第二十話 スパイダー・ネット
ジール陥落の報告を受けて三日。
もうじき奴らは動き出すだろう――フィンツの反乱軍である。
神聖王国を制圧しただけで満足するまい。本命である我が帝国の領域に足を踏み入れ、戦争を始める気だ。
将軍にして皇帝補佐。そして皇帝の兄という肩書きを持つ男、ツァラトゥストラはそう心中で呟いた。
「そろそろか……」
同じ事を考えていたのだろう。
玉座に退屈そうに座っているザラスシュトラが呟く。
帝国首都ティルナノーグの皇帝宮殿。その玉座の間に、大陸の支配者がいた。
皇帝の権力を演出するかのような無駄に広い間は、確かに訪問者に圧力を与える。統一された黒い長外套を着込んだ、選りすぐりの魔術師で構成された側近たちが入り口の扉のほうで石像のように佇んでいる。例え皇帝の身を守るための側近でもそれ以上に近づくことは許されていなかった。
彼の兄を除いては。
「あれについては、よいのだな?」
彼が口を開いたのを機にというわけでもないが、ツァラトゥストラは問う。
具体的に口にしたわけではなかったが、何のことかは伝わったようだった。他の者に聞かれてまずいことはないのだが、大っぴらに話す内容でもない。
「……ああ。放っておけ。あれは俺には不要の代物。いや、この世界にとってな」
「魔法は通用しない。命取りになりかねんぞ?」
忠告にザラスシュトラの瞳に冷たい光が宿る。
だがそれ以上の事はない。兄であるツァラトゥストラにも、彼が何を考えているかは分からない。
「それはない。そのための計略だ。それに、賢者はそれを許さんだろうよ」
魔帝の口の端が釣り上がる。
しかし魔界の空の色をしたその目は笑ってなどいない。――と、側近に動きがあった。扉の向こうの兵と話しているらしい。やがてこちらに向き直って報告する。
「申し上げます。伝令より、反乱軍が我が領土に侵入したとのこと。如何なされましょう?」
獲物が罠にかかった。
奴らは邪悪な蜘蛛の巣の糸に、まんまと足を踏み入れた事を知らない。また虐殺が始まる。
「どうもせぬ。貴様らで勝手に始末しろと伝えよ」
「はっ」
たったそれだけで終わった。
結局、皇帝自ら動くことはない。その必要はないのだ。反乱軍は皇帝の腰を浮かすことすらできない。そう、預言書は真実のみを語る。
(多少の犠牲は已むを得まい……明日の糧のために、幾つかの命が地に返る。それだけで済めば、世界の破滅に比べればほんの些細な犠牲だろう)
赦されるはずがないとわかってはいるが、ツァラトゥストラは贖罪せずにいられなかった。
皇帝を、弟を止めるにはこれしか方法がなかったのだ。