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暴君と仇討ち

 ツーブロックの巨人。190cmほどある巨体は、筋肉の鎧をまとっており一層暴力的に見える。WWEやUFC以外の舞台で、これだけの大男を見る機会も珍しいだろう。


 八海内龍雲――鬼哭開成高校の番長であり、日本でもっとも恐れられた高校生。


 八海内はちらとだけ吊るされた翔子を見遣った。薬の効果が切れてきたのか、心配そうな目つきでサラたちを見守っている。


「人質を取った上に負けたのか。何から何まで最高にダサい奴だったな」


 八海内は今しがた首をへし折った榎本の亡骸に蔑むような視線を投げかけた。目と口を大開にした榎本は、かつての面影も無く無様な姿をさらしている。


「さて」八海内が視線を遣ると、サラは身構えた。この男は今まで出てきた誰とも違う。本能が警戒アラートを発していた。


「もっと早く俺が出てくるべきだったな。後で死体の処理も大変だ」

「そうね。最初からあなたが出てくれば、始末する死体も一つで済んだのにね」


 ふいに八海内が大笑いする。サラが睨みつける中、八海内の爆笑はしばらく続いた。


「面白い。実に面白いぞ、羅刹院サラよ。お前、大した笑いのセンスがあるじゃないか」

「冗談なんかじゃないわ」

「そうか。ああ、分かった。くっ……は、ははっ」


 八海内はなおも笑っている。ようやく落ち着いたかと思うと、口を開きはじめる。


「お前も知っていると思うが、俺はここの番長であり、世界中が恐れた不良だ。お前も知られた格闘家ではあったが、所詮はボクシングの、そして女だけの範疇に過ぎない。……おっと、女ではないと判定されたのだったか」


 サラの周囲に殺気が満ちていく。明らかな挑発とは分かっていても、八海内のわざと踏んだ地雷はトラウマを呼び起こさせる。サラは無言で右足を踏み出すと、そのままサウスポーに構える。


「まあ、いいだろう」


 八海内が左足から踏み出して、右構えにファイティングポーズを取る。


「ここは男らしく、拳だけで語り合おうか」

「その提案をしたこと、絶対に後悔させてやるわ」


 天井からぶら下がる下着姿のクラスメイトに、フローリングには転がる死体。異様な状況の体育館で、本物の番長を決める闘いが始まった。


 いくらか滑りやすいものの、体育館だけあってステップは踏みやすい。身長差はゆうに15cmほどはある。公式のボクシングであれば絶対にあり得ない体格差。八海内の自信はそこからも来ているのだろう。


 サラはスピードを全開にして、細かいフェイントをかけていく。八海内はその姿を見て、不敵な笑いを浮かべていた。


 それでもサラは物怖じしていない。これはベアナックルのどつきあい。一撃の威力が大きいのはサラについても同じだ。さっきまでの煽りスタイルは捨てて、サイドからサイドへと動いていく。


 遠い距離、八海内を中心にしてサラが右方向へと旋回していく。武士の果し合いめいた緊張感を醸しながら時が過ぎていく。


 八海内が唾を飲んで、かすかに喉が動いた。


 その刹那、斜め方向から一気にサラが刈り込んでくる。距離を詰めると、八海内の左ガードを外側からはたいて、内側に腕を折りたたむ。ガラ空きになった顔めがけて、左ストレートを打ち込んだ。


 乾いた音――サラの左が、八海内の顔面に浅く当たった。八海内が左を喰らいながら、右を思い切り振ってくる。サラはすぐに右方向へと回ってリターンブローから逃れた。


「これがカミソリパンチってやつか」


 八海内は垂れてきた鼻血を手の甲で拭う。どこか嬉しそうな表情だった。


「面白い。どうやらお前の力を小さく見積もり過ぎていたようだ」


 八海内は鋭い目つきで微笑みながら構える。タチの悪いことに、強い相手に当たるとワクワクするタイプのようだった。


 サラは無言でまた右方向に回っていく。サウスポーと右構えでは、ジャブを打つ「前の手」が鏡に映したようになる。そのせいで正面からだとお互いジャブが当てづらく、アウトサイドから攻撃を仕掛けると有利になる。それだけに右と左の対決では外側のポジションの奪い合いが発生しがちだ。


 だが、リーチや体格で大きく勝るせいか、八海内はサラと正対する形で構えていた。単にサウスポー対策を知らないだけかもしれないが。


 そのためサラは右方向へとスムーズに回っていく。この対決がポイント制でないにしても、大きなパンチを当てるためにはジャブで距離感を掴んでおく必要がある。


 左右へ不規則に揺さぶりをかけるトリッキーなステップも駆使しながら、サラは八海内の右側をキープする。八海内も知らぬ間に薄ら笑いは消えて、ガードを高く上げていた。サラはガードの上をジャブで叩くも、それを崩すまでには至らない。


『揺さぶりをかけていかないと、どうにもならないわね』


 サラは高速ジャブでガードを叩くと、そのまま鋭い角度で踏み込んで左ボディーストレートを叩き込んだ。鋼のような筋肉で覆われた腹を、ベアナックルの拳が直撃する。


 派手な音こそ鳴ったものの、八海内は表情一つ変えない。喰らいながら左フックを強振する。同時打ちの強烈なフックはすさまじいスピードで、バックステップで距離を取ろうとしていたサラをつかまえた。


 ガードの上から叩きつけた左フックは、最強の女子高生をものの見事に吹っ飛ばした。サラは思わず尻もちをついて、よろめきながら慌てて立ち上がった。


「ダウンだな」


 八海内が嗤う。その言葉の通り、レフリーがいれば確実にダウンを告げられていた。


「足が滑っただけよ」


 サラは平然とした顔で強がる。実際のところはしっかり効いていたわけだが、そんなことは言っていられない。この程度の危機はとっくに織り込み済みだった。


 八海内は「分かったよ」とでも言うように構えてプレッシャーをかけていく。


 強がったとはいえ、さっきのは実質的に文句のつけようのないダウンだった。舌打ちしたいのをこらえながら脚を使う。


 どれだけ技術で上回っていても、ここまでの体格差があると一撃でひっくり返されてしまう。八海内は自分でもそのことが分かっていたに違いない。ヤケクソになっている場合でもないので、当初のプランを継続する。


 体をなるべく斜めに構え、パンチの当たる面積を少なくした上で左右へと上体を揺らす。その場には留まらず、常に的を絞らせない。基本中の基本だが、強豪同士になるとこの基本をどれだけ貫けるかの勝負でもある。


 向き合い、フェイントをかけ合う。八海内も天性のセンスなのか、それとも技術的な下地となる格闘技経験でもあるのか、小さな動きでフェイントの掛け合いに対応出来ている。カタギの選手なら天才だと褒めてやりたいところだが、サラとしては厄介な状況になった。


 ジャブを弾く。キレとスピードを重視して、体重を乗せるのはやめた。まずはリズムと距離感を掴むこと。そうでもしないと、強力なパンチをあの巨体にぶち込むのは難しそうだった。


 八海内はガードを上げながら、サラの動きを観察していた。感情の読み取れない、不気味な眼。薄笑いでも浮かべてくれていた方がまだマシに感じられた。


 ひとまずカウンターの取り合いはしない方がいい。半ば本能めいた分析が脳裏に流れる。


 八海内は体格で大きなアドバンテージがある上に天性の格闘センスがある。たとえ自分の方が早くカウンターブローを放ったとしても、腕の長い八海内のパンチの方が物理的な理由で先に当たる可能性が高い。それがたった一発だけであっても、まともに喰らえばタダでは済まない。それはついさっきの「ダウン」で証明されている。


 サラは体育館のフロアをつま先で蹴り、水面を滑るアメンボの如く高速で移動していく。巨漢の八海内相手に力づくで正面から闘ってはいけない。時間がかかったとしても、スピードで削っていかないとビッグパンチをもらう危険性がある。


 変則的なステップを踏みながら、素早くワンツーを打ってから離れる。サイドから切り込んだワンツーは、二発とも八海内の顔面をとらえた。同じ階級なら確実に仕留めているはずのタイミング。


 だが、八海内はケロッとした顔でリターンブローとなる左右のフックを振ってくる。これをまともに喰らえば首から上が無くなる。サラは自らのスピードをフル回転させ、ザリガニのように一気に距離を取った。この際よける時の見栄えがどうこう言っている場合ではない。


 それでもアウトサイドからの速いワンツーが当たると分かったのは大きい。調子に乗ってきたサラは右サイドへと回り、隙を見ては鋭いワンツーを突き刺していく。カミソリパンチと呼ばれた拳は、八海内の固い皮膚も例外なく切り裂いた。


 パックリと割れた左目尻から流れ落ちる血。八海内が指で出血を確かめると、何事も無かったかのようにまた構える。こんなものは怪我でもないとでも言いたげに見えた。


 サラにとっては相手の目尻を切ったのは良い流れになる。裂傷で負ったダメージがそれほどで無くても、流れ落ちた血が目に入れば視界が塞がれる。サラは右へとフットワークを使いながら、血の出てきた左目の瞼を徹底的に狙っていく。


 この決闘型ボクシングにはレフリーストップが無い。どちらかが倒れるまで、この殴り合いは続く。それならば左目ごと潰してやろうと考えるのは至極当然の考えだった。


 血が目に入るのか、右ジャブが当たりはじめる。八海内はハエでも追い払うかのようにフックを振り回す。当初こそ元気いっぱいだったものの、格闘技で一番疲れるのは空振りだ。手数を出していても、ガードかどこかに当たっていればリズムも掴めるのでそこまで疲れない。


 サラはアサシンのように無表情で右へと回り続け、速くて切れ味が抜群のジャブを連発していく。八海内の左瞼の上にあった傷がどんどん広がっていく。そのうち眼球にでも達しそうな勢いで。


「いけるよ、サラちゃん!」


 体育館の天井から吊るされた翔子が、宙に浮いたままエールを送る。セコンドにはなり得ずとも、先ほどから感じていた手ごたえを肯定されている気分になった。


 攻めあぐねているイラ立ちもあったせいか、八海内がひどくうざったそうに翔子を見上げた。刹那、一瞬の隙を見逃さなかったサラが、信じられない速度で踏み込んでワンツーから右アッパー。そして左ストレートを振り抜いた。


 八海内がグラつく――今だ。


 倒れまいと、酔っ払いのようにフロア上で揺れている八海内。


 サラは一気に距離を詰めて、左右から阿修羅観音の如く大量のパンチを放っていく。ボクシングの世界戦でも滅多に見られないようなラッシュは、八海内を飲みこんでいく。


 それは打っていくほどに急所をとらえていき、連打の流れで左ストレートからの右フック、そしてもう一度左ストレートが八海内の顎をとらえると、スッと抜けるような感覚があった。


 サラには分かった。この手ごたえは、対戦相手に深刻なダメージを負わせた時に味わうスッキリとしない感覚だ。


 八海内の瞳孔がカメレオンのようにあさっての方向に向いている。こいつは飛んでいる――見た瞬間に、すぐ分かった。


 筋肉ダルマの大男が、ダメージから派手に尻もちをついた。ダウンだ――そう、これが公式のボクシングであれば。


 尻もちをついたぐらいでサラは追撃をやめようなどとは思わない。本当に勝利を確信出来る時があるとすれば、それは本当に目の前にいる敵の息の根を止めた時だけだ。


 サラは思い切り体を捻り、全体重を前にある右足に乗せる。重心を移動して、下げた拳を座ったままの八海内めがけて振り上げていく。


 轟音――世にも珍しい、フルスイングのダッシュアッパーが八海内の顔面を直撃した。あまりの衝撃に、吹っ飛ばされた八海内は後頭部を打ち付けてバウンドした。


 もう誰が見ても、勝負は明らかだった。


 日本を恐怖に陥れた、半グレ組織の総帥である八海内龍雲が倒された。気を失った八海内は、体育館のフロアで磔のキリストのように意識を失っていた。


 息を切らせるサラ。また起き上がってきやしないかと、荒くなった呼吸とともに血まみれとなった八海内を睨みつけていた。


 八海内がゆっくりと首だけを動かす。あれだけのダメージを負いながらも、自力で意識を取り戻したようだった。


「……さすがに頭がおかしいわね」


 サラが呆れる。すでに反撃する力が残っていないと知っているせいか、その言葉の放つ響きは軽かった。


「バケ、モノ……め」


 八海内は倒れたまま、死にそうな声で毒づいた。サラはそのさまを何も言わずに眺めていた。


 内臓をやられたのか、咳き込むと血が噴き出した。自分の胸元に広がる血痕を、八海内は虚ろな目で眺めている。


「……俺は、負けたのか」

「そうよ、残念ながら」


 容赦なく告げられた現実に絶望するでもなく、八海内は焦点の合わない目で天井を眺めていた。


「そうか、俺は負けたのか」


 八海内はふいにくっくと笑いだすと、それはより大きな笑い声へと変わっていった。


「何がおかしいの」

「ああ、済まない。お前が『あのこと』を知らないと思うと、どうしても笑わずにはいられなくてな」

「何が言いたいの」

「なあ、羅刹院サラよ。俺がお前について調べていたのは言ったよな? そうだ、俺はたしかにお前のことを調べ上げた。だけど、それだけじゃない」


 ホラー映画の出演者にでもなったかのような顔で、八海内は動かない口角を無理矢理上げる。


 どう見ても死の一歩手前にしか見えない顔の八海内は、よこしまな喜びに胸を躍らせる。まるで、この呪文を唱えたらすべての形勢が逆転するとでも言うみたいに。


「お前に一つ、真実を教えてやろう」


 たっぷりと間を置いてから、八海内はその口を開く。


「お前のオヤジ……殺したのは、俺の指示だ」


 羅刹院サラの「オヤジ」であり柴木組の組長であった柴木十三。何人もの武装した半グレに殺されたが、拘束された犯行グループのメンバーはいずれも口を割らなかった。


 八海内も少年法に守られて、主犯であったことについては触れられていない。つまり「オヤジ」が誰の指示で殺されたのかは、サラは知らないはずだ。八海内はそれが分かっていた。


 少しでも精神的なダメージを与えてやろうと、無理くり酷薄な笑顔を作る。


「柴木の野郎、昔にちょっと世話になったぐらいで、いつまでも『オヤジ』のつもりでいたのが鼻についた。殺した理由は、ただそれだけだ。お前にとっちゃ納得いかないだろうがな。数々の武勇伝を持つあいつの自尊心を根元からへし折ってやりたかった。お前なんて何の役にも立たない、なんにも価値が無いって思わせた上で殺してやりたかった。だからそれを実行した。縄張りがどうとか、そんなものは建て前だった。俺は自分よりも上にいる人間が我慢ならなかったんだ。つまるところ殺害に至った理由はそれだけのことだ」


 最悪な伏線回収――八海内は死の間際でそれを伝えることで、最後の最後に勝利して逝くつもりだった。


 八海内は自分でも残酷な笑みを浮かべているのが分かった。顔中血だらけで裂傷もあるが、それでも最後には敵のことを嗤って終わりたかった。それさえ出切れば八海内の中でサラに負けたことにはならない。


 宙吊りになった翔子が息を飲んで二人の様子を眺めている。常人であれば、発狂したとしてもおかしくない事実を知らされたのだから。


 サラが表情を変えずに口を開く。


「ええ、知ってたわ」

「……は?」


 想定外の答えに、八海内は言葉を失う。


 ――今しがた新事実の告知で地獄へと叩き落としたはずなのに、お前は何を言っている?


 八海内の心を読んだかのようにサラが口を開く。


「私だってバカじゃない。実行犯のことを色々と調べたら、すぐにあなたの差し金だったと分かったわ」


 そう言いながら、サラはゆっくりと歩きはじめる。その背中には、異様なまでの迫力が籠っていた。


「そもそもどうして私がこの学校に『転校』なんかしてきたと思う? ボクシングの夢を失って、人を殺したから? まさか」


 八海内の体が震えだす。冷え切った声のサラが拾ったのは、榎本の忘れ形見である日本刀だった。


「私がこの学校に来た理由はただ一つ――それは、父の仇であるあなたを殺すためよ」

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