第十八話 ゴッド・ブレス
ダン、ダンと小刻みに空気を割る音が小さく聞こえる。
魔法ではない。魔法に音はない。じゃあ何だ、あれは? 少なくとも、次々と人間が殺されているのが悲鳴でわかる。
「ファーティマ様! お助けください!」
信徒たちは皆、手を合わせて必死に祈っている。
ウィズベル自身も心からそうしたかった。でも自分は神が存在しないことを知っている。
大聖堂の講堂の一箇所に全員が集まって恐怖に震えていた。
<月の祈り>の最中の、突然の事だった。賊か、帝国か、怪物か――何かは分からないが殺戮が起こっているのは明白だった。
「落ち着きなさい、神の子たちよ。大丈夫だ、神は見捨てない」
何を、何を言ってるのだ私は。
自分でも信じられないような言葉が舌の上から滑りでた。何十年と信徒の振りをしていた罰か――そんなことを考え、考えたことにウィズベルは顔面を蒼白にした。
「何が……何が神だ!」
突然、信徒の一人が叫んだ。
その瞬間、講堂にひとつしかないステンドグラスが悲痛な叫びのような派手な音を立てて割れた。巨大な硝子の破片が降り落ち、地面にぶつかると砕けて散らばる。描かれていた翼の女神の姿は消え失せ、闇夜がぽっかりと不気味な黒い口を広げていた。幸いにも、硝子は信徒たちがいる場所にまで飛んで来なかった。
そして、次に何が起こるのかと緊張に体を強張らせる信徒たち。
だがそれ以上の事は何も起きず、講堂の外でひたすら悲鳴や足音が聞こえていた。
「俺は」
叫んだ男は声の調子を抑え、再び口を開く。
(やめろ……やめてくれ!)
ウィズベルは心中で叫ぶが、どうにもならない。
「俺は、生まれた時からずっと神に仕えてきた。神の洗礼を受け、神の教えを守り、神に祈り続けた。それが、それがなんだ! 訳の分からないまま殺されちまうのかよ!」
「ま、まて。私たちはまだ死んではおらん。神が守っていてくださるのだ」
言葉が勝手に次から次へと出てくる。
神など信じてはいない。この街で、この世界で一番、神を信じてないのは自分なのだ。それなのに。
「大丈夫だ。きっと救われる」
それはまるで、自分に言い聞かせてるようであった。
神を信じていなかったのに、いざとなったら神頼みとは。愚かで、そしてあまりにも惨めだ。神がそんな自分を嘲笑っている……そんな有り得ない事を考えてしまう。
「うるせぇ! 畜生、太陽の祈りだの月の祈りだの、何の意味があったんだ!? こうしてる間にも、皆殺されてる」
彼は禁忌の扉を開いてしまった。
そんなこと、皆どこかで思っていたのだ。けれど、それを言ってしまっては自分がしてきた事が、自分の人生が無駄になってしまう。それを受け入れられるはずがない。
「そうよ! 言うとおりだわ……私、知ってたの。信仰は何故存在するのか、調べたのよ。敬虔なる信徒として当然よね? それでわかったの。信仰は――」
「やめろ!!」
シスターの口を封じるには、叫ぶしかなかった。
「お前たち、いい加減にしないか! 今まで培ってきた信仰を、捨ててしまうのか!」
ばん、と破裂したかのように扉が開いた。
固く施錠をしていたが、どうやって開けたのだろう。そして見ると、扉は開かれたのではなく、爆風か何かで無残に吹き飛ばされているようだった。
もう終わりだ――虐殺者がやってきたのだ。
誰もがそう思った。
入り口を凝視し、思考も体も凍りついたように固まっている。
「あなたたち何してるの? 早く、街の外へ早く逃げるのよ!」
虐殺者は女だった。それも若い娘。
いや、彼女は逃げろと言った。虐殺者ではないらしい。
「う、うあああああああっ」
弾かれたように、信徒たちが飛び出していった。
娘の横を通り抜け、街の外へ向かって。神に頼らず、自分たちの足で。
「お、お前たち、待ちなさい! 騙されるな……ここで祈っていれば、神は救って下さるのだ!」
もう誰も耳を貸さなかった。
大司祭の肩書きなど、なんの価値もなかったのだ。
だが、ただ一人だけ、さきほどのシスターが立っていた。そして彼女は無情にも、言葉の先を続けた。
「信仰はね――愚かな民をまとめるための便利なシステムなの。私たちは家畜のように思われてるのよ……神を創った人たちにね」
もうウィズベルは語るべき言葉を持っていなかった。信仰を捨てた者に説教は通じないからだ。