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XY

 翔子は数秒経っても、サラの言葉が理解出来なかった。


 ――だって、女性同士なんかじゃないから。


 つい先ほどに唇を重ねた相手。その彼女は、どこからどう見ても美少女にしか見えない。


「それって」その先の言葉を失いかけながら、翔子はなんとか言葉を紡ぐ。


「サラ……さんは、男性ってことですか」


 どこか悲しそうにも見える表情で微笑むサラは、その質問に答えなかった。


「わたしが前にボクシングの選手だったことは言ったでしょ」

「ええ、たしかオリンピックに出場が決まっていたとか、そんな話でしたよね」

「そう、たしかに私はボクシングの日本代表として国際大会をすべてKOで勝ち抜いた。女子のトーナメントでね」

「……それじゃあ、やっぱりサラさんは女性なんですよね?」

「そうなんだけど……」


 そこまで言って、サラはどこか遠くを見つめていた。静かに見守っていると、サラが再び口を開きはじめる。


「当時の私は、オリンピックで金メダルを獲ることで頭がいっぱいだった。それこそ、世界中の誰よりも練習したわ。だからこそ、すべての試合がノックアウトで決まったのも自分の努力の結果だと思っていた」

「ええ」

「だけど、私があまりにも毎回KOで勝つものだから、どこかから『そいつは男なんじゃないか』っていう声が上がりはじめた。最初はほんの少数の人しか無かった声が、私が勝ちあがるごとにどんどん大きくなっていった」


 サラの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。それまでに女性として生きてきたのに、ある日になって他者から自分のアイデンティティや歴史ごとを否定されるのはどれだけの苦痛だっただろうか。翔子にはサラにかけられる言葉が見つからなかった。


「決勝戦をKOで勝った時に、性別検査を受けろって声が上がりはじめてね、その勢いが増すばっかりだっから、主催者や協会も無視出来なくなったのよ。そして、私は笑いながら性別検査を受けることを了承した。生理だってあったし、今までも女として生きてきた。だから好きにやらせてあげましょうなんて、余裕で構えていたわ」


 それで、どうなったんですか――なんて訊けるはずがない。サラの話の流れを聞いていれば、その結果がどうだったかなんて明らかだからだ。翔子は息を飲みながら、話の続きを聞いた。


「性別検査は血液検査だった。私の血液を診て、性染色体を見るというシンプルなものだった。私の血液からはテストステロンみたいなドーピングに関する薬物は検出されなかった。だけど、血液からXYの染色体が検出された。それは、女性であれば持っているはずのない染色体だった」


 そこまで聞いて、翔子はサラの絶望が理解出来た気がした。オリンピックを目指してすべてを賭けて努力してきた羅刹院サラ――男子ですら歯が立たない拳を持つ彼女が、ほとんど神の領域と呼ばれるような理由でその夢を阻まれるなんて。


 自分が同じような目に遭えば、果たして絶望せずにいられるだろうか――そう考えると、翔子は何も言うことが出来なかった。


 ほとんど葬式のような空気となった中で、サラが続ける。


「性別検査の結果、私は『女ではない』としてオリンピック予選となる世界選手権での優勝を取り消された。その上、男子としてもリングに立つことが叶わなくなった。前回のオリンピックでは同じ境遇の金メダリストが二人いたけど、その時の批判やバッシングがあって協会の委員たちが『丸く収めよう』として私を見捨てた。国際的に大して重要性の無い日本人を切り捨てるなんて、あいつらにとっては朝飯前でしょうね。そうして私は、競技から退場させられたばかりか、本当は男だという烙印を押されたまま一般社会へと放り投げられた。その後に世間からどんな仕打ちが待っていたかは言わなくても分かるでしょう」


 言い終えたサラの目には深い闇があった。


 オリンピックの本戦で過去に男性判定をされた女子選手が勝ち上がった時も、世界レベルでのバッシングが起こった。当事者はどうしようもないのに、あちこちから心無い言葉を浴びせられる。同じ目に自分が遭ったらどうなるだろうか。想像することさえ叶わない。


 思えば父の東雲賢承がスキャンダルをでっち上げられた時も、世間からのバッシングがひどかった。あちこちから「死ね」だの「悪魔の子」だの好き勝手言われ、家の周りには生ゴミをばら撒かれた。


 近隣の住民は「お前さえ余計なことをしなければ」と東雲家の人々を怨み、助けるどころかバッシングや嫌がらせに加担する始末。翔子はこの流れを見て、人を信じることが出来なくなっていった。


 きっとサラも恐ろしいほどの人々から悪意を向けられたに違いない。自分ではどうしようもないのに、誰よりも頑張ってきたはずなのに、生まれてきたこと自体が間違いのように言われる。


 誰も彼女の怒りや悲しみを知ることは出来ない。想像する以外には。


 ――このコを、助けてあげたい。


 気付けば、翔子はサラを抱きしめていた。サラは少しだけ驚いた顔をして、どこか遠くを見ていた。


「わたしは、絶対にサラちゃんを見捨てたりなんてしないから……」

「翔子ちゃん?」

「あなたの抱えてきた苦しみを知ることは出来ない。それでも、近くにいて支えてあげることぐらいなら出来る」

「うん」

「だから、サラちゃんの傍にいさせて。わたしにも、あなたの存在が必要だから」

「うん」


 翔子は一層サラを強く抱きしめる。その力を感じながら、サラは少しだけ笑った。


「……初めてだね」

「え?」

「初めて、私のことを『サラちゃん』って呼んでくれた」

「あ……その、これは……」


 自分でも意識していなかった変化を指摘されて、翔子は思わず真っ赤になった。


「ありがとう」


 今度はサラが翔子を抱きしめる。さっきよりも、心臓の鼓動がはっきりと分かった。ここに来るまで、お互いに大切なものをたくさん失ってきた。


 だけど、二人で一緒にいれば何かが見つかるような気もした。


 太陽の光が、じりじりと背中に照り付ける。二人で抱き合いながら、お互いにこの日のことを一生忘れないであろうと思っていた。

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