屋上に咲いた百合の花
ろくでなししかいない校舎の屋上には、吸い殻や針の折れた注射器が転がっていた。ところどころに赤黒い痕があり、誰かの血がコンクリに染み付いたようだ。期待を裏切らない荒廃ぶりとは相反して、真っ青な空からはまばゆい陽光が差し込んでいた。
「どんなにろくでもない場所でも、太陽の光は平等ね」
屋上に翔子を連れて来たサラは、陽の光を浴びて背伸びした。その姿だけを見れば、日光浴でもしているモデルか何かに見える。
「あの……さっきは、ありがとうございます」
ようやく喋れるようになった翔子は、いくらか口ごもりながらも先ほどの礼を言うことが出来た。
「いいの。私もちょっと体を動かしたかったところだから」
「体を動かしたいって……」
翔子は思わず言葉を失う。あれだけ派手に不良たちを叩きのめしておいて、サラにとっては軽い運動ぐらいにしか感じないらしい。
「その……さっきの動き、本当にすごかったです。格闘技でもされていたんですか?」
「まあ、それなりに……。一応、ボクシングでオリンピックに出るはずだったんだけどね、ダメになっちゃった」
「ダメにって……」
翔子はそれ以上言葉を続けられなかった。羅刹院サラがその言葉通りにオリンピックの選手だとすれば、それはとんでもない実力者であることを意味する。だが、サラの言う「ダメになった」という言葉が引っかかった。
先ほどのような大立ち回りをリングの外でやったのなら、不祥事としてオリンピックの出場が取りやめになった可能性は十分にある。何となくその流れは想像が出来たが、どう考えても地雷質問にしかならないと判断してやめた。
「色々とあったのよ。本当に、色々ね」
遠くを見つめるサラは、しばらくして何かを決めたような目になった。
「でも、そうね。あなたもつらい過去を話してくれたことだし、私だけが過去を隠しているっていうのはフェアじゃないわね」
「話してくれるんですか?」
「ええ、そう誰にでも話せることじゃないしね。こんなにかわいい女の子がカウンセラー代わりになってくれるんだったら、私も喜んでつらい過去を話すわ」
サラがぐっと顔を近付ける。その気になればキスが出来る距離で、翔子の顔をじっと見つめる。
翔子はどぎまぎしながらも、サラの整った顔立ちに見とれていた。切れ長で、吸い込まれるような目。そこに宿る暗黒を見つめると、そのまま吸い込まれてしまいそうな気がした。
「初めて見た時から、なんてかわいい女の子なのって思っていたの」
「えっ……?」
翔子は一瞬、何を言われたのかが分からなかった。
「あなた、とってもかわいいわ。周りの人にもそう言われるでしょう?」
「そんな……わたしは、」
サラの吐息が耳元に当たる。たったそれだけのことで声を上げそうになる。油断すれば理性も何もかも持っていかれそうな気がした。
気付けば愛撫するようなボディタッチが背中から腰、脇腹へと続いていく。太ももまで撫でられると、甘い吐息が漏れた。
体温が上がっていく。鼓動が早くなり、どこか背徳感のある遊びに興じているような、いけない誘惑が胸の内に生じはじめる。息遣いが、全身を撫でられているだけで荒くなった。
「ねえ、暑いの?」
「はい。なんだか、暑いみたいです」
「そう。今日はいい天気だから」
サラは翔子のブラウスに手をかけると、勝手にボタンを外していく。
「あ、ちょっと……!」
「あなたをひと目見た時から、ずっとこうしてみたかったの」
「こうしてって、そんな……」
翔子のリアクションなどお構いなしに、サラはブラウスのボタンを二つ、三つと外していく。
このままでは全部脱がされる。そう思った翔子は、サラの手の上に自分の手を重ねた。心臓の鼓動が早まる。油断すれば吸い込まれそうになる瞳を、じっと見つめた。
「やめて下さい。こんな……」
「こんな、何? そう言うあなたもドキドキしているみたいだけど」
すべて見透かしているとばかりに、サラが艶然と微笑む。その表情は高校生とはとても思えなかった。
整った顔が近付いてくる。そう思った時には、翔子の唇に柔らかい感触が当たった。
「……!」
目を閉じたサラは、そのまま翔子の唇を奪っていた。
――まだしたこと、なかったのに……。
そうは思いつつも、翔子は自分の内にどこか快楽めいたものが生まれているのを感じていた。抵抗する気も起らずに、自分の唇を覆う感覚をそのまま受け入れていく。
目を閉じると、柔らかくてにゅるにゅるとした感覚。サラの細長い舌が、翔子の唇を割って入ってくる。
「あ、ふぅ……」
暑さのせいなのか、思考が麻痺してぼうっとしてくる。催眠でもかけられたみたいに、頭が働かなくなる。家族に隠れて読んだ百合の小説を思い出す。その時に思い描いた感覚が、まさに今脳内で広がっていた。
拒絶してもいいはずなのに、いけないことのはずなのに、抗うことが出来ない。いや、むしろそれを欲している自分がいる。どこか別世界の人が感じているはずだったものが、自分の中でも生じはじめている。
夢でも見ているみたいに現実感が無いけど、口のなかでからみつく舌の感覚は本物だった。それは甘くて、切なくて、きっと恋をしたこんな感じだろうなといった思いを、わずかに残った思考能力の中で芽生えさせた。
何秒も続いたキスを終えると、ハッとしたように顔を離した。唇には、どちらかのものかも分からない唾液の痕が糸を引いていた。
「ダメです……」
遠のく意識の中で、翔子は何とか言葉をひり出した。
「こんなの、ダメです。だって、わたし達……二人とも女子なんですから」
「女の子同士じゃなければ愛し合ってはいけないと言うの」
「そうじゃないです……けど、少なくともわたしはノーマルな方だから」
「ノーマル?」
「べ、別に女の子が好きな女性が悪い、なんて言ってないですよ? ただ、普通は……というか、一般的には女性は男性のことが好きになるわけで……。その……だから、わたしは一般的な女子ってことです」
「あら、そう」
サラが凄艶な微笑を浮かべて翔子を見つめる。そんな目に見つめられるだけで、本能に隠された何かが目覚めてしまう気がした。
ハッとして、サラに外されたブラウスのボタンを留め直していく。あわやそのまま脱がされるところだった。
いまだに目の前のサラは桁違いの艶っぽさで翔子のことを眺めているかと思えば、ふいに口を開きだした。
「さっきの話だけど、女の子同士の恋愛を気にしているのなら、その心配は無いわ」
「心配が無いって、どういうことですか?」
困惑する翔子に向かって、サラが昏い目を向ける。その瞬間に、何かゾッとするようなものを感じた。
「だって、女性同士なんかじゃないから」
「は?」
翔子はその言葉の意味が分からず、しばらくはブレーカーでも落とされたかのように止まっていた。




