不良の縄張り
――私がここに転校してきた理由――それは、人を殺したの。
翔子の脳内には、羅刹院サラの放った衝撃的な言葉がリフレインしていた。
ついさっきに担任から紹介されたと思えば、美少女の転入生はすぐに挑発的な発言でクラス中に喧嘩を売り、脊椎反射で迫ってきた不良をあっという間に倒してしまった。
とても人間業とは思えない。ましてや、こんな美少女がそんな芸当をやり遂げるなんて。だが、ここはかの有名な鬼哭開成高校――ろくでなしたちの巣窟でもあり、同時に世間から隔離するための施設。どんなバケモノがここにいても不思議ではない。
少し前まではクラス中のヘイトを買っていたサラだったが、赤い髪をした不良があまりにも一方的に倒されたせいか、様子を窺うような視線をあちこちから感じる。誰も尊大だからという理由で熊に喧嘩を売ったりしない。荒事に慣れていない翔子にとって、それだけでも精神面にかなりの負荷がかかった。
とはいえ、不良の巣窟で数少ない女子生徒の仲間であることに違いはない。何名か女子生徒もいるものの、いかにも反社会勢力といったナリをしているか、明らかに水商売の女といった風貌のJKしかいない。
そんな中でサラは見た目だけなら美少女の女子高生に当たる。もう少し言えば、まだ人間としてまともには見える。それもあって、翔子はサラに話しかけてみることにした。
「あ、あの……」
サラが翔子を見遣る。ちょっと注意を向けただけなのに、ぞっとするような色気があった。
「あの、わたしは、東雲翔子って言います。よろしくお願いします」
「そう。よろしく、翔子ちゃん」
羅刹院サラが艶然と微笑む。少し表情を変えただけなのに、それだけで吸い込まれそうになる。
サラも翔子の顔を見て何らかの興味を持ったようだった。アイドル顔負けの美少女がこの学校にいれば浮いてしまうのは必然だった。
「あなたみたいなお嬢様が、どうしてこんな悪党の掃き溜めみたいなところに?」
翔子は周囲の視線を気にしながら、サラの質問に答える。
「あの、わたし……親が政治家だったんですけど、お父さんが悪い人たちに騙されてしまって……。それで……」
「ああ、例の東雲賢承のこと? ……ってことは、翔子ちゃんはあの有名な東雲賢承の娘ってこと?」
「はい、まあ、そうなんです」
二人の会話に聞き耳を立てていた不良たちがざわつきはじめる。東雲賢承と言えば日本の治安悪化を防ぐためにヤクザや半グレ、特殊詐欺に街の不良たちを徹底的にイジめ抜いてきた「不良の敵」めいた意味合いがある。
バカなクラスメイトたちは虫並みのIQしかないので気付いていなかったようだが、さすがに羅刹院サラとの会話で翔子と東雲賢承の関係に合点がいったらしい。
翔子は話を続ける。
「それで、わたしも当時に通っていた学校に居場所が無くなっちゃって。というか、先生から『今から帰ってくれ』なんて言われちゃって……」
思い出したら、翔子の頬に涙が伝った。
それまでは東雲翔子は優等生としてクラスの中心にいた。その足元が、自分ではどうしようもない理由で脆くも崩れ去った。到底納得の出来るはずがない。自分の居場所が無くなる――それは翔子にとって耐えがたいことだった。
「それで、そこまで優しくしてくれた人も……ぅっく、急に……冷たくなって……」
ここに来て初めて自分の過去を語ったのもあり、少し話しただけで涙が止まらなくなった。止めようとしても、身体的な反応が出てきてどうにも出来なかった。
「ごめんなさい。つらかったのね」
サラが翔子を抱きしめる。ついさっきに不良を殴り倒したとは思えない温かさを感じた。
体が離れると、二人の目が合う。サラの瞳を見ていると、そのまま吸い込まれそうになる。自分の発する鼓動の音が、うるさいぐらいにはっきりと聞こえた。
「ご、ごめんなさい」
翔子は赤くなった顔を背けた。両目尻から零れた涙を、慌てて指で拭う。
「いいの。その話はもう少し落ち着いたらまたしましょう」
サラはハンカチを取り出して、翔子に手渡した。気付けば殺し屋みたいだった顔つきが、優しい表情に変わっていた。
「お熱いところ悪いけどよ」
声のした方を向くと、時代錯誤のマレットヘアをキメた不良がサラを睨んでいた。大迫亜斗夢――不良の中でも上の中あたりにいる自称頭脳班の不良。髪型だけ見れば、とてもそうは思えないような見た目だが。
マレットヘア――世界で一番ダサいと言われる髪型。茶色と金の中間のような前髪を残し、側頭部は刈り上げて後ろ髪は肩ぐらいの長さにまで伸ばしている。不良が一定数集まると、どうしてか必ずこの髪型にしている奴が混ざっている。
「どうしたの? 童貞君に百合は刺激が強過ぎたかしら?」
「言ってろ。それよりもよ、さっきお前が殴り倒した奴はよぉ、俺の大事な舎弟なんだ」
マレットの視線の先には、まだサラの一撃で伸びている赤髪の不良が死体のように転がっていた。
「あら、あんなに無能な舎弟がいるだなんて。人手不足でタイミーでも使ったの?」
「なんだと、てめえ」
静まり返った教室の空気が再び重くなる。担任の真田は知らぬ間にいなくなっていた。どうせ今日もすべての授業が自習で終わりだろう。
サラの煽りは効果抜群だった。自尊心を傷付けられた不良たちは、暴力によってそれを取り戻そうとする。大迫が視線だけを教室の中で動かした。
大迫の舎弟と思われる男子生徒たちがあちこちから迫ってくる。それを眺める大迫は酷薄な目で薄ら笑いを浮かべていた。
「さっきは油断したみたいだからそいつも倒されちまったみたいだが、これだけの人数の奴らがお前を殺したいと思っている」
周囲の不良たちから下卑た笑いが漏れる。翔子は怯えた顔で周囲を見回していた。
「羅刹院さん、これって……」
「大丈夫よ、こいつらごときに負けないから。翔子ちゃんは巻き込まれないようにじっとしていて」
「調子乗ってんじゃねえぞ、このクソ女!」
スルースキル数値がゼロの不良が、ものの見事にサラの挑発に乗った。
「やっちまえ。この場で好きなだけ犯してやるよ!」
唐突に始まるバトル。大迫の舎弟たちが、サラの方へ向かって机を蹴倒しながら走り寄ってくる。
最悪だ。目の前に広がる光景は悪夢としか言いようがない。翔子は「ひいい」とばかりに机の下に避難した。どうして震災と同じ対処になったのかは、翔子自身にも分からない。
「うるさいわね、このカスが」
「えっ……」
机の上からボソッと呟く羅刹院サラの声が聞こえた。その声には、恐れなどというものは少しも含まれていなかった。
不良たちに向かって構えるサラ。その瞬間に、教室の空気が冷えた気がした。




