第十二話 アイアン・ハート
「やはり、調べるのはここしかないでござるな」
甲冑の聖騎士――ウォードはアルベール邸を遠巻きに眺めていた。
鉄門の入り口には見張りの兵が十人――事前に調べたときより増えているが大差ない――交代も一人ずつ行われ隙もない。明らかに過剰な警備である。何かを隠していると言っているようなものだ。
フィンツは同盟を破棄するつもりだ――そんな噂がスクラドでは流れていた。
いや、スクラドだけではない。昼の調査ではこのフィンツの街でさえそんな噂が流れていた。明確たる根拠などありはしないが、火のないところに煙は立たないということもある。ウォードは騎士団の反対を押し切って単身でフィンツに訪れた。
『無用の問題を起こす道理はない』
騎士団の姿勢はこうだった。
もし噂が噂に過ぎず、何もなかったら、ウォードは自ら争いの火種を作りかねないだろう。だがしかし、何かがあってからでは遅いのだ。賢者たちの『預言書』は、まるで自分たちのことしか考えられていない。それに気付いたのは実際に帝国の誕生――戦争が起こってからだった。
「さて……いくでござるか」
ウォードはがちゃがちゃと鎧が音を立てるのも気にせず、堂々と屋敷へと向かっていった。
やがて正面鉄門に近づくと、見張りの兵がすぐに気付く。
「これは聖騎士様……こんな夜分に如何なされたのですか? アルベール様はもうお休みになられましたよ」
穏やかな口調だが、表情は固い。明らかに彼の訪問を拒絶している。
「ちょいとばかり痛むが、許されよ」
「は?」
宣戦布告のつもりであったが、兵には伝わらなかったらしい。
もっとも、伝わったところでどうということはない。ウォードは内部駆動機関の自動制限を限界まで解除した。
その瞬間、時が止まる。
兵士たちは固まったままぴくりとも動かず、夜空を流れていた雲も、頭上を飛んでいた蝙蝠でさえ静止している。制限を解除したことにより、ウォードは今や風の化身となった――常人の十数倍の機動力で世界を蹂躙することができる。
生命すら感じられない、人形のようになってしまった兵士たちの首筋に順に手刀を叩き込む。
しっかり手加減してやらないと首が?げてしまうが、聖騎士の手元が狂うことはない。意識を断ち切られた兵士の体がゆっくりと、極ゆっくりとだが重力に導かれ沈んでいく。
それを尻目に彼は、そのまま館の内部へと駆け込んだ。
制限解除で動き続けてられる時間はそう長くない。時間は無駄にしたくなかった。
(拙者は運が良い)
どこを探すか迷う暇もなく、廊下にはアルベールの姿があった。
もちろん動きを止め、その瞳に姿が映ることもない。ウォードは死角となる位置に隠れると駆動制限を元に戻した。一瞬、落下するような感覚を味わうと世界は動き出す。いつもは冷たい身体がすっかり熱くなっているが、熔けていなければ問題はない。
「ん? 風が吹いたような……妖精さんかな? うふふ、出ておいで」
気配だけでも感じたのだろう。
アルベールは立ち止まり辺りを見回したが、がっかりしたように肩を落とすと、また歩き出した。
このままついていけば何かわかるだろう。ウォードは確信していた。一定距離を保ちながら制限解除を繰り返しては隠れ、やがて四人の見張りのいる地下へと続く階段にアルベールは消えた。
(いよいよでござるな)
ウォードが踏み出そうとした時、地下から人影が現れた。
「……いるんだろう、ウォード・バズラッシュ」
自分の名前を呼ばれ立ち止まる。
その現れた人物に見覚えがあった。いや、それどころかよく知っている。生まれた時からず
っと顔を合わせてきた――兄弟だから。
階段の前に立っているのは、甲冑の騎士。
赤い光沢が施されてはいるが、ウォードの姿とそっくりな鎧だった。神聖王国スクラドの聖騎士団隊長ユグドラム・コーネリアス。彼に間違いはなかった。
「隊長殿……!? 何故、ここに」
存在を知られているのなら、隠れている意味はない。
ウォードは姿を露にし、ユグドラムと対峙した。見張りの兵はウォードに気付き身構える。
「やめておけ、お前たちでは奴を止められん。退け」
その言葉は誰に向けられたのか――無論、見張りの兵だろう。
しかし、本当はウォードに向けられていたのかも知れない。そんな気がしていた。
「は……はっ」
慌てたように、兵士たちは階段の奥へと消えていった。
それを見届けてから、ウォードは口を開いた。正確には、鎧の中にある発音機関から合成音声を再生しているだけだが。
「これも、預言書の一節だと仰るつもりか?」
「いや……これは例外だ。お前が何もしなければ、何も起こらなかった」
何を言う。
何もせずにいたから、彼女は――。
ウォードはいつの間にか、目の前の相手を破壊する数百パターンの殺人シミュレーションを実行していた。殴る、蹴る、捻る、潰す。しかしどのパターンも信頼性に欠けていた。聖騎士を敵にした事など、一度もない。
「お前は預言書を冒涜しようとしているのだぞ。それはあってはならないことだ。それは世界を敵に回す、ということだ」
「ここにいるのは、貴殿だけか?」
相手の忠告には答えず、ウォードは問う。
もはや言葉に意味はない。彼が現れたということは、そういうことだ。
「俺だけだ」
それがわかったからと言って、どうということもない。
一人だろうと二人だろうと、やらねばならない。それを悟ったウォードは覚悟を決めた。制限解除、時が止まった。
目の前が暗黒に染まる。
いや、鋼の拳が眼前に迫って視界を覆っていた。反射的に後退し避ける。だが敵は続けて二連撃目を繰り出してくる。相手は、止まった時の中でも動ける――当たり前だ。同じ体をもつ者なのだから。しかし。
(奴のほうが、疾い?)
二度目は避けられなかった。
拳は胴に打ち込まれ、爆裂した。そして吹き飛んだのは自分だった。
凄まじい破壊力に何重層の装甲が剥がれ落ち、意識が暗転しかける。信号を遮断していなければ擬似痛覚で気絶しただろう。ウォードは後方に吹き飛びながらも冷静に状況分析していた。そして壁に激突し、半ば埋もれて止まる。
激突して壊れた壁の瓦礫が空中に浮かんでいた。
通常では決して見ることのない、幻想的な光景。しかしそれを眺めている暇はない。飛び出すように瓦礫の山から脱出すると、敵との間合いを詰める。流れ込んでくる攻撃パターンを無視し、ウォードは己の感覚を頼りに攻撃へ移った。パターンでどうにかなる相手ではない――敵もパターンを把握しているのだ。
右手で逆手突きを繰り出す。
それは威力より速さを重視した攻撃。だが、紅い聖騎士は見切っていたようにその腕を取って封じる。しかし、その突きは囮。
ウォードは取られた腕が逆方向に曲がってねじ切れそうになるのも構わず反転し、鋼の踵を上空から振り落とす。
まさか自ら腕を犠牲にするとは思っていなかったのだろう――予想を裏切る攻撃にユグドラムも反応できず、鋼鉄の鉄槌により兜を叩き潰される。金属がひしゃげる厭な音。中に詰まっていた様々な部品が幾つも飛び出し、血の代わりに大量の油が噴き出す。
(隊長殿……許されよ)
勝利の恍惚感はない。
むしろ虚しさが押し寄せた。同属殺しの罪は果てしなく重い。
ユグドラムに活動反応はなく、もう金属の塊でしかなかった。我らにも魂があるのなら、それはどこにいくのだろうか……ウォードはそう思考回路の中で呟くと、内部駆動機関に通常時に移行するための制限をかけた。
忘れていたように時が動き出したその瞬間、背後の瓦礫が崩れ、ユグドラムの体が沈み、彼の右腕もがちゃりと床に落ちる。反転した時に完全に?げてしまったらしい。片腕が無くなった奇妙な感覚にウォードは自嘲した。
(所詮、作り物の身体か。失っても何の感情も湧いて来ない)
もし人間ならば、ひどくうろたえ、悲しみ或いは怒り、激しい痛みに叫ぶのだろう。それができない自分は人形と同じだ。人形に魂があるはずがない――彼女の元へはいけない。
いっそ、遮断している擬似痛覚を流して痛がる真似をしようか?
「ふ……」
思わず笑みを含む。
表情には出来ないが、吐息を漏らして笑う真似は出来た。
そんなことに意味はない――そう悟っているからだ。それにまだ、やらなければならないことが残っている。
蒸気が噴き出すほどの発熱で燃え上がりそうな体を引き摺るようにして、ウォードは階段へと向かった。