第十五話 ラスト・ヒーロー
その瞬間にして、彼は真の指導者となった。
少なくとも、彼自身はそう思っていた。
父と母が生きていればどんなに歓んだのだろう……否、それはない。彼らは一人息子の素晴らしい才能を妬んでいたのだから。奇病で死んでくれたときは清々としたものだ。そう、大きな街で、彼らだけが発症した謎の奇病……。
「諸君、今宵は良く集まってくれた。君たちはこれより始まる新たなる歴史の勇者となるだろう」
見渡す限りの聴衆。
一様に青い胴衣を着込み、その上に簡素な革の胸当てをしている。
防具などこれくらいでいい。旧時代の、重いだけの鎧はもういらない。彼らの手にはあの武器があるのだから。
この千もあろう聴衆が、この全てが自分の兵士なのだ。自分の力。
アルベール・フィンツは回想に浸りつつも、淀みなく自慢の演説を披露していた。
街の商業広報や環境問題で演説するのとは訳が違う。
そんなもの学生にだってできるだろう――今日は違うのだ。戦い往く戦士たちを指揮するのは選ばれし者だけなのである。話術・戦術・カリスマ……どれをとっても自分は完璧だった。生まれも地位も美貌さえも完璧。小さな街ひとつ支配してるだけの器などではない。皇帝の座……それは自分にこそ相応しかった。
「今度の戦いで少なからず犠牲はでるだろう……しかし畏れてはいけない。帝国は放っておけば世界を滅ぼす存在となる。そして、魔法など呪われた悪魔の力は根絶せねばならない。その武器は今、我らの元にある!」
おお、と歓声が沸きあがる。
士気は完璧だ。何せ、皆この時をずっと待ちわびていた。
帝国に家族、家、街を奪われた者たちは復讐心で燃えている。魔術師に脅える生活に辟易している。そして、帝国に対抗しうる強力な武器を手にしているのだから。
「焦ってはならない、諸君。世界の敵である帝国を討つ前に、やらねばならない事がある……そう、隣国のスクラドだ。彼らは帝国と戦える力がありながら、それをしない。何故か? 彼らは臆病なのだ。帝国に恐怖し、戦いを放棄している……それでは帝国に加担しているも同じ事! 幾ら信仰の聖地であろうとも、それは許されないはず! 彼らに戦いというのを教えてやろう!」
再びここで歓声が――今度は起こらなかった。
アルベールは困惑する。演説は完璧だったはずだ。何が起こった? そしてその原因はすぐに知れた。
がちゃ、がちゃ、と聞き覚えのある音がする。重い鎧を引き摺る、あの耳障りな音。
「馬鹿な真似は止めるのだ……悲劇を繰り返す気か」
群集の間を割って現れたのは、スクラドの聖騎士ウォード・バズラッシュ。
いつもの古臭い言葉遣いが消えており、片腕も一本ない。そのうえ胴鎧が激しく損傷し内蔵を露にしていた。黒い部品が敷き詰められた内臓が。アルベールにはそれが何なのか分からなかった。とりあえず、気にしてもしょうがない事であった。
「これはこれは……聖騎士殿ではないか。なにやら満身創痍といった体だが、どうしたのか?」
先刻、突然現れた紅い聖騎士――ユグドラムといったか。
現れた時は覚悟を決めたが、あれはこちらの動向を知りながらも、邪魔をするつもりはないといった。むしろ、邪魔しに来る聖騎士を止める、と言っていたが。
(どうやら、やられてしまったようだな)
真意はわかりかねたが、味方になるのなら拒む理由はなかった。
元々、スクラドを制圧したら聖騎士団を吸収するつもりだったのだ。自分たちを搾取し続けた神聖王国を押さえ、最強の聖騎士団を我が物にするのをどんなに待ちわびていたか。
(しかし、目の前にいる聖騎士には期待出来なさそうだ)
鉄仮面に覆われた表情など読むことは出来ない。
だが殺気なら十分に感じられた。スクラドを攻撃するのをやめないのなら、殺してでも止めようとするかも知れない。
「そんなことは、どうでもよい。この反乱軍を解体するのだ」
聖騎士の言葉に、アルベールはぴくりと眉根を寄せた。
「反乱軍だと……聖騎士殿、言葉を慎みたまえ。我々は解放軍。帝国の魔の手からこの大陸――いや、世界を救おうとしているのだよ」
「解放軍だろうと、反乱軍だろうと、どっちでもよい。お前たちがしようとしてるのは戦争だ。また人が死ぬぞ」
言いながら、聖騎士はこちらへと向かってきている。
(時間稼ぎのつもりか? 無駄な事を)
アルベールは普段、決して誰にも見せない冷酷な笑みを浮かべた。自分は遠くないうちに、皇帝になるのだ。もう甘い仮面を被っている必要はない。
「……いつまでも仮面を被っているのは、君も苦痛だろう? いま、楽にしてやる」
目配せで兵士に攻撃命令を出そうと、アルベールは視線を送る。
だが。
「これが最後だ、アルベール。攻撃を停止せよ」
「ひっ!?」
一瞬のうちに、聖騎士が自分の背後に回っていた。
固い鋼の篭手がアルベールの細い首筋を押さえている。期待に応えなければ首をへし折る――そういうことだろう。聖騎士の無感情な声が、恐怖を煽り立てる。
「ま、まままて、わかっ、わかった。やめる、やめるよ!」
舌がうまく回らず、どもってしまう。
忍び寄る命の危機に、アルベールの小さい心臓が大爆発を起こしそうだった。
恐ろしいほどに無様な姿。いっそ死んでしまいたい……いや、それはやっぱり厭だ。私は皇帝になる男なのだから……。
「やめる必要はないよ!」
緊張の静寂を打ち破ったのは少年の声だった。
首が動かせないので視線だけ向けると、いつの間にか、群集の前に赤毛の少年――リオンとか名乗ったが恐らく偽名だろう――それとあの娘。ジャッカルに殺されたはずの娘が立っていた。
――思い返せば、そう。こんなことになったのはあの少年のせいだ!
或る日ふらりと現れた少年は、皇帝の座が欲しくはないかと尋ねた。賢明な私は、初めは有り得ないことだと相手にしなかったものだ。
確かに私は完璧だが、悪魔に立ち向かう術などなかったのだから。
しかし、そのための武器があると設計図を見せてくれた。学院でも成績優秀だった私はすぐにそれが私に相応しい、完璧な武器であるとわかった。火薬の爆発により、弓矢より遠く、剣より深い致命傷を与え敵を倒す絶対武器。それならあの邪悪で忌まわしい魔法使いたちでさえ敵ではないと、わかったのだ。
幸い、私には有り余る金と誰も逆らえない権力があった。
技術者を雇い、物資を買い、この地下で開発を行わせた。そして、ついに今日という日を迎えたのだ。私はついに、真の指導者となったのだ……!
「奴を撃て」
アルベールの回想は、少年の声によって現実に引き戻された。
撃て、と言っていた。誰を? 少年の指先がこちらをしっかりと指している。
「し、しかし……」
困惑する兵士たち。だが少年は彼らに渇を入れるように高らかに叫んだ。
「多少の犠牲はつきもの。貴族一人の命で済むのなら、安いものさ!」
「な、ななな、なにを!?」
逃げようと暴れもがくアルベール。
しかし聖騎士の腕が岩のように固く、脱出できない。そうこうしているうちに兵士たちが手にしていた武器――銃がこちらを向き始める。躊躇の色をしていた眼が、やがて決心ついたように光る。
「やめてくれぇーっっ!」
絶叫。
今まで生まれて一度も、そんな惨めな大声を出したことなどなかった。
しかしそれさえも、無情な激しい発砲音の嵐で掻き消された。世界の終わりかと疑うほどの激しい嵐だった。