ぎない。


 醜い人間。


 そう言う自分はどうなのだろう。


 この手は既に血に染まっている。いくら殺人を否定したところでもう、犯した罪は拭えない。


「ダメだよ、戻ろうよぉ」


「もう、おだまり! 見つかったらどうするの」


 廊下の窓の外から声がする。


 そっと覗き込んで見ると、まだ十にも満たないと思われる幼い少年と少女が窓の下を這うように進んでいる。こちらには当然、気付いていない。


「おそとはへーたいさんがいっぱいで危ないって、ママが言ってたよぅ」


「平気よ、いざとなったらあんたを囮にするから」


「外道!」


 恐らく姉と弟だろう。


 そう――まるで自分たちの幼い頃とそっくりだった。


 きっと探検ごっこか何かのつもりで、家から抜け出して来たのだろう。怯える少年を姉が叱咤している。思えば、自分たちにもこんな純真な時があったものだ。穢れも罪もない、美しい心。


 この世で罪がないのは子供だけなのかも知れない。


 私たちは日々、罪を重ねて穢れて成長していく。それは避けられない運命。そうして醜くなって、大人になっていくのだろう。そして、だからこそ美しさを求めるのだ。


 そうでなければならないと、思う。


「姉さん、ちょっといいかい」


 そんなことを考えていると、背後から声を掛けられた。


 弟、カインだった。説教でもするつもりだろうか? いや、そんなことじゃない。何か、また厭な予感がする。まるで魔法の波動のように。


「あんたさ、背伸びたんじゃない?」


「は?」


 ここ数日で、すっかり少年が逞しくなったような気がした。


 だがいくら育ち盛りとはいえ、そんなにすぐ人は変わらない。きっと自分が思っている弟はもっと昔の、平和だったころの彼だから錯覚するのだろう。しかしもうあのカインはいない。ここには軍の指揮官である男しかいない。


「すっかり男前になっちゃって。あたしに隠して彼女でもいないでしょうね」


「な、なに言ってるんだよ。そんなの、いるわけないだろ」


 すぐ剥きになるところなど、何も変わっていないのに。


 弟の皮を被った怪物がいる――そんな幻想を抱いて、そんな自分を恥じた。自分はなんて愚かなのだろう。たった一人の家族をそんな目で見ていたのか?


「あたし知ってるのよ。あんた、隣の家のカーラのこと好きだったんでしょ?」


 カインは黙った。図星なのだろうか。


「今でも野菜を残すの? 駄目よ、好き嫌いしてちゃ――」


「姉さん!」


 少年が突然、絶叫した。


 いや、そんな大げさなものではないだろうが、シェラを黙らせるには十分だった。


 話を逸らそうとしてるのがわかったのだろう。


「昔話なら戦いが終わったらいくらでもしよう。でも今は、もっと大事な話をしないといけない」


 シェラは観念した。


 カインの目を見ればわかる。よほど重要なことなのだろう。そして、衝撃的な。


「……ここでは駄目だ。地下室がある。そこに行こう」


 少年は声をひそめて言った。


 また地下。やましいことはいつも地下で行われる。


 シェラは聞こえないように皮肉げに呟いて、先に進む弟の後を追った。




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