第十七話 バトル・クライ
何が何だか分からない。
帝国から姿を消した弟を追って旅をして、ようやく彼を見つけたと思ったら、その弟は戦争を引き起こし帝国を転覆させようなどと、とんでもない事を考えていた。
戦争によって全てを失う前、あの平和な日々をいつか取り戻せると思っていた。
親も友達もいなくなってしまったけど、弟だけはそばにいてくれた。いや、いてくれるはずだった。しかし彼は今や、反乱軍の事実上の指揮官だ。貴族なんて飾りに過ぎない。
自分たちから全てを奪った戦争を、己の手で再び起こす気なのか。
「ああ……もうっ!」
苛立ちに耐え切れなかった。
シェラは目の前に突っ立っていたアルベールを睨みやる。突然の事にアルベールは驚きを隠せず、美貌を引きつらせていた。
「き、君は確か……あの少年、カインと言ったな。彼の姉のシェラだったね。これは、その、愛情表現か何かなのか?」
「んなわけないでしょ!」
八つ当たりでもぶつけようとして、やはり馬鹿馬鹿しくなってやめた。
アルベールなど相手にしても何にもならない。しかしそれ以上に何もできない自分に嫌気が差した。
「姉さん、落ち着いて……今から戦闘が始まる。といっても、僕らは何もしないし、何も起こらない。ここにいれば全て終わるさ」
「そういうことだ。くれぐれも馬鹿な真似はしないように」
馬鹿な真似をしようとしてるのは、どちらなのか。
怒りで殺せやしないかと、きつく貴族の顔を睨み上げる。脇役は黙っていればいい。
「……あんな玩具で、帝国を潰せると思ってるの?」
その問いにアルベールが口を開くも、それより早くカインが答える。
「玩具じゃない、あれは銃っていうんだよ。姉さんも見ただろう? あれの威力をさ――魔術師の魔法なんて目じゃないんだ」
確かに、それはわかってた。
魔法なんて陳腐なものに思えるほどの非情な武器。剣も盾も鎧も、必要ない。そして、自分たちさえも。
本当の脇役は自分なのだ。死と隣合わせで手に入れた魔法に対抗する力。処刑部隊。それさえも、もう必要ない。それならば、自分たちがしてきたことはなんだったのか?
(あなたはそれでいいの? カイン)
もう言葉にはできなかった。
自分は何もできない。ウォードのように体を張って戦争を止めることも、アルベールのように戯言で民を動かすことも、カインのように知恵で帝国と戦おうとすることも。
――無力。
どん、と空気が震えた。
シェラたちはフィンツから馬車で半日もかからないうちに、神聖王国スクラドの首都ジールに辿り着いた。
その街の手前、小高い丘の上から夜気に包まれた静かな街並みを見下ろしている。丘の上に兵士たちの姿はなく、街の入り口のほうで爆発が起こった。銃とは別の、手榴弾という武器によるものだ。
「始まった」
それはカインの言葉か、アルベールか、わからなかった。
残酷な殺戮の始まりを告げる言葉。そう、あの武器に対抗できるものなどない――これは戦争ではない。虐殺だ。
まだ街は眠ったように静かだが、やがて聞こえてくるだろう。悲鳴、怒号、断末魔の叫び――
同じだ。帝国が始めた戦争と同じなのだ。結局は。
(また、あたしたちのような子が生まれるのよ。わかってるの?)
姉の声のない叫びは彼には届かない。
満足そうな笑みを浮かべるその横顔は、無邪気な少年のそれにしか見えなかった。アルベールのように冷酷な笑みでも浮かべてくれれば、憎むこともできたかも知れない。いや、例えそうだとしても、シェラは弟を憎むことなどできはしないのだろう。たった一人の家族なのだから。彼女自身、わかっていることだった。
「姉さん、どこへ行くんだ」
呼び止められて気付いた。
いつの間にか歩き出していた。丘を下ろうとしている自分。一体、何をしようとしてるのだろう?
「あんたが勝手な事をするなら、あたしだって同じ事をするわよ」
相手の顔も見ずに憮然と言い放つと、決心したようにシェラは走り出した。
呼び止める声がしたが構わない。自分を困らせたのだから、お返しをしてやるのだ。
街までの距離はそう遠くなかった。全力で走り続けようやく外壁のところで立ち止まる。体力が限界だった。それもあるが、足が震えてそれ以上進めなかった。
「動きなさい、あたしの体なのよ」
恐怖は忘れたはずだった。
毎日毎日、酷い実験を繰り返され、殺るか殺られるかの戦いを強いられて、そして悪魔の力と戦う術を得た。
なのに今は、死ぬほど怖い。
やっぱり丘の上に帰ろうか? 悔しいが、自分は無力な小娘にしか過ぎないのは事実。
「きゃあああああああぁっ!」
シェラは、はっと我に返る。
この世のものとは思えない悲痛な叫び。それは以前も聞いたことがある。街を焼かれたとき、そこらじゅうで聞こえた断末魔の声。同じ悲劇を繰り返す気か――聖騎士の言葉が蘇る。
「やっぱり、こんなの間違ってる!」
呪縛を解かれたように、体が動くようになった。
シェラは再び走り出す。何ができるのか分からない。何もできないかも知れない。
けれど、何もしないよりマシだった。