第十一話 フォーリン・ダークネス
すっかり暗くなった街並みを眺めていた。
黒い影が覆い尽くす光景は、昼とは違って不気味にも思える。
それでも夜の闇は静かで、気持ちを落ち着けてくれる――はずだったが、今宵はそうもいかないようだ。夜が深まれば深まるほどに、気が高ぶって落ち着かない。
館に侵入してきた小娘をわざわざ相手にしたのも、単に気を紛らわせるためだったのだろう。
彼は皮肉気に自嘲する。
「今になって臆しているのか? いいや、違うぞ。アルベール・フィンツ……君はやれる。君にしか出来ないことなんだ。こんなちっぽけな街に収まっている器じゃあない」
銀髪の青年が目の前にいた。
いや、部屋の明かりが反射して、窓に自分の顔が映っている。その瞳は暗く光り、野望に満ち満ちていた。
「今日も私は美しい」
「げ、ナルシスト?」
背後で悲鳴じみた声があがる。
振り返るとそこには、侵入者として捕らえていたはずの娘と、魔術師ジャッカルの姿があった。
「な、なな何故、ここにいる!?」
「一言で言えば、利害の一致ってやつだ」
ジャッカルが答え、口元に勝ち誇った笑みを浮かべている。
「種明かしをしてあげるわ。とっても簡単よ。手も足も縛られても使えるものは――そう、魔法。自由だったあたしの指先で彼の猿ぐつわを外してあげたのよ」
さも得意気に話す娘。
もっと拘束を考えるべきだった。彼女はそれを嘲っているのだ。
「くっ、衛兵! 衛兵は何している!」
「無駄だ。魔法で眠らせてやったから、日が昇るまで起きぬわ」
さあ、と言って娘が進み出る。
「カインはどこっ!?」
「……なに?」
そんな名前に聞き覚えはない。
訳が分からず、アルベールは問い返す。しかし問うたのは彼だけではなかった。
「そういえばお前、何でここに来たんだ?」
ジャッカルが今さらになって疑問を口にする。
そこでようやく、彼らが仲間関係ではないことをアルベールは知った。とはいえ自分の敵には違いないが。
「そ、それは貴方には関係ないわよ」
「ふむ、まあそれもそうだ。ところで、こんな話を知ってるか?」
するとジャッカルはぶつぶつと呟き始めた。
しかしとても聞き取り難い。何処かの外国語で喋っているような――だが娘は先に、それはそんな生易しいものではないと気付いたようだ。
「き、汚いっ!」
「遅いわ!! 《闇の中に沈め(デア・ル・レイド)》」
解放された魔力は闇となり、実体を伴なって娘へと襲いかかる。
油断して反応が遅れたせいか、娘は逃げる間もなく闇に取り込まれてしまった。全身が黒い汚泥のようなもの覆われると、あろうことか自らの影の中に沈み始める。もがけばもがくほど、底なし沼のように堕ちていった。
「くっ、おぞましい、呪われし力……」
事の顛末を、アルベールは忌々しげに吐き捨てた。
魔法は理不尽で卑しい。彼にとっては邪悪なものでしかない。
「フハハハ、何とでも言え。皇帝が我らを支配しているように、この世では力こそ正義なのだ」
「…………」
それは正しい。
力こそ正義。アルベールは汚い政治の世界でそれを厭というほど知っていた。
だが魔法使い――そんな存在は間違っている。
「君などにかまってる暇はない」
「なにぃ?」
不適な発言にジャッカルは怒りを露にする。
「こんなこともあろうかと、用意していたのだよ」
きっと、何が起こったのか分からなかっただろう。
それだけ一瞬の出来事だった。魔術師は何も出来ないままどさりと後ろ向きに倒れた。
「すっかり邪魔されてしまった……いや、感謝するべきだな。おかげで良い気晴らしになった」
もうただの黒く濁った水溜まりとなった娘と、哀れに死した魔術師に永遠の別れを告げ、アルベールは部屋を出た。