第十九話 ウォーロック・バイブル
長い夜が明け、朝日が昇った。
世界は光に包まれ、秘め事も露になる。
戦いはとうに終わっていた。戦いも何も、剣と盾を手にする兵士たちは何も分からないまま銃殺された。ただの殺戮だった。神聖王国スクラド首都ジールの、かつては優雅であった街並みも血と死体と瓦礫で酷い惨状であった。そして、傀儡に過ぎなかった国王も自決した。もうここに神聖王国などありはしない。最強の軍事力を手に入れたフィンツの支配下となったのだ。
「まったく――姉さんも無理するよ」
ひとつ間違えば死んでいただろうに。
少年、カインは姉の生存報告を受けて嘆息した。
姉のシェラは無謀にも戦闘の行われている街に踏み込み、市民たちをの避難を先導していた。おかげで街は全滅を逃れ、何百かの市民が生き残った。いや、姉が何もしなくても生き残りはあっただろうが。元々、なるべく無差別に攻撃しないようには言っていたのだ。それでも、混乱する戦場では市民が巻き添えになる。
「まあ、そんな姉さんが僕は好きだよ」
あくまでも少年の無邪気な笑みを浮かべる。
その瞳が何よりも暗い深遠を映していても、その気持ちに嘘はない。
「ん、なんだ。君たちはそんな穢れた関係だったのか」
「…………」
馬鹿をほざく貴族――アルベールを無視して、カインは逡巡する。
結局、聖騎士団は姿を消した。もちろん、賢者たちも一緒だろう。それもカインにとっては予定通りだったが。
(守るべきは国でも民でもなく、自分たちってことか……)
そんな分かりきっていた事を考え、カインは自嘲する。
自分のことしか考えないのは誰でも一緒なのだ、と。どこまでも自分が可愛いのだ、人間という生き物は。
ちらり、とアルベールを見やる。
彼はそんな人間の見本だ。人間の博物館があったらこいつを飾ってしまおう――そんな馬鹿げた妄想が浮かぶ。
「そんなに見つめて、どうしたんだ。私の美貌に惚れたか? 君がその気なら、受け入れんこともない」
いつか殺そう。
アルベールの間抜け面から眼を離し、カインは街並みに視線を戻す。
兵士たちは疲弊しているものの、その強力無比な兵器である銃を手放す様子はなかった。手に入れた玩具を頑として手放さない、赤ん坊のように。
(せいぜい大事にするんだね……自分たちの形見になるかも知れないんだからさ?)
誰にも聞こえない呟き。聞こえてはならない呟き。
「カイン」
唐突に名を呼ばれ、少年は振り返る。
するといきなり貴族に唇を奪われそうになった。慌てて飛び退くカイン。
「わ、わああああっ! な、なにするんだ!」
「恥らう顔も可愛いぞ、はっはっは」
冗談なのか本気なのか、カインは問うのも怖くなって、何もなかった事にした。
だがアルベールはさらに言葉を続ける。
「と、戯れはこれくらいにしてだな。カイン、君にひとつ、聞かねばならないことがある」
「今度は何さ?」
いい加減うんざりして、半眼で彼を見やるカイン。
だがアルベールの瞳はすでに真剣なものに変わっていた。野望に満ち、全てを我が物にしようとする愚か者の瞳。
「賢者とは何だ?」
貴族の問いに、少年は固い唾を飲み込んだ。
迂闊だった。地下の時だろう。あの状況でしっかりと聞いていたらしい。意外と馬鹿にできないのかも知れない。とにかく、余計な詮索はされたくなかった。
「さあ……ね、何のことかな?」
「とぼけても無駄だよ。私は街で一番、耳がいい。頭もいいがね」
さてどうやって切り抜けるか――考えながら、やめた。
本当のことを言ってしまってもいいかも知れない。どうせ信じやしないだろう。理解できるはずがない。
「神を創った老人たちさ」
「……?」
そして世界を創ったのもまた、彼らである。
賢者というのは所詮、単なる呼称のための名前に過ぎない。それにカインとて、全てを知っているわけではない。彼らに接触したには違いないが、それだけだ。氷山の一角を見ただけに過ぎないだろう。
こうしている瞬間でさえ、賢者たちの預言書どおりに歴史は紡がれていく。
彼らはきっと見ている。
どこか安全な場所から自分たちを見下している。神、或いは――悪魔。そう言ってしまえば単純だが、彼らはそんな生易しい存在ではない。
彼らの預言書から逃れられる術はない。
もっとも忌むべき存在は、帝国でも魔術師でもない。賢者たちなのだろう。