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第十三話 キリング・ルーム



 暗闇の間。


 そこは、一切の光りが届かない世界。


 見えるのは死を意味する紫電と、自分が手にしている頼りない短刀が放つ青い燐光。敵の姿を見る必要はない。暗黒に浮かぶ紫電を追えば、そこに敵がいる。


(距離は……まだ遠い。焦っては駄目)


 自分に言い聞かせる。


 そうでもしないと自分が暗闇に溶けてしまいそうだった。世界との境界線を見失えば、自分を失うのも道理。


 紫電が弾けた。


 心臓が飛び上がる――あの光は魔法の存在を示していた。反応があったとき、一瞬の後に自分が死んでいてもおかしくはない。魔法は不条理で卑しい。彼女にとって邪悪なものでしかない。


「いやぁあああああああっ!」


 気がつけば、がむしゃらに突撃していた。


 こんな、訳のわからないところで死にたくない――あの平和だった日々にいつか帰れるはずだ。そう思いたい。だから、戦う。


 突進してきた自分に光が迸った。


 魔法を放たれたのだ。普通の人間ならそれを視ることはできない――何もできぬまま殺されるのだろう。


(でも私なら、できるっ)


 視界を覆い尽くす光を彼女は断ち切った。


 この暗闇の間では唯一信じられる青い光。それは魔を切り裂き消し去ることができる。邪悪な力を封ずることができるのだ。


(いえ、まだよ。完全に封じるには根元から……!)


 光が放たれた位置を記憶した彼女は、その場所に短刀を突き立てた。


 手応えがある。幾ら死を弄ぶ魔術師でも自分の死の運命を操ることはできない。暗闇の中で顔も見たこともない誰かがどさりと音を立てて倒れた。


「おめでとう、シェラ。これで君は我が処刑部隊の一員だ」


 何処からか声がする。気がつくと辺りは光に溢れていた。


 一瞬ぞっとするが、それは命を奪うような邪悪な光ではない。壁に掛けられた松明が放つ炎の暖かい光。足元に自分が持っていた短刀を胸に突き立てている長外套の男が倒れていた。無論、自分が殺したに違いない。


 そして声の主であろう、黒ずくめの男が立っていた。


 男、と思ったのは推測に過ぎない。全身を黒い装束で包んだその姿からは、性別を判断することはできなかった。ただ装束の隙間から除く黒い瞳がこちらを見ていた。


「……弟は……カインは?」


 少女――シェラは喜びもせず男に問う。


 自分のたった一人の肉親の名を。


「ああ、彼なら先に終わった。カイン、こちらに来なさい」


 呼ばれて、光の届かない暗闇からすっと少年が見せる。


 鮮やかな赤毛の、ひどく癖のある髪の少年。衣服まで赤く染まっているのは返り血でも浴びたのだろう。怪我をしている様子はなかった。


「姉さんも卒業か。良かったね」


 何言ってるのよ、そんなのどうでもいい。生き残れて良かったってそう言ってよ。


 少女の悲鳴にも似た呟きは声にはならなかった。ひどく疲れていた。疲れ果てていた。弟が生きているのを確認して安心したのだろう――忘れていた体の傷を思い出してシェラは倒れた。弟が駆け寄ってきて呼びかける。


「姉さん……姉さん!」


「え?」


 声は夢でも幻でもなかった。


 シェラが眼を開けると、そこに赤毛の少年――カインの姿があった。床に横に寝かされている自分の隣で、心配するように顔覗き込んでいる。


 ずっと探し続けていた顔だ。


「カ――カイン。やっぱりここにいたのね」


 ここに、と言ってから思い出した。


 ここはアルベール公爵邸。弟を探しに潜入しようとし、捕らえられ、魔術師と脱出し――裏切られた。魔法使いなんて一瞬でも信用してはいけない……悔しさが込み上げる。


「でも、どうしてあたし生きてるの?」


「僕が助けたに決まってるだろ。魔法を打ち破るのは僕たちが得意としてることじゃないか」


 ああ、そうだ。


 戦争で親も家も街も失ったシェラたちは、その戦争を起こした帝国に拾われた。


 そして生きるために彼らの言いなりにならなければならなかった。帝国でも極秘とされている処刑部隊に入れられるために毎日、死と隣り合わせの人体実験と訓練を続けてきたのだ。何人もの仲間が志半ばで死んでいったが、シェラたちはなんとか生き残った。おかげで魔法使いも悪魔も怖くなくなった。


「カイン……」


 シェラは愛しい弟を抱きしめようと引き寄せる。つもりはなかった。


 拳を固めると思いっきり少年の頬を殴りつける。


「ぎゃぴぃぃっ!?」


 不意打ちにカインは反応できずに無様に転がった。


 シェラは立ち上がると少年を見下ろす形で睨みつけた。視線で射殺さんとするほどに。


「カイン……あんたねぇ、人がどれだけ探したと思ってるのよ!」


「え、えーと、もしかして怒ってる?」


「当たり前よ!」


 ぜぇぜぇと肩で息をするシェラ。


 怒りのあまり呼吸もままならない。


「忘れてるようだから教えてあげましょう。あなたが何をしたか」


 どこかの貴族が言ったような台詞を口にして、シェラは続けた。


「国家の『最重要機密』を持ち出し逃亡。追っ手の数人を殺害。以後消息不明……捕まったら極刑ね、間違いなく」


「それは成り行き上、仕方なく、さ。姉さんに黙っていたのは悪いと思ってるよ。でもね、それは姉さんを守るためなんだ。そして、世界を守るため」


 カインは立ち上がると、シェラを見つめた。


 彼のほうが少し背が低いのでシェラを見上げることになるが、しかしその瞳には何も映っていない。姉の想いも届かない深遠が広がっている。少年は途方もない何かを企んでいる。シェラには痛いほどそれがわかった。


「そんなの関係ないわよ。あたしはあんたの姉。世界でたった一人の家族。あんたが死んだらあたしは世界でたった一人ぼっちになってしまうのよ! 勝手なことしないで」


「……それは姉さん、独りよがりな考えだよ」


 その瞬間、何かが音を立てて崩れた。


 我知らずのうちに腰元の短刀を抜いている。うっすらと青い燐光を発する刀身はひどく冷たく見えた。


「発見次第、あんたを殺せと命令を受けているわ」


 感情を失くしたように、シェラは淡々と告げた。


 それは死刑宣告。殺すために存在する処刑部隊の常套文句だった。


「姉さんに殺されるなら本望かな。でも、少しだけ待って欲しいんだ。何もかも終われば好きにすればいいさ」


 どこまで本気なのか、カインはおどけたように言ってのける。


 シェラは苛立ちを隠せなかった。


「何を言ってるの?」


「僕が盗んだ最重要機密、それが何か知りたくない?」


 そう言って、カインの指先がある一点を指した。


 つられてそちらを見やると男がいた。いや、男だったものだ。その魔術師は胸に穴を空けて血を流して死んでいた。彼女を裏切った唯一の魔術師――ジャッカル。


「どういうこと……これは」


 注目するはその胸の傷。


 剣で突かれたものではない。魔法で貫かれたものでもない。見たこともない傷だった。


 これをやったのは誰だろう? 自分のほかに部屋にいたのは、アルベール公爵。あのひ弱な貴族が魔術師を殺した? 魔術師を殺せるのは私たち処刑部隊だけよ――そう呟くシェラに少年は言う。


「姉さんも知るといいよ。それは……ここの地下にある」


 笑顔を浮かべながら気楽な調子でカインは語る。


 しかしシェラは、まるで泥沼から湧き上がる瘴気のような、ねっとりと絡み付く(いや)な予感を抑えることができなかった。




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